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スミス男爵の奮闘②
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今から遡ること数日前、母の隠し事を目の当たりにした男爵は頭を悩ませていた。
母を切り捨てることは決断できたものの、事が大きすぎてどう対処していいものか判断が付かない。
「直接母上を問い詰めるか? いや……それは駄目だな」
王太子を守るため、秘密を知った母が自分達に危害を加えるかもしれない。
母が実の息子相手にそんなことをするはずがない……などという甘い考えを男爵は持ち合わせていなかった。何故ならあの母に対する信頼は無に等しいから。
そもそも問い詰めたところで何の意味もない。
どんな理由があろうとも、母が王太子の不貞の場として邸を提供したことは変えようのない事実なのだから。
「……父上に相談するか」
幼い頃から母親の分まで自分を慈しんでくれた父。
母とは違い信頼に値する父ならば相談に乗ってくれるだろうと男爵は考えた。
早速父だけを本邸へと呼びよせ、自分が見たことを全て包み隠さず話した。
父は息子の口から語られることの重大さに恐れ慄き絶句し、顔から血の気が引いている。
「あいつ……儂の留守中にそんなことを……」
父は妻が自分の留守中に王太子とその不貞相手を邸に招いていたことも、その間使用人に暇を取らせていたことも知らなかったようだ。おそらく父が帰る前に王太子がいた痕跡を消していたのだろう。
「父上、これは対処を誤ると俺達全員が連座で罪に問われる。慎重に事を進めたいので母上と問い詰めるような真似はしないでくれ」
「…………そうだな。こちらが勘付いたことをあいつに知られるのは悪手だ。何をするか分からん……」
自分の夫にここまで信頼されていないことをあの母は知っているだろうか。
眉根を寄せて苦悩する父を見ていると胸が痛い。
「これは……王太子殿下の婚約者であるグリフォン公爵令嬢を頼った方がいいな。あの御方ならば上手く処理してくださるやもしれん」
「は……? どうして王太子殿下の婚約者を頼るという話になるんだ……!?」
まだグリフォン公爵に頼るというのならば分かる。なのに、何故令嬢の方を頼るという話になるのか意味が分からなかった。
「婚約者が不貞を犯しているなんて知ったら傷つくに決まっているだろう!? どうしてわざわざそんな傷つけるような真似を……」
「……普通の令嬢ならばそうかもしれんが、あの御方は違う。そんなことくらいで傷つくような性格ではない。むしろ嗤って流すと思うぞ」
婚約者の不貞を嗤って流す?
どれだけ強心臓の持ち主ならばそんなことが出来るというのか……。
「とにかく一番頼れる相手がグリフォン公爵令嬢しか思いつかん。儂は一日だけだがあの御方の王妃教育に携わった。記憶力のいい方なので儂の事も覚えておられるだろう。お会いして話したいことがある、と手紙にしたためればきっと会ってくださるだろう」
父は当主を引退後に教師となった。
元々趣味で歴史学を学んでいたことが功を成し、王妃教育に携わるまでとなったのだ。そういう経緯がありグリフォン公爵令嬢と関りがあったのだろう。
しかし、年若い令嬢にこんな重大な事を相談しようとするなど正気かと疑ってしまう。それでも、その“これが最良の選択”という姿勢を崩さない様子から不思議とその通りにした方がいいとすら思ってしまう。
「この件についての詳細を詳しく手紙に書け。それを儂自らグリフォン公爵家へと届けてやる」
「父上が直接届けるだって!? どうして使用人に頼まない? それに面識のない俺が書くのか!?」
「この件についてグリフォン公爵令嬢と直接話をするのはお前なんだから、お前が書くべきだろう?」
「え!? 父上は行かないのか?」
「儂が別邸から離れてはいかんだろう? あいつがまた王太子を招くかもしれん。もうこれ以上勝手な真似はさせん。それと、使用人に頼まず儂が直接持って行くのはこの件が他所に漏れないようにだ。他人に頼まず自分で持って行った方が安心できるからな」
「それは分かるけどよ……。なら、そもそも手紙にそんな知られては困る内容を書かなきゃいいんじゃないか? グリフォン公爵令嬢が俺に会ってくれた時に口頭で説明すれば済む話だろう?」
「駄目だ。あの御方は貴族にしては珍しく合理主義な思考の持ち主だからな。必要な情報を先に伝えておけばその場で判断を下してくれる。お前だって『追って沙汰を下す』みたいことを言われては気になって無駄に動揺してしまうだろう? それではあいつに勘付かれてしまうかもしれない」
つまりは、先に情報を伝えておけば会った時に今後どうすべきかを教えてくれるが、それがないと後で結果を伝えると言われてしまい、その待っている間悶々と過ごすことになるということか。そしてその様子を母に見られでもすれば勘付かれてしまうということ。
そんな先に書類を送って次の面接にてその場で合否を発表してもらうという、まるで使用人を雇用するみたいなやり方……と男爵は渋い顔をした。
「いや……それならそもそも、父上がグリフォン公爵令嬢に手紙を届けた時にでも直接言えばいいじゃないか……」
「高位貴族は直接手紙を受け取るような真似はしない。例え王族が直接持参していきたとしても、それを受け取るのは使用人だ。なので、当然儂が手紙を持って行っても会えることはないだろうよ」
「え……その時に会わせてくれってお願いしたら会わせてくれるんじゃ……」
「下位貴族ではありがちだが、高位貴族でそれはマナー違反だ。急な要件とはいえ礼を欠くわけにはいかんだろう?」
「まあ……それもそうか……」
父の言う通りにすると、あれよという間にグリフォン公爵令嬢から邸への招待状が届いた。何かと焦らす傾向にある高位貴族とは思えないほどの迅速な対応に、父が言っていた通り合理性のある方なのだなと納得する。
こうして、スミス男爵はグリフォン公爵家へと赴いたのである。
母を切り捨てることは決断できたものの、事が大きすぎてどう対処していいものか判断が付かない。
「直接母上を問い詰めるか? いや……それは駄目だな」
王太子を守るため、秘密を知った母が自分達に危害を加えるかもしれない。
母が実の息子相手にそんなことをするはずがない……などという甘い考えを男爵は持ち合わせていなかった。何故ならあの母に対する信頼は無に等しいから。
そもそも問い詰めたところで何の意味もない。
どんな理由があろうとも、母が王太子の不貞の場として邸を提供したことは変えようのない事実なのだから。
「……父上に相談するか」
幼い頃から母親の分まで自分を慈しんでくれた父。
母とは違い信頼に値する父ならば相談に乗ってくれるだろうと男爵は考えた。
早速父だけを本邸へと呼びよせ、自分が見たことを全て包み隠さず話した。
父は息子の口から語られることの重大さに恐れ慄き絶句し、顔から血の気が引いている。
「あいつ……儂の留守中にそんなことを……」
父は妻が自分の留守中に王太子とその不貞相手を邸に招いていたことも、その間使用人に暇を取らせていたことも知らなかったようだ。おそらく父が帰る前に王太子がいた痕跡を消していたのだろう。
「父上、これは対処を誤ると俺達全員が連座で罪に問われる。慎重に事を進めたいので母上と問い詰めるような真似はしないでくれ」
「…………そうだな。こちらが勘付いたことをあいつに知られるのは悪手だ。何をするか分からん……」
自分の夫にここまで信頼されていないことをあの母は知っているだろうか。
眉根を寄せて苦悩する父を見ていると胸が痛い。
「これは……王太子殿下の婚約者であるグリフォン公爵令嬢を頼った方がいいな。あの御方ならば上手く処理してくださるやもしれん」
「は……? どうして王太子殿下の婚約者を頼るという話になるんだ……!?」
まだグリフォン公爵に頼るというのならば分かる。なのに、何故令嬢の方を頼るという話になるのか意味が分からなかった。
「婚約者が不貞を犯しているなんて知ったら傷つくに決まっているだろう!? どうしてわざわざそんな傷つけるような真似を……」
「……普通の令嬢ならばそうかもしれんが、あの御方は違う。そんなことくらいで傷つくような性格ではない。むしろ嗤って流すと思うぞ」
婚約者の不貞を嗤って流す?
どれだけ強心臓の持ち主ならばそんなことが出来るというのか……。
「とにかく一番頼れる相手がグリフォン公爵令嬢しか思いつかん。儂は一日だけだがあの御方の王妃教育に携わった。記憶力のいい方なので儂の事も覚えておられるだろう。お会いして話したいことがある、と手紙にしたためればきっと会ってくださるだろう」
父は当主を引退後に教師となった。
元々趣味で歴史学を学んでいたことが功を成し、王妃教育に携わるまでとなったのだ。そういう経緯がありグリフォン公爵令嬢と関りがあったのだろう。
しかし、年若い令嬢にこんな重大な事を相談しようとするなど正気かと疑ってしまう。それでも、その“これが最良の選択”という姿勢を崩さない様子から不思議とその通りにした方がいいとすら思ってしまう。
「この件についての詳細を詳しく手紙に書け。それを儂自らグリフォン公爵家へと届けてやる」
「父上が直接届けるだって!? どうして使用人に頼まない? それに面識のない俺が書くのか!?」
「この件についてグリフォン公爵令嬢と直接話をするのはお前なんだから、お前が書くべきだろう?」
「え!? 父上は行かないのか?」
「儂が別邸から離れてはいかんだろう? あいつがまた王太子を招くかもしれん。もうこれ以上勝手な真似はさせん。それと、使用人に頼まず儂が直接持って行くのはこの件が他所に漏れないようにだ。他人に頼まず自分で持って行った方が安心できるからな」
「それは分かるけどよ……。なら、そもそも手紙にそんな知られては困る内容を書かなきゃいいんじゃないか? グリフォン公爵令嬢が俺に会ってくれた時に口頭で説明すれば済む話だろう?」
「駄目だ。あの御方は貴族にしては珍しく合理主義な思考の持ち主だからな。必要な情報を先に伝えておけばその場で判断を下してくれる。お前だって『追って沙汰を下す』みたいことを言われては気になって無駄に動揺してしまうだろう? それではあいつに勘付かれてしまうかもしれない」
つまりは、先に情報を伝えておけば会った時に今後どうすべきかを教えてくれるが、それがないと後で結果を伝えると言われてしまい、その待っている間悶々と過ごすことになるということか。そしてその様子を母に見られでもすれば勘付かれてしまうということ。
そんな先に書類を送って次の面接にてその場で合否を発表してもらうという、まるで使用人を雇用するみたいなやり方……と男爵は渋い顔をした。
「いや……それならそもそも、父上がグリフォン公爵令嬢に手紙を届けた時にでも直接言えばいいじゃないか……」
「高位貴族は直接手紙を受け取るような真似はしない。例え王族が直接持参していきたとしても、それを受け取るのは使用人だ。なので、当然儂が手紙を持って行っても会えることはないだろうよ」
「え……その時に会わせてくれってお願いしたら会わせてくれるんじゃ……」
「下位貴族ではありがちだが、高位貴族でそれはマナー違反だ。急な要件とはいえ礼を欠くわけにはいかんだろう?」
「まあ……それもそうか……」
父の言う通りにすると、あれよという間にグリフォン公爵令嬢から邸への招待状が届いた。何かと焦らす傾向にある高位貴族とは思えないほどの迅速な対応に、父が言っていた通り合理性のある方なのだなと納得する。
こうして、スミス男爵はグリフォン公爵家へと赴いたのである。
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