上 下
50 / 109

サラマンドラ公子

しおりを挟む
「あら?」

 王妃教育が休みの日はサラマンドラ家を訪れることがアンゼリカの習慣になりつつある。本来であれば王妃教育中にそこまで休暇はないものなのだが、生まれながらの天才であるアンゼリカは常人よりも習得のスピードが格段に違う。それ故に数日に一度はこうして暇な日を設けることが可能であり、その日を全てミラージュとの交流に使用している。

 いつもなら公爵夫人もしくは家令が対応してくれるが、この日は見たことのない貴公子がアンゼリカを出迎えてくれた。ミラージュと同じ漆黒の髪に紫の瞳から、おそらく彼はサラマンドラ家の令息なのだろうと推測する。

「ご機嫌麗しゅうございます。失礼ながら、サラマンドラ公子様でいらっしゃいますか?」

 アンゼリカがそう尋ねると彼は少し驚いた顔を見せた。だが、すぐに顔を引き締め、優美な仕草で礼をとる。

「いかにも。サラマンドラ家が長子、レイモンドだ。貴女はグリフォン公爵令嬢だろうか?」

「左様にございます。グリフォン公爵家が長女、アンゼリカにございます。以後お見知りおきを」

 アンゼリカが優雅さを体現したかのような完璧な淑女の礼を見せると、レイモンドは見惚れたように固まる。そしてアンゼリカが頭を上げ、人形のように整った美しい顔を見せるとレイモンドの頬にわずかに紅が差した。

「あの……? 公子様、如何なさいましたか?」

 急に黙ってしまったレイモンドに訝しむアンゼリカ。
 家人が案内してくれない限りミラージュに会うことは叶わない。
 早く案内してくれないかしら、と声を掛けようとしたその時レイモンドがハッと我に返った。

「すまない、客人を待たせるなどとんだ不作法を。すぐにミラージュの元へと案内しよう」

 自然な動作でレイモンドが手を差し出したのを見て、アンゼリカは一瞬驚いてしまった。しかしすぐにそれがエスコートなのだと理解し、動揺を気取られないよう優雅な仕草で手を重ねた。

(父と兄以外からエスコートを受けたことがないから一瞬驚いてしまったわ。そうよね、男性は必ず女性をエスコートするものよ。そういう常識を忘れていたわ)

 アンゼリカは家族以外からエスコートを受けたことがない。
 これまで興味が無かったからか、男性と接する機会が極端に少なかったからだ。

 婚約を交わせば婚約者にエスコートしてもらうのは当たり前なのだが、あの王太子がするとも思えない。まあアンゼリカの方も接触を避けてはいるからお互いさまではあるが。

 家族以外のエスコートは実に新鮮で、少しだけ浮足立つような気持ちになった。
 基本的に世の中をつまらないものだと感じているアンゼリカにとって、このような気持ちになった相手はミラージュ以外初めてだ。

「ミラージュは今、庭の温室にいる。少し歩くが構わないだろうか?」

「ええ、勿論です。ミラージュ様は花を愛でていらっしゃるのかしら?」

「……いや、気分転換になるだろうと連れ出した。妹が好きだった花でも見れば気分も変わるかと思って……」

 暗い表情で俯くレイモンドにアンゼリカは何も返せなかった。
 表面上の薄っぺらな同意の言葉を吐くことは出来る。だが、身内が不幸な目に遭って辛い想いをしている彼等にそんな言葉をかけたくない。

 そうこうしているうちにガラス張りの温室が見えた。
 その中には車椅子に乗ったミラージュが虚ろな表情で花を眺めていた。

「ごきげんよう、ミラージュ様」

 温室に入り、にこやかに挨拶をするがミラージュからの反応はない。
 それでも全く構わないといった様子でアンゼリカはミラージュの元へ近づき、傍に膝をついて話しかけた。

「見事な温室ですね。ここは以前お聞きしましたミラージュ様専用の温室でしょうか? 珍しい花が沢山咲いていて見事ですこと」

 周囲に咲き乱れる花々にも負けないほどの華やかな笑みを浮かべ、嬉しそうにミラージュへ話しかけるアンゼリカを見てレイモンドは息を飲んだ。彼女の顔があまりにも自然で、そこには“同情”や“憐れみ”の感情が存在しなかったから。

 家族は皆、ミラージュに話しかける際は必ずといっていいほど「可哀想に」「どうしてこんなことに」などの同情の言葉をかける。それは勿論レイモンド自身も。

 だが、とレイモンドはその時初めて気づいた。
 妹は毎回のように同情の言葉をかけられて、どう思うだろうかと。
 反応が無いからといって、こちらの話を聞いていないとも限らない。もし、話せないだけで聞こえてはいたのだとしたら、同情ばかりされては辛く感じるかもしれない。

 レイモンドの知るミラージュは同情されてばかりいて喜ぶような性格ではない。
 むしろ人に心配をかけることを嫌って我慢ばかりするような性格だった。

 そんな妹にとっては、この少女のように自然体で接してもらった方が嬉しいのではないか。レイモンドはそう思ったと同時に自分を恥じた。

 可哀想だと言い続けてしまった考え無しの自分に。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

皇妃になりたくてなったわけじゃないんですが

榎夜
恋愛
無理やり隣国の皇帝と婚約させられ結婚しました。 でも皇帝は私を放置して好きなことをしているので、私も同じことをしていいですよね?

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...