王妃となったアンゼリカ

わらびもち

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アンゼリカの器

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「だ、だが……そうはいってもアンゼリカ嬢は王太子と夫婦になるのだぞ? 歩み寄りは必要であろう?」

「いえ、通常はそうでしょうけれど……おそらくアンゼリカ様は不要だと考えていらっしゃるのでは? 歩み寄らずとも形だけで夫婦は成り立つと」

「いやいや、流石にそれは無理ではないか? 夫婦なのだから子作りの問題もあるわけだし……それに、夫からの寵愛が無い妻というのは社交界で軽んじられてしまう。次代の王妃が他家から軽んじられるなど、グリフォン公爵家の名誉を失墜させる恐れがあるだろうし……」

「そんなものは情報操作さえしてしまえば何とでもなります。グリフォン公爵家の富と人脈があればどうとでもなるのですから」

 それは飛躍しすぎではないか、と軽んじる国王に宰相はいたく真面目な顔で返す。

「……陛下、現在アンゼリカ様は王城内にいる全ての使用人の心を掌握しております。そしてそれとは反対に王太子殿下の求心力はミラージュ様が婚約者であった頃より更に落ちています」

「は…………? え? いや……そんな、アンゼリカ嬢が王城を訪れるようになってまだ数日だぞ? それに、王太子の求心力が落ちているのはそれと何の関係がある?」

「アンゼリカ様はたった数日で王城内にいる全ての使用人の顔と名前、そしてどのような仕事をしているかを完全に把握しているようです。それでいて気さくに声をかけるものですからもう……使用人の間でアンゼリカ様は女神のように崇められておりますよ。それに比べて殿下は使用人の顔も名前も憶えていないでしょうから」

「いやいやいや! たったそれだけでか!?」

「たったそれだけが出来るか出来ないかでこうも違うのかと驚きました……。加えてグリフォン公爵家が給金に色を付けておりますので。名と仕事ぶりを把握し、十分な報酬を与える。これだけでここまで信頼が得られるものかと感服致しました。これを社交界でも同様に行えば、例えアンゼリカ様が王太子殿下を雑に扱おうが……ねえ?」

 唖然とする国王は宰相の言葉の意味を理解するまで時間を要した。
 自分には辛辣なことばかり言ってくる少女が、使用人の間でそこまで人気が高かったことなどとても信じられない。宰相が嘘をついてこちらを騙そうとしているのではないかと疑心暗鬼に陥りそうだ。

「嘘だと思うのでしたら……アンゼリカ様が殿下に不遜な態度をとろうが誰も止めないのはどうしてだと思います?」

 ここは王城で殿下は王族なのだから普通は誰かが止めるでしょう、と宰相に言われて国王はやっと理解した。

「そんな末恐ろしい女を王太子の婚約者として宛がってしまったのか……。このままでは王城はアンゼリカ嬢とグリフォン公爵家に乗っ取られてしまう……!」

「はあ……別にいいのではありませんか? アンゼリカ様でしたら如何なる問題が起きようとも冷静に最善の方法で対処してくださるでしょうし……」

 投げやりな宰相の態度に国王は目を丸くして驚いた。
 彼は「別にいい」と言ったが、国王にとってはいいわけがない。

「馬鹿な事を言うな! 王族が頂点に君臨してこそ国は成り立つというものだ! 王家の血すら引かぬ者に乗っ取られてたまるものか!!」

「……ですが、現状グリフォン公爵家が介入することで成り立っていますよね? こう言っては何ですが、王太子殿下がサラマンドラ家を怒らせたことで王家は衰退寸前だったわけですし……」

「う……い、いや……それはそうだが……」

「陛下はアンゼリカ様ではなく王太子殿下を諫めるべきです。きちんとアンゼリカ様を丁重に扱うよう
にと。最低でもあの男爵令嬢とは縁を切らせるべきです」

 国王は気まずそうに目を逸らした。
 宰相は主君の煮え切らないその態度に苛立ちを覚える。

「陛下は何故あの男爵令嬢を放置しておくのです? 殿下の婚約者でもないのに好き放題王城に出入りし……ミラージュ様が注意しても全く聞かなかった。本来でしたら城へ上がることも許されぬ身分ですよ?」

 本来一介の貴族令嬢が好き勝手に王城に出入りすることは許されない。
 もちろん宰相も何度か注意はしたものの、王太子が許可をしているせいか全く聞き入れられなかった。

 ならば王太子より身分が上の国王から注意を、と何度も促しているがいつもこうやってはぐらかされてしまう。

「だ、だが……余は父親として息子の秘めやかな恋を応援してやりたいと……」

 この愚か極まりない発言に宰相は心底呆れかえり、軽蔑した目を向ける。

「……何を愚かなことを仰っているのですか。客観的に申し上げて王太子殿下は婚約者がいながら別の令嬢を隠しもせず侍らせているのですよ? 父親ではなく為政者として厳しい判断をすべきでしょう!?」

「そ……それは、まあそうだが、別にいいではないか、恋人の一人くらいいても……。癒しは必要ではないか……?」

「本気で仰っていますか……? 国民の模範となるべき王族が堂々と不貞を働く姿を見せていいわけがないですよ!」

 激高する宰相の大声に国王は「ひっ!?」と小さく悲鳴をあげた。
 その情けない主君の姿に隠すこともせず大きなため息をつく。

「甘い……陛下も殿下も甘すぎます。グリフォン公爵家を舐めすぎです! ……もう、どうなっても私は知りません」

「宰相、お前こそグリフォン公爵家を恐れ過ぎではないか? いくら切れ者とはいえたかが一貴族だ、そこまで恐れる必要はない」

「……これ以上私がどう説明しても無駄のようですので、これからどうぞ身をもって体験してください。そうすれば私が今言ったことが分かると思います」

「は? 身をもってだと? それは……」

 国王が言い募ろうとすると、宰相はそれを遮るように「ああ、そうそう」と口にした。

「本日をもって馬鹿息子を殿下の側近から辞職させますので、どうぞご了承を」

「は!? 何だと? 馬鹿を言え! そんなことをすれば王太子の側近が一人もいなくなってしまうではないか!」

「そうですね、もう一人の側近である騎士団長の子息はアンゼリカ様に危害を加えようとして返り討ちに遭い側近を辞職しましたものね。それでいて馬鹿息子はそれを見ていたくせに止めもしなかったと……。話を聞いて呆れましたよ、こんな情けない男が自分の息子なのかと」

「う、うむ……それは余も聞いたが……」

「私もねえ……父親として馬鹿息子に温情をかけたのがいけなかったのですよ。立場上、殿下にあの男爵令嬢を近づかせてはいけないというのに……遠ざけるどころか殿下と一緒になってあんな女をチヤホヤと……。婚約者もいる身なのに情けない……! ミラージュ様に対しても嫌味の一つや二つを言ったと聞き、何度も殴ったのですがそれでも行動を改めやしない! しかも今度はアンゼリカ様を責めようとしたと聞き……もうこいつは駄目だなと思ったのです。騎士団長の子息のような問題を起こす前にさっさと家に閉じ込めておかないといけない。なので、殿下の側近はまた新たに優秀な人物をおつけください」

「ま、待て! 待ってくれ! お前の子息までいなくなったらエドワードは……。それに子息の意志はどうなる!?」

「馬鹿息子の意志を聞いてきた結果がこれです。もうこれ以上は聞いていられません。これ以上野放しにしていたら……」

 鬼気迫った様子の宰相に国王は二の句が継げなかった。
 その“取り返しのつかないこと“が他人事には聞こえなかったからだ。

「宰相……「失礼いたします! グリフォン公爵令嬢が急ぎ陛下にお会いしたいと仰せです!」」

 執務室の扉の外から衛兵の焦った声が中に響いた。
 その声の調子から何かとんでもないことが起きたであろうと想像がつく。

「……分かった。ご令嬢を謁見の間へと案内するように」

 内心では「何を言われるか分からないし怖い。行きたくない」と思う国王だが、アンゼリカからの要請を無視した方が余程恐ろしい。

 のろのろと椅子から腰を上げ、憂鬱な足取りで謁見の間へと向かった。
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