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教師の話②
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「ごめんあそばせ、話が脱線していまいましたね。それで、殿下はその男爵令嬢に骨抜きにされ、ミラージュ様への態度を変えてしまわれましたの?」
「え? あ、ああ……さようでございます。ミラージュ様は馴れ馴れしく殿下や側近の方々に近づく男爵令嬢に注意をなさったのですが、全く聞き入れてもらえないどころか殿下の逆鱗に触れてしまいました。それからはもう……殿下はミラージュ様を事あるごとに責め立て暴言を吐くまでになり……。あろうことか側近の方々までミラージュ様を目の敵になさいました」
「あらまあ……側近とはいっても公爵令嬢たるミラージュ様より身分は下でしょうに。有り得ませんね……」
「ええ、本当に有り得ません……。男爵令嬢如きが婚約者のいる王太子に馴れ馴れしく近づくことも、同じく婚約者がいる側近の方々に近づくことも有り得ない行為です。側近も側近でそんな無礼な女を殿下から遠ざけることもせず、あろうことか本来の婚約者であるミラージュ様を責めるなんてふざけています。それに……側近の婚約者からもミラージュ様は責められていたようで……」
「側近の婚約者から責められる? それはどうしてでしょうか?」
「それが……男爵令嬢如きを排除できないなんて役立たずだと。親しくしていたはず彼女達からも責められ、ミラージュ様は病んでしまわれたのです」
そこまで言うと教師は目からほろりと一筋の涙を流した。
「私は日に日に病んでいくミラージュ様を見てられず、何度も陛下に殿下の所業について苦言を呈したのですが……一向に聞き入れてもらえませんでした。陛下は『王妃になるならそれくらいあしらえなくては困る』と……。それは正しいかもしれませんがミラージュ様はまだ10代の年若き少女、大人の庇護を必要だったのです。お一人で立ち向かうのはあまりにも酷だったと……」
「仰る通りです。人一人が出来ることには限りがありますもの」
教師は同情するでもなくただ冷静に意見を述べるアンゼリカに驚いた。
彼女はまだ16という若さなのに随分と達観している。
その大人びて落ち着いた雰囲気に教師はただ圧倒された。
「先生、お話しくださりありがとうございました。おかげで今後の方針について目途がつきましたわ……」
ゾッとするほどの妖艶な笑みを浮かべるアンゼリカに教師は言葉を失った。
彼女が言う“今後の方針”が何なのかは分からない。
だが、何となくそれは凄絶なものであろうと想像し、背筋が寒くなった。
*
授業を終え、王城を出たアンゼリカは上機嫌で馬車に乗った。
付き添いの侍女がそんな機嫌のいい主人にそっと話しかける。
「楽しそうですね、お嬢様……」
「ええ、楽しいわ。王妃教育も面白いけど、何より暇潰しの相手が両手の数はいるもの。楽しみで仕方ないわ」
ふふっ、と花が綻ぶような笑みを見せるアンゼリカだが、その可憐な唇から出るのは不穏過ぎる言葉の数々。だが侍女は慣れたもので主人の発言に「それはようございました」と返す。
「お嬢様の暇を潰す玩具は……王太子、側近と、あと誰でございますか?」
物騒な台詞の後に侍女は小首を傾げた。
これでは片手で足りてしまいますわね、と呟いて。
「側近の婚約者達、それと国王よ。ああ、場合によっては側近や側近の婚約者の家も対象ね」
「国王は分かりますが、側近の婚約者も対象に?」
「ええ、彼女達は己の無能さを棚に上げてミラージュ様を責めたのだもの。それもミラージュ様の心を壊した要因の一つなら、許せるはずないわ」
それだけ聞くとアンゼリカがミラージュの精神を壊した者への報復に出ようとしているかのよう。
だが実際は違う、何故なら共感性が著しく低いアンゼリカは他者の為に怒るということが出来ない。
「彼等はわたくしの楽しみを奪ったのよ、許せないわ。ミラージュ様の王妃教育が落ち着いたらまたお話し出来るのだと楽しみにしていたのに……」
悲しそうに俯くアンゼリカ。彼女はミラージュが精神を病んだことにより言葉を交わせなくなってしまったことをひどく悲しんでいた。
大半の人間がそれをミラージュが傷ついたことに憤っているのだろうと思うはず。
だが、長年仕えてきた侍女は知っている。
アンゼリカはミラージュを傷つけられたことに怒っているのではない。
ミラージュが自分と会話を出来なくなったことがショックなのだと。
(ミラージュ様との対話が、お嬢様の唯一の楽しみでありましたのに……)
アンゼリカにとってミラージュとの対話は唯一の楽しみであった。
それが奪われたことにアンゼリカはひどく落胆し、その原因となった人物達を恨んでいる。
そして、自分の楽しみを奪った奴等全てを潰すつもりなのだと。
(同情するだけで具体的なことは何もしない人よりも、お嬢様の方がお優しいわ……)
他者の悲しみに寄り添えない自分をアンゼリカは“優しくない”人間だと思っているが、侍女はそうは思っていない。
ミラージュの悲しみに寄り添えなくとも、同情できなくとも、アンゼリカはミラージュを追い詰めた奴等全てに鉄槌を下すことが出来る。
世間体を気にして王家に絶縁宣言しか出来なかったサラマンドラ家とは違い、世間体など一切気にしないアンゼリカは王家だろうが構わず潰すことが出来る。能力にも資産にも恵まれた彼女だからこそ可能なこと。
侍女は自分がミラージュの立場なら、ただ“可哀想”と言ってくるだけの人間よりもアンゼリカのように確実に報復を果たしてくれる相手の方を“優しい”と、頼もしいと感じる。
そしてそこまで“想われている”ミラージュを羨ましく思った。
有能で苛烈な主人がここまでするほど執着しているのは、この世でミラージュただ一人だけなのだから……。
「え? あ、ああ……さようでございます。ミラージュ様は馴れ馴れしく殿下や側近の方々に近づく男爵令嬢に注意をなさったのですが、全く聞き入れてもらえないどころか殿下の逆鱗に触れてしまいました。それからはもう……殿下はミラージュ様を事あるごとに責め立て暴言を吐くまでになり……。あろうことか側近の方々までミラージュ様を目の敵になさいました」
「あらまあ……側近とはいっても公爵令嬢たるミラージュ様より身分は下でしょうに。有り得ませんね……」
「ええ、本当に有り得ません……。男爵令嬢如きが婚約者のいる王太子に馴れ馴れしく近づくことも、同じく婚約者がいる側近の方々に近づくことも有り得ない行為です。側近も側近でそんな無礼な女を殿下から遠ざけることもせず、あろうことか本来の婚約者であるミラージュ様を責めるなんてふざけています。それに……側近の婚約者からもミラージュ様は責められていたようで……」
「側近の婚約者から責められる? それはどうしてでしょうか?」
「それが……男爵令嬢如きを排除できないなんて役立たずだと。親しくしていたはず彼女達からも責められ、ミラージュ様は病んでしまわれたのです」
そこまで言うと教師は目からほろりと一筋の涙を流した。
「私は日に日に病んでいくミラージュ様を見てられず、何度も陛下に殿下の所業について苦言を呈したのですが……一向に聞き入れてもらえませんでした。陛下は『王妃になるならそれくらいあしらえなくては困る』と……。それは正しいかもしれませんがミラージュ様はまだ10代の年若き少女、大人の庇護を必要だったのです。お一人で立ち向かうのはあまりにも酷だったと……」
「仰る通りです。人一人が出来ることには限りがありますもの」
教師は同情するでもなくただ冷静に意見を述べるアンゼリカに驚いた。
彼女はまだ16という若さなのに随分と達観している。
その大人びて落ち着いた雰囲気に教師はただ圧倒された。
「先生、お話しくださりありがとうございました。おかげで今後の方針について目途がつきましたわ……」
ゾッとするほどの妖艶な笑みを浮かべるアンゼリカに教師は言葉を失った。
彼女が言う“今後の方針”が何なのかは分からない。
だが、何となくそれは凄絶なものであろうと想像し、背筋が寒くなった。
*
授業を終え、王城を出たアンゼリカは上機嫌で馬車に乗った。
付き添いの侍女がそんな機嫌のいい主人にそっと話しかける。
「楽しそうですね、お嬢様……」
「ええ、楽しいわ。王妃教育も面白いけど、何より暇潰しの相手が両手の数はいるもの。楽しみで仕方ないわ」
ふふっ、と花が綻ぶような笑みを見せるアンゼリカだが、その可憐な唇から出るのは不穏過ぎる言葉の数々。だが侍女は慣れたもので主人の発言に「それはようございました」と返す。
「お嬢様の暇を潰す玩具は……王太子、側近と、あと誰でございますか?」
物騒な台詞の後に侍女は小首を傾げた。
これでは片手で足りてしまいますわね、と呟いて。
「側近の婚約者達、それと国王よ。ああ、場合によっては側近や側近の婚約者の家も対象ね」
「国王は分かりますが、側近の婚約者も対象に?」
「ええ、彼女達は己の無能さを棚に上げてミラージュ様を責めたのだもの。それもミラージュ様の心を壊した要因の一つなら、許せるはずないわ」
それだけ聞くとアンゼリカがミラージュの精神を壊した者への報復に出ようとしているかのよう。
だが実際は違う、何故なら共感性が著しく低いアンゼリカは他者の為に怒るということが出来ない。
「彼等はわたくしの楽しみを奪ったのよ、許せないわ。ミラージュ様の王妃教育が落ち着いたらまたお話し出来るのだと楽しみにしていたのに……」
悲しそうに俯くアンゼリカ。彼女はミラージュが精神を病んだことにより言葉を交わせなくなってしまったことをひどく悲しんでいた。
大半の人間がそれをミラージュが傷ついたことに憤っているのだろうと思うはず。
だが、長年仕えてきた侍女は知っている。
アンゼリカはミラージュを傷つけられたことに怒っているのではない。
ミラージュが自分と会話を出来なくなったことがショックなのだと。
(ミラージュ様との対話が、お嬢様の唯一の楽しみでありましたのに……)
アンゼリカにとってミラージュとの対話は唯一の楽しみであった。
それが奪われたことにアンゼリカはひどく落胆し、その原因となった人物達を恨んでいる。
そして、自分の楽しみを奪った奴等全てを潰すつもりなのだと。
(同情するだけで具体的なことは何もしない人よりも、お嬢様の方がお優しいわ……)
他者の悲しみに寄り添えない自分をアンゼリカは“優しくない”人間だと思っているが、侍女はそうは思っていない。
ミラージュの悲しみに寄り添えなくとも、同情できなくとも、アンゼリカはミラージュを追い詰めた奴等全てに鉄槌を下すことが出来る。
世間体を気にして王家に絶縁宣言しか出来なかったサラマンドラ家とは違い、世間体など一切気にしないアンゼリカは王家だろうが構わず潰すことが出来る。能力にも資産にも恵まれた彼女だからこそ可能なこと。
侍女は自分がミラージュの立場なら、ただ“可哀想”と言ってくるだけの人間よりもアンゼリカのように確実に報復を果たしてくれる相手の方を“優しい”と、頼もしいと感じる。
そしてそこまで“想われている”ミラージュを羨ましく思った。
有能で苛烈な主人がここまでするほど執着しているのは、この世でミラージュただ一人だけなのだから……。
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