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婚約の打診

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「アンゼリカ、王家からお前を『王太子の新しい婚約者』にと打診があった」

 上質な調度品に囲まれた執務室にて、グリフォン公爵は娘のアンゼリカにとある書状を手渡した。
 国王直筆の署名が書かれたそれに目を落とし、内容を確認するとアンゼリカは嘲るような笑みを浮かべる。

「あら、来るとは思いましたけれど本当に来るなんて……王家は恥というものを知らないのですね」

「王家が厚顔無恥なのは前から分かっていたことだろう。それで、どうする? 儂は断るつもりだが、一応お前の意志も聞いておこうと思ってな」

 国王より直々に王太子の婚約者へと打診がきた。本来であれば光栄だと感激すべきなのであろうが、公爵は「くだらない」といわんばかりの態度をとる。それどころか我が娘を婚約者にと望むなど烏滸がましいとでも言いたげだ。

「そうですわね……。『わたくしの出す条件を呑む』のであればという返事を出してくださいませ」

 娘の不遜な物言いに父は怒るどころか口角を上げニヤリと嗤う。

「ほお? それは面白いな。よし、そのようにしたためた書状を送ってやろう。あちらがそれに対してどんな返事をするか見物だな!」

「ええ、普通でしたら怒ってくるものでしょうけど……どう返してくると思いますか?」

 格上である王家からの婚約打診に対し、格下の貴族家が条件を出す。
 普通では滅多に起こりえない舐めた態度だ。当然王家の怒りを買ってもおかしくない。

 だが、グリフォン公爵家は王家の怒りを買おうとも構わない。
 むしろその方が王家と無駄な交流をせずに済むから好都合ですらある。

「ふん、そんなの了承するに決まっている。王家は筆頭公爵家であるサラマンドラ家よりされたのだからな。当家を逃せばもう後がない。いかに国の頂点に立とうとも、支援してくれる家が無くなればそれは裸の王に過ぎんのだからな」

 裸の王、とはまさに言い得て妙である。
 今の王家は筆頭公爵家より見放され崖っぷちに立たされており、代わりの支援先を探すことに必死だ。

 支援とは主に資金援助。先代の度重なる無茶な遠征により国庫はずっと赤字が続いている。
 とはいえここで増税をしようものなら確実に各地で暴動が起こる。

 そうなればもう国民の不満は王家に集中するだろう。
 現国王もそれが分かっているからこそ、貴族家からの支援を受け細々と王家を存続させている。

 国王の妃は公爵筆頭のサラマンドラ家出身。
 次代の妃もサラマンドラ家から輩出することが決まっていたのだが、この次代である王太子がやらかした。

 婚約者がいるにも関わらず下位貴族の庶子と恋に落ち、人目をはばかることなくその女を何処へでも侍らせた。
 これに苦言を呈した婚約者、サラマンドラ家の息女ミラージュを責め立てた挙句彼女の心を壊してしまったのだ。

 婚約者が自分以外の女を連れ歩くことを諫めるのは当然の権利。
 だが王太子はミラージュを真実の愛を阻む悪女だと蔑み罵倒し、ついに彼女は物言わぬ人形のように成り果ててしまった。

 聡明で利発的なかつての彼女の変わり果てた姿に公爵夫妻は発狂し、王家へ絶縁状を叩きつけたのだ。
 本当ならば私兵を率いて王城へと宣戦布告をしたかったが、内乱により平和を乱すことは公爵も避けたかった。
 それゆえ絶縁という道を選び、今後一切王家の人間と関わらないことで済ませた。

「国王陛下は親馬鹿ですね。やらかした息子を王太子の座から降ろすでもなく、こうして次の寄生先婚約者を宛がってやるのですから」

「まあ、一人息子だからな。結局は自分の血を分けた子に跡を継がせたいんだろうよ。だが、それは臣下には何の関係もないことだ。別に王家が滅びようとも次の王を立てれば国は回る。下々にとっては自分たちの生活さえ守れるなら玉座に誰が座ろうとも構わんのだからな」

 グリフォン公爵は血統重視の貴族には珍しい実利主義な思考の持ち主だ。
 相応しい血筋より、相応しい能力を求めるため、それこそ実の子ですら能力不足と判断すれば跡継ぎから平気で外すだろう。

 だからこそ何が何でも実の子に跡を継がせたいと願う国王とは折り合いが悪い。
 そんな苦手とするグリフォン公爵家に王太子との縁談を持ってくるあたり、王家はもう後がないと焦っていることが見て取れる。

「それでアンゼリカ、お前はどんな条件をあちらに課すつもりだ?」

 一見、王家を相手に平気で不敬を働く娘を責めているような台詞だが、彼の顔には面白い物を見つけた子供のような笑みが浮いていた。

 実際面白がっているのだ。自分とよく似ている娘が、王家をどこまで

「あら、わたくしは簡単な条件しか出さないつもりですわよ? それも一つだけ」

「ほお? 一つとな? 我が娘ながら随分と謙虚なことだな……」

「ええ、どうせ沢山出しても覚えられないでしょうから」

 王家を相手に平気で見下す娘を満足げに眺め、公爵は高笑いを上げた。

「いい! 流石は儂の愛娘だ! 構わんぞ、お前の好きにやれ! 後始末は儂がいくらでもしてやろう」

「頼もしいですわお父様。かなりのお金と人を使ってしまいますが……それでもよろしくて?」

 挑発的な娘の目に気圧されるどころか益々愉快そう口角を上げる。
 公爵はこの、父親だろうが王家だろうが屈することのない娘の気概をいたく気に入っている。

「よい、構うものか。何を始めるにしても金と人を使うのは当たり前のことだ。いくらでも好きに使え。それと儂の人脈が必要とあらばいくらでも貸してやる」

「まあ、素敵ですわお父様。では早速、王都一のデザイナーを呼んでくださいませ。謁見に向けて最上のドレスを仕立てねば」

 これは王太子に見初められようとして出た言葉ではない。
 公爵も勿論それを理解している。

「いいだろう、最初が肝心だからな。貧しい王家に当家の財力を見せびらかすといい。ははっ、謁見が楽しみだ! あの驕り切った王族共の阿呆面を想像すると愉快でたまらん」

 こうしてグリフォン公爵令嬢アンゼリカは王太子の新しい婚約者となることがほぼ確定した。腹に一物どころかいくつも抱えた状態で……。
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