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偽物の後悔②
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「嘘だ……! アンはそんな女じゃない!」
「いや、どう考えてもそんな女だろう? 婚約者持ちの男にすり寄る女なんだぞ? 他人の男を奪うことに快感を覚えるようなどうしようもない女に決まっているだろう」
「違う……私とアンは運命で……」
「前にも言ったと思うが、不貞を綺麗な言葉で飾るのは止めろよ。そのアンとかいう女は実の姉から夫を奪った屑だ。そしてそんな事をして姉の恨みを買うことが分からない阿呆でもある。王宮を追い出され、のこのこと生家に戻ればそこには自分を心底恨んだ姉がいる。しかもその姉は当主ときたものだ。何で自ら危険に飛び込むような真似をしたのだろうな? どう考えても姉から報復されるに決まっているじゃないか」
「え? 報復……? アンの姉は彼女に何をしたのですか!?」
「娼館に売ったそうだぞ。他人の男を欲しがる薄汚い女にはお似合いだと、な」
娼館という言葉を聞きセレスタンはあまりの衝撃に一瞬言葉を失った。
最愛の女が娼館に売られた。その現実がすぐに受け止められない。
「まあ、他人の男を欲しがる薄汚い性根の泥棒女にはお似合いの末路だな」
「ふざけたことを言うな! アンが……アンがそんな辛い目にあっていたなんて……! 知っていたらすぐにでも助けにいったのに……!!」
セレスタンはそう力強く叫ぶも、デリックはそれを白けた目で眺めるだけだった。
「兄上、今すぐここから出してくれ!! 私はアンを助けに行かなきゃならないんだ!」
「馬鹿か。出すわけないだろう? ヨーク公爵家の当主として私はお前を許さない。その命をもって罪を償ってもらうぞ」
「は? 当主だと? 呆けたか兄上、当主は父上だろう?」
デリックは弟の質問に深くため息をついた。
「父上は当主の座を剥奪された。国王陛下の怒りを買ってな……」
「え……?」
国王の怒りを買った?
あの穏やかで上に従順な父親が……?
「父上はよりにもよって陛下にお前の助命を願ったんだよ。王女殿下を汚そうとしたお前をだぞ? そんなふざけた願いを陛下が聞き入れるわけもなく、それどころかその場で父上から当主の座を剥奪なさった。そしてその剥奪した当主の座を私に授けてくださったのだ。だから今は私がヨーク公爵家の当主だ」
当主の座というのは普通親から子へと譲位されるもの。
それをわざわざ一旦剥奪し、それを王家から次の代へ授与するという形をとることで、前ヨーク公爵がいかに無能かを世に知らしめた。この国で爵位を剥奪されるという行為はそれだけ当主が無能という証となるからだ。
「ここまで家名を汚すなぞ、お前も父上も醜聞を犯す才能に恵まれたものだ……。父上はもう権力を全て失った身、お前が何を願おうと叶える力はない。今まで父上の甘さで生かされてきたお前ももう終わりだな……」
「そんな! 頼む、お願いだ兄上……私はどうしてもアンを助けたいんだ! だから……」
「……なあ、お前ここまできてまだ気付かないのか?」
「は!? 何がだ?」
「お前がそのアンを選んだことが全ての元凶なんだぞ?」
「え…………?」
その言葉にセレスタンは目を見開いて驚いた。
「お前がアンではなく、婚約者である王女殿下を選んでいたのなら……今頃どうなっていた?」
「どうって……それは……」
王女を選んでいたのなら、今自分はこんな牢獄になど囚われていない。
もちろん死罪になることもなく、王女の婿として優雅な生活を送れていたはず。
(そうだ……小説の中でも”セレスタン”は贅沢で優雅な毎日を送っていた。上等の絹で服を仕立て、王族が口にするようなご馳走に舌鼓を打ち、アンに沢山の宝石やドレスを思うままに買ってやって……)
それは”セレスタン”として約束された未来。
何があってもその未来は必ず訪れるのだと、そう信じていた。
なら、自分は今どうしてこんな牢獄に囚われている?
どうして死罪を宣告された?
フランチェスカではなくアンを選んだから?
だが、小説でも”セレスタン”はアンを選んでいた。そのうえで幸せに暮らしていた。
なのに……ここにいる”セレスタン”である自分はどうして……
「最初からあんな女を選ばなければこんなことにはならなかったんだよ……。馬鹿だな、本当に」
デリックの哀れみを込めた声にセレスタンは顔を上げた。
そこには今まで見たことがないほど悲しい顔をした兄が自分を見ている。
「あ、あ……兄上……」
「餞別だ。お前が好んでいた銘柄のものだぞ」
珍しいラベルが貼られたそれはセレスタンや前公爵が愛飲していた隣国のワイン。
デリックはそれをセレスタンの目の前に置くと、そのまま振り返らず牢を出た。
待ってくれ、と叫びたいのに声が出ない。
「違う……間違ってなんかない……アンは、アンは私の運命……」
この時初めてセレスタンの胸に後悔という感情が浮かび上がる。
それを振り払うようにワインボトルを掴み、コルクを開けて中身を乱暴に胃の腑に流し込む。
ここでセレスタンはふと我に返った。
どうして素手でコルクが抜けたのだろう。本来ならそれを抜く道具無しに開けられるはずがないのに……。
「…………っっ!!?」
急に全身が焼けるように熱くなり、気が付けば口から血が流れていた。
「ま、まさか……毒? 嘘、だ…………」
急激に薄れゆく意識の中、セレスタンは頭に浮かんだ人物の名前を口に出す。
「フランチェスカ………」
彼が最後に思い浮かべた相手は運命で結ばれた恋人ではなく、ずっと軽んじていた王女だった。
「いや、どう考えてもそんな女だろう? 婚約者持ちの男にすり寄る女なんだぞ? 他人の男を奪うことに快感を覚えるようなどうしようもない女に決まっているだろう」
「違う……私とアンは運命で……」
「前にも言ったと思うが、不貞を綺麗な言葉で飾るのは止めろよ。そのアンとかいう女は実の姉から夫を奪った屑だ。そしてそんな事をして姉の恨みを買うことが分からない阿呆でもある。王宮を追い出され、のこのこと生家に戻ればそこには自分を心底恨んだ姉がいる。しかもその姉は当主ときたものだ。何で自ら危険に飛び込むような真似をしたのだろうな? どう考えても姉から報復されるに決まっているじゃないか」
「え? 報復……? アンの姉は彼女に何をしたのですか!?」
「娼館に売ったそうだぞ。他人の男を欲しがる薄汚い女にはお似合いだと、な」
娼館という言葉を聞きセレスタンはあまりの衝撃に一瞬言葉を失った。
最愛の女が娼館に売られた。その現実がすぐに受け止められない。
「まあ、他人の男を欲しがる薄汚い性根の泥棒女にはお似合いの末路だな」
「ふざけたことを言うな! アンが……アンがそんな辛い目にあっていたなんて……! 知っていたらすぐにでも助けにいったのに……!!」
セレスタンはそう力強く叫ぶも、デリックはそれを白けた目で眺めるだけだった。
「兄上、今すぐここから出してくれ!! 私はアンを助けに行かなきゃならないんだ!」
「馬鹿か。出すわけないだろう? ヨーク公爵家の当主として私はお前を許さない。その命をもって罪を償ってもらうぞ」
「は? 当主だと? 呆けたか兄上、当主は父上だろう?」
デリックは弟の質問に深くため息をついた。
「父上は当主の座を剥奪された。国王陛下の怒りを買ってな……」
「え……?」
国王の怒りを買った?
あの穏やかで上に従順な父親が……?
「父上はよりにもよって陛下にお前の助命を願ったんだよ。王女殿下を汚そうとしたお前をだぞ? そんなふざけた願いを陛下が聞き入れるわけもなく、それどころかその場で父上から当主の座を剥奪なさった。そしてその剥奪した当主の座を私に授けてくださったのだ。だから今は私がヨーク公爵家の当主だ」
当主の座というのは普通親から子へと譲位されるもの。
それをわざわざ一旦剥奪し、それを王家から次の代へ授与するという形をとることで、前ヨーク公爵がいかに無能かを世に知らしめた。この国で爵位を剥奪されるという行為はそれだけ当主が無能という証となるからだ。
「ここまで家名を汚すなぞ、お前も父上も醜聞を犯す才能に恵まれたものだ……。父上はもう権力を全て失った身、お前が何を願おうと叶える力はない。今まで父上の甘さで生かされてきたお前ももう終わりだな……」
「そんな! 頼む、お願いだ兄上……私はどうしてもアンを助けたいんだ! だから……」
「……なあ、お前ここまできてまだ気付かないのか?」
「は!? 何がだ?」
「お前がそのアンを選んだことが全ての元凶なんだぞ?」
「え…………?」
その言葉にセレスタンは目を見開いて驚いた。
「お前がアンではなく、婚約者である王女殿下を選んでいたのなら……今頃どうなっていた?」
「どうって……それは……」
王女を選んでいたのなら、今自分はこんな牢獄になど囚われていない。
もちろん死罪になることもなく、王女の婿として優雅な生活を送れていたはず。
(そうだ……小説の中でも”セレスタン”は贅沢で優雅な毎日を送っていた。上等の絹で服を仕立て、王族が口にするようなご馳走に舌鼓を打ち、アンに沢山の宝石やドレスを思うままに買ってやって……)
それは”セレスタン”として約束された未来。
何があってもその未来は必ず訪れるのだと、そう信じていた。
なら、自分は今どうしてこんな牢獄に囚われている?
どうして死罪を宣告された?
フランチェスカではなくアンを選んだから?
だが、小説でも”セレスタン”はアンを選んでいた。そのうえで幸せに暮らしていた。
なのに……ここにいる”セレスタン”である自分はどうして……
「最初からあんな女を選ばなければこんなことにはならなかったんだよ……。馬鹿だな、本当に」
デリックの哀れみを込めた声にセレスタンは顔を上げた。
そこには今まで見たことがないほど悲しい顔をした兄が自分を見ている。
「あ、あ……兄上……」
「餞別だ。お前が好んでいた銘柄のものだぞ」
珍しいラベルが貼られたそれはセレスタンや前公爵が愛飲していた隣国のワイン。
デリックはそれをセレスタンの目の前に置くと、そのまま振り返らず牢を出た。
待ってくれ、と叫びたいのに声が出ない。
「違う……間違ってなんかない……アンは、アンは私の運命……」
この時初めてセレスタンの胸に後悔という感情が浮かび上がる。
それを振り払うようにワインボトルを掴み、コルクを開けて中身を乱暴に胃の腑に流し込む。
ここでセレスタンはふと我に返った。
どうして素手でコルクが抜けたのだろう。本来ならそれを抜く道具無しに開けられるはずがないのに……。
「…………っっ!!?」
急に全身が焼けるように熱くなり、気が付けば口から血が流れていた。
「ま、まさか……毒? 嘘、だ…………」
急激に薄れゆく意識の中、セレスタンは頭に浮かんだ人物の名前を口に出す。
「フランチェスカ………」
彼が最後に思い浮かべた相手は運命で結ばれた恋人ではなく、ずっと軽んじていた王女だった。
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