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前泊りとは何だろう?
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「義兄さんも知りませんか? 私も聞いたことがないのです」
「は? なら、お前は誰からこの言葉を聞いたんだ?」
「フランからです。この言葉をセレスタン様の協力者の耳に入れてほしいと頼まれました。そうすれば本人まで伝わるでしょうから、と」
「姫様が? よく分からないがその言葉をセレスタンに伝えてどうすると言うんだ?」
「この情報が伝われば、きっとセレスタン様は週末に新居を訪れるだろうと申しておりました」
「は? 奴の居場所が分かれば週末まで待つ必要はないだろう? 場所が分かり次第すぐにそこへ向かい捕縛すればいいだけの話ではないか」
「いえ、それですとセレスタン様が新居に侵入したことは不問になってしまいます。フランは王族の新居に侵入した罪を有耶無耶にしたくないと」
「ん? 王宮の調査で侵入者がセレスタンだと判明したのだろう? なら不問にはならないと思うが」
「確固たる証拠はないそうです。物的証拠ではなく状況的証拠しかない」
「物的証拠なら、あのワインボトルがあるじゃないか?」
「あれだけでは寝室にまで入った証拠になりません。フランはセレスタン様が寝室に入った所を捕らえるつもりです」
「ちょっと待ってくれ……姫様は、セレスタンの身柄をそちらで預かりたい、と仰っているのか?」
デリックの言葉にルイは重々しく頷いた。
セレスタンの身柄を王家で預かるというのは、処罰も公爵家ではなく王家に一任するということになる。
「……姫様は当家の処遇に不満を抱いていらっしゃるというわけか。それも当然だ。此度の不祥事の責任は、いつまでも部屋に軟禁などという甘い処置を続けていた当家にある。さっさと廃籍して家から追い出しておけばこんなことにはならなかった……。この件が表沙汰になれば当家の権威は失墜、お前と姫様の婚約も無くなるかもしれないものな……」
デリックは片手で顔を覆い、深いため息をつく。
しばらくして顔を上げた彼は覚悟を決めた眼差しをルイへと向けた。
「全て姫様のよきように計らおう。当家の不始末を畏れ多くも王族の姫君に処理して頂くなど……臣下として情けない限りだが、最早そうするほかない。これ以上余計な真似をして王家の不興を買うわけにはいかないからな……」
「義兄さん……私もフランの夫になる身として情けない限りです。迷惑をかけるだけかけておいて、身内の後始末もろくに出来ぬとは……」
「致し方ない、私もお前も力不足だったのだ。だが甘えるのは今回限り、今後は己の力で後始末が出来るようにならねばな。私はこの公爵家の当主として、お前は姫様を支える伴侶として、互いに甘さを捨て強くならねば……」
「はい……義兄さん」
ルイはデリックの瞳に涙が滲んでいることに見ないふりをした。
公爵家次期当主として主君である王家に迷惑をかけた挙句に後始末までさせてしまうという恥に耐えられないのだろう。
「それにしても、姫様はよほどルイと添い遂げたいのだな……」
「え!? どういうことですか?」
「分からないか? セレスタンが新居に侵入したことが社交界に知られたら、お前は婚約者の座を外されるぞ。一度ならず二度までも王家に無礼を働いた家から姫様の婿を出すなど周囲は許してくれないだろうよ。それが漏れる前にさっさとセレスタンを始末しておきたいのだろう。……父上は甘いから、こんな不始末を犯したセレスタンを処分せずに平民に降らせるだけで済ませてしまうだろう。そうなればあいつの口から今回の事が漏れてしまう可能性は十分ある、あいつは自分の不貞を姫様に喋ってしまうほど口が軽いからな」
「それは……確かにそうですね」
口が軽いセレスタンは自分のやらかしを誰彼構わず話してしまうだろう。
それこそ悲劇の主人公気取りで。
そんなことになればヨーク公爵家の権威は失墜し、ルイも王女の婚約者から降ろされてしまう。
「ルイ、まさかセレスタンを始末しようとする姫様を”恐ろしい女”だなどとは思ってはいまいな? 身分の高い者は時に非常な判断を下す必要がある。それを理解しているか?」
「もちろんです! 私がフランをそのように蔑むなど有り得ません!」
「ならいい。純粋清らかなだけの女性ではとても公爵など務まらない。……父上を見れば分かるだろう? その甘さで当家は崖っぷちに立たされているのだからな。姫様は清濁併せ吞む度量を持った素晴らしい御方だ。そのような人から求められていることを誇りに思え」
「はい……義兄さん。私は本当に果報者です。一生をかけてフランに尽くしていきたいと思います」
「うん、励めよ。それから私が他に出来ることはあるか?」
「はい、義兄さんには義父上と義母上を説得していただければと……」
「それは勿論だ。いざとなれば当主交代を迫ってでも承諾させてみせるさ」
それだけ話すとデリックは疲れたようにふうっと息を吐く。
「ところで一つ聞きたいのだが、先ほどの話ではセレスタンがその……”前泊り”だったか? それを聞けば奴はまた新居の寝室に侵入するのか?」
「はい、フランはそのように言っておりました」
「ふむ、だとすればその単語は二人の間で通じ合うものなのだろうが……あの二人は会話らしい会話をほとんどしたことがないはずだ。なのに姫様はどうしてそのような確信があるのだろう?」
「ああ、セレスタン様はフランに対して受け答えをまともにしなかったそうですものね。そう考えると確かに不思議です……。もしかしてその数少ない会話の中で出てきた言葉ではないでしょうか?」
「なるほど、そうかもしれないな。それにしても変わった言葉だな……その”前泊り”とは。お前は聞いたことがあるか?」
デリックがトムに話を振ると、彼は恐縮した様子で答えた。
「いえ、そのような言葉は私も聞いたことはございません。ですが、ジェーンは知っているようでした」
「ということはその下女はこの言葉を知っているのか。一体どういう意味なのだろうな……」
初めて聞く不可解な言葉に三人の男達は皆一様に首を傾げた。
「は? なら、お前は誰からこの言葉を聞いたんだ?」
「フランからです。この言葉をセレスタン様の協力者の耳に入れてほしいと頼まれました。そうすれば本人まで伝わるでしょうから、と」
「姫様が? よく分からないがその言葉をセレスタンに伝えてどうすると言うんだ?」
「この情報が伝われば、きっとセレスタン様は週末に新居を訪れるだろうと申しておりました」
「は? 奴の居場所が分かれば週末まで待つ必要はないだろう? 場所が分かり次第すぐにそこへ向かい捕縛すればいいだけの話ではないか」
「いえ、それですとセレスタン様が新居に侵入したことは不問になってしまいます。フランは王族の新居に侵入した罪を有耶無耶にしたくないと」
「ん? 王宮の調査で侵入者がセレスタンだと判明したのだろう? なら不問にはならないと思うが」
「確固たる証拠はないそうです。物的証拠ではなく状況的証拠しかない」
「物的証拠なら、あのワインボトルがあるじゃないか?」
「あれだけでは寝室にまで入った証拠になりません。フランはセレスタン様が寝室に入った所を捕らえるつもりです」
「ちょっと待ってくれ……姫様は、セレスタンの身柄をそちらで預かりたい、と仰っているのか?」
デリックの言葉にルイは重々しく頷いた。
セレスタンの身柄を王家で預かるというのは、処罰も公爵家ではなく王家に一任するということになる。
「……姫様は当家の処遇に不満を抱いていらっしゃるというわけか。それも当然だ。此度の不祥事の責任は、いつまでも部屋に軟禁などという甘い処置を続けていた当家にある。さっさと廃籍して家から追い出しておけばこんなことにはならなかった……。この件が表沙汰になれば当家の権威は失墜、お前と姫様の婚約も無くなるかもしれないものな……」
デリックは片手で顔を覆い、深いため息をつく。
しばらくして顔を上げた彼は覚悟を決めた眼差しをルイへと向けた。
「全て姫様のよきように計らおう。当家の不始末を畏れ多くも王族の姫君に処理して頂くなど……臣下として情けない限りだが、最早そうするほかない。これ以上余計な真似をして王家の不興を買うわけにはいかないからな……」
「義兄さん……私もフランの夫になる身として情けない限りです。迷惑をかけるだけかけておいて、身内の後始末もろくに出来ぬとは……」
「致し方ない、私もお前も力不足だったのだ。だが甘えるのは今回限り、今後は己の力で後始末が出来るようにならねばな。私はこの公爵家の当主として、お前は姫様を支える伴侶として、互いに甘さを捨て強くならねば……」
「はい……義兄さん」
ルイはデリックの瞳に涙が滲んでいることに見ないふりをした。
公爵家次期当主として主君である王家に迷惑をかけた挙句に後始末までさせてしまうという恥に耐えられないのだろう。
「それにしても、姫様はよほどルイと添い遂げたいのだな……」
「え!? どういうことですか?」
「分からないか? セレスタンが新居に侵入したことが社交界に知られたら、お前は婚約者の座を外されるぞ。一度ならず二度までも王家に無礼を働いた家から姫様の婿を出すなど周囲は許してくれないだろうよ。それが漏れる前にさっさとセレスタンを始末しておきたいのだろう。……父上は甘いから、こんな不始末を犯したセレスタンを処分せずに平民に降らせるだけで済ませてしまうだろう。そうなればあいつの口から今回の事が漏れてしまう可能性は十分ある、あいつは自分の不貞を姫様に喋ってしまうほど口が軽いからな」
「それは……確かにそうですね」
口が軽いセレスタンは自分のやらかしを誰彼構わず話してしまうだろう。
それこそ悲劇の主人公気取りで。
そんなことになればヨーク公爵家の権威は失墜し、ルイも王女の婚約者から降ろされてしまう。
「ルイ、まさかセレスタンを始末しようとする姫様を”恐ろしい女”だなどとは思ってはいまいな? 身分の高い者は時に非常な判断を下す必要がある。それを理解しているか?」
「もちろんです! 私がフランをそのように蔑むなど有り得ません!」
「ならいい。純粋清らかなだけの女性ではとても公爵など務まらない。……父上を見れば分かるだろう? その甘さで当家は崖っぷちに立たされているのだからな。姫様は清濁併せ吞む度量を持った素晴らしい御方だ。そのような人から求められていることを誇りに思え」
「はい……義兄さん。私は本当に果報者です。一生をかけてフランに尽くしていきたいと思います」
「うん、励めよ。それから私が他に出来ることはあるか?」
「はい、義兄さんには義父上と義母上を説得していただければと……」
「それは勿論だ。いざとなれば当主交代を迫ってでも承諾させてみせるさ」
それだけ話すとデリックは疲れたようにふうっと息を吐く。
「ところで一つ聞きたいのだが、先ほどの話ではセレスタンがその……”前泊り”だったか? それを聞けば奴はまた新居の寝室に侵入するのか?」
「はい、フランはそのように言っておりました」
「ふむ、だとすればその単語は二人の間で通じ合うものなのだろうが……あの二人は会話らしい会話をほとんどしたことがないはずだ。なのに姫様はどうしてそのような確信があるのだろう?」
「ああ、セレスタン様はフランに対して受け答えをまともにしなかったそうですものね。そう考えると確かに不思議です……。もしかしてその数少ない会話の中で出てきた言葉ではないでしょうか?」
「なるほど、そうかもしれないな。それにしても変わった言葉だな……その”前泊り”とは。お前は聞いたことがあるか?」
デリックがトムに話を振ると、彼は恐縮した様子で答えた。
「いえ、そのような言葉は私も聞いたことはございません。ですが、ジェーンは知っているようでした」
「ということはその下女はこの言葉を知っているのか。一体どういう意味なのだろうな……」
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