茶番には付き合っていられません

わらびもち

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人の話を聞かないヒロインは……①

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 ミシェルの邸から王宮に帰るまでの道中、ヘレンは王妃への土産を購入する為王都にある市場へと訪れていた。

「うーん……どれにしようかしら?」

 葡萄酒の瓶が沢山並べられた店に立ち止まり、ヘレンはじっくり王妃への土産を吟味している。なるべく香りが強いものがいいが、瓶のラベルだけではそれが判断できない。なので店員に相談しようとしたところで馬車の御者が声をかけてきた。

「ヘレンさん、もう帰りましょう。遅くなると日が暮れちまいます」

 そろそろ夕刻を迎えるというのにヘレンが何時まで経っても帰ろうとしない。
 しびれを切らした御者はヘレンに帰るよう促すも、彼女は見当違いな返答をした。

「だって、王妃様に好物の葡萄酒の香りを楽しんでいただきたいのよ。だからより香りの強い物を選びたいの」

 この頓珍漢な返答に御者は唖然とした。ただ、日が暮れる前に王宮へと到着したいと言っているだけなのに、どうしてかヘレンにはそれが伝わらない。

(なんなんだこの女……頭がおかしいんじゃないか? 護衛のいない馬車で夜道を走れば間違いなく野盗の餌食になっちまうだろうが!)

 王宮からエルリアン家までの道のりは比較的治安のいい場所だ。しかしそれは昼間だけの話で、夜になれば昼よりも圧倒的に治安が悪くなる。夜闇に紛れて野盗が動きやすくなる時間帯だからだ。

 こんな高級な馬車でしかも護衛が一人もいない状態では襲ってくれと言っているようなものだ。それを恐れて御者は早く出発しようと訴えかけているのだが、ヘレンは一向に動こうとしない。

「何でもいいですから早く買って帰りましょう。これ以上遅くなると夜道を走ることになっちまいます……」

「でも、どれがいいかまだ決まらないんだもの」

 近くに来た店員に頼み葡萄酒の試飲をさせてもらっているヘレンに御者は殺意が湧いた。
 急がなくてはならない状況で何を呑気に酒など飲んでいるのかと、自然と声が荒々しいものへと変わる。

「ヘレンさん、いい加減にしてください! 暗くなると途端に治安が悪くなるんですよ? 帰り道に野盗にでも襲われたらどうするつもりですか!?」

「え、野盗? 王都周辺の道は治安がいいはずよ。行きは少しも危険な目に遭っていないでしょう? だから帰りも大丈夫よ」

「だからそれは昼間だったからですよ! 夜は野盗が出やすくなるんですって説明しましたよね!?」

 御者の必死の訴えにもヘレンは場違いな微笑みを浮かべて流した。

「大丈夫よ、心配し過ぎだわ」

 何を言われても聞き入れようとしないヘレンに御者は怒りを通り越して恐ろしさを感じた。同じ言語を使用して話しているはずなのに、ちっとも通じない。まるで言葉を理解していない獣と会話をしているような気分だ。

さえなければこんな女置いていくってのに……。なんでこんな投獄されちまった王子の愛人なんかを丁寧に扱わなきゃなんねえんだよ……)

 ただでさえ護衛無しで馬車を走らせることが嫌で仕方ないのに、乗せる相手が自分と同じ平民。しかも犯罪者である王子の愛人だ。そんな女にへりくだることに憤りを覚える。

 おまけにちっとも会話が通じない。こちらが下手に出て頼んでいるのに自分の意見ばかりを通すヘレンにいい加減我慢も限界だ。

「いい加減にしてくださいませんか!? 馬車に乗る前に必ず明るい内に帰るよう念を押しましたよね?」

「でも……、まだどれを買うか決まっていないし……」

「……いい加減にしろ! 暗くなれば危険だと何回言ったら理解するんだよ!? 何で俺の話を聞かない? お前、頭おかしいんじゃないのか!!」

 御者の怒号と剣幕にヘレンは驚いてその場に固まってしまった。
 今まで王妃と王子のお気に入りとして寵愛されてきたヘレン相手に怒鳴る者などいなかった。貴族に嫌味を言われたことはあるが、育ちのいい彼等は“怒鳴る”という行為をしない。

 人生で初めて物凄い剣幕で怒鳴られたヘレンはその場で腰を抜かしてしまうが、御者はそんな彼女の腕を乱暴に引っ張り馬車まで急ぎ足で向かう。

 痛い、離して、と言いたいのに声が出ない。男性から怒鳴られることがこんなにも恐ろしいものだとヘレンは今初めて知った。

 御者はそのままヘレンを馬車の中へと押し込み、ドアを閉めた。
 そして急いで馬の手綱を手に取り、馬車を走らせる。
 行きのゆったりとした速度と違い、舌を噛みそうなほどの速さにヘレンは馬車の窓枠を必死に掴んで耐えた。

「い、いや……怖い! もっとゆっくり走って……!」

 馬車の中から訴えようとも御者の耳には届かない。いや、あるいは届いていても無視を貫いているのかもしれない。

 相手の要望を聞かなかったのだから、こちらの要望が聞き届けられなくとも仕方ない……とはならないのがヘレンだ。彼女は何故御者が怒っているかも分からず、ただ必死に自分の要望だけを訴え続けた。

「このままでは頭をぶつけてしまうわ……! お願いだからもっとゆっくり走って……!」

 何を言っても御者が馬車の速度を緩めることはない。彼の頭に中にあるのは“夜になる前に王宮へと戻る”のみ。それ以外は頭にない。

 国王から命じられたことは“ヘレンをエルリアン家に届けること”のみ。
 もしヘレンが乱暴な馬車の運転で怪我をしようとも命令違反にならないと分かっている。

 これでヘレンが“王女”であればその身に怪我を負わせただけで処刑ものだろう。
 だが彼女の身分は“平民”、平民が平民と傷つけたとして国王が直接罰を与えることはない。
 それゆえ御者は乗車中のヘレンの身を案じることなくひたすら馬車を走らせた。

 そして日が落ちかけた辺りで林へと差し掛かった。
 ここを抜ければ王宮はすぐだ、と御者が安堵したその時だった。

 前方にある草むらから数人の男が飛び出してきたのは…………。
 
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