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名前を呼ばないで!

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 あの夜会の後、国王より謹慎を言い渡されたギルベルトは自室の窓から外を眺めていた。
 外に何かあるわけでもなく、することもないのでただ暇つぶしのためだけの行為である。

「ん? あれは……クローディアっ!?」

 ギルベルトは王宮の通路を侍女を連れて歩くクローディアを見つけ、すぐにそちらに向かおうと部屋を出た。

(クローディア……! まさか私に会いに来てくれたのか?)

 あれだけ貶されたにも関わらず自分の都合のいいように物事を考えられるなんてさすがは脳内お花畑王子である。    
 
 当のクローディアはギルベルトのこと嫌っているというのに、どうして会いにきたなんて思えるのか度し難い。

「クローディア!!」

 クローディアの前に姿を現したギルベルト。
 彼の頭の中ではクローディアが自分の姿を見て感動して涙をにじませ、そのまま抱き合うという気色悪い妄想が繰り広げられていた。

 だが現実はそんなに甘くはない。
 クローディアはギルベルトの姿を視界に入れるなり、思いっきり嫌な顔を見せた。

「うわっ……嫌なもの見たわ……!」

 まるで虫の死骸を見るような眼差しを向けられギルベルトはショックを受けた。
 外見は優れている彼はいまだかつて女性にそんな目で見られたことなどないのだ。

「ク……クローディア! そんなつれないこと言わないでくれ! 私に会いに来てくれたのだろう!?」

「はああ!? あんたの頭の中どうなっちゃってんの!? そんなの井戸から葡萄酒が湧き出るくらい有り得ないわよ! 何こいつ? 脳に蛆虫でも湧いてんじゃないの!?」

 オブラートひとつ包まずに感情をこれでもかと露わにするクローディア。
 淑女教育には感情を表に出さないという項目があるし彼女もそれを習得はしているが、この場合は無理だ。
 
 表に出さなかったら、この脳に蛆虫がわいているであろう男は好き勝手に都合よく物事を改変するからである。

「お嬢様、王族の方相手に口が過ぎますよ。せめて脳に腐敗したヘドロが詰まっているくらいにしておいたほうがよろしいかと」

 クローディアの侍女が何のフォローにもなっていない、むしろ援護射撃をかます。

「そうね、蛆虫は言い過ぎたわね。ごめんなさい、脳内が腐敗した第一王子殿下。これ以上話したくもないので私はもう行きますね、ごきげんよう」

 侍女に注意されて言葉遣いは改めたものの、さりげなく貶しながらクローディアは優雅に礼をしてその場を通り過ぎようとした。だが、めげないギルベルトによってそれを阻まれてしまう。

「待ってくれ! せめて話を聞いてくれクローディア!!」

「ええー……嫌ですよ、貴方の話なんて聞きたくありません。どうせ『助けてくれクローディア! このままだと廃嫡されてしまうから私と婚約し直せ!』とか言うんでしょう? あの夜会の時にも言いましたけど、貴方と夫婦になるなんて死ぬほど嫌なんですよ。 貴方と暮らすくらいならカメムシと暮らした方がマシですわ!」

「ああ、匂いさえ我慢すればカメムシの方が静かですものね。戯言も言わないし、確かにそっちの方がいいですよね」

 このクローディアと侍女の発言に周囲にいた王宮使用人達は吹き出しそうになった。
 涼しい顔で王子を虫以下と貶す公爵令嬢と侍女、実にシュールな光景だ。普通じゃありえない。
 ミュラー公爵家だからこそ許される所業だが、大分無礼講がすぎる。
 普段から阿呆な第一王子の言動に辟易している使用人達は彼女達の言葉に胸がすく思いがした。

「き……貴様ら! 王太子に対して不敬が過ぎるぞ!!」

「いや、貴方はもう王太子じゃないでしょう? あの夜会の騒ぎのせいでとっくに廃太子されてるじゃない。それに貴方に何言っても不敬罪には問わないって国王陛下より一筆貰ってるわよ?」

「はっ……? ち、父上が……!?」

 王妃が公爵家に謝罪に向かう際、『ギルベルトに対してクローディアが何を言っても不敬罪には問わない』という書面を手土産に持っていった。

 おそらく国王は渋っただろうが、王妃や宰相がゴリ押しで一筆書かせたに違いない。
 こうでもしないとミュラー公爵家の怒りは収まらないままだし、王家にとってそれが一番よろしくないだろう。

「まあ王家の方もミュラー公爵家に謀反を起こされたくないでしょうからね。 第一王子殿下をボロボロに貶すことで溜飲が下がるなら、そっちの方がいいに決まってますでしょう」

「だからって……無礼だぞ!?」

「五月蠅いですわよ! 私共は別に貴方と話したくもないのに貴方が執拗に話しかけてくるからこんな対応をとるんですよ? これ以上その無駄に高い自尊心をバッキバキにへし折られたくなければもう黙っていただけませんか?」

「そ、そんな……クローディア……」

「名前で呼ばないでください、不愉快です。それに今まで婚約していた間に私の名前など呼んだこともないくせに、よくもまあ今更……。ああでも、一度だけありましてね? あの夜会での婚約破棄のときに初めて名前を呼ばれましたものね~? 私の名前覚えていたんだな~と思いましたのよ。まさか初めて名前を呼ばれるのが婚約破棄のときだなんて……。ふふっ、つくづく品性下劣ですよね第一王子殿下って」

 クローディアからの嫌味を含んだ言葉と冷たい眼差しにギルベルトは言葉に詰まった。
 そう言われて思い返すと、確かにクローディアの名を呼んだのはあの婚約破棄の場が初めてだ。
 会うことすらせずに徹底的に避けていた結果がこれだ。こんなの嫌われて当然だ。
 周りにいる王宮の使用人達もギルベルトがそこまで婚約者を蔑ろにしていたことを知り、軽蔑の眼差しを向けている。

「こ……これからはたくさん呼ぶから……! そうだ! お前も私の名前を呼んでくれて構わないから!!」

「貴方の名前など今後一切呼びたくありませんわ! 私の名前も呼ばないでちょうだい! 汚らわしい!! 大体今更後悔したって遅いのよ! もう済んだことなのよ何もかも! 貴方と私はすでに赤の他人。再度婚約を結ぶことなんて金輪際ありえないわ!」

 人は失ってから大切なものに気づくというがコイツの場合は遅すぎる。
 名前で呼び合うなぞ、婚約当初からして当然の行為だ。
 
 それを婚約破棄してから呼ぼうとするとか正気を疑う、とクローディアは心底軽蔑した眼差しを元婚約者に送った。
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