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番外編
公爵夫人の望み⑤
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「お前は……何がしたいんだ? 私や陛下を罵倒するなんて不敬だと分からないのか?」
「ああ、そうそう。そのインクで汚れた書類はもう読めないでしょう? だから新しい物を差し上げますわ」
急に話題を変え、表情も狂気じみたものから明るい笑顔に変えた夫人が公爵に向かって一枚の書類を差し出す。
それを訝しみながらも、有無を言わさない夫人の態度に公爵は渋々その書類を手に取った。
「はっ……? な、なんだこれは!? どういうことだ!」
「あら、見て分かりませんか? 『ハルバード公爵家の当主の座を嫡男のエドワードに譲渡せよ』という命令書です。ほら、下の方にきちんと議会の承認印がありますでしょう? これはもう議会で決定されたことですので、決して覆りませんよ」
「何故議会が当家の家督問題に首を突っ込むんだ!? そんなのおかしいだろう!」
「おかしくありませんよ。……旦那様、当家の令嬢が嫁ぎ先で虐げられ、その家の爵位が剥奪されることが三度も続けば、周囲はどう感じると思われます?」
「は……? どうとは、どういうことだ?」
「分かりませんか? 三度も娘をろくでもない家に嫁がせるなんて、当主が相手の家を調べることもしないマヌケか、わざとそういうところを選んだか。そのどちらかだろうと思われます。おまけにその娘達はわたくしが産んだ子ではない。これを怪しいと思わない方がどうかしていましてよ?」
一度なら、まだそういうこともあるだろうで済む。
二度ならば、当主は娘の嫁ぎ先もまともに選べぬかと馬鹿にされる。
三度もあれば、流石に何かあるだろうと疑われる。
公爵はやり過ぎたのだ。
王と自分の謀を周囲が気づくはずがないと高をくくっていた。
「議会の連中が真相を知ったと……?」
「ええ、貴方と陛下が上位貴族の爵位欲しさに娘を使って没落させたこと、既に知れ渡っております。私欲の為に3家を潰した事、とても許されることではありません。……国王陛下も責任を問われ、その結果退位が決まりましたわ」
「なっ……! 陛下が!?」
「そうです。ですから貴方も潔く退きなさいませ。ハルバード公爵としてみっともなくあがくことだけはないように……」
妻の話に衝撃を受けた公爵はその場で力なく膝をついた。
それを冷めた目で見降ろし、彼女はこう告げる。
「……先ほど、貴方はわたくしが何をしたいのか、と仰いましたわね? 最後ですから教えて差し上げます。わたくしの望みは……」
虚ろな瞳を向けてくる夫に、彼女は力強く宣言した。
「貴方から何もかもを奪うことです。公爵としての地位も名誉も、好きな女性も、好きな女性が産んだ娘も、全てね。何もかも失った貴方を、こうやって見下ろしたかったのですよ。ずっとずっと、ね……」
愉悦に満ちた夫人の表情は背筋が凍るほど恐ろしく、それでいて妖艶だった。
公爵は初めて見る妻の表情に思わず見惚れてしまう。
だがすぐに彼女の言葉が頭の中に浸透し、我を忘れるほど激高した。
「……何故だ? 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!! お前には公爵夫人としてない不自由ない暮らしをさせてやっただろう!? いったい何が不満だったんだ!!!」
髪を振り乱し、夫人に掴みかかろうとした公爵を傍に控えていたリサが止める。
彼女にとって中年の男一人制圧することなぞ造作もない。
「どうして止めるんだリサ! お前は主人に歯向かうつもりか!?」
「お忘れですか旦那様、わたくしめの主人は奥様です。わたくしめは、奥様の乳母なのですから」
リサが妻の専属だということを公爵はすっかり忘れていた。
彼にとってはこの邸の使用人は全て自分の手駒だと思っていたからだ。
こうやって自分に都合のいい考えをする愚かさが、このような事態を招いたのである。
「差し出がましいようですが口を挟ませて頂きます。旦那様、奥様が坊ちゃまをご出産された際、何とお声をかけられたか覚えてらっしゃいますか?」
「は? エドワードが産まれた時だと……?」
記憶を辿るも公爵は思い出せない。
彼にとってはその程度のことだから。
だが、夫人にとっては違う。
「『ハルバード家の色を何一つ受け継いでいない出来損ない』、貴方は産まれたばかりのご自分の息子に向かってそう仰ったのですよ? 蜂蜜色の髪も、サファイアブルーの瞳も、何一つ持っていないと!」
産まれた息子は夫人と同じ髪色と瞳であった。
それ自体は何ら不思議ではない。両親のどちらかだけの特色を持つことなど当然なのだから。
必ず父親の特色を持って産まれてくるなんてことはない。
なのにそんなことも分からず、命がけで子供を産んだ妻を労わず、あろうことかその子を“出来損ない”と罵った。
産後の恨みは一生、というがまさしくその通り。
この瞬間、夫人は夫から全てを奪ってやると心に決めた。
「ふふっ……どんな気持ちですか? 貴方が出来損ないと言ったエドワードがハルバード家の全てを継ぎ、貴方の色を持って産まれたジュリエッタは貴方を拒絶した! 惨めですね、恥ずかしいですね! 出来損ないはどちらかしら……?」
消えることのない夫人の怒りと悲しみ、屈辱がどれだけ大きいのかを公爵は今更ながら知った。その身を持って。
「ああ、そうそう! ジュリエッタはこう言っておりましたわ。自分の髪色と瞳の色は好きじゃないと。大嫌いな父親を連想するこの色が嫌だと……! 滑稽ですね。貴方が誇りに思ったその色は、別に誰も望んではいないのですよ! エドワードも貴方に似なくてよかったと言っておりますわ!」
最後のとどめ、とばかりの言葉に公爵の目から完全に生気が失われた。
息子に拒絶されたことが悲しかったのか。
娘に拒絶されたことが悲しかったのか。
己が誇るハルバード家の色を誰も望んでいないことが悲しかったのか。
はたまた、それ全てか。
「ああ、そうそう。そのインクで汚れた書類はもう読めないでしょう? だから新しい物を差し上げますわ」
急に話題を変え、表情も狂気じみたものから明るい笑顔に変えた夫人が公爵に向かって一枚の書類を差し出す。
それを訝しみながらも、有無を言わさない夫人の態度に公爵は渋々その書類を手に取った。
「はっ……? な、なんだこれは!? どういうことだ!」
「あら、見て分かりませんか? 『ハルバード公爵家の当主の座を嫡男のエドワードに譲渡せよ』という命令書です。ほら、下の方にきちんと議会の承認印がありますでしょう? これはもう議会で決定されたことですので、決して覆りませんよ」
「何故議会が当家の家督問題に首を突っ込むんだ!? そんなのおかしいだろう!」
「おかしくありませんよ。……旦那様、当家の令嬢が嫁ぎ先で虐げられ、その家の爵位が剥奪されることが三度も続けば、周囲はどう感じると思われます?」
「は……? どうとは、どういうことだ?」
「分かりませんか? 三度も娘をろくでもない家に嫁がせるなんて、当主が相手の家を調べることもしないマヌケか、わざとそういうところを選んだか。そのどちらかだろうと思われます。おまけにその娘達はわたくしが産んだ子ではない。これを怪しいと思わない方がどうかしていましてよ?」
一度なら、まだそういうこともあるだろうで済む。
二度ならば、当主は娘の嫁ぎ先もまともに選べぬかと馬鹿にされる。
三度もあれば、流石に何かあるだろうと疑われる。
公爵はやり過ぎたのだ。
王と自分の謀を周囲が気づくはずがないと高をくくっていた。
「議会の連中が真相を知ったと……?」
「ええ、貴方と陛下が上位貴族の爵位欲しさに娘を使って没落させたこと、既に知れ渡っております。私欲の為に3家を潰した事、とても許されることではありません。……国王陛下も責任を問われ、その結果退位が決まりましたわ」
「なっ……! 陛下が!?」
「そうです。ですから貴方も潔く退きなさいませ。ハルバード公爵としてみっともなくあがくことだけはないように……」
妻の話に衝撃を受けた公爵はその場で力なく膝をついた。
それを冷めた目で見降ろし、彼女はこう告げる。
「……先ほど、貴方はわたくしが何をしたいのか、と仰いましたわね? 最後ですから教えて差し上げます。わたくしの望みは……」
虚ろな瞳を向けてくる夫に、彼女は力強く宣言した。
「貴方から何もかもを奪うことです。公爵としての地位も名誉も、好きな女性も、好きな女性が産んだ娘も、全てね。何もかも失った貴方を、こうやって見下ろしたかったのですよ。ずっとずっと、ね……」
愉悦に満ちた夫人の表情は背筋が凍るほど恐ろしく、それでいて妖艶だった。
公爵は初めて見る妻の表情に思わず見惚れてしまう。
だがすぐに彼女の言葉が頭の中に浸透し、我を忘れるほど激高した。
「……何故だ? 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!! お前には公爵夫人としてない不自由ない暮らしをさせてやっただろう!? いったい何が不満だったんだ!!!」
髪を振り乱し、夫人に掴みかかろうとした公爵を傍に控えていたリサが止める。
彼女にとって中年の男一人制圧することなぞ造作もない。
「どうして止めるんだリサ! お前は主人に歯向かうつもりか!?」
「お忘れですか旦那様、わたくしめの主人は奥様です。わたくしめは、奥様の乳母なのですから」
リサが妻の専属だということを公爵はすっかり忘れていた。
彼にとってはこの邸の使用人は全て自分の手駒だと思っていたからだ。
こうやって自分に都合のいい考えをする愚かさが、このような事態を招いたのである。
「差し出がましいようですが口を挟ませて頂きます。旦那様、奥様が坊ちゃまをご出産された際、何とお声をかけられたか覚えてらっしゃいますか?」
「は? エドワードが産まれた時だと……?」
記憶を辿るも公爵は思い出せない。
彼にとってはその程度のことだから。
だが、夫人にとっては違う。
「『ハルバード家の色を何一つ受け継いでいない出来損ない』、貴方は産まれたばかりのご自分の息子に向かってそう仰ったのですよ? 蜂蜜色の髪も、サファイアブルーの瞳も、何一つ持っていないと!」
産まれた息子は夫人と同じ髪色と瞳であった。
それ自体は何ら不思議ではない。両親のどちらかだけの特色を持つことなど当然なのだから。
必ず父親の特色を持って産まれてくるなんてことはない。
なのにそんなことも分からず、命がけで子供を産んだ妻を労わず、あろうことかその子を“出来損ない”と罵った。
産後の恨みは一生、というがまさしくその通り。
この瞬間、夫人は夫から全てを奪ってやると心に決めた。
「ふふっ……どんな気持ちですか? 貴方が出来損ないと言ったエドワードがハルバード家の全てを継ぎ、貴方の色を持って産まれたジュリエッタは貴方を拒絶した! 惨めですね、恥ずかしいですね! 出来損ないはどちらかしら……?」
消えることのない夫人の怒りと悲しみ、屈辱がどれだけ大きいのかを公爵は今更ながら知った。その身を持って。
「ああ、そうそう! ジュリエッタはこう言っておりましたわ。自分の髪色と瞳の色は好きじゃないと。大嫌いな父親を連想するこの色が嫌だと……! 滑稽ですね。貴方が誇りに思ったその色は、別に誰も望んではいないのですよ! エドワードも貴方に似なくてよかったと言っておりますわ!」
最後のとどめ、とばかりの言葉に公爵の目から完全に生気が失われた。
息子に拒絶されたことが悲しかったのか。
娘に拒絶されたことが悲しかったのか。
己が誇るハルバード家の色を誰も望んでいないことが悲しかったのか。
はたまた、それ全てか。
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