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彼女と箱
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「おい、喜べ! 今からお前を本邸へと連れていってやる。すぐに準備をしろ!」
年齢一桁の幼児並みの大声で喚くのはジュリエッタの戸籍上の夫、ダニエル。
マリアナが出て行った数日間は別邸に来なかったのに、今日になっていきなりこれである。訳が分からない。
「嫌です。お帰りください」
頭のおかしい奴相手にまともな対応をする気などない。
ジュリエッタはこれでもかと冷めた表情でそう言い放った。
「なっ……!? この私がせっかく誘ってやってるのに……なんだその態度は!?」
「結構です。嫌です。行きません。帰ってください」
要点のみを淡々と伝えるジュリエッタ。
本当ならこの男の顔さえ見たくないのだ。
会話をしてやってるだけ有難いと思ってほしい。
「お前は私の妻でこの邸の女主人だろう!? その責務を果たすべきではないか!」
「どの口がそのような偉そうなことを仰るんですか? とにかくお帰り下さい。お出口は真後ろです」
「この別邸に出入り口はここしかないだろうが!? 馬鹿にしてるのか!!」
「えー? 馬鹿にしていませんけど?」
「嘘をつくな! そんなの信じられるか!」
「信じるも信じないも貴方次第です。帰らないなら駆除剤を撒ますよ?」
「夫を害虫扱いか!? ああ、もう! いいから私と来るんだ!」
「嫌だって言ってるじゃありませんか? 仕方ないですねぇ……」
一向に出て行く気配のないダニエルにしびれを切らし、ジュリエッタはある箱を手に取った。
「今すぐに出て行かないなら、この箱の中身を投げつけます」
「は? なんだそれは……?」
それは有名な焼き菓子の店の図案が施された愛らしい箱。
中身を投げつけると言うが、それは焼き菓子を投げると言う意味だろうかとダニエルは薄く笑った。
「ふん。菓子を投げるなんて可愛いことをするな? まあ所詮は女、その程度のことしか思いつかぬか」
蝶よ花よと育てられた令嬢の反抗など攻撃性のカケラもない。
そう高を括るダニエルにジュリエッタは首を傾げた。
「え? 中身は菓子じゃありませんよ? 菓子を投げるだなんて食べ物の無駄をするわけないじゃないですか。これは空き箱にカエルを捕まえて入れておいただけです」
「は………………?」
気のせいだろうか。目の前にいる貴婦人がカエルを捕まえたと言った。
貴婦人が……カエルを……捕まえたと言った。
「珍しい色のカエルだったもので飼おうと思って捕まえたんですよ。あ、よければ投げる前にじっくり見ます?」
「み、見るわけないだろう!? おいやめろ! その箱をこちらに向けるな!!」
「カエルはお嫌いですか? 結構可愛いと思うんですけど、つぶらな目とか……」
「うるさい知るか!! きょ、今日のところは帰ってやるが、明日また来るからな! それは処分しておけよ!」
捨て台詞を吐いて一目散に逃げていくダニエル。
その姿が完全に見えなくなると隠れていたシロが出てきた。
「お嬢様……プッ……段々、淑女の仮面を被らなくなりましたね……フッ、フフッ……」
ジュリエッタの対応がツボに入ったのか、シロは笑いをこらえられない。
いざとなったら割って入ろうと思い準備していたがその必要はなかったようだ。
「ああ、あの人すっごい馬鹿だから。私の口調が淑女らしくないとかちっとも気づかないんだもの。だからもう、別にいいかなって。この箱だって、どうしてここにあるのかとか疑問にも思わないのよ?」
お飾りの妻であるジュリエッタは伯爵の命令により残飯しか出されていないことになっている。
なので有名な焼き菓子店の箱が別邸にあること自体おかしいのに、それに気づかないダニエルは相当鈍感で馬鹿だといえよう。
「確かにそうですよね。残飯しか出されていないはずのお嬢様が有名店の菓子が入った箱を持っているのはおかしいのに。ぜんっぜん気づいてなかったですねあの男……。ところでそれ、本当にカエルが入っているんですか?」
「まさか! こんな空気穴すら空いていない箱に入れるわけないじゃない? それも分かってなかったわねぇ……」
たまたま空き箱が目についたからハッタリをかましただけだ。
貴族の男は総じて虫嫌いが多いので、伯爵も多分そうだろうと思ってやっただけである。
「いやいや、貴族のお坊ちゃんがカエルを捕まえて入れておく方法なんて知るわけないでしょう? それにしてもお嬢様の機転はさすがですね! あいつがまた迫るようならまたこの注射器を使うところでしたから!」
「うん、だからよ。これ以上使ったらマズイでしょう、それ? それに明日は決行の日だし、私は決して別邸から出ちゃ駄目だと公爵様から命令されているもの。万が一にも本邸に連れていかれるわけにはいかないし、薬であの男の意識が混濁したら駄目なのでしょう?」
「う……それもそうですね。ありがとうございますお嬢様、危なく公爵様に始末されるところでした……」
「うん。命がかかっているならもうちょっと気をつけましょうか?」
大好きなシロを大嫌いな公爵に害されるなどとんでもないことだ。
ジュリエッタにとっては血も涙もない実の父親よりも、未来の旦那様の方がよほど大切なのだから。
(いよいよ明日が決行の日……。長かったわ、これで……全てが終わるのね)
公爵の目的は明日達成する。
そしてその時が伯爵の破滅の日でもある。同時にジュリエッタの長きに渡る犠牲の終わる日だ。
考えただけで身震いしてしまう。
「お嬢様、明日で全てが終わりますね」
「うん……長かったわ。とても……」
幼い頃に公爵に連れ去られ、こうして結婚可能な年齢にまでなってしまった。
母と過ごした時間を公爵令嬢として過ごした時間が上回る。
だがジュリエッタの心は未だにあの頃のままだ。平民の少女として過ごした日のまま。
故郷を思い、帰りたいと願っている。
やっと終わる……。
その解放感で胸が一杯になり、その日は寝付けなかった。
年齢一桁の幼児並みの大声で喚くのはジュリエッタの戸籍上の夫、ダニエル。
マリアナが出て行った数日間は別邸に来なかったのに、今日になっていきなりこれである。訳が分からない。
「嫌です。お帰りください」
頭のおかしい奴相手にまともな対応をする気などない。
ジュリエッタはこれでもかと冷めた表情でそう言い放った。
「なっ……!? この私がせっかく誘ってやってるのに……なんだその態度は!?」
「結構です。嫌です。行きません。帰ってください」
要点のみを淡々と伝えるジュリエッタ。
本当ならこの男の顔さえ見たくないのだ。
会話をしてやってるだけ有難いと思ってほしい。
「お前は私の妻でこの邸の女主人だろう!? その責務を果たすべきではないか!」
「どの口がそのような偉そうなことを仰るんですか? とにかくお帰り下さい。お出口は真後ろです」
「この別邸に出入り口はここしかないだろうが!? 馬鹿にしてるのか!!」
「えー? 馬鹿にしていませんけど?」
「嘘をつくな! そんなの信じられるか!」
「信じるも信じないも貴方次第です。帰らないなら駆除剤を撒ますよ?」
「夫を害虫扱いか!? ああ、もう! いいから私と来るんだ!」
「嫌だって言ってるじゃありませんか? 仕方ないですねぇ……」
一向に出て行く気配のないダニエルにしびれを切らし、ジュリエッタはある箱を手に取った。
「今すぐに出て行かないなら、この箱の中身を投げつけます」
「は? なんだそれは……?」
それは有名な焼き菓子の店の図案が施された愛らしい箱。
中身を投げつけると言うが、それは焼き菓子を投げると言う意味だろうかとダニエルは薄く笑った。
「ふん。菓子を投げるなんて可愛いことをするな? まあ所詮は女、その程度のことしか思いつかぬか」
蝶よ花よと育てられた令嬢の反抗など攻撃性のカケラもない。
そう高を括るダニエルにジュリエッタは首を傾げた。
「え? 中身は菓子じゃありませんよ? 菓子を投げるだなんて食べ物の無駄をするわけないじゃないですか。これは空き箱にカエルを捕まえて入れておいただけです」
「は………………?」
気のせいだろうか。目の前にいる貴婦人がカエルを捕まえたと言った。
貴婦人が……カエルを……捕まえたと言った。
「珍しい色のカエルだったもので飼おうと思って捕まえたんですよ。あ、よければ投げる前にじっくり見ます?」
「み、見るわけないだろう!? おいやめろ! その箱をこちらに向けるな!!」
「カエルはお嫌いですか? 結構可愛いと思うんですけど、つぶらな目とか……」
「うるさい知るか!! きょ、今日のところは帰ってやるが、明日また来るからな! それは処分しておけよ!」
捨て台詞を吐いて一目散に逃げていくダニエル。
その姿が完全に見えなくなると隠れていたシロが出てきた。
「お嬢様……プッ……段々、淑女の仮面を被らなくなりましたね……フッ、フフッ……」
ジュリエッタの対応がツボに入ったのか、シロは笑いをこらえられない。
いざとなったら割って入ろうと思い準備していたがその必要はなかったようだ。
「ああ、あの人すっごい馬鹿だから。私の口調が淑女らしくないとかちっとも気づかないんだもの。だからもう、別にいいかなって。この箱だって、どうしてここにあるのかとか疑問にも思わないのよ?」
お飾りの妻であるジュリエッタは伯爵の命令により残飯しか出されていないことになっている。
なので有名な焼き菓子店の箱が別邸にあること自体おかしいのに、それに気づかないダニエルは相当鈍感で馬鹿だといえよう。
「確かにそうですよね。残飯しか出されていないはずのお嬢様が有名店の菓子が入った箱を持っているのはおかしいのに。ぜんっぜん気づいてなかったですねあの男……。ところでそれ、本当にカエルが入っているんですか?」
「まさか! こんな空気穴すら空いていない箱に入れるわけないじゃない? それも分かってなかったわねぇ……」
たまたま空き箱が目についたからハッタリをかましただけだ。
貴族の男は総じて虫嫌いが多いので、伯爵も多分そうだろうと思ってやっただけである。
「いやいや、貴族のお坊ちゃんがカエルを捕まえて入れておく方法なんて知るわけないでしょう? それにしてもお嬢様の機転はさすがですね! あいつがまた迫るようならまたこの注射器を使うところでしたから!」
「うん、だからよ。これ以上使ったらマズイでしょう、それ? それに明日は決行の日だし、私は決して別邸から出ちゃ駄目だと公爵様から命令されているもの。万が一にも本邸に連れていかれるわけにはいかないし、薬であの男の意識が混濁したら駄目なのでしょう?」
「う……それもそうですね。ありがとうございますお嬢様、危なく公爵様に始末されるところでした……」
「うん。命がかかっているならもうちょっと気をつけましょうか?」
大好きなシロを大嫌いな公爵に害されるなどとんでもないことだ。
ジュリエッタにとっては血も涙もない実の父親よりも、未来の旦那様の方がよほど大切なのだから。
(いよいよ明日が決行の日……。長かったわ、これで……全てが終わるのね)
公爵の目的は明日達成する。
そしてその時が伯爵の破滅の日でもある。同時にジュリエッタの長きに渡る犠牲の終わる日だ。
考えただけで身震いしてしまう。
「お嬢様、明日で全てが終わりますね」
「うん……長かったわ。とても……」
幼い頃に公爵に連れ去られ、こうして結婚可能な年齢にまでなってしまった。
母と過ごした時間を公爵令嬢として過ごした時間が上回る。
だがジュリエッタの心は未だにあの頃のままだ。平民の少女として過ごした日のまま。
故郷を思い、帰りたいと願っている。
やっと終わる……。
その解放感で胸が一杯になり、その日は寝付けなかった。
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