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わらびもち

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彼女の過去

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 ジュリエッタは数年前まで市井で母親と二人で平民として暮らしていた。
 裕福とは言えないが、それなりに幸せな毎日を送っていたのだ。

 
 

 ある日突然現れた実の父親は、自分のことをハルバード公爵と名乗った。
 ジュリエッタと同じ蜂蜜色の髪とサファイアブルーの瞳を持つ底冷えするような美貌の男。彼は値踏みするような不躾な眼で娘を眺める。

 まるで獲物を定めた爬虫類のような眼。
 生まれてこのかたそんな眼を向けられたことのないジュリエッタは恐怖で足を震わせた。

 あまりの怖さに顔を歪ませるジュリエッタに公爵はニンマリと口角を上げた。

「ふむ、中々美しい容姿をしているな。これなら使えそうだ……」
 
 使える? 何に?

 そう疑問を抱くも目の前に立つ男の恐ろしさに体が硬直し、声が出ない。
 そんなジュリエッタを背に隠すように庇い、彼女の母親は必死で公爵に懇願する。

「公爵様……! どうかお止め下さい! この子を連れていかないで……!!」

「ほう? 私に口答えする気か? いつからそんな偉くなったのかなお前は……?」

 底冷えするような公爵の声音に危機を覚え、ジュリエッタはとっさに母親の前に飛び出した。

「待って、貴族様! お母さんを虐めないで!」

「ジュリエッタ! だめっ、出てきては……!」

 たった一人の家族を、母親を奪われたくない。その一心で必死になるジュリエッタの様子を見て公爵は満足げに頷いた。

「ほお……? 私に言い返すとは中々肝が据わっているな。気に入ったぞ。私の言う通りにすればお前と母親の身の安全は保障してやる、ついてこい」

 そう言って有無をいわさずにジュリエッタは母親と引き離され、馬車に乗せられた。
 
 いきなり母子を引き離すような冷酷無比な男に連れされた先は絢爛豪華な邸。ハルバード公爵邸だった。

 そこでジュリエッタは全身を磨き上げられ、豪奢な絹のドレスを着せられる。
 そしてそのまま豪華な料理を振る舞われ、公爵に「公爵令嬢として相応しいマナーと知識を3年で身に着けろ」と命令された。

 有無を言わさない態度というより、
 そう瞬時に悟ったジュリエッタはただ黙って頷いた。
 従順なその態度に満足したらしい公爵は、底冷えのする微笑みを浮かべその場を去っていった。

 公爵の姿が見えなくなった途端、ジュリエッタの瞳に大粒の涙が溢れだす。
 いきなり母親と引き離されて、訳の分からない場所に連れてこられ、意味不明な命令をされる。
 それは幼いジュリエッタにとって恐怖でしかなく、涙を流してすすり泣いた。

 小声で「お母さん……お母さん……」と呟いて泣くジュリエッタ。
 その震える小さな体は不意に優しい温もりに包まれる。
 甘やかな香りを纏わせる白い腕でジュリエッタを抱きしめるのは優美な貴婦人。
 この家の女主人、ハルバード公爵夫人であった。

「こんな小さいのに、母親と引き離されて可哀想に……。でも、ごめんなさい……わたくしじゃ貴女を助けてあげられないの。仮に貴女を逃がしたとしても、旦那様は必ずあなたを見つけ出すでしょう。お嬢さん、貴女が助かる道はただ一つ……旦那様の命令に添うことよ。それさえ守れば、お母様の元に帰れるわ」

 白百合のような美貌の公爵夫人はジュリエッタの頭を優しく撫で慰める。

 彼女の話によると、公爵はある目的のため妻以外に産ませた庶子を邸に連れ帰っているという。
 そして、その目的を完遂させた庶子には褒美を与えて解放してくれる、とも。

「旦那様は自分の子であろうと一切の情を向けない冷酷な人よ。だからあの人に甘えたり、ましてや泣き言をいってはダメ。使と判断されたら殺されてしまうわ。理不尽だけど貴女の父親はそういう人なのよ……。だから、生きてお母様の元に帰りたいなら、決して逆らわず命令通りに動くのよ」

 今まで目的を完遂した子はきちんと元いた場所に帰れたし、生きていくに困らない額のお金ももらえたようだ。

 ただし、公爵に逆らったり、ただ貴族としての贅沢だけを享受しようとした者は例外なく処分されたらしい。
 
 公爵にとって、実子といえども庶子などただの手駒でしかない。
 親としての愛情など砂粒ほども持ち合わせていない。
 かといって正妻との間に出来た子供を愛しているかというと、そうではない。
 ただ正当な身分の子として扱うだけだ。

 公爵夫人はそんな人でなしに対して愛情なんて抱けるはずもなく、後継ぎを一人設けた後は一切の接触を拒んでいる。目的のために次から次へと外で子を作る夫は理解不能な存在であり、とても愛など抱けるはずもなかった。

 夫人にとって、非道な夫よりも母親から引き離されて悲しむ子の方がよほど気にかけるべき存在らしい。
 なので彼女はなるべく子供たちが生きて親元に帰れるように陰ながら助力しているようだ。

 公爵邸での生活はジュリエッタにとって辛いものだったが、夫人が何かと気にかけてくれたのでどうにか頑張れた。そうやって死にもの狂いで一人前の貴族令嬢の知識とマナーを身に着けたところで再び公爵からお呼びがかかる。

「ふむ……立派な淑女に仕上がったな。我がハルバード家の令嬢として実に相応しい。これならば公爵令嬢として他家に嫁いでも大丈夫だろう。これからお前にはある貴族の家に嫁ぎ、そこである事を成し遂げてもらう」

 そのある事とは、嫁ぎ先の夫に虐げられることでその家の評判を下げること。
 ただ虐げられるだけではなく、いかにそれが酷いかを社交界や領地に知れ渡るようにしなければならない。

「安心しろ、その家には私の手の者が潜り込んでいる。そやつの言う通りに動けば何の心配もない。見事成し遂げられたなら、謝礼金をたっぷりくれてやるし、母親のもとにも無事に帰してやる。期待しているぞ、

 この男に”娘”と呼ばれると吐き気がする。
 だがジュリエッタは教育で得た淑女の仮面でその感情を隠し、優美に微笑んでみせた。

「はい、かしこまりました。必ずや成し遂げてみせます」

 そういう経緯の元、ジュリエッタが嫁いだ先がこのデューン伯爵家。
 当主はご覧の通り愛人を連れ込んで贅沢三昧。領民からの評判も最悪だ。

 普通に考えれば筆頭公爵家の令嬢を妻に娶っておいて、虐げるなど自殺行為に等しい。
 だがそんな簡単なことも分からないほど夫となった男は愚かなのだろう。

 そんなだからこそ、あの悪魔のような男に目をつけられたのだ。

 ジュリエッタはこれから先、この男に虐げられる悲劇の妻を演じていかねばならない。

 “王家の血を引くハルバード公爵の息女が夫に虐げられている”という噂が王都中に広まるくらいに。
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