初恋が綺麗に終わらない

わらびもち

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エーミールの末路④

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 エーミールに一切の興味を無くしたメアリーは、初日から彼の面倒を一切見なかった。

 部屋数だけはあるので、自分の部屋と決めた場所に鍵をかけておけば彼と顔を合わせることもない。

 もちろんこれに焦ったのはエーミールのほう。自分の身の回りのことを他人に任せてきた彼が、今更どうやって自活しろというのか。

「メアリー、ごめんね? 拗ねているのかい?」

 いったい、何に対しての謝罪なのか。それにメアリーが何に対して拗ねているのか。

 分かってもいないくせに、とりあえず耳障りのいい言葉を口にするエーミールにメアリーは嫌悪を感じた。

「意味の分からないことを仰らないでください。炊事や家事のやり方でしたら一通り教えますので、それで覚えて自分でやってくださいね」

 流石に完全に放置するわけにもいかないと、メアリーはエーミールに一通りの生きる術を身に着けさせようとした。彼に惚れている頃であれば考えもしなかったことだが、完全に冷めた今なら淡々とこなせる。

「僕がそんな下々がやるべきことを!? 冗談じゃない! 君は……そうだ、妻のようなものじゃないか? 妻は夫に尽くすものだろう?」

 このエーミールの言葉にメアリーは鼻で笑い、馬鹿にした口調で返す。

「妻? いいえ、私と貴方は神の御前で愛を誓い合った仲ではないんですよ? そもそも、貴方は私を愛してもいないですよね? それなのに妻として夫に尽くせなんて、馬鹿馬鹿しいこと!」

「い、いや……僕は、君を……」

 愛しているよ、と言おうとしたエーミールだが、それより先にメアリーの甲高い笑い声に阻まれた。

「そんな困った顔で愛していると言われて、誰が信じると? 馬鹿にするのもいい加減にしてくださる? それに私知ってますのよ、貴方が愛していると囁くのは本命のみだと!」

 ギクッと顔を強張らせたエーミールにメアリーは胸が痛むのを感じた。
 興味がない、とはいえやはり彼が自分を愛していなかったことを知るのは傷つく。
 だがその胸の痛みを無視し、精一杯虚勢を張る。

「貴方、以前言っていたではありませんか? 愛しているのは皇女様のみだと。他は単なる性欲のはけ口にしか過ぎないと。しかもそれで誠実だと勘違いしてらしたんでしょう? 馬鹿ですね、自分以外の女に触れた時点で不貞だし、不誠実ですよ。……ああ、もしかして、帝国へ来る前に婚約破棄された女性にも同じことしたんですか? だから婚約破棄されたのでは?」

 エーミールが帝国へ来る前に、自国で婚約者に婚約破棄されたことをメアリーは耳にしていた。

 婚約破棄の理由は分からなかったが、きっと彼のこの不誠実さに嫌気がさしたのであろうことは簡単に想像できる。

「それは違うっ! ベロニカとはちょっとした誤解のせいで怒らせてしまっただけで……」

「ベロニカ? 貴方の元婚約者のお名前はベロニカさんと仰るのですか……?」

 含んだようなメアリーの言い方に、エーミールは首を傾げた。

「は? そうだが……それが何だ? まさか、何か知っているのか?」

「いいえ、私は何も。ただここへ来る前に、皇后陛下付きの侍女に渡されたものがあって、そこでその”ベロニカ”という名を見ました。そういえば、彼女はそれを貴方に見せた方がいいとも言っておりましたね……」

 メアリーがそう言ってテーブルに一枚の新聞を置いた。
 皇后付きの侍女が渡したというのはこの新聞なのだろう。わざわざアイロンで綺麗に伸ばされている。

「は……? な……なんだこれは!? ベロニカが結婚? しかも相手は父上だって……!?」

 その新聞には大きく『国王の忠臣コンラッド侯爵、若く美しい美女と結婚』と見出しがあった。
 見ればそれは帝国のものではなく、故郷の国が発行している新聞だ。
 
「ああ、そういえばコンラッド侯爵は貴方のですものね? 父親に婚約者を盗られたんですか、可哀そうに……」

 メアリーがそう馬鹿にしたように笑うも、エーミールの耳には届いていない。
 彼はただ新聞に目を落としたまま唖然としていた。

「なんで……ベロニカ……。なんで父上と? 嘘だ……こんな……」

 エーミールの酷く傷ついた顔を見て、不思議とメアリーは心に満足感を抱いた。

 そしてその顔を見て、皇后付きの侍女が何故この新聞記事を彼に見せろと言ったのかを理解する。

 侍女の主の皇后は、愛娘を傷つけたエーミールの心を傷つけてやりたかったのだ。
 皇后はエーミールがまだ元婚約者に未練があると知り、わざわざあちらの国から新聞を取り寄せ、エーミールの目に晒してやりたかったのだろう。

 陰湿なやり方だと思うが、どうやら効果は覿面のよう。

 彼は深く傷つき、ただぶつぶつ独り言を呟いている。

「……私は町まで日用品の買い出しに行ってきます。帰ってきましたら、家事と炊事のやり方を教えますので」

 放心するエーミールを放置し、メアリーは買い物へと出かけようとした。

「待ってくれ、僕も行く……! 町に行けば馬車があるんだろう!?」

「はあ……? 馬車はありますけど……まさか国に帰るつもりですか?」

「そうだ! 帰ってベロニカを迎えに行く! 可哀想なベロニカ……きっと無理やり父上に娶らされたに違いない! 僕が助けてやらないと!」

「ええ……無理ですよ。ここから貴方の国までかなり距離もありますし、そこまで行く旅費はありません」

「それでも僕は行かないといけない……。頼む、町まで連れて行ってくれ」

「いやだから無理ですって。どうしても帰りたいのでしたら、まず仕事を見つけて旅費を稼がないといけません。ですが、貴方に出来る仕事なんてせいぜい体を売ることくらいでしょうね? でもそれだって、顔に傷があるんじゃ売り物にすらなりませんよ」

「体を売るだって!? そんな下賤な仕事を僕にやらせるつもりか!」

「だって他に出来ることないでしょう? 皇女様のところに居たときですら、貴方は女と寝る以外何もしていなかったじゃありませんか」

 思えばこの男は女と寝る以外何もしていない。
 今更ながら何でこんな役立たずが皇女の夫になれたのか不思議で仕方ない。

「そんなことをしなくてもコンラッド侯爵家まで行けば旅費を父上が出してくれる。馬車に乗る際、御者にそう伝えれば済む」

「は? 辻馬車は先払いが基本ですよ? 後払いなんて無理ですって」

 帝国での辻馬車は先に料金を支払わないと乗せてもらえない。
 ましてや行先が決まっている辻馬車が、他国まで行くわけもないというのに。

 世間知らずだな、とメアリーが冷めた目を向けると、エーミールは蹲って涙を流し始めた。

「そんな……なら、どうすればいいんだ!? ベロニカは僕の初恋なんだ! 初恋の君をむざむざ父親に盗られて我慢しろというのか!」

「はあ、まあ、そうですね。初恋は綺麗なまま終わらせておけばいいんじゃないですか?」

 初恋の君を父親に盗られたというのは笑えるが、そもそも婚約破棄された時点で向こうはエーミールのことを待ってはいないだろう。皇女と子供まで作った男に、今更迎えにこられても迷惑だと思うが。

「日が暮れる前に買い出しを終わらせたいんで私はもう行きます。ついてきたいのでしたらお好きにどうぞ」

 泣いているエーミールを無視し、メアリーはさっさと町まで向かうことにした。



 なんだかんだ言いながらもメアリーについてきて、町までやってきたエーミールだが、彼はそこで嫌な現実を知ることになる。

「メアリー……なんだか、すれ違う女の子が全然僕の方を見てくれない……」

「は? 何を言っているんですか?」

 メアリーはエーミールの発言の意味が分からず、振り返り彼の方を見た。
 すると彼は心の底からショックを受けてますと言わんばかりの表情をしていて、それがますますメアリーを混乱させる。

「え? 今まで貴方とすれ違う女性は、皆貴方を見ていたんですか?」

「え、そうだが? 母国でもそうだったし、皇宮にいたときも女官は皆僕に秋波を送っていたぞ?」

 そういえば確かにそうだったなとメアリーは皇宮での生活を思い出した。
 女官は皇女の夫であるにも関わらず、だいたいがエーミールに物欲しげな視線を送っていた。自分だってそうだ。

 でも今は……

「ふーん、なら、女性たちは皆貴方の顔に魅力を感じていたんでしょうね……」

 あの魔性ともいえる魅力は、やはり彼の顔に起因するものだったのだなとメアリーは再認識した。
 顔に傷がつこうとも美形は美形だと思うが、エーミールの場合は何故か分からないが魅力がなくなってしまうようだ。

 メアリーも皇宮で顔に傷がある騎士や兵士を何人も見ているが、それで彼らの魅力が下がったとは思わない。
 だが、なぜかエーミールだけは魅力が下がるどころか無くなってしまう。

 あの、女性を魅了する魔性の美貌が、今や見る影もない。

「……これでよかったんでしょうね。これ以上、犠牲を出さないで済むのですから……」

 エーミールの魔性の魅力のせいで、数多の女性が犠牲になった。
 メアリー以外の死んでしまった女官達や、子供まで作った仲なのに何度も裏切られた皇女。
 
 それにきっと知らないだけで、彼の母国でも犠牲になった女性は必ずいるのだろう。

 そして、彼は自分のせいで犠牲になった女性達に罪悪感一つ抱こうともしない。

「天罰があたったんでしょうね、貴方も……私も……」

 毒の後遺症でボロボロの体を抱え、メアリーはもう好きでもない男と一生を共にしなくてはならない。

 エーミールはこれから先、女性から好意をもたれることはほとんどない。

 自業自得とはいえ、もう明るい未来を進むことはない。



 その後、メアリーとエーミールはあの小さな家で共に過ごすも、二人は決してもう男女の仲にはならなかった。

 それというのもメアリーがエーミールを拒むからだ。人肌恋しいエーミールは何度もメアリーを誘うも、彼女は決して首を縦に振らなかった。

「私にも選ぶ権利はあるんですよ」

 ただでさえ毒の後遺症で体が辛いのに、好きでもない男の相手などしていられない。
 
 時には力づくで襲い掛かろうとするエーミールをメアリーは難なくかわし、その後もずっと拒み続ける。

 すると不思議なことにエーミールは段々と衰弱していった。

「うう……ベロニカ、セレス、会いたいよ……」

 寝台で譫言のように呟くエーミールにメアリーは呆れた顔を見せる。

「会ってどうするんです? ベロニカさんも、皇女様も貴方以外の相手と結ばれたというのに。会ってもどうにもならないでしょう」

「そんな……。だって、あれだけ愛し合ったのに……」

「私が言うことじゃありませんけど、愛しているなら、どうして裏切ったんです? どうして傷つけるような真似をなさったのです?」

「僕は裏切ってなんか……。ちょっと別の女の子と仲良くしただけでそんな……」

「ちょっと仲良くした結果がこれでしょう? 自業自得ですよ」

「そんな……僕は、僕に好意を持ってくれる女の子皆と仲良くしたいだけなのに……」

「そうですか。なら、。今なら仲良くする女の子も誰もいませんから、誠実になれたでしょうに……残念ですね?」

 メアリーの残酷な言葉がエーミールの胸に深く突き刺さる。

「そんな……嘘だ、誰も僕に好意を持っていないなんて……」

「……貴方って不思議ですね? なんですもの……」

 それはメアリーには理解できない感覚だ。
 特定の誰かではなく、不特定多数に好かれていたいという感覚は。

 
 その後もずっとエーミールは嘆きながら衰弱していった。

 だが、嘆くのはベロニカや皇女に捨てられたことではなく、自分がもう異性に好意をもたれないということ。

 それを近くで見続けねばならない役目にあるメアリーは時折ポソリと同じことを呟いた。

 女を糧にせねば生きられない悪魔のようだ、と。
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