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誰の遺伝か
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「ふふ、よく寝ている。可愛いわね……」
「ええ、本当に姫君はお可愛らしゅうございます。どことなく幼き頃の皇后陛下に似ておりますな……」
初老の侍女が抱かれ、すやすやと眠る黒髪の赤ん坊を眺め、皇后は目を細めた。
「セレスの意識はまだ戻らないの?」
「ええ、そのようで……。お可哀そうな皇女様……ご夫君に吐かれた暴言がよほど堪えたのでしょう。出産を終えたばかりの妻に向かって酷い事を……」
赤ん坊の母である皇女は出産後に意識を失い、未だ目覚めぬままであった。
父親であるエーミールは役に立たないので、赤ん坊の養育は皇后が担っている。
「皇女様も禄でもない男に惚れたものですな。自分も不貞を犯しているから、妻もそうだろうと思ったのでしょうか。姫君の父親は間違いなく婿殿ですのに」
皇女がエーミール以外と関係を持っていないことは、常に側に侍る皇女付きの侍女が証明できる。
この赤ん坊の父親は間違いなくエーミールなのだ。
だが、それなら何故金の髪を持つエーミールと、同じく金の髪をした皇女との間に黒髪の赤ん坊が産まれたのか。
それに黒い髪とは帝国ではかなり珍しく、皇后ですらも初めて目にしたほどだ。
「いきなり自分とも妻とも違う髪色の子が産まれて驚いたのは分かるけど、出産を終えたばかりのセレスに暴言を吐いたのは駄目ね。そういう配慮の無さと、感情のままに動く愚かさが次期皇帝の伴侶として相応しくないのよ。もう少し賢い男であればセレスの側室にでもしてやろうと思ったけど、よくて愛人どまりね」
皇太子がベロニカ欲しさに隣国でやらかしたことからその座を降ろされることとなり、次の皇太子にセレスティーナが任命された。
皇太子以外にも皇子はいるが、彼らは皇后の子ではない。
皇后の子ではないということは、公爵家の血を引いていない。
帝国中枢では暗黙の了解となっている世継ぎの条件。
公爵家の血を引く皇帝の子以外が玉座に座ることはない。
「皇太子となるセレスティーナの伴侶には賢くて弁えた令息を据えるつもりよ。エーミールにその座はとても務まらないわ。セレスが望めば愛人として宮殿に置いてやってもいいけど、不要であるなら下賜してしまいましょう」
「おや、始末はなさらないので?」
「あちらの国王と侯爵と約束してしまったからね。エーミールを決して手にかけないと。そうでなければとっくに処分しているわよ。あんな役立たず……」
赤ん坊を起こさぬよう小声でそう吐き捨てる。
皇后から見てもエーミールは何も役に立たないどころか害悪でしかない。
浮気性で自分の欲にのみ忠実、しかも妻を蔑ろにするような男は出来るなら処分してしまいたい。
「一度は再構築しましたが、さすがに此度の件で皇女様も愛想が尽きたのでは? 出産時の恨みは一生続く、と言いますし。産後で疲弊しきったところに夫から不貞を疑われて傷つかない女はおりません」
「それならそれでいいわ。セレスの後宮にあのような役立たずを置いておきたくないもの」
「さようでございますな。それに、姫君の髪色から察するに婿殿の出自は怪しいものがありますぞ。皇帝陛下並びに皇后陛下、どちらの家系にも黒髪は存在しません。となるとこれは婿殿の家系からと考えられ……」
会話の途中に扉をたたく音が部屋に響いた。
皇后がそれに対し入室の許可を出すと、扉を開けて入ってきたのは意外な人物であった。
「お久しゅうございます、皇后陛下」
どことなく皇后に似た顔つきの初老の男。優し気な微笑みを浮かべているのに、その雰囲気はまるで研ぎ澄まされた刃のように鋭く相手を威圧する。
「まあ、お父様? ここに来るなど珍しいですね」
「いやなに、可愛い曾孫の顔を見に来たのですよ。おお、その子がそうですな?」
男は赤ん坊の顔を見るなり嬉しそうに目を輝かせた。
彼は皇后の父親であり、筆頭公爵家の先代当主。
内乱続きであった帝国を安定させた陰の立役者であり、支配者の一人でもある。
「なんと可愛いのか……。まさか曾孫の顔を拝めるとは、長生きはするものですな……」
好々爺の顔で曾孫の眺める先代公爵に皇后はスッと笑みを消す。
「お父様直々に報告にあがるとは思いませんでした。それにしても流石はお父様、もう分かったのですか? この子の髪色が、どこからの遺伝なのかを」
皇后は孫の髪色について、生家の公爵家へ調査を頼んでいた。
単純に知りたかったというのもあるが、それが娘の潔白の証明にもなる。
頼んでから数日しか経っていないうえに、調査報告として父親が来るとは思ってもみなかった。
「まあもう当主の座は息子に継いでしまったのでな。儂も時間が余っているのだよ。それに曾孫の顔を見てみたかったというのもある。それと調査の結果だが、まあなんてことはない。この髪色は婿殿の実の父親の色だということだ。祖父から隔世遺伝したのだろうよ」
「婿殿の実の父親……? 婿殿はコンラッド侯爵の子ではないということですか?」
「そういうことだ。当代のコンラッド侯爵は婿養子のようだが、彼が婿入りした時点で妻の腹には既に子が宿っていたらしいぞ。その子がエーミール殿なのだろうよ」
「まあ! 婿入りした時点で妻が別の男の子を孕んでいたというのですか? コンラッド侯爵はよくそんな屈辱を我慢しましたこと……」
「度量の大きいことよ、儂だったら妻ごと処分するがな。しかも実の父親は使用人で平民だ。エーミール殿の母御はかなり淫乱な性質らしく、見目のよい使用人の男と淫行に耽っていたそうだ。その使用人に中に黒髪の男がいたらしい。だからその男がエーミールの実の父親なのだろうよ」
皇后は父親の話に絶句した。
不義の子、しかも平民の使用人が父親。
そんな卑しい血と出自の男が皇女の夫に収まっていたなんて。
「ええ、本当に姫君はお可愛らしゅうございます。どことなく幼き頃の皇后陛下に似ておりますな……」
初老の侍女が抱かれ、すやすやと眠る黒髪の赤ん坊を眺め、皇后は目を細めた。
「セレスの意識はまだ戻らないの?」
「ええ、そのようで……。お可哀そうな皇女様……ご夫君に吐かれた暴言がよほど堪えたのでしょう。出産を終えたばかりの妻に向かって酷い事を……」
赤ん坊の母である皇女は出産後に意識を失い、未だ目覚めぬままであった。
父親であるエーミールは役に立たないので、赤ん坊の養育は皇后が担っている。
「皇女様も禄でもない男に惚れたものですな。自分も不貞を犯しているから、妻もそうだろうと思ったのでしょうか。姫君の父親は間違いなく婿殿ですのに」
皇女がエーミール以外と関係を持っていないことは、常に側に侍る皇女付きの侍女が証明できる。
この赤ん坊の父親は間違いなくエーミールなのだ。
だが、それなら何故金の髪を持つエーミールと、同じく金の髪をした皇女との間に黒髪の赤ん坊が産まれたのか。
それに黒い髪とは帝国ではかなり珍しく、皇后ですらも初めて目にしたほどだ。
「いきなり自分とも妻とも違う髪色の子が産まれて驚いたのは分かるけど、出産を終えたばかりのセレスに暴言を吐いたのは駄目ね。そういう配慮の無さと、感情のままに動く愚かさが次期皇帝の伴侶として相応しくないのよ。もう少し賢い男であればセレスの側室にでもしてやろうと思ったけど、よくて愛人どまりね」
皇太子がベロニカ欲しさに隣国でやらかしたことからその座を降ろされることとなり、次の皇太子にセレスティーナが任命された。
皇太子以外にも皇子はいるが、彼らは皇后の子ではない。
皇后の子ではないということは、公爵家の血を引いていない。
帝国中枢では暗黙の了解となっている世継ぎの条件。
公爵家の血を引く皇帝の子以外が玉座に座ることはない。
「皇太子となるセレスティーナの伴侶には賢くて弁えた令息を据えるつもりよ。エーミールにその座はとても務まらないわ。セレスが望めば愛人として宮殿に置いてやってもいいけど、不要であるなら下賜してしまいましょう」
「おや、始末はなさらないので?」
「あちらの国王と侯爵と約束してしまったからね。エーミールを決して手にかけないと。そうでなければとっくに処分しているわよ。あんな役立たず……」
赤ん坊を起こさぬよう小声でそう吐き捨てる。
皇后から見てもエーミールは何も役に立たないどころか害悪でしかない。
浮気性で自分の欲にのみ忠実、しかも妻を蔑ろにするような男は出来るなら処分してしまいたい。
「一度は再構築しましたが、さすがに此度の件で皇女様も愛想が尽きたのでは? 出産時の恨みは一生続く、と言いますし。産後で疲弊しきったところに夫から不貞を疑われて傷つかない女はおりません」
「それならそれでいいわ。セレスの後宮にあのような役立たずを置いておきたくないもの」
「さようでございますな。それに、姫君の髪色から察するに婿殿の出自は怪しいものがありますぞ。皇帝陛下並びに皇后陛下、どちらの家系にも黒髪は存在しません。となるとこれは婿殿の家系からと考えられ……」
会話の途中に扉をたたく音が部屋に響いた。
皇后がそれに対し入室の許可を出すと、扉を開けて入ってきたのは意外な人物であった。
「お久しゅうございます、皇后陛下」
どことなく皇后に似た顔つきの初老の男。優し気な微笑みを浮かべているのに、その雰囲気はまるで研ぎ澄まされた刃のように鋭く相手を威圧する。
「まあ、お父様? ここに来るなど珍しいですね」
「いやなに、可愛い曾孫の顔を見に来たのですよ。おお、その子がそうですな?」
男は赤ん坊の顔を見るなり嬉しそうに目を輝かせた。
彼は皇后の父親であり、筆頭公爵家の先代当主。
内乱続きであった帝国を安定させた陰の立役者であり、支配者の一人でもある。
「なんと可愛いのか……。まさか曾孫の顔を拝めるとは、長生きはするものですな……」
好々爺の顔で曾孫の眺める先代公爵に皇后はスッと笑みを消す。
「お父様直々に報告にあがるとは思いませんでした。それにしても流石はお父様、もう分かったのですか? この子の髪色が、どこからの遺伝なのかを」
皇后は孫の髪色について、生家の公爵家へ調査を頼んでいた。
単純に知りたかったというのもあるが、それが娘の潔白の証明にもなる。
頼んでから数日しか経っていないうえに、調査報告として父親が来るとは思ってもみなかった。
「まあもう当主の座は息子に継いでしまったのでな。儂も時間が余っているのだよ。それに曾孫の顔を見てみたかったというのもある。それと調査の結果だが、まあなんてことはない。この髪色は婿殿の実の父親の色だということだ。祖父から隔世遺伝したのだろうよ」
「婿殿の実の父親……? 婿殿はコンラッド侯爵の子ではないということですか?」
「そういうことだ。当代のコンラッド侯爵は婿養子のようだが、彼が婿入りした時点で妻の腹には既に子が宿っていたらしいぞ。その子がエーミール殿なのだろうよ」
「まあ! 婿入りした時点で妻が別の男の子を孕んでいたというのですか? コンラッド侯爵はよくそんな屈辱を我慢しましたこと……」
「度量の大きいことよ、儂だったら妻ごと処分するがな。しかも実の父親は使用人で平民だ。エーミール殿の母御はかなり淫乱な性質らしく、見目のよい使用人の男と淫行に耽っていたそうだ。その使用人に中に黒髪の男がいたらしい。だからその男がエーミールの実の父親なのだろうよ」
皇后は父親の話に絶句した。
不義の子、しかも平民の使用人が父親。
そんな卑しい血と出自の男が皇女の夫に収まっていたなんて。
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