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帝国の影の支配者
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帝国の頂点に座すのは皇帝であるが、実質の支配者は皇后とその生家である。
皇后の生家、帝国の筆頭公爵家は皇帝を陰で操り、政の采配を振るってきた。
その結果、先代皇帝より続いた内乱を治め、空っぽになった国庫に金を満たし、疲弊した国土に豊かな実りをもたらすという偉業を成し遂げる。
しかもその功績は全て皇帝に譲り、公爵家の名を出すことはなかった。
おかげで現皇帝は稀代の名君としてその名を馳せ、帝国全土の民に慕われている。
実際、皇帝は何もしていない。
ただ公爵家の傀儡として玉座に座っているだけ。
だが皇帝は自分がお飾りであることに何の不満も持っていない。
面倒なことは全て公爵家が済ませ、自分はただ好きなことをして遊んでいればいいのだから。
公爵家と皇后さえ大切にしていれば、労せずとも国家は潤い、自分も民より尊敬され慕われる。
これほど楽で愉快なことはない、と皇帝は笑いが止まらなかった。
元々皇帝は継承権の低い皇子だった。
彼自身も愚鈍で平凡な、とても玉座に就けるような器ではない。
だが彼にはお飾りとしての才があった。
有能な者の言いなりとなり、決して逆らわないという才能が。
その才を公爵に見初められ、娘を婚約者にと宛がわれ、あれよという間に皇帝の座に就いた。
そして皇后との間に皇子と皇女を設ける。他にも皇妃や愛妾は沢山いるが、誰がどんな子供を産んだとしても継承権があるのは皇后が産んだ子だけ。もちろん対外的には他の皇子にも皇女にも継承権はあるが、公爵の血を引く子以外が帝位に就くことはない。
皇后の子である皇子は暗黙の了解で皇太子へと据えられた。
帝国一権力のある公爵家を後ろ盾とする皇太子の未来は明るいと誰しも疑わなかった。
彼が皇后にさえ逆らわなければ……。
*
「皇太子が隣国の伯爵令嬢を見初め、妃にしたいと……? しかもそれをあちらの国王に懇願したと……」
皇太子の側仕えより報告を受けたとき、皇帝は天を仰ぎたくなった。
自分は皇女の不始末への詫びをしに行けと命じたはずだ。
嫁を見つけてこいとは一言も言っていないのに、どうしてそんな余計な真似をするのか。
「……はあ、皇后よ、どうしたらよいかの?」
皇帝は隣に座る皇后に意見を仰いだ。
実際は意見というより指示である。皇帝は自分一人では何も決められないのだから。
「どうもしなくて結構ですわ。そんな願いなど聞く必要はありません」
皇后は涼しい顔で息子の希望をバッサリと切り捨てた。
しかしこれに皇帝は首を傾げる。
「皇女の願いは聞くのに、皇太子の願いは聞かぬのか? それは何故だ?」
これは皇后の意見を非難しているのではなく単純な疑問だ。
皇女が婚約者持ちの男を欲しがり、子まで孕んだことについては受け入れたのに、皇太子の願いは聞かないというのは何故なのか。別に皇后は皇女を贔屓しているわけでもないというのに。
「皇女の願いを聞いたからこそ、皇太子の願いは聞けぬのです。此度の件で帝国はあちらの国に弱みを握られたようなもの、これ以上の醜聞は許されません」
「ふむ、それもそうだな。だが皇太子はそれで納得するかの……?」
妹の我儘は許されて、皇太子たる自分の我儘は許されない。それを不満に思うのではないかと皇帝は懸念を抱く。
「する、しない、ではなくしてもらわねば困ります。出来ないのであれば、皇太子から退かせましょう。その時は次の皇太子としてセレスティーナを立てます」
皇太子を決める権限が自分にあるかのように話す皇后だが、皇帝はそれをどうとも思わない。
どんなに非常識な決定であっても、公爵家の人間が決めたことが彼の中では正解なのだから。
「だから皇女を嫁にやらず、こちらに戻したのか?」
「ええ、そうです。わたくしが産んだ子は皇太子と皇女だけ。皇太子が駄目になった時のために、保険は必要でしょう? 公爵家の血を継ぐ皇族のはあの二人だけなのですから」
皇帝の血を継いだ者ではなく、公爵家の血を継いだ者に帝位を。
それが帝国中枢での暗黙の了解だ。
「それにしても皇太子も皇女も惚れっぽいこと……。陛下に似たのですね」
責めるような妻の視線に皇帝は居心地が悪くなった。
皇帝自身、惚れやすい性質なので後宮には妃も愛妾も沢山いる。
「す、すまない……。だが一番大切なのは君だよ……」
それだけ沢山の妻がいても、皇帝が一番優先するのは皇后だ。
むしろ皇后以外を優先すれば、自分に待っているのは悍ましい死だと分かっているから。
「さようでございますか。それにしてもあの子達はどちらも感情的で困りますわね……。そういうところは、わたくしにも陛下にも似ておりません。何故なのかしら?」
皇后が頬に手をあて、悩まし気にため息をついた。
皇太子も皇女も自分の欲に忠実で感情のまま動く性質の持ち主である。
両親はどちらも自分の感情よりも利を選ぶというのに。
「我が父、先代皇帝も感情的な人間だった。あの子達はその気質を濃く継いだのだろうよ」
「ああ、確かに。そのせいで内乱も長引いたのですよね……」
先代は感情のままに振る舞うところがあり、そのせいで敵が多く内乱が起きた。
公爵がそれを治めなければ、今頃もまだそれが続いていたことだろう。
「何にせよ皇太子がわたくしの言う事を聞くのであればそのまま帝位に就かせましょう。聞かない場合は即座に廃嫡の上、セレスティーナを次の皇太子にします。その際は我が派閥より夫を選び、その者に実権を握らせます。セレスティーナに政は無理ですので」
「うん? セレスティーナの夫は他国の侯爵子息だろう?」
「その者にはセレスティーナが立太子した際に夫の座を退かせます。側室もしくは愛人の座にでも置けばよいのですよ。他国の者に実権など握らせるわけには参りませんもの」
「しかしセレスティーナが何と言うか……」
「ご安心を。あの子はわたくしの言う事をよく聞きます。それこそ、兄である皇太子よりも……」
皇帝はそれを聞いて、皇女は皇太子よりも賢いのだなと悟る。
この帝国においては”皇后の言う事を聞く”ということが一番正しく賢いやり方なのだから。
そして皇太子が皇后の言いつけに逆らい、ベロニカを攫おうとしたことで彼は廃嫡の憂き目に合う。
これにより皇女の立太子が決まり、エーミールの地獄の日々が始まるのだった───。
皇后の生家、帝国の筆頭公爵家は皇帝を陰で操り、政の采配を振るってきた。
その結果、先代皇帝より続いた内乱を治め、空っぽになった国庫に金を満たし、疲弊した国土に豊かな実りをもたらすという偉業を成し遂げる。
しかもその功績は全て皇帝に譲り、公爵家の名を出すことはなかった。
おかげで現皇帝は稀代の名君としてその名を馳せ、帝国全土の民に慕われている。
実際、皇帝は何もしていない。
ただ公爵家の傀儡として玉座に座っているだけ。
だが皇帝は自分がお飾りであることに何の不満も持っていない。
面倒なことは全て公爵家が済ませ、自分はただ好きなことをして遊んでいればいいのだから。
公爵家と皇后さえ大切にしていれば、労せずとも国家は潤い、自分も民より尊敬され慕われる。
これほど楽で愉快なことはない、と皇帝は笑いが止まらなかった。
元々皇帝は継承権の低い皇子だった。
彼自身も愚鈍で平凡な、とても玉座に就けるような器ではない。
だが彼にはお飾りとしての才があった。
有能な者の言いなりとなり、決して逆らわないという才能が。
その才を公爵に見初められ、娘を婚約者にと宛がわれ、あれよという間に皇帝の座に就いた。
そして皇后との間に皇子と皇女を設ける。他にも皇妃や愛妾は沢山いるが、誰がどんな子供を産んだとしても継承権があるのは皇后が産んだ子だけ。もちろん対外的には他の皇子にも皇女にも継承権はあるが、公爵の血を引く子以外が帝位に就くことはない。
皇后の子である皇子は暗黙の了解で皇太子へと据えられた。
帝国一権力のある公爵家を後ろ盾とする皇太子の未来は明るいと誰しも疑わなかった。
彼が皇后にさえ逆らわなければ……。
*
「皇太子が隣国の伯爵令嬢を見初め、妃にしたいと……? しかもそれをあちらの国王に懇願したと……」
皇太子の側仕えより報告を受けたとき、皇帝は天を仰ぎたくなった。
自分は皇女の不始末への詫びをしに行けと命じたはずだ。
嫁を見つけてこいとは一言も言っていないのに、どうしてそんな余計な真似をするのか。
「……はあ、皇后よ、どうしたらよいかの?」
皇帝は隣に座る皇后に意見を仰いだ。
実際は意見というより指示である。皇帝は自分一人では何も決められないのだから。
「どうもしなくて結構ですわ。そんな願いなど聞く必要はありません」
皇后は涼しい顔で息子の希望をバッサリと切り捨てた。
しかしこれに皇帝は首を傾げる。
「皇女の願いは聞くのに、皇太子の願いは聞かぬのか? それは何故だ?」
これは皇后の意見を非難しているのではなく単純な疑問だ。
皇女が婚約者持ちの男を欲しがり、子まで孕んだことについては受け入れたのに、皇太子の願いは聞かないというのは何故なのか。別に皇后は皇女を贔屓しているわけでもないというのに。
「皇女の願いを聞いたからこそ、皇太子の願いは聞けぬのです。此度の件で帝国はあちらの国に弱みを握られたようなもの、これ以上の醜聞は許されません」
「ふむ、それもそうだな。だが皇太子はそれで納得するかの……?」
妹の我儘は許されて、皇太子たる自分の我儘は許されない。それを不満に思うのではないかと皇帝は懸念を抱く。
「する、しない、ではなくしてもらわねば困ります。出来ないのであれば、皇太子から退かせましょう。その時は次の皇太子としてセレスティーナを立てます」
皇太子を決める権限が自分にあるかのように話す皇后だが、皇帝はそれをどうとも思わない。
どんなに非常識な決定であっても、公爵家の人間が決めたことが彼の中では正解なのだから。
「だから皇女を嫁にやらず、こちらに戻したのか?」
「ええ、そうです。わたくしが産んだ子は皇太子と皇女だけ。皇太子が駄目になった時のために、保険は必要でしょう? 公爵家の血を継ぐ皇族のはあの二人だけなのですから」
皇帝の血を継いだ者ではなく、公爵家の血を継いだ者に帝位を。
それが帝国中枢での暗黙の了解だ。
「それにしても皇太子も皇女も惚れっぽいこと……。陛下に似たのですね」
責めるような妻の視線に皇帝は居心地が悪くなった。
皇帝自身、惚れやすい性質なので後宮には妃も愛妾も沢山いる。
「す、すまない……。だが一番大切なのは君だよ……」
それだけ沢山の妻がいても、皇帝が一番優先するのは皇后だ。
むしろ皇后以外を優先すれば、自分に待っているのは悍ましい死だと分かっているから。
「さようでございますか。それにしてもあの子達はどちらも感情的で困りますわね……。そういうところは、わたくしにも陛下にも似ておりません。何故なのかしら?」
皇后が頬に手をあて、悩まし気にため息をついた。
皇太子も皇女も自分の欲に忠実で感情のまま動く性質の持ち主である。
両親はどちらも自分の感情よりも利を選ぶというのに。
「我が父、先代皇帝も感情的な人間だった。あの子達はその気質を濃く継いだのだろうよ」
「ああ、確かに。そのせいで内乱も長引いたのですよね……」
先代は感情のままに振る舞うところがあり、そのせいで敵が多く内乱が起きた。
公爵がそれを治めなければ、今頃もまだそれが続いていたことだろう。
「何にせよ皇太子がわたくしの言う事を聞くのであればそのまま帝位に就かせましょう。聞かない場合は即座に廃嫡の上、セレスティーナを次の皇太子にします。その際は我が派閥より夫を選び、その者に実権を握らせます。セレスティーナに政は無理ですので」
「うん? セレスティーナの夫は他国の侯爵子息だろう?」
「その者にはセレスティーナが立太子した際に夫の座を退かせます。側室もしくは愛人の座にでも置けばよいのですよ。他国の者に実権など握らせるわけには参りませんもの」
「しかしセレスティーナが何と言うか……」
「ご安心を。あの子はわたくしの言う事をよく聞きます。それこそ、兄である皇太子よりも……」
皇帝はそれを聞いて、皇女は皇太子よりも賢いのだなと悟る。
この帝国においては”皇后の言う事を聞く”ということが一番正しく賢いやり方なのだから。
そして皇太子が皇后の言いつけに逆らい、ベロニカを攫おうとしたことで彼は廃嫡の憂き目に合う。
これにより皇女の立太子が決まり、エーミールの地獄の日々が始まるのだった───。
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