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口づけ

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「ベロニカ嬢、少し落ち着こうか。君の気持ちを否定するつもりはないが、私のような中年男にそのような想いを抱くのは不毛でしかない。君ならいくらでも若い令息が妻にと望んでくるはずだし、初めての接吻もその相手の為にとっておくべきだ。そうだろう?」

 落ち着け、あくまでも冷静に相手を説得しよう。

 心中ではちっとも冷静ではないが、それを表には出さず懸命にベロニカを説得しようと必死になった。

 だが、恋する乙女にそれは通用しない。
 恋は理屈でなく感情でのみ動くのだから。

「ええ、閣下の妻になりたいなどという大それた望みは持っておりません。貴族家の娘として、家の利益となる婚姻を成す使命を持っておりますもの。だからこそ、このような叶うことのない不毛な想いは終わらせてしまいたいのです。わたくしの初恋を……貴方の手で終わらせてほしいの」

 宝石のような瞳に涙を浮かべ、いじらしく懇願してくるベロニカに侯爵は心を射抜かれた。まるで熱に浮かされたように頭がぼやけ、ただ一つの感情が彼を突き動かす。

 この少女が、欲しくてたまらない――――。

「…………いいのか? 私のような中年に接吻されて、気持ち悪くないのか?」

 侯爵は最後の理性でベロニカにそう尋ねた。

「気持ち悪いなど、どうして思いましょうか。好いた殿方に口づけされて……喜び以外の感情が湧くはずありません。だから……お願い、閣下……」

 上気した頬も潤んだ瞳も、どうしようもなく男の欲を誘う。
 侯爵は熱を帯びた瞳でベロニカを見つめ、彼女の隣へと腰かけた。

「最後にもう一度だけ聞く。本当にいいんだな? 後悔しないか?」

 侯爵の節くれた指がベロニカの頬を撫でる。
 
 恋焦がれた人にやっと触れて貰えた。
 それが嬉しくてたまらない。

「するはずがございません。ずっと……こうして触れてほしかったのです。貴方の琥珀の瞳に、わたくしだけを映してほしかった……」

 その言葉を最後に侯爵の唇がベロニカの紅い唇に重なった。

「ん……閣下……」

「ベロニカ嬢っ……」

 まるで食べられてしまうかのような荒々しい口づけにベロニカは陶酔した。
 愛しい人がこんなにも自分を求めてくれる、それが涙が出るほど嬉しい。

「閣下……。一度じゃ嫌です。もっと……してください」

 侯爵の首に両手を回し、甘えるように強請る。
 いつも静かに凪いだ彼の瞳は今や獣ような欲に染まっていた。

「ベロニカ嬢……どうか今だけは……名前で呼んでくれ。ディミトリと……」

 ディミトリ・コンラッド、それが侯爵の名だ。
 
 永遠に呼ぶ機会などないだろうと思っていた名前。
 そしてずっと呼びたいと渇望していた名前。それをやっと……。
 ベロニカは嬉しさのあまりに涙を零した。

「ディミトリ様……嬉しい。ずっと……そうお呼びしたかった」

 二人はまるで想い合う恋人のように何度も口づけを交わしていた。

 ここが邸の応接室だということも忘れ、まるで世界に二人だけになったようにずっと。

「ディミトリ様、好き……好きです。愛して……おります」

「ベロニカ嬢……可愛い、綺麗だ……」

 ベロニカの愛の告白に侯爵は答えない。
 それは自分が答える立場にないと分かっているから。

 いかに侯爵といえど、名門伯爵家の令嬢を後添えとして迎えられるはずがない。
 腕の中に収めた少女はいずれ別の男のものとなる。
 それを十分理解しているから、愛を伝えることなどできない。
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