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ビビの後悔③

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 翌日からもビビは部屋へと籠ったが、宣言通り食事は出なかった。
 どんなに懇願しようが夫は「働かないなら食事は出ない」の一点張りだ。

 空腹には勝てず、渋々家事を手伝うも義母や義姉の厳しい態度に心が折れる。

 もう帰りたい、と夫に泣き言を漏らすも「帰るところなんてないだろう?」と冷たい返答をされるだけ。

「こんなのまるで奴隷じゃない……。もう、イヤ……」

 冷えた空気が張り詰める森で薪を集めていたビビだが、ふと遠くの方に夫の姿を見つけた。

「は……? だ、だれよ、その女は……!?」

 なんと夫は自分以外の女を抱き寄せていた。
 見れば女の方も嬉しそうにそれを受け入れ、どう見ても二人は相思相愛だと分かる。

「しんっじらんない! 私がこれだけ大変な思いをしているっていうのに……浮気していたわけ!?」

 衝動のままに持っていた薪を夫の方へと投げ放つ。
 すると夫はそれに驚きもせず、いとも簡単に受け止めた。

「おいおい危ねえな。こんな固いもんを人に投げるなよ、怪我したらどうすんだ?」

「はあ!? こんなところで浮気しておいて、何平然としてんのよ!」

「浮気? してないぞ?」

「しているじゃない! その女は何よ!?」

「ああ、彼女は俺の妾だ。一応、妻はお前だからな」

「はあああ!? ふざけないでよ! 何で私がいるのに平然と妾を囲ってんのよ! 信じられない、不潔よ!」

 顔を真っ赤にして怒るビビに夫は首を傾げた。
 コイツは何を言っているんだ、と言わんばかりの態度がビビの神経を逆撫でする。

「何言ってんだ? 男爵様から聞いてないのか?」

「は!? 何をよ!」

「男爵様の血が入った子が産まれると面倒だから、お前とは子を作るなって言われたんだぞ? その代わりに妾をとって、そっちと子を作れって。説明されなかったのか?」

「そんな説明されてな…………」

 ふと、ビビはここに来るまでの馬車内で使用人が言っていたことを思い出した。

『お嬢様、男爵様の血を継いだ子が産まれては継承権の問題等ございますので、ご夫君と子を作らないでください』

 その時は“誰がエーミール様以外と子作りなんてするもんですか!”と意気込んでいたから聞き流していたけど、そういえば確かに言われていた。

「え、え……それじゃあ、私は自分の子を作れないってこと……?」

「うーん……男爵様が駄目って言うならそうなんじゃないか? 可哀想だけど……出来たら出来たで男爵様に命を狙われる危険性だってあるぞ? 貴族は継承権やら何やらが厳しいんだろう?」

「命を狙われる……? そんな、お父様の孫なのに……?」

「お前……まだそんな甘い事言ってんの? そのお父様から捨てられたって、まだ気付かないのか?」

 夫の蔑むような、同情するかのような顔が心に突き刺さる。

「なんで……? 私、そこまでのことした……?」

 こんな辺境の地へ追いやられ、好きでもない男の嫁になり、子を成すことすら望まれない。

 ただ好きな人へ近づいただけなのに、ここまで酷い扱いを受けなければならないのかとビビはその場で泣き崩れた。

「……あのさ、仮の話だけど……お前がもし、王様が着けている王冠が欲しくて奪おうとしたらどうなると思う?」

「………………は?」

 どうしてここで王冠と言う言葉が出てくるのか。
 夫の発言に驚き涙が止まり、顔を上げて彼を見た。

「どうなると思う? 王冠が綺麗で欲しくなって奪おうとしたら?」

「何言ってんの? そんなの……処刑されるに決まっているじゃない!」

 王様の物を欲しがって奪おうとして、ただで済むわけがない。
 そんなの子供でも分かるし、だいたい夫はどうして今ここでそんなことを言うのか全く理解できない。

「だよな。分かってんじゃん」

「当たり前でしょう!? 何のよ、いったい……!」

「うん、だからさ……そういうことだよ。自分よりも、身分も権力も上の人間の物を欲しがって、ただで済むわけないじゃん?」

「え…………?」

 この人は何を言っているんだろう……。

 自分よりも、身分も権力も上の人間? それってベロニカ様のこと?

 じゃあ……“物”は、エーミール様のことを言っているの……?

「な、なにを言ってるの……? だいたい、エーミール様はベロニカ様の物じゃないし……」

「分かってる、これはただの物の例えだ。だけど分かるだろう? 人間は物じゃないけど、他人の婚約者は、その“他人”のものだ。お前はそれをその“他人”から盗ろうとした。身分が上の人間の物を盗ろうとすれば、罰せられるのは当然じゃないか? 処刑されないだけマシだと思うぞ」

 何を馬鹿なことを、と言いたいのに声が出ない。
 寒いのに全身から冷や汗が出てくる。 

「そんな他人様の物を盗もうとする娘を見限らないはずがないだろう? 俺だって他人の嫁や恋人を盗るようなことすりゃ母さんや父さんにボコボコにされるだろうし、着の身着のまま家から追い出されるだろうよ。倫理に反した行動をして、ちっとも反省してないのもどうかと思うぞ?」

「倫理って……そんな大袈裟な……」

「大袈裟じゃないからこうなってんだろ? いい加減現実見た方がいいぞ」

 ビビは頭を抱えて「そんな……なんで……」と呟いた。

 だって、ただ好きになっただけだ。

 好きになった人と結ばれたくて近づいただけだ。

 たまたまその人に婚約者がいただけで……何もわるいことなんてしてないはずで……。

「男爵様から頼まれたから結婚はしたけど、お前も好きにしたらいいぞ。好きな男が出来たらそっちに行ってもいい。あ、だけど妊娠だけはしないように気を付けろよ? そうしたら命の保証は出来ないからな」

 そう言って夫は妾の女の肩を抱いてその場から去って行った。
 残されたビビは呆然とその場に膝をつく。

「エーミール様…………」

 愛しい人の名前を呼んだところで彼が助けに来てくれるわけじゃない。
 だって、冷静に考えれば私達は恋仲ですらないのだ。

「はは……馬鹿みたい……」

 止まっていた涙がまたとめどなく溢れ出す。

 “男爵家の庶子風情が、侯爵家と伯爵家の婚約を壊すとは何事ですか!”

 頭の中に男爵夫人の金切り声が響き渡る。

 そうだ、平民上がりの女が高位貴族の婚約を壊したのだ。
 彼を好きになり、欲しくなったという実に身勝手な理由で……。

「ごめんなさい…………」

 それは誰に向けての謝罪なのか。
 父親である男爵にか、それとも婚約を壊されたベロニカに向けてか、ビビ自身にも分からない。

 ただ一つだけ分かるのは、エーミールに近づきさえしなければ、こんなことにはならなかったということ。

 男爵はビビを他家との縁繋ぎのために引き取ったと言っていた。
 ビビの美貌であれば、まさか高位貴族をとは望まないにしても、そこそこの身分の令息が見初めてくれるのではないかと。

 なら、分相応な行動をとっていれば、今頃貴族夫人として優雅に暮らせていたのではないだろうか。

 どうして礼儀作法や勉強をきちんと学ばなかったのだろうと悔やんだ。
 男爵夫人が言うようにマナーをきちんと学んでおけば、あんな馬鹿な行動なんてとらなかったのに……。


 
 その後、ビビは生きるために婚家の仕事を手伝いながら日々を過ごした。

 最初、ここに来た頃のように悲劇のヒロインぶる真似はせず、真面目に労働に明け暮れる。

「ビビさん、孫に湯浴みをさせたいから、お湯を沸かしてくれる?」

「はい、ただいま」

 夫の母親義母は新しく産まれた孫に夢中だ。
 孫と言ってもビビが産んだ子ではなく、夫の妾が産んだ子。

 この家はこの新しい命を中心とした家族の絆が形成しつつあり、そこにビビは入っていない。

 赤子が笑うと皆が笑うが、その輪にビビは入れない。

(あの時、きちんと挨拶をしていれば……。無視なんてしなければ……今頃……)

 夫の家族は最初、ビビに妾の存在を隠し、きちんとビビを新妻として遇するつもりでいた。
 何日も前から部屋を整え、御馳走を用意し、都会から来た花嫁を温かく迎え入れるはずだったのだ。

 だが、ビビ自身がそんな心遣いを台無しにした。
 夫も夫の家族も無視し、己の身に起きた悲劇に酔いしれ、勝手に部屋に籠ったのだ。
 ビビの身に起きたことなんて、彼等には何の関係もないのに……。

 彼等はもうこの時点でビビを見限った。
 他人からの好意を踏みにじるような娘、家族として迎え入れるわけにはいかないと。
 田舎特有の排他的な思考も相まって、彼等はもうビビを単なる居候としてしか見ていない。

 そんな空気をビビも痛いほど肌で感じていた。
 だが、ここを出て生きてはいけない。だから疎外感があろうがここにいるしかない。

 何処か別の土地へ行こうにも行く術すらないのだ。
 馬車なんてないし、歩きで行こうものならたちまち獣に喰い殺されてしまう。

 男爵が夫に“監視は不要”と言ったのはそれを知っているからだろう。
 物理的に出ることが不可能なのだ。

 夫は別に好きな男が出来たらそっちに行っていい、と言ったがそんな相手は出来そうにもない。そもそも年齢が釣り合うような男なんていないのだ。

 いったいどこで人生の選択肢を間違えたのだろう……と、もう何度思ったことだろうか。

「もう一度やり直せるなら、二度と他人の婚約者になんて近づかないのに……」

 そうすれば幸せになれたのかな……。

 そんな何度目か分からない後悔をしつつ、ビビは他人の赤子のために湯を沸かすのだった。

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