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ランカ男爵の後悔③
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「ええ、そうですね。それ以外方法はありませんもの……。ビビは貴族ではなく平民に嫁がせた方がよいでしょう。貴族社会にこの子の存在があると、いつまで経っても噂が収まりませんので」
夫妻の言葉に蹲っていたビビはハッと我に返り、二人へと詰め寄った。
「そんな! 嫌です、お父様、お義母様! 私はエーミール様のことを……」
「ふざけたことをぬかさないで頂戴! お前が分不相応にも侯爵家の子息、しかも婚約者持ちの殿方に擦り寄ったせいでこんなことになっているのよ? お前は当家を危うい立場に追い込んだくせに謝ることもできないわけ!?」
「そ、そんな、ひどい……」
「まあ! そのすぐに被害者ぶるところ、お前の母親そっくり! ねえ、あなた?」
妻から触れられたくない話を振られ、男爵は思わず目を逸らしてしまった。
「その昔、あなたの愛人は何を血迷ったのかこの邸にいきなり押しかけたのよね? しかもわたくしが妊娠している時に! 涙を流しながら戯言をほざいていたわ。確か『旦那様が本当に愛しているのはアタシなんです!』だったかしら。ねえ、あなた?」
男爵は怖くて妻の顔もまともに見られない。
妻は愛人の女を今も深く恨んでいるのだ。
妊娠と出産の時の恨みは一生、と聞くがまさにその通り。
心身共に不安定な時期に、夫の愛人風情に煩わされたことを今も深く根に持っている。
「わたくしが追い返すと目に涙を浮かべて『ひどい、ひどい』と騒いでいた淫売の顔にそっくりだこと! ああ、嫌だ……薄汚い淫売の血がしっかりと受け継がれているわね?」
憎々し気にそう言い放つ妻の声に焦った男爵は、慌てて使用人にビビを部屋に閉じ込めるよう命じた。
すぐさま侍女がビビを羽交い絞めにし、引きずるように連れていく。
ビビの姿が見えなくなった後、男爵は媚びるような目で妻を見た。
「わ、わたしが愛しているのはお前だけだよ……。愛人なんてただの遊びじゃないか?」
白々しい男爵の言い分に、夫人はフンッと鼻で笑う。
「どうだか。あの子を引き取ったのも、愛人の女が忘れられないからではなくて?」
「いや、それは違う! 私がビビを引き取ったのは、見目がいいから名家の子息に見初められるかと思って……。いい家と縁繋ぎになればこの家にも利益があるから……」
「結果的には利益どころか大損でしかありませんでしたけどね?」
「うう……その通りだ。すまない、あんな娘を引き取るんじゃなかった……」
「全くですよ! わたくしは最初から反対したじゃありませんか? いくら見目がよくても馬鹿じゃ害にしかならないって!」
「馬鹿な方が可愛いかと思って……すまない」
「馬鹿なだけなら可愛いものですが、母親そっくりで慎みがないですわ。おまけに他人の伴侶を盗ろうとする卑しい泥棒根性が、いい結果を生み出すわけないじゃありませんか!」
「す、すまない……本当に」
「謝らなくて結構! そんな暇があるならこの件の対処を急いでくださいな! もちろんビビの嫁入り先も早急に決めてくださいませ。ああ、嫁入り先が見つからないといって修道院に行かせるのは止めてくださいましね?」
「え? 駄目なのか? 嫁入り先のない貴族令嬢が修道院に行くのはよくあるじゃないか?」
「修道院は監獄ではありません。割とすぐに脱走できてしまうのですよ。ビビの性格上、隙あらば脱走し、コンラッド侯爵令息に接触する未来が容易に想像できてしまいます。そうなれば……侯爵閣下によって当家がお取り潰しになるやもしれません。それでもいいのですか?」
「……ビビは辺境の地へ嫁に出そう。王都に戻ってこれないくらい遠くへと」
「あら、伝手はあるのですか?」
「ああ、取引先の下請けで林業を営んでいる家がある。そこの息子が嫁を探していると聞いたことがあるからな。そこに話を持っていこうと思う」
「では、数日中に話を纏めてくださいな。噂が社交界に出回るよりも前に嫁に出してしまいましょう。わたくしは嫁入り道具を準備しておきますので」
そう言うなりさっさとその場から離れてしまった妻の背中を、男爵は寂しそうに眺めていた。
「……旦那様、言っておきますが自業自得ですからね?」
家令がジト目を向けてくるのを男爵は直視できない。
逃げるように執務室に向かい、謝罪の手紙をしたため、詫びの品を見繕っていると外はもう真っ暗になっていた。
「はあ……何でこんなことに……。あんな娘を引き取るんじゃなかった。いや、むしろあんな女に手を出すんじゃなかった……」
過去の自分の所業を悔やみ、男爵は頭を抱えた。
見た目がよく、頭の悪い町娘に手を出した結果出来たのがビビだ。
貴族が平民に手を出すなんて大抵がお遊びでしかない。だがそれを理解していないビビの母親は、自分が本妻よりも愛されていると勝手に思い込み暴走した。
よりにもよって妊娠中の妻のもとへ突撃するなんて……。
その行為に引いた男爵はビビの母親を遠ざけ、二度と会わなかった。
そうして十数年経った頃にその女が亡くなったと聞かされ、残された娘の容姿が良かったので、政略結婚に使えると思ったがこのざまだ。
「馬鹿な女の方が可愛いと思ったのだが、害悪でしかなかったのだなあ……」
ビビは母親に加え、父親の物事を深く考えない性質も受け継いでしまったようだ。
だから婚約者持ちの高位貴族に擦り寄り、その婚約を壊すなんていうとんでもないことをやらかした。
後悔しても仕方ない、と男爵は気を持ち直し、ビビの嫁入り予定先へと書状をしたためるのであった。
夫妻の言葉に蹲っていたビビはハッと我に返り、二人へと詰め寄った。
「そんな! 嫌です、お父様、お義母様! 私はエーミール様のことを……」
「ふざけたことをぬかさないで頂戴! お前が分不相応にも侯爵家の子息、しかも婚約者持ちの殿方に擦り寄ったせいでこんなことになっているのよ? お前は当家を危うい立場に追い込んだくせに謝ることもできないわけ!?」
「そ、そんな、ひどい……」
「まあ! そのすぐに被害者ぶるところ、お前の母親そっくり! ねえ、あなた?」
妻から触れられたくない話を振られ、男爵は思わず目を逸らしてしまった。
「その昔、あなたの愛人は何を血迷ったのかこの邸にいきなり押しかけたのよね? しかもわたくしが妊娠している時に! 涙を流しながら戯言をほざいていたわ。確か『旦那様が本当に愛しているのはアタシなんです!』だったかしら。ねえ、あなた?」
男爵は怖くて妻の顔もまともに見られない。
妻は愛人の女を今も深く恨んでいるのだ。
妊娠と出産の時の恨みは一生、と聞くがまさにその通り。
心身共に不安定な時期に、夫の愛人風情に煩わされたことを今も深く根に持っている。
「わたくしが追い返すと目に涙を浮かべて『ひどい、ひどい』と騒いでいた淫売の顔にそっくりだこと! ああ、嫌だ……薄汚い淫売の血がしっかりと受け継がれているわね?」
憎々し気にそう言い放つ妻の声に焦った男爵は、慌てて使用人にビビを部屋に閉じ込めるよう命じた。
すぐさま侍女がビビを羽交い絞めにし、引きずるように連れていく。
ビビの姿が見えなくなった後、男爵は媚びるような目で妻を見た。
「わ、わたしが愛しているのはお前だけだよ……。愛人なんてただの遊びじゃないか?」
白々しい男爵の言い分に、夫人はフンッと鼻で笑う。
「どうだか。あの子を引き取ったのも、愛人の女が忘れられないからではなくて?」
「いや、それは違う! 私がビビを引き取ったのは、見目がいいから名家の子息に見初められるかと思って……。いい家と縁繋ぎになればこの家にも利益があるから……」
「結果的には利益どころか大損でしかありませんでしたけどね?」
「うう……その通りだ。すまない、あんな娘を引き取るんじゃなかった……」
「全くですよ! わたくしは最初から反対したじゃありませんか? いくら見目がよくても馬鹿じゃ害にしかならないって!」
「馬鹿な方が可愛いかと思って……すまない」
「馬鹿なだけなら可愛いものですが、母親そっくりで慎みがないですわ。おまけに他人の伴侶を盗ろうとする卑しい泥棒根性が、いい結果を生み出すわけないじゃありませんか!」
「す、すまない……本当に」
「謝らなくて結構! そんな暇があるならこの件の対処を急いでくださいな! もちろんビビの嫁入り先も早急に決めてくださいませ。ああ、嫁入り先が見つからないといって修道院に行かせるのは止めてくださいましね?」
「え? 駄目なのか? 嫁入り先のない貴族令嬢が修道院に行くのはよくあるじゃないか?」
「修道院は監獄ではありません。割とすぐに脱走できてしまうのですよ。ビビの性格上、隙あらば脱走し、コンラッド侯爵令息に接触する未来が容易に想像できてしまいます。そうなれば……侯爵閣下によって当家がお取り潰しになるやもしれません。それでもいいのですか?」
「……ビビは辺境の地へ嫁に出そう。王都に戻ってこれないくらい遠くへと」
「あら、伝手はあるのですか?」
「ああ、取引先の下請けで林業を営んでいる家がある。そこの息子が嫁を探していると聞いたことがあるからな。そこに話を持っていこうと思う」
「では、数日中に話を纏めてくださいな。噂が社交界に出回るよりも前に嫁に出してしまいましょう。わたくしは嫁入り道具を準備しておきますので」
そう言うなりさっさとその場から離れてしまった妻の背中を、男爵は寂しそうに眺めていた。
「……旦那様、言っておきますが自業自得ですからね?」
家令がジト目を向けてくるのを男爵は直視できない。
逃げるように執務室に向かい、謝罪の手紙をしたため、詫びの品を見繕っていると外はもう真っ暗になっていた。
「はあ……何でこんなことに……。あんな娘を引き取るんじゃなかった。いや、むしろあんな女に手を出すんじゃなかった……」
過去の自分の所業を悔やみ、男爵は頭を抱えた。
見た目がよく、頭の悪い町娘に手を出した結果出来たのがビビだ。
貴族が平民に手を出すなんて大抵がお遊びでしかない。だがそれを理解していないビビの母親は、自分が本妻よりも愛されていると勝手に思い込み暴走した。
よりにもよって妊娠中の妻のもとへ突撃するなんて……。
その行為に引いた男爵はビビの母親を遠ざけ、二度と会わなかった。
そうして十数年経った頃にその女が亡くなったと聞かされ、残された娘の容姿が良かったので、政略結婚に使えると思ったがこのざまだ。
「馬鹿な女の方が可愛いと思ったのだが、害悪でしかなかったのだなあ……」
ビビは母親に加え、父親の物事を深く考えない性質も受け継いでしまったようだ。
だから婚約者持ちの高位貴族に擦り寄り、その婚約を壊すなんていうとんでもないことをやらかした。
後悔しても仕方ない、と男爵は気を持ち直し、ビビの嫁入り予定先へと書状をしたためるのであった。
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