上 下
10 / 57

恋とはまるで病のよう

しおりを挟む
「あの小僧は何を考えているんだ!? いくらあちらの方が身分が上といえど……大切な娘を虚仮にしおって!!」

 予定より早い娘の帰宅。しかも送ってきたのは婚約者のエーミールではなく、その父親のコンラッド侯爵。
 
 何があったかを聞けば、説明されたのはエーミールの非常識極まりない行為。

 その場で怒り心頭になった伯爵だが、自分より身分が上である侯爵直々に頭を下げられてしまっては怒鳴り散らすなんて真似は出来ない。

 なので侯爵が帰った後、安心して怒りを再加熱させた。

「まあまあ旦那様、落ち着いてくださいませ。ベロニカが傷つけられたことは腹立たしいですが、これで非常識な男との縁が切れたのです。よかったじゃありませんか」

「よかっただと!? 最後の最後で我が娘をここまで愚弄した小僧を許せと言うのか?」

「その小僧との婚約を結んできたのは誰です? 家柄と身分に目が眩み、父親が誠実だから子息もそうだろうと勝手に判断したのはどなた?」

「う……そ、それは、私です……。ごめんなさい」

「理解してくださればよろしいです。ベロニカ、嫌な思いをしましたね」

 慈愛深く微笑む、女神の如く美しい人。
 彼女こそ一世代前の社交界を賑わせた美貌の淑女、ヴィクトリア伯爵夫人その人である。

「お母様……。はい、ご心配をおかけしました」

 尊敬する大好きな母。だけどベロニカは今はその顔を見るのが辛かった。

「ごめんなさい……。少々疲れてしまいましたの、休ませていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論よ。今宵はゆっくりと休みなさい。婚約破棄については全てこちらで済ませておくから、安心して頂戴」

 聡明で頼もしく、優しい自慢の母だ。
 あの方が好きになるのも当然だろう。
 分かってはいるが、受け入れられない。こうやって母を恋敵のように思うのも嫌だ。

「あの、お母様…………」

「ん? どうしたの?」

「いえ、その……お母様はお父様と夫婦になれて幸せですか?」

 娘から直球で投げられた質問に、夫妻は互いの顔を見合わせ赤面した。

 どうして今こんな質問を……と思ったが、きっと婚約者に無下に扱われて傷心だからそんなことを聞くのだろうと勝手に結論付ける。

 ややあって、夫人が一つ咳ばらいをした後答えた。

「もちろんですよ。旦那様は幼い頃よりわたくしを掌中の珠の如く大切にしてくださいますもの。こちらを尊重し、大切にしてくださる殿方と夫婦になれば、まず間違いなく幸福になれますよ。ベロニカ、貴女はわたくしたちの大切な娘。今度こそ貴女を幸せにしてくれるような殿方を探しますからね」

 何の迷いもなくそう答える母は、本当に幸せで、夫を心の底から愛しているのだろう。
 愛した人と添い遂げ、愛した人がずっと自分を大切にしてくれるなんて、奇跡に近い。

 自室に戻り、一人になると急に涙が溢れ出した。

「どうして婚約者の父親に……こんな想いを……」
 
 この想いは間違いなく“恋”だ。
 甘くてせつなくて苦しいのに、その人のことを考えるだけで胸に多幸感が満ちる。

 婚約者の父親に恋をするなんて有り得ない。
 諦めなければいけないことが前提の恋なんて、不毛でしかない。

 時も、立場も、状況さえも関係なく落ちるのならば、恋とはまるで病のよう。

 胸が苦しい。エーミールに蔑ろにされた時とは比べ物にならないくらい。

 その日ベロニカは一晩中泣き続け、翌日腫れた目を両親にひどく心配された。
 両親は夜会でエーミールが非常識な行いをしたことが原因だと思っているが、それは違う。

 恋をしてはいけない相手に、人生で初の恋をした。
 そんな自分が嫌になる。消えない想いは心を蝕み、侯爵のことばかりが頭を占める。

「侯爵閣下…………」

 部屋で一人になると、彼に貰った毛皮のストールを抱きしめ物思いに耽るようになった。
 あの人が自分の為を思って用意してくれた物は、まるであの人自身のように愛しくて仕方ない。

 エーミールとの婚約破棄はベロニカ自身が望んだこと。
 それ自体には何の未練もない。
 だが、あの人にもこれから先二度と会えなくなることだけが辛い。

 そんな出口のない想いがぐるぐると巡っていたある日、ヴィクトリア伯爵家に招かれざる客人がやってきた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

貴方の子どもじゃありません

初瀬 叶
恋愛
あぁ……どうしてこんなことになってしまったんだろう。 私は眠っている男性を起こさない様に、そっと寝台を降りた。 私が着ていたお仕着せは、乱暴に脱がされたせいでボタンは千切れ、エプロンも破れていた。 私は仕方なくそのお仕着せに袖を通すと、止められなくなったシャツの前を握りしめる様にした。 そして、部屋の扉にそっと手を掛ける。 ドアノブは回る。いつの間にか 鍵は開いていたみたいだ。 私は最後に後ろを振り返った。そこには裸で眠っている男性の胸が上下している事が確認出来る。深い眠りについている様だ。 外はまだ夜中。月明かりだけが差し込むこの部屋は薄暗い。男性の顔ははっきりとは確認出来なかった。 ※ 私の頭の中の異世界のお話です ※相変わらずのゆるゆるふわふわ設定です。ご了承下さい ※直接的な性描写等はありませんが、その行為を匂わせる言葉を使う場合があります。苦手な方はそっと閉じて下さると、自衛になるかと思います ※誤字脱字がちりばめられている可能性を否定出来ません。広い心で読んでいただけるとありがたいです

冷遇された王妃は自由を望む

空橋彩
恋愛
父を亡くした幼き王子クランに頼まれて王妃として召し上げられたオーラリア。 流行病と戦い、王に、国民に尽くしてきた。 異世界から現れた聖女のおかげで流行病は終息に向かい、王宮に戻ってきてみれば、納得していない者たちから軽んじられ、冷遇された。 夫であるクランは表情があまり変わらず、女性に対してもあまり興味を示さなかった。厳しい所もあり、臣下からは『氷の貴公子』と呼ばれているほどに冷たいところがあった。 そんな彼が聖女を大切にしているようで、オーラリアの待遇がどんどん悪くなっていった。 自分の人生よりも、クランを優先していたオーラリアはある日気づいてしまった。 [もう、彼に私は必要ないんだ]と 数人の信頼できる仲間たちと協力しあい、『離婚』して、自分の人生を取り戻そうとするお話。 貴族設定、病気の治療設定など出てきますが全てフィクションです。私の世界ではこうなのだな、という方向でお楽しみいただけたらと思います。

目を覚ました気弱な彼女は腹黒令嬢になり復讐する

音爽(ネソウ)
恋愛
家族と婚約者に虐げられてきた伯爵令嬢ジーン・ベンスは日々のストレスが重なり、高熱を出して寝込んだ。彼女は悪夢にうなされ続けた、夢の中でまで冷遇される理不尽さに激怒する。そして、目覚めた時彼女は気弱な自分を払拭して復讐に燃えるのだった。

妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。 しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。 それを指示したのは、妹であるエライザであった。 姉が幸せになることを憎んだのだ。 容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、 顔が醜いことから蔑まされてきた自分。 やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。 しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。 幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。 もう二度と死なない。 そう、心に決めて。

悪役令嬢の残した毒が回る時

水月 潮
恋愛
その日、一人の公爵令嬢が処刑された。 処刑されたのはエレオノール・ブロワ公爵令嬢。 彼女はシモン王太子殿下の婚約者だ。 エレオノールの処刑後、様々なものが動き出す。 ※設定は緩いです。物語として見て下さい ※ストーリー上、処刑が出てくるので苦手な方は閲覧注意 (血飛沫や身体切断などの残虐な描写は一切なしです) ※ストーリーの矛盾点が発生するかもしれませんが、多めに見て下さい *HOTランキング4位(2021.9.13) 読んで下さった方ありがとうございます(*´ ˘ `*)♡

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私が妊娠している時に浮気ですって!? 旦那様ご覚悟宜しいですか?

ラキレスト
恋愛
 わたくしはシャーロット・サンチェス。ベネット王国の公爵令嬢で次期女公爵でございます。  旦那様とはお互いの祖父の口約束から始まり現実となった婚約で結婚致しました。結婚生活も順調に進んでわたくしは子宝にも恵まれ旦那様との子を身籠りました。  しかし、わたくしの出産が間近となった時それは起こりました……。  突然公爵邸にやってきた男爵令嬢によって告げられた事。 「私のお腹の中にはスティーブ様との子が居るんですぅ! だからスティーブ様と別れてここから出て行ってください!」  へえぇ〜、旦那様? わたくしが妊娠している時に浮気ですか? それならご覚悟は宜しいでしょうか? ※本編は完結済みです。

処理中です...