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恋とはまるで病のよう
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「あの小僧は何を考えているんだ!? いくらあちらの方が身分が上といえど……大切な娘を虚仮にしおって!!」
予定より早い娘の帰宅。しかも送ってきたのは婚約者のエーミールではなく、その父親のコンラッド侯爵。
何があったかを聞けば、説明されたのはエーミールの非常識極まりない行為。
その場で怒り心頭になった伯爵だが、自分より身分が上である侯爵直々に頭を下げられてしまっては怒鳴り散らすなんて真似は出来ない。
なので侯爵が帰った後、安心して怒りを再加熱させた。
「まあまあ旦那様、落ち着いてくださいませ。ベロニカが傷つけられたことは腹立たしいですが、これで非常識な男との縁が切れたのです。よかったじゃありませんか」
「よかっただと!? 最後の最後で我が娘をここまで愚弄した小僧を許せと言うのか?」
「その小僧との婚約を結んできたのは誰です? 家柄と身分に目が眩み、父親が誠実だから子息もそうだろうと勝手に判断したのはどなた?」
「う……そ、それは、私です……。ごめんなさい」
「理解してくださればよろしいです。ベロニカ、嫌な思いをしましたね」
慈愛深く微笑む、女神の如く美しい人。
彼女こそ一世代前の社交界を賑わせた美貌の淑女、ヴィクトリア伯爵夫人その人である。
「お母様……。はい、ご心配をおかけしました」
尊敬する大好きな母。だけどベロニカは今はその顔を見るのが辛かった。
「ごめんなさい……。少々疲れてしまいましたの、休ませていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論よ。今宵はゆっくりと休みなさい。婚約破棄については全てこちらで済ませておくから、安心して頂戴」
聡明で頼もしく、優しい自慢の母だ。
あの方が好きになるのも当然だろう。
分かってはいるが、受け入れられない。こうやって母を恋敵のように思うのも嫌だ。
「あの、お母様…………」
「ん? どうしたの?」
「いえ、その……お母様はお父様と夫婦になれて幸せですか?」
娘から直球で投げられた質問に、夫妻は互いの顔を見合わせ赤面した。
どうして今こんな質問を……と思ったが、きっと婚約者に無下に扱われて傷心だからそんなことを聞くのだろうと勝手に結論付ける。
ややあって、夫人が一つ咳ばらいをした後答えた。
「もちろんですよ。旦那様は幼い頃よりわたくしを掌中の珠の如く大切にしてくださいますもの。こちらを尊重し、大切にしてくださる殿方と夫婦になれば、まず間違いなく幸福になれますよ。ベロニカ、貴女はわたくしたちの大切な娘。今度こそ貴女を幸せにしてくれるような殿方を探しますからね」
何の迷いもなくそう答える母は、本当に幸せで、夫を心の底から愛しているのだろう。
愛した人と添い遂げ、愛した人がずっと自分を大切にしてくれるなんて、奇跡に近い。
自室に戻り、一人になると急に涙が溢れ出した。
「どうして婚約者の父親に……こんな想いを……」
この想いは間違いなく“恋”だ。
甘くてせつなくて苦しいのに、その人のことを考えるだけで胸に多幸感が満ちる。
婚約者の父親に恋をするなんて有り得ない。
諦めなければいけないことが前提の恋なんて、不毛でしかない。
時も、立場も、状況さえも関係なく落ちるのならば、恋とはまるで病のよう。
胸が苦しい。エーミールに蔑ろにされた時とは比べ物にならないくらい。
その日ベロニカは一晩中泣き続け、翌日腫れた目を両親にひどく心配された。
両親は夜会でエーミールが非常識な行いをしたことが原因だと思っているが、それは違う。
恋をしてはいけない相手に、人生で初の恋をした。
そんな自分が嫌になる。消えない想いは心を蝕み、侯爵のことばかりが頭を占める。
「侯爵閣下…………」
部屋で一人になると、彼に貰った毛皮のストールを抱きしめ物思いに耽るようになった。
あの人が自分の為を思って用意してくれた物は、まるであの人自身のように愛しくて仕方ない。
エーミールとの婚約破棄はベロニカ自身が望んだこと。
それ自体には何の未練もない。
だが、あの人にもこれから先二度と会えなくなることだけが辛い。
そんな出口のない想いがぐるぐると巡っていたある日、ヴィクトリア伯爵家に招かれざる客人がやってきた。
予定より早い娘の帰宅。しかも送ってきたのは婚約者のエーミールではなく、その父親のコンラッド侯爵。
何があったかを聞けば、説明されたのはエーミールの非常識極まりない行為。
その場で怒り心頭になった伯爵だが、自分より身分が上である侯爵直々に頭を下げられてしまっては怒鳴り散らすなんて真似は出来ない。
なので侯爵が帰った後、安心して怒りを再加熱させた。
「まあまあ旦那様、落ち着いてくださいませ。ベロニカが傷つけられたことは腹立たしいですが、これで非常識な男との縁が切れたのです。よかったじゃありませんか」
「よかっただと!? 最後の最後で我が娘をここまで愚弄した小僧を許せと言うのか?」
「その小僧との婚約を結んできたのは誰です? 家柄と身分に目が眩み、父親が誠実だから子息もそうだろうと勝手に判断したのはどなた?」
「う……そ、それは、私です……。ごめんなさい」
「理解してくださればよろしいです。ベロニカ、嫌な思いをしましたね」
慈愛深く微笑む、女神の如く美しい人。
彼女こそ一世代前の社交界を賑わせた美貌の淑女、ヴィクトリア伯爵夫人その人である。
「お母様……。はい、ご心配をおかけしました」
尊敬する大好きな母。だけどベロニカは今はその顔を見るのが辛かった。
「ごめんなさい……。少々疲れてしまいましたの、休ませていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論よ。今宵はゆっくりと休みなさい。婚約破棄については全てこちらで済ませておくから、安心して頂戴」
聡明で頼もしく、優しい自慢の母だ。
あの方が好きになるのも当然だろう。
分かってはいるが、受け入れられない。こうやって母を恋敵のように思うのも嫌だ。
「あの、お母様…………」
「ん? どうしたの?」
「いえ、その……お母様はお父様と夫婦になれて幸せですか?」
娘から直球で投げられた質問に、夫妻は互いの顔を見合わせ赤面した。
どうして今こんな質問を……と思ったが、きっと婚約者に無下に扱われて傷心だからそんなことを聞くのだろうと勝手に結論付ける。
ややあって、夫人が一つ咳ばらいをした後答えた。
「もちろんですよ。旦那様は幼い頃よりわたくしを掌中の珠の如く大切にしてくださいますもの。こちらを尊重し、大切にしてくださる殿方と夫婦になれば、まず間違いなく幸福になれますよ。ベロニカ、貴女はわたくしたちの大切な娘。今度こそ貴女を幸せにしてくれるような殿方を探しますからね」
何の迷いもなくそう答える母は、本当に幸せで、夫を心の底から愛しているのだろう。
愛した人と添い遂げ、愛した人がずっと自分を大切にしてくれるなんて、奇跡に近い。
自室に戻り、一人になると急に涙が溢れ出した。
「どうして婚約者の父親に……こんな想いを……」
この想いは間違いなく“恋”だ。
甘くてせつなくて苦しいのに、その人のことを考えるだけで胸に多幸感が満ちる。
婚約者の父親に恋をするなんて有り得ない。
諦めなければいけないことが前提の恋なんて、不毛でしかない。
時も、立場も、状況さえも関係なく落ちるのならば、恋とはまるで病のよう。
胸が苦しい。エーミールに蔑ろにされた時とは比べ物にならないくらい。
その日ベロニカは一晩中泣き続け、翌日腫れた目を両親にひどく心配された。
両親は夜会でエーミールが非常識な行いをしたことが原因だと思っているが、それは違う。
恋をしてはいけない相手に、人生で初の恋をした。
そんな自分が嫌になる。消えない想いは心を蝕み、侯爵のことばかりが頭を占める。
「侯爵閣下…………」
部屋で一人になると、彼に貰った毛皮のストールを抱きしめ物思いに耽るようになった。
あの人が自分の為を思って用意してくれた物は、まるであの人自身のように愛しくて仕方ない。
エーミールとの婚約破棄はベロニカ自身が望んだこと。
それ自体には何の未練もない。
だが、あの人にもこれから先二度と会えなくなることだけが辛い。
そんな出口のない想いがぐるぐると巡っていたある日、ヴィクトリア伯爵家に招かれざる客人がやってきた。
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