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元王太子の後悔③
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それからもビクトリアは複数の男との逢瀬を繰り返した。
皆見目が良く、金もある男ばかりだ。彼等に愛されビクトリアは更にその美貌を増してゆく。
彼女が美しくあることを望んだのは誰でもないこの私なのに、それが別の男の手によって磨かれているのかと思うとちっとも嬉しくない。
「ビクトリア、お願いだ……他の男と会うのはもう止めてくれ! 君が私以外の男に触れられると思うともう耐えられない……!」
外見は美しくとも他の男の手垢に塗れているのかと思うと触れるのすら躊躇われる。
閨だってもう随分と共にしていないし、抱き締めることすら厭うてしまう。
「レイ……またその話? 貴方が望むように、わたくしは美しいままでいるのに、何が不満なのよ?」
「確かに君は綺麗だよ! でもそれが私以外の男の手によって成されているのかと思うと辛くてたまらないんだ!」
私の心からの訴えにビクトリアはため息をつき、呆れた視線を向けた。
それはまるで聞き分けのない幼子に向けるかのような眼差しだ。
「はあ……。あのね、貴方の財力ではわたくしの美貌を保つことは出来ないでしょう? この家の資産では生活するのが精一杯で、ドレスや宝飾品なんて買ったら破産、そうでしょう? わたくしが彼等と離れれば、わたくしはまたあの頃のようにみすぼらしい姿になってしまうわ。だけど貴方はそんなわたくしを愛せない、そうでしょう?」
「えっ……? あ、いや……それは…………」
ここですぐに「そんなことない」と返答すればよかったのに、うっかり口ごもってしまった。
確かに以前ケンリッジ公爵家が困窮した際のビクトリアのみすぼらしい姿に辟易したものだが……。
まさかその時の私の心情を知られていたのだろうか……?
「いいのよ、レイ。わたくしも美しくない自分に価値はないと思っているの。だから自身の価値を高めるためにこうやって肌や髪を磨き、上等な衣装で着飾るのよ。わたくし、貴方との約束はきちんと守っているでしょう? 美しい姿のままでいるという約束を。なのに後から文句を言うのは違うのではなくて?」
「え……!? それは……でも、このままじゃ夫婦として成り立たないだろう? 私は君に他の男の手垢がつくのは嫌なんだよ。お願いだ、私を愛しているなら言うことを聞いてくれ……!」
ビクトリアが私を愛しているなら私の懇願を聞くはずだ。
きっと「分かったわレイ」と頷いてくれる。
そう期待した私に向けられたのは、彼女のひどく冷たい眼差しだった。
「嫌よ。わたくし、貴方と違って甘やかしてお姫様扱いしてくれる彼等の方に愛を感じるもの。ねえレイ、そもそもどうして貴方はわたくしにばかり理想を押し付けるの?」
「はっ……? え? な……どういう意味で……」
夫である私よりも愛人の方に愛を感じるだって?
それに私がビクトリアに理想を押し付けている……?
どういうことだ……?
「貴方の理想は『美しくあり続け、一途に夫を愛す妻』なのよね? でもそれはある程度のお金がなければ成り立たないわよ。だって貴方の言う“美しさ”は外見のことなのでしょう? 貴族夫人の外見を美しく保つためにはお金が必要なのは分かるわよね? でも貴方の財力じゃそれは保てないの。なら仕方ないでしょう?」
「い、いや……それは……工夫とかすれば……」
「工夫? 工夫って何? どんな?」
「ええっと……それは……。あ、ほら! 薬草で手製の化粧品を作るとか、ドレスを手縫いするとかして……」
子供の頃読んだ本で主人公が薬草から色んな薬や化粧品を作っていた。
それに貴婦人は刺繍が得意と聞くし、だったらドレスも作れるだろう?
「それ本気で言ってる? 何の知識もない素人が薬草から何かを作ろうとしても逆に肌が荒れるし、最悪は毒にもなるのよ? それにいくら刺繍の腕があってもドレスなんて作れるわけないしょう?」
「そうなのか……? でも、物語ではそうやって……」
「…………もう子供じゃないんだから、空想と現実の区別はつけた方がいいわよ。貴方の理想の妻は現実のこの状況じゃ成り立たないの。それは理解しなければダメよ。そしてわたくしの理想は“わたくしをお姫様扱いしてくれる男性”なの! 貴方はわたくしの理想に当てはまらないじゃない? なら貴方も自分の理想ばかりを押し付けないで!」
ビクトリアの言葉にショックを受け、私はその場で膝から崩れ落ちた。
理想を押し付ける……? 私は妻に自分の理想を押し付けていたのか?
「さっき貴方は自分を愛しているなら言うことを聞け、と言ったわよね? なら貴方もわたくしを愛しているならわたくしの言うことを聞いてちょうだい。わたくしは甘やかしてくれる彼等と過ごす方が好きなの、貴方と過ごすよりもね」
「そんな……私は君の夫なのに……愛人の方がいいって言うのか!?」
「ええ、そうよ。大抵の女は甘やかしてくれる男性の方がいいに決まってるじゃない? 貴方は結婚してからちっともわたくしを甘やかしてくれないし、つまらないのよ」
つまらないだと!?
なんてことだ……夫と他の男を比べるなんて最低じゃないか!
もうこんな女とは離婚だ!
「もういい! 離婚だ! この邸から出て行ってくれ!」
「離婚? 何を言ってるのレイ、陛下から離婚は認めないと言われているじゃない。忘れたの?」
「あっ………………」
そうだった。父上からビクトリアと婚姻する際に『離婚は認めない』と言われていたんだ……。
「まあ……領地から出ることは許されていないけど、この邸から出ることは何も言われていないから構わないわよ。 じゃあね、レイ」
そう告げるとビクトリアはあっさりとこの邸から出ていってしまった。
一人残された私は茫然と妻の出て行った扉をただ見つめ続けるしかなかった……。
*
あれから私は邸で一人ただ執務をこなすだけの毎日を送っている。
ビクトリアはというと、街で家を購入し、そこで毎日のように違う男を連れ込む生活をしているらしい。
離婚はできないので、いまだ彼女の身分は“伯爵夫人”のままだ。
だがそれがいいと彼女は領地の男から絶大な人気を誇っている。
領主の妻を寝取るという背徳な行為に酔いしれる男は多く、元公爵令嬢で王太子の婚約者だったという高貴な身分がますます彼女の価値を高めている。
もうビクトリアは私のことなど愛していないのだろう。
その証拠に手紙を送っても返事がこないし、会いに行っても門前払いだ。
「どうしてこんなことになったのだろう……。どこで? どこで私は間違えた……?」
そう問いかけても誰も答えてはくれない。
なのに私は日に何度もそう自問自答することを止められない。
ただビクトリアと仲睦まじく暮らしたかっただけなのに。
愛に溢れた生活を送り、幸せになりたかっただけなのに……。
「だがもう……ビクトリアを愛しいとは思えない……。あんな他の男に易々と体を許す女だったなんて……」
ふと机の端にある大衆紙の一面が目に入る。
そこには私が手放した女性が麗しい笑みを浮かべていた。
「はは……。なんだ……ビクトリアとは比べものにならないくらい綺麗じゃないか……」
記事の見出しは『才色兼備の皇太子妃』と書かれ、私が自ら手放した元婚約者のブリジットの姿が華々しく映っていた。
清楚で可憐な美貌は神秘性すら感じさせ、私は己が手放したものが如何に価値があるかを痛感した。
私がブリジットの気持ちに寄り添っていれば、彼女は私の元から離れていかずに傍で支え続けてくれただろう。
そして他の男に余所見などせず、一途に愛してくれただろう。
そして……私は王太子のままでいられただろう。
輝かしい未来と最高の女性を自らの手で捨ててしまったことに後悔が募る。
「私はどうして……あんな女とブリジットを比べてしまったのだろうな……」
複数の男に体を許す娼婦のような女と気高く貞淑な淑女、どちらが優れているかなんて比べなくても分かる。
「くっ……ううっ……うっ……」
後悔してももう遅いのに、私は溢れ出る涙をただそのまま流し続けた―――。
(了)
皆見目が良く、金もある男ばかりだ。彼等に愛されビクトリアは更にその美貌を増してゆく。
彼女が美しくあることを望んだのは誰でもないこの私なのに、それが別の男の手によって磨かれているのかと思うとちっとも嬉しくない。
「ビクトリア、お願いだ……他の男と会うのはもう止めてくれ! 君が私以外の男に触れられると思うともう耐えられない……!」
外見は美しくとも他の男の手垢に塗れているのかと思うと触れるのすら躊躇われる。
閨だってもう随分と共にしていないし、抱き締めることすら厭うてしまう。
「レイ……またその話? 貴方が望むように、わたくしは美しいままでいるのに、何が不満なのよ?」
「確かに君は綺麗だよ! でもそれが私以外の男の手によって成されているのかと思うと辛くてたまらないんだ!」
私の心からの訴えにビクトリアはため息をつき、呆れた視線を向けた。
それはまるで聞き分けのない幼子に向けるかのような眼差しだ。
「はあ……。あのね、貴方の財力ではわたくしの美貌を保つことは出来ないでしょう? この家の資産では生活するのが精一杯で、ドレスや宝飾品なんて買ったら破産、そうでしょう? わたくしが彼等と離れれば、わたくしはまたあの頃のようにみすぼらしい姿になってしまうわ。だけど貴方はそんなわたくしを愛せない、そうでしょう?」
「えっ……? あ、いや……それは…………」
ここですぐに「そんなことない」と返答すればよかったのに、うっかり口ごもってしまった。
確かに以前ケンリッジ公爵家が困窮した際のビクトリアのみすぼらしい姿に辟易したものだが……。
まさかその時の私の心情を知られていたのだろうか……?
「いいのよ、レイ。わたくしも美しくない自分に価値はないと思っているの。だから自身の価値を高めるためにこうやって肌や髪を磨き、上等な衣装で着飾るのよ。わたくし、貴方との約束はきちんと守っているでしょう? 美しい姿のままでいるという約束を。なのに後から文句を言うのは違うのではなくて?」
「え……!? それは……でも、このままじゃ夫婦として成り立たないだろう? 私は君に他の男の手垢がつくのは嫌なんだよ。お願いだ、私を愛しているなら言うことを聞いてくれ……!」
ビクトリアが私を愛しているなら私の懇願を聞くはずだ。
きっと「分かったわレイ」と頷いてくれる。
そう期待した私に向けられたのは、彼女のひどく冷たい眼差しだった。
「嫌よ。わたくし、貴方と違って甘やかしてお姫様扱いしてくれる彼等の方に愛を感じるもの。ねえレイ、そもそもどうして貴方はわたくしにばかり理想を押し付けるの?」
「はっ……? え? な……どういう意味で……」
夫である私よりも愛人の方に愛を感じるだって?
それに私がビクトリアに理想を押し付けている……?
どういうことだ……?
「貴方の理想は『美しくあり続け、一途に夫を愛す妻』なのよね? でもそれはある程度のお金がなければ成り立たないわよ。だって貴方の言う“美しさ”は外見のことなのでしょう? 貴族夫人の外見を美しく保つためにはお金が必要なのは分かるわよね? でも貴方の財力じゃそれは保てないの。なら仕方ないでしょう?」
「い、いや……それは……工夫とかすれば……」
「工夫? 工夫って何? どんな?」
「ええっと……それは……。あ、ほら! 薬草で手製の化粧品を作るとか、ドレスを手縫いするとかして……」
子供の頃読んだ本で主人公が薬草から色んな薬や化粧品を作っていた。
それに貴婦人は刺繍が得意と聞くし、だったらドレスも作れるだろう?
「それ本気で言ってる? 何の知識もない素人が薬草から何かを作ろうとしても逆に肌が荒れるし、最悪は毒にもなるのよ? それにいくら刺繍の腕があってもドレスなんて作れるわけないしょう?」
「そうなのか……? でも、物語ではそうやって……」
「…………もう子供じゃないんだから、空想と現実の区別はつけた方がいいわよ。貴方の理想の妻は現実のこの状況じゃ成り立たないの。それは理解しなければダメよ。そしてわたくしの理想は“わたくしをお姫様扱いしてくれる男性”なの! 貴方はわたくしの理想に当てはまらないじゃない? なら貴方も自分の理想ばかりを押し付けないで!」
ビクトリアの言葉にショックを受け、私はその場で膝から崩れ落ちた。
理想を押し付ける……? 私は妻に自分の理想を押し付けていたのか?
「さっき貴方は自分を愛しているなら言うことを聞け、と言ったわよね? なら貴方もわたくしを愛しているならわたくしの言うことを聞いてちょうだい。わたくしは甘やかしてくれる彼等と過ごす方が好きなの、貴方と過ごすよりもね」
「そんな……私は君の夫なのに……愛人の方がいいって言うのか!?」
「ええ、そうよ。大抵の女は甘やかしてくれる男性の方がいいに決まってるじゃない? 貴方は結婚してからちっともわたくしを甘やかしてくれないし、つまらないのよ」
つまらないだと!?
なんてことだ……夫と他の男を比べるなんて最低じゃないか!
もうこんな女とは離婚だ!
「もういい! 離婚だ! この邸から出て行ってくれ!」
「離婚? 何を言ってるのレイ、陛下から離婚は認めないと言われているじゃない。忘れたの?」
「あっ………………」
そうだった。父上からビクトリアと婚姻する際に『離婚は認めない』と言われていたんだ……。
「まあ……領地から出ることは許されていないけど、この邸から出ることは何も言われていないから構わないわよ。 じゃあね、レイ」
そう告げるとビクトリアはあっさりとこの邸から出ていってしまった。
一人残された私は茫然と妻の出て行った扉をただ見つめ続けるしかなかった……。
*
あれから私は邸で一人ただ執務をこなすだけの毎日を送っている。
ビクトリアはというと、街で家を購入し、そこで毎日のように違う男を連れ込む生活をしているらしい。
離婚はできないので、いまだ彼女の身分は“伯爵夫人”のままだ。
だがそれがいいと彼女は領地の男から絶大な人気を誇っている。
領主の妻を寝取るという背徳な行為に酔いしれる男は多く、元公爵令嬢で王太子の婚約者だったという高貴な身分がますます彼女の価値を高めている。
もうビクトリアは私のことなど愛していないのだろう。
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「どうしてこんなことになったのだろう……。どこで? どこで私は間違えた……?」
そう問いかけても誰も答えてはくれない。
なのに私は日に何度もそう自問自答することを止められない。
ただビクトリアと仲睦まじく暮らしたかっただけなのに。
愛に溢れた生活を送り、幸せになりたかっただけなのに……。
「だがもう……ビクトリアを愛しいとは思えない……。あんな他の男に易々と体を許す女だったなんて……」
ふと机の端にある大衆紙の一面が目に入る。
そこには私が手放した女性が麗しい笑みを浮かべていた。
「はは……。なんだ……ビクトリアとは比べものにならないくらい綺麗じゃないか……」
記事の見出しは『才色兼備の皇太子妃』と書かれ、私が自ら手放した元婚約者のブリジットの姿が華々しく映っていた。
清楚で可憐な美貌は神秘性すら感じさせ、私は己が手放したものが如何に価値があるかを痛感した。
私がブリジットの気持ちに寄り添っていれば、彼女は私の元から離れていかずに傍で支え続けてくれただろう。
そして他の男に余所見などせず、一途に愛してくれただろう。
そして……私は王太子のままでいられただろう。
輝かしい未来と最高の女性を自らの手で捨ててしまったことに後悔が募る。
「私はどうして……あんな女とブリジットを比べてしまったのだろうな……」
複数の男に体を許す娼婦のような女と気高く貞淑な淑女、どちらが優れているかなんて比べなくても分かる。
「くっ……ううっ……うっ……」
後悔してももう遅いのに、私は溢れ出る涙をただそのまま流し続けた―――。
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