Ambivalent

ユージーン

文字の大きさ
上 下
11 / 163
First Step

10. 欠け落ちる音

しおりを挟む



 黒い銃口が向いている。そこから出てくるモノを植え付けられれば死ぬ。頭が弾け飛ぶか、心臓を貫くか、それとも出血多量で死ぬか。道筋は違えど、結果は同じだ。弾丸とはそういうものだ。誰の命も平等に奪う。人であろうと吸血鬼だろうと動物であろうと変わりはしない。

 警察官の吸血鬼が向けた銃を、あんじゅは目を開いて見つめていた。あと一つの動作で人生が終わる。どこか遠くの出来事のように思えたが、それが事実だった。

「あっ……」

 途端に現状を認識して恐怖の念が生まれた。生まれた恐怖は分厚い皮を食い破って、必死に抑え隠していた中身を引きずり出す。泣き叫ぶか、命乞いをするか、震えるか。恐怖があんじゅの心の中から引きずり出したのは震えと恐れだった。

 無意識に銃口から遠のこうとするものの、射程距離にはすでに入りこんでいる。どれだけ足が早かろうと、弾丸より早く動くことなど不可能だ。

 あんじゅは目を瞑る。それが覚悟を決めた瞬間だった。

「おい待て、ストップだ。やめろ」

 あんじゅの死に待ったがかかる。声をかけたのは意外なことに、あの白人の吸血鬼だった。

「そいつは売る。確か……捜査官を買いたいってやつがいた。その吸血鬼はロシアかインドだったかな。覚えてねえが拷問用のサンドバッグを欲しがってたよ」
「じゃあ……どうする?」
「コンテナに連れてけ。他の女と同じように詰めこんどけ。おい、偽装用の荷物は積めよ! コンテナが最後だ! この前みたいに間違えたバカは海に捨ててくぞ」

 警察官の吸血鬼が乱暴にあんじゅを押す。拷問用の商品として切り替わったためか、雑に扱われても白人の吸血鬼はさっきみたいに怒りはしない。

 奇跡か悪戯か、あんじゅの寿命は伸ばされた。だが、この先のことを考えれば、今撃たれた方がよかったのかもしれない。

(ダメだ。まだ諦めちゃ)

 ネガティヴな感情にあんじゅは首を振った。きっと、助けが来るはず。その時が来るまでは、希望を持ち続けなければ。


 ○


『れ、レインボーブリッジ……五分前に通過した』

 真樹夫にそう言われてから京はようやくお台場の橋にたどり着いた。車はほとんどおらず、疾走するには絶好のシチュエーションだった。

「京くんずるーい! 今だけでも運転させてよぉー。車いないじゃん!」
「断わる」
「ぬぅ……五円あげるからぁ」

 駄々こねる梨々香を無視して、京はメンバーと連絡を取る。

「室積さん、どのくらいで着きますか?」
『三十分は過ぎる。そこから一番近いのは早見はやみ隊だ。正確な場所が分かれば、俺たちより先に早見の部隊が着く』
「急いでください」

 室積との連絡を終える。三十分以上。それに間に合わなれば、あんじゅは二度とこの国の地面を踏むことができなくなる。

 現時点で一番近い場所に居て、柔軟に移動できるのは京くらいだった。正確な位置が不明なため近くにいる早見隊は確信が持てるまで動けないらしい。

「真樹夫、どうだ?」
『えっと、い、いたっ……第七倉庫。パトカーと、ふ、船もある……』
「向こうの状況は?」
『えっと……コンテナを運んでる……しゅ、出航しちゃうかも』

 悠長な時間はない。海に出る前には捕えなければ。

 レインボーブリッジを降り、倉庫の密集しているエリアに向かう。薄暗く、人の通りはほとんどないエリアだ。なにかを行うにはうってつけの場所である。

 一隻のばら積み貨物船が見えた。積荷作業をしているが、今は深夜で、他のエリアには人は居ない。静まり返った倉庫街で、唯一その場所だけは積荷の運搬に忙しそうにしている。

「第七倉庫、目視で確認」
『了解。確認を取ったが、今夜はそこで出航する大型船はない。早見の部隊に連絡する。お前たちは待機してろ』
「早見ってとこの応援が着くのはあとどれくらいなんですか?」
『十分ほどだ』

 京は自分の中で予想をたてる。間に合うかは微妙なところだった。すでに積荷は少ない、じきに出航してしまうだろう。

「間に合いません。もうすぐ陸を離れますよ」
『柚村、こっちも急いでる。早まった真似するな。ラザロをここで生け捕りにして捕まえれば、芋づる式に大勢の吸血鬼の所在がわかるんだ。そのまま待機してろ』
「霧峰はどうなるんですか? 間に合わなかったら、あいつは終わりだ」
『待機してろ。いいな』

 そう言って、室積に無線を切られた。

 胸の中で舌打ちをして、京はもう一度船着場を遠目で監視する。積荷の搬入はもう終わりに差し掛かっていた。あとは、赤いコンテナが一つだけ。フォークリフトを待つように佇んでいる。不思議なことに、そのコンテナだけは、運ばれた他の積荷とは別に数名の見張りが立っていた。

 京は車を移動させる。ちょうど正面、地平線を目指せば第七倉庫だ。フェンスは閉まっていて、おそらく外には十名ほど、中に居る吸血鬼も、多く見積もって十名前後だろう。

 潜入してジワジワと追い込むのも策だ。だが、どうせなら足止めは有効な方がいい。目立つものがあれば、応援も発見しやすいはずだ。

 以上を踏まえたうえで頭の隅にアイデアが浮かんだ。考えた自分が思うのもなんだが、これはなかなかイカれているだろう。

 京は隣に座る梨々香を見た。

「柴咲、この車いくらした?」
「んー? 改造費込みで四百万だよぉ。どったの?」
「……二百万で買う」
「うん……は?」


 ○


 退屈な仕事だが、それでも金になる。吸血鬼の一人はそんなことを思っていた。仲間内の吸血鬼から呼び出された時は何事かと思ったが、大金が手に入る。しばらくは安泰だ。

 吸血鬼にも金はいる。持ってれば不自由しないし、あればあるほどいい。人間の社会が浸透している以上、通貨というものはかかせない。野蛮に血を吸って、そそくさと立ち去ればいいというわけにもいかないのだ。

 あとは、フォークリフトがきて、コンテナを船に乗せる。それで終わりだ。そうしたら、さっさと他の場所に引っ越そう。都会は地獄だ。仲間が何人も【彼岸花】に葬られた。つい先日も、廃工場に潜んでた集団の吸血鬼がやられたらしい。

 都会よりは田舎の方が遥かに吸血鬼には適している。村社会で、環境も人も孤立している。排他的な土地だ。物はないものの、潜むには絶好の土地じゃないか。

 噂だと東北に、ほとんど吸血鬼の配下になってる村があるらしい。そこに逃げよう。そうすればもう怯えて暮らすこともない、命を狙われない生活が、どれだけの価値を持っているか、吸血鬼にされるまでわからなかった。

 そのうちに、フォークリフトがやってきた。

「よし、本命を運ぶぞ、急げ」

 口を血で濡らした吸血鬼が言った。そういえば、餌にされたあの人間の協力者、どうなっだろうか。死んだか?

 そう思っていると、自動車のエンジン音が遠くから聞こえた。

 吸血鬼は疑問に思う。おかしい。コンテナはフォークリフトで運搬するのに、なぜ自動車のエンジン音が聞こえてくるのか。さらに不思議なことに、その音はだんだんこちらに近づいてくる。

 振り返り、ゲートを見た。フェンスを突き破って、ふざけた装飾のピンクのセダンが猛スピードでこちらに向かってくる。

 突然の出来事を吸血鬼は理解できなかった。ようやく一歩動き出した時には、車が目の前に来ていた。追突され、飛ばされた吸血鬼は、フォークリフトに全身を叩きつけられる。

 痛みが全身を襲い、息ができない。視界がぼやけてきた。車から男が出てきて、銃を向けてくる。

「だ、だれだ……」

 頭を撃ち抜かれた吸血鬼は灰と化した。


 ○


 コンテナの中に入れられたあんじゅは驚愕した。

 そこにいたのは、都内で行方不明になっている女子高生たちの姿。汚れた制服を身にまとい、全員が暗く沈んだ表情をしている。あんじゅが入れられても、少女たちの目は希望を宿した色を向けなかった。助けが来たわけではない、自分と同じ境遇の人が来ただけだと。一瞥すると、興味ないように目をそらす。

 開かれるたびに新しい子が入れられて、時々食糧が投げ込まれるのだろう。その繰り返しで学び、古く入れられた者たちから次第に希望は消えていった。

「あのっ……」

 あんじゅは、中にいる人に声をかける。視線を向けてくる者は誰一人としていなかった。

「だ、大丈夫です。助けが……必ず助けが来ますから」

 ただの楽観的な言葉にしか聞こえなかったのか、少女たちは耳を貸す素振りも見せない。冷たい視線であんじゅを見つめてくる子もいた。

 自分の言葉に力がないとわかり、少女たちと同じように座りこむ。暗澹あんたんとした空気は、伝染するように、あんじゅにもネガティヴな感情が芽生える。

 もし、助けが来なければ、どうなるのだろう。警官が、今まで自分が捕らえた罪人たちの集う檻に入れられるような、そんな事態になるのだろか。怨みを募らせている吸血鬼たちが、果たして自分にどのようなことをするのか、考えたくもなかった。

 自分の未来を想像するのはやめて、あんじゅは同じように捕らえられている少女たちに視線を移す。この罪のない少女たちは一体どこに行くのだろう。

 吸血鬼が行ってる人間の人身売買は世界中で起きている。新鮮なまま、血液を吸血鬼に運ぶ、最悪のビジネス。ニュースで見たりしても、遠くの出来事のように感じているだけだった。実際に間近で見ると、それがどれだけイカれてるのかわかる。コンテナに詰められ、船で運ばれる、まるで現代の奴隷だ。

 自分じゃこの子たちを救えない、それを改めて知り、あんじゅは自分を恥じ入る。吸血鬼から人々を守るためにこの職に就いたのに、なにをしているのだろうか。『技術班』や『戦術班』という括りは関係ない。自分がなにもできてないことが腹立たしく、ただ情けなかった。

 せめてなにか出来ないかと思い、出入り口を探す。だが、それは少女たちもやったことだろう。内部からは開ける手段はなかった。仕方なしにため息をつくと、外からなにかがぶつかる音がした。

 あんじゅも少女たちも、一斉に強張った面持ちになる。いくつかの乾いた音や、叫び声、怒号が聞こえてきた。

 乾いた音が銃声なのをあんじゅは推測した。もしかしたら、そんな気持ちが芽生えた時、コンテナが開かれた。銃を手にした人物が立っている。あんじゅはそれが誰かすぐにわかった。

「柚村さん……?」
「よお、無事か?」

 あんじゅが答えようとした矢先、銃弾が飛んできた。中にいた女子高生たちは、悲鳴をあげ、弾丸から逃れようとその場に伏せたり丸くなる。

「悪い、話してる暇ない! あと少ししたら、別の隊が来るから待ってろ!」
「は、はいっ!」
「一応、外にいた連中は片付けた。あとは船の中のだけだ!」

 京はコンテナの影から出て、発砲する。男の悲鳴が聞こえた。

「残って中でその子たちを守ってろ! 俺はやることがある!」
「わかりました、柚村さん! 予備の銃はありますか?」
 あんじゅから言われ、京は少し驚いた表情になったが、何も言わず、リボルバー式の銃を渡した。

「殺すのが嫌なら、足を撃て」
「わ、わかりました」

 京がその場を離れて、船に向かう。
 あんじゅはリボルバーの弾を確認し終えると、扉を開けて外の様子を伺う。敵はほとんどいない。代わりに灰の塊がそこかしこに見えた。

(倒したのは柚村さんなのだろうか?)

 胸の内であんじゅは驚嘆した。あれだけの吸血鬼を一人で倒すなんて。もう少しだけ状況を確認しようとする。その時、扉が思いっきり開かれた。強風によってではなく人為的に、誰かが力任せに開けたのだ。

 突然の出来事に、思わずあんじゅは後ずさる。

「あっ……ああっ……!」

 男が呻きながら立っていた。扉を開けたのはどうやら彼のようだ。だが、どこか様子がおかしい。

「助けて……喉が、熱い……熱い……」

 手を伸ばして、助けを求めてくる男。テーラードジャケットを羽織り、赤く汚れたワイシャツを着ている。その姿にあんじゅには見覚えがあった。

 あの、ホスト風の男だ。あんじゅをしつこく勧誘してきて、吸血鬼と手を組んでいた、人間の男。おそらく彼はコンテナの中にいる他の少女も、同じ手口で拉致したのだろう。

 警戒しつつも、あんじゅはどこか違和感を覚えた。男が先ほどとはなにか・・・違う。様子だかオーラだが、よくわからないが根本的な部分が。一番近い例えは、まるで取り憑かれたように。

「助けて…………のど、かわいた……」

 男が口を思いっきり開けた。口内に収まっていた二つの牙が露わになる。その瞬間、男のなにが変わったのか、あんじゅは理解できた。

「吸血鬼……!」
「あ、あづ……い、のど、かわいて……」

 喉を抑え、焼けつくような痛みを訴えているものの、人間であるあんじゅにはそれは理解できない。

 人間が吸血鬼になると、すぐに強烈な渇きがやってくる。焼けるように喉は熱くなり、その渇きは血液以外のものでは満たせない。最初の強烈な吸血衝動は、理性を失わせるのには充分だった。そして、その渇きを癒すことで自らを吸血鬼だと認める最初の通過儀礼でもあった。

 その苦しみを、目の前の男は味わっている。不慮の事故だろうと、故意に吸血鬼化させられたものだとしても、吸血鬼になった誰しもがその苦痛を体験しなければならない。

「あっ……ああっ! ハァハァ……!」

 喘ぎ苦しむ男にあんじゅは銃を向ける。自分や他の子を騙し、拉致した男。吸血鬼に協力していた人間が迎えるには因果応報とも言える末路である。

 吸血鬼に協力している人間は、区分けすると悪と見なされている。脅威になっている吸血鬼に協力する人間は許されない存在だ。それでも、目の前で苦しむ男に引き金を引くのは躊躇らわれた。

 また、昨日と同じだ。

 引き金を引けない。今度ばかりは、そんな自分に苛立ちを感じてしまう。

 この男は昨日の被害者の吸血鬼とは違う。人をさらって、自らの利益を得るために行動した人間。法も“吸血鬼に協力する人間は厳罰に処す”とある。なにより彼はすでに吸血鬼と化している。撃たない理由などなおさらない。

 なのに、どうして撃てないのか。

 あんじゅの後ろには、少女たちが身を寄せて固まっている。皆が怯えた表情で、吸血鬼の男とあんじゅを見比べていた。

 思考を払うように首を振り、あんじゅは銃を向ける。

「ごめんなさい……」

 一発で終わるように、あんじゅは引き金を引く。弾丸は命中し、頭を吹き飛ばす。男は糸が切れた人形のように崩れ落ちると、身体が灰になり、くすぶった。例外のない吸血鬼の末期まつごだった。

 途端に腕の痺れがあんじゅを襲う。リボルバーの反動は、彼女が耐えうることのできる範囲を超えていた。

(終わったのだろうか)

 安堵の感情が訪れる。一発で済んでよかった。あとは、これ以上吸血鬼が来ないことを願うばかり。外は人の気配を感じなかった。京が全部倒したのだろうか、静まり返っていて銃声も聞こえない。

 横目で亡骸の灰を見た。その瞬間、胃の中の物が逆流しそうになる。

 あんじゅは口を押さえて外に飛び出した。地面に突っ伏すように胃の中の物を吐き出す。だが、なにも出ない。胃液の酸っぱさだけが味覚に残る。記憶の中のものを全て嘔吐して、それで楽になればどれだけいいだろうか。

 己が殺めた証の灰を見たとき、一瞬だけ声が聞こえた。いくつも重なった人の声。それは、複雑に混ざり合った雑音なのに、形成する一つ一つは鮮明に聞こえてきた。

 やめて、撃たないで、いやだ、痛い、よせ、助けて、お願い。

 耳に残る一つ一つの声。

 あんじゅはまるで呪文のように、それらを呟いた。それでも、魔法のように記憶の中のものが消えてくれることはなかった。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

雪に舞う桜吹雪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

雲生みモックじいさん

児童書・童話 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

天界へ行ったら天使とお仕事する事になりました

BL / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:125

すぐ終わる、何かが起こる物語

現代文学 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

プロット放置部屋

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...