Ambivalent

ユージーン

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First Step

4.Sniper and Mentor

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 鵠美穂は、スコープを覗いた。接眼レンズから見た先には、廃墟と化した工場が見える。

 かつて、人々が働き、生産をし、利益を生み出していた場所。需要があった頃には、まだ工場は生きていたはずだ。少なくとも存在意義があり、多くの人がこの場所を必要としていただろう。

 やがて時が経つにつれて、時代が変わる。人が求めるものも当然変化していく。進化していく者たちは、それに合わせて柔軟に対応できるが、できないものは淘汰されていく。それが自然の摂理だ。

 あの工場もそうなのだろう。時代に適応できなかったのか、それともしなかったのかはわからないが、結果としてあの工場は死んだ。だから、不気味な廃墟へと変わり、今じゃ吸血鬼達の巣窟へと成り下がっている。

 美穂は、移動中の車の中で説明された今回の任務を思い返す。

 旅行中だった複数の家族が拉致された。人数は六名。目撃者の証言と、衛星の追跡によって、行き先が東京郊外の廃工場だと判明した。目撃者のいる中で大胆不敵に行った誘拐行為のため足がつくのは明白だ。それだけ吸血鬼達は切羽詰まっているのだろうか。

『鵠、なにか変化は?』

 耳に挿したインカムから、室積隊長の声が聞こえてきた。

「ありません、吸血鬼達の姿も見えません」

 美穂は、再びスコープを覗きこむ。

 確保した場所は、狙撃ポイントとしては、これ以上ない絶好のポジションなのだが、敵の姿を確認することができない。おそらく、建物内部の奥にいるのだろう。

 絶好の場所を確保しても、敵が見えないのならば、役に立ちはしない。天候や風向きも、美穂にとってはちょうどよかった。中途半端に利点を得ただけに、少し苛立ってしまう。

 いや、苛立ちはここを出発するときからじわじわと美穂を蝕んでいた。その原因がなんなのかは、自分でもわかっていた。

 美穂はスコープのディオプターやパワーセレクターを弄って、調整をした。それから五分ほど待ったが、動きはない。スコープから目を離し、工場全体を大観たいかんしていると、そのタイミングで人影を捉えた。再び、射撃体勢をとる。

 人影は、二つ。一人は柚村京。そしてもう一人は、新入りの霧峰あんじゅだ。二人は、建物外の二階から侵入を試みようとしている最中だった。

「…………」

 吸血鬼だった方がマシかも、と美穂は思った。再びちくちくと刺すような苛立ちが芽生える。

 京に関しては、どうでもよかった。性格の不一致による嫌悪感はあるものの、仕事はこなしてくれている。彼に備わっている実力は、美穂も認めざるを得ない。

 美穂を苛立たせている原因は、あの新入りだ。まるで小動物のようにオロオロしている。

 霧峰あんじゅの性格は、一言で言えば美穂にとって、一番嫌いな人間だった。狼狽うろたえれば、勝手に周りが助けてくれると思っているのだろうか。察してほしい空気を押し付ける分、単純に助けを求めてくる人間よりもタチが悪い。装備の装着に戸惑った挙句、モタモタして出発を遅らせた。そんな人間が自分と同じ『戦術班』だと知ると、ますます我慢ならなかった。

(隊長も……いくら人員不足だからって、人は選びなさいよ)

 苛立ちの火花を、少しだけ室積隊長に飛び火させる。

 役に立たない人間を持ってこられても、被害を被るのはこちらかもしれないのだ。それとも、あの気弱な新入りは、爪を隠している能ある鷹だとでもいうのだろうか。

 しばらくして、錠が開いたのか、京とあんじゅは建物の中へと消えた。

『京くんとぉー、あんじゅちゃん、侵入ぅ』

 柴咲梨々香の、気の抜けた通信が入る。本部にいる『技術班』の面々の気楽さを、少し分けてほしかった。

「……見えたわよ」

『室積隊長も今から侵入するみたいだねー。副隊長、調子どうよ?』
『一階の北側だが、まだ接触はしていない。美穂、外の様子は?』
「異常ありません」

 スコープを覗きこみ何度か確認するが、やはり変化はない。

『了解。梨々香、衛星とドローンで監視を続けろ。真樹夫は通信の調節。宗谷は二人のサポートを』

 沙耶の呼びかけに、『技術班』の三名は返事を返す。その中でも真樹夫だけが、やけに小さな声だった。

『みほっち』

 梨々香から連絡が入る。美穂は梨々香だけに繋がる個別無線へと切り替えた。

「その呼び方やめろって言ったわよね?」
『いいじゃーん、可愛いしぃ』
「本気であんたに弾ぶち込むわよ」
『おー怖っ。あと、三階の屋上で動きあるよん』

 報告と同時に、工場の三階から男が出てくる。

 異常に長く伸びた犬歯、そして口元や衣類には血が付着している。間違いなく吸血鬼だ。

 躊躇うことなく、美穂は引き金を引く。

 弾丸は標的の頭を貫き、壁にめり込んだ。亡骸なきがらはそのまま、重力に引きずられるように手すりを乗り越えて落下した。

 衣類と靴のみが地に落ちる。身体を形成していた吸血鬼の肉体は、死の際に灰となり、春のそよ風さらわれていった。

 美穂は、ライフルのレバーを動かし次弾を装填する。無線を全員宛に切り替える。

「一人仕留めた」


 ○


 柚村京は後ろを振り返った。崩れた壁と割れた窓ガラス、そしてうつむき気味な霧峰あんじゅが見える。
 あんじゅ新入りは今はスーツではなく、動きやすい服装になっている。配属されて数時間しか経ってない新人は、銃のホルスターとアーマー、そしてマガジンポーチを装着していた。その姿はコスプレといっていいほど、似合っていない。それが新人らしさをますます強調させている。

「あまり下向くなよ。やられるぞ」
「す、すみません……」

 指摘すると、あんじゅは顔を上げた。表情はまだ曇ってはいるが、手元に握られた銃は戦う意思を示している。手が震えていないのがその証拠だ。見た目よりも覚悟は決まっているのだろう。
 しかし、京にとっては心配する点の方が多かった。霧峰あんじゅに体力や腕力がないのは、華奢な身体を見たら一目でわかる。『戦術班』としての最低限必要なトレーニングを、彼女は受けていない。専攻が『技術班』なら尚更だ。吸血鬼に近づかれたら、勝敗を賭ける間もなくあっという間だろう。あの怪物たちは、人間の何倍もの力を持っている。

 人数が増えたからといって、戦力になるかは別だ。むしろサポートが必要な分、一人のときよりもマイナスと捉えてもいい。そして、味方が吸血鬼になるということは敵が一人増えたなんて単純な足し算で終わるものではない。状況はより複雑化する。
 お互いが生き残るには、あんじゅの射撃能力が重要になってくる。だが、そもそも狙って当てることが可能なのか。

「一応聞いておくけど、銃の腕は?」
「一応当てることはできます」

 その言葉を信じるしかない。

 【彼岸花】の就職者は『戦術班』『技術班』関係なく射撃訓練を受けさせられる。戦闘か自衛かなので、それぞれ目的は違う。極端に言えば『技術班』希望の場合、最低限、的に半分も当てられない射撃の成績でも問題はないのだ。
 出発の際にあんじゅの武器は京が選んだ。反動が少なく女性でも使いやすく、弾数も多い実弾兵器を。威力には欠けるが、対象を殺すという条件はクリアできる。

「初っ端から習った事と違う仕事させられて嫌なのはわかるが、切り替えてくれよ」
「大丈夫です。迷惑はかけません。最悪見捨ててもいいので、柚村さんは逃げてください」
「アホか、見捨てるわけねえだろ。そもそも最悪な状況にすらさせねえよ」
 
 そう言って、京は自分の銃をあんじゅに見せる。まるで、それが切り札であるように。

 曲がり角に差し掛かると、京は覗きこんで様子をうかがう。人影はない。誰かが隠れている気配も感じなかった。
 相変わらず、工場内の景色は死んでいる。捨てられた機械や、ほこりまみれのボルトやナット、捨てられたフォークリフト。
 だが、人がいた形跡は残っている。それが人か鬼かは置いておいて、比較的新しい足跡や、シミのような血痕は工場の中でも、

 この場所が吸血鬼の住処なのは明白だ。彼らは人目につくことを恐れている。人間に見つかれば通報され、弾をぶちこまれるからだ。ほとんどの吸血鬼がそうだ。価値があるかどうか、その選考から漏れれば、次は収容所に空きがあるかどうか。空きがなければ、灰に変えられる。

 一刻も早くさらわれた人たちを見つけなければ。京個人としては、あんじゅの子守りを素早く終わらせて負担を減らしたいという気持ちもあったが、というルートだけは避けたい。

 助けを求めていた者を殺す。それが、この仕事の精神的な負担だった。

「そうだ、おい」
「はい?」
「これ、持っとけ」

 京はあんじゅに赤い液体の入った小瓶を手渡す。

「なにかわかるよな?」
「人工血液ですよね……習ったので覚えてます」
「じゃあ訊くぞ、それの使い道は?」
「飲ませて吸血鬼の吸血鬼衝動を抑えるため。それと、規定量より血を求めるかどうかを判別するため、ですよね」

 正解だ。
 人間が吸血鬼化した直後は、体力を消費するからか激しい吸血衝動に襲われる。それを抑えつけるために人工血液を飲んでもらう。落ち着かせて情報を得るためにだ。
 第二に規定量を超える量を求めるかどうか。渡した小瓶以上に欲しがるようだったら、対象を殺害することを視野に入れなければならない。それは大人だろうと子どもだろうと変わりはない。

「座学の成績は優秀なようだな」
「技術関連は弱いので、別のところでカバーしなければと思っていたので」
「なら復習だ」

 あんじゅの不安を和らげるために、京は問題を考える。

「吸血鬼の存在が公表されて今年で何年だ?」
「ちょうど百年です。第二次世界大戦中に極秘に発見された吸血鬼は、2015年に公表されました」
「公表された理由は?」
「技術の発展によってその存在を隠蔽できなくなったことと、吸血鬼の被害が増えて深刻なものになったからです。ちなみに公表されてからの五年は混沌の季節とも呼ばれてて、世界中でパニックが起きました」

 詳しく語るあんじゅの口調に不安の音はない。クイズ形式で気を紛らわせるのは正解だったか。

「じゃあ次だ。吸血鬼の弱点は?」
「人間とほぼ変わりません。銃で頭か心臓を撃ち抜くか、ナイフを突き立てるか」
「ニンニクや十字架は?」
「昔から伝承されてきた物事は効果ないです。効くと思ってる人は変な目で見られますし」

 吸血鬼は鏡に写るし、流れる水も平気だ。招かれなくても部屋に押し入ることもできる。せめて日光の下でも平気なところだけは違ってほしかったが。

「吸血鬼の特徴は?」
「血を吸うこと。人よりも力が強く、素早く動けます。あとは、夜目が利くので暗闇では有利です」
「空を飛んだりとかは?」
「そんな事ができるなんて、昔のゲームとかアニメの中だけですよ」
「そうだな、弾を避けたり魔法が使えたりとかは無理だな」

 今じゃ吸血鬼物のフィクションはすっかり現実に染まってしまっている。京は吸血鬼の出てくる昔のゲームをさわったことはあるが、あれが現実になるならとっくに人類は絶滅してるだろう。考えただけでも恐ろしい。

「割と勉強してるみたいだな」
「あ、ありがとうございます。でもこれって、義務教育の範囲ですよ。小学生でも知ってます」
「俺はアカデミー卒業後に全部忘れたから、教えてくれて助かった」
「それは自慢することではないのでは……」
「まあ、冗談は置いといて、習ったことを忘れても経験でどうにかなるもんだ」

 そう言って、京はそでにつけた小型の無線機に話しかける。

「柴咲、二階でどっか広いスペースとかあるか?」
『ちょい待ちー、んーとねぇ……』

 本部にいる梨々香を呼び出す。建物内部の図面データは本部にいる『技術班』の三人が調べてくれている。

『ってかぁ、京くん、今どこ? わかんないんだけどー。ドローンから逃げるなし』
「逃げてねえよ」

 訊かれて、おおよその場所を応える。

『そこね……なら真っ直ぐ行って左にレッツラゴー』

 呑気な声にナビゲートされ、京とあんじゅは早足に進む。

 しばらくの間、梨々香のナビは続いた。時折、京はあんじゅの様子を確認する。後に続く新米は黙って京の背中に張り付いていた。

「後方注意怠るな。油断するなよ」
「はい」
「なにか見つけたら、自分で判断せずに俺に言え」
「わかりました」

 言えばきちんと言う事を聞いてくれる素直さを備え持っているようで安心した。内心は、不満や不服で言いたいことが山ほどあるだろうが、あんじゅはそれを吐き出さないでいる。今どきは新人が駄々をこねて嘆くことも珍しくない。

(よく我慢してついてきたなこいつ)

 内勤かと思えば、こちらの手違いで実地任務で現場に出された。死亡する確率の差なんて段違いで、死の陰が付きまとうだけでもストレスになるというのに、不安を少しずつ抑えている。
 性格は、もしかしたら溜め込むタイプなのかもしれない。京はあんじゅのことはよく知らないが、言いたい事を言えるタイプではないのはわかる。

「霧峰」
「なんですか?」
「無事に帰れたらなんか奢ってやる」
「はい……え? はい?」

 反射的に返事をしたのか、あんじゅはもう一度、質問を問い質した。

「だから飯奢ってやるって。高すぎない範囲でな」
「いえ、そんな……奢りなんて。初日で新人ですし」
「生き残れた記念だよ」
『はーい! 俺は焼肉がいいっす』

 会話を拾った宗谷が、唐突に割り込んでくる。

「おい、なんでお前に奢んなきゃいけねえんだ宗谷」
『いいだろ別に、ケチなこと言うなよ。人の金で食べる焼肉は美味いって、昔から言うだろ?』
『私はパフェ食べたーい、京くんの奢りで』

 続いて、梨々香も便乗し始めた。

「なんでお前らに奢らなきゃいけねえんだよ、アホか」
『えー! いいじゃぁん! 人の金で食べるものは極上だって、昔から言うでしょ?』
「宗谷と同じ事言うな」
『余計な話をするな』

 苛立ちを露わにした沙耶の声で、弾みかけの会話がピタリと止む。

「悪い……」
『柚村、おまえには教育係を任せてるんだ。手本にならんバカ話をするなら、俺もおまえの金でなにか食べさせてもらうぞ』

 続いて室積隊長が厳格な口調のままジョークを飛ばす。バツの悪い京はとりあえず一言謝った。

『京、見たか?』

 再び沙耶が続ける。

「いや、そっちは?」
『こちらも見てない。だが痕跡からして、おそらく大人数で固まっているはずだ。見つけた場合は待機して場所を知らせろ。先に動くな』
「了解……相変わらずだな」
『なにがだ?』
「別に……楽しそうだなと」
『はいはい。京くん、次の角曲がればゴールね』

 沙耶との会話が終わると同時に、梨々香のナビが入る。その指示に従いながら、曲がり角を移動しようとしたその瞬間──反射的に退却する。
 急な動きに反応できなかったあんじゅが、京の背中にぶつかり尻餅をついた。

「痛っ……あの、柚村さん?」

 何事かと訊いてこようとしたあんじゅの口を塞ぐ。
「静かにしろ」そう言うとあんじゅが頷く。

 京は再び角の向こう側を覗きこんだ。人影が確認できる。数は目視するだけで二十人を超えていていた。遠目からでも、その集団が吸血鬼なのはわかる。

「こちら、柚村。吸血鬼発見……数は二十以上はいる。あいつらなんかしてるな……」

 無線を入れ、さらに様子をうかがう。ふと、吸血鬼の集団がなにかを囲んでいるのが見えた。膝を折り、しゃがんでいる。よく見ると、動かない足が見えた。

 連中がなにをしているのか理解した瞬間、京は身の毛が震える感覚に襲われた。

 食事中・・・だった。一人の人間に対して、およそ七名の吸血鬼。他に塊が全部で三つ。三人の人間が餌にされている、おぞましい光景が目に入った。

「飯食わなくてよかった」

 呟いてから京は数をもう一度確認する。人間一人につき血を摂取している吸血鬼が七名ならば、合計で二十一体。それ以外に周りにいる食事を終えた吸血鬼を加算すれば、数は三十を超えている。処理できる人数を超えている。

「悪い、訂正する。三十体以上だ。既に三人やられて──」

 うかがいながら無線連絡を入れていると、一人の吸血鬼と目が合った。そいつが新しい獲物を発見したと顔に出す前に、京はあんじゅを呼びつける。

「霧峰、走れ!」
「え?」
「いいから走れ!」

 言いながら、京自身も来た道を戻る。あんじゅが一歩遅れて後に続いた。

「ゆ、柚村さん!?」
「あの数は無理だ! 一度鵠の狙撃ポイントまで向かう!」

 迫り来る気配を背中で感じた。捕まれば、あっという間に全身の血が抜かれて、死ぬだろう。

 そうなれば、新しい者へと生まれ変わることになる。血を求める鬼の姿へと。
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