Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

95. I Don't Want to Set the World on Fire

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「ひどい……」
 痛めつけられた京の姿を見て、早見は思わず声を漏らす。京は辛うじて生きてはいるものの、虫の息の状態になっていた。
「こんなことする必要あったの!? よくもこんな……!」
 早見は仁と山瀬を批難する。吸血行為とは一切関係のない拷問を働いたことに怒りを抑えきれなかった。彼らの仲間であり、柚村京という人間を知っている千尋には、このことをなおさら問い質さなければならない。千尋に視線を向けた早見は思うことを口にしようとした。だが、千尋の狼狽ぶりを見ると言葉は出てこなかった。
「おい千尋、この……ボロボロのブサイク面を紹介してくれよ、な?」
 袋叩きにあった京から目を離せずにいた千尋は、仁の問いなど耳に入っていない様子だった。山瀬が京を倒し、踏みつけたところで、ようやく千尋は声を張り上げた。
「やめろ!!」
 千尋の声に部屋の一同がが静まり返る。そんな千尋を見て、一ノ瀬仁は笑みを浮かべた。
「コイツは誰だ?」
「僕の……元、相方」
 “元”の部分でトーンを落として千尋は言う。口にすること自体が辛いかのように。
「相方……そうか」
 仁は二、三度頷くと千尋の方を見た。そして突然、京の首筋に噛みついた。
「やめろ! なにしてる!?」
「黙れ! このクソアマが!」
 千尋が張り上げた声よりもさらに大きな声で仁は罵声を浴びせた。
「お前は最初に言ったよな、千尋。【舞首】に弟をはめたクソ議員が来るから復讐するチャンスだって。ついでに揺さぶれる証拠を手に入れて、俺たちに手出しできないようにするってな。ところがなんだこの状況は? 警備に【彼岸花】の捜査官がいたこと、それがお前の知り合いだったことも計画のうちか?」
 仁は怒りを爆発させ、再び京の首筋に噛みつく。流れ落ちる血が仁の口元を汚し、瞳は赤く染まっていた。仁は興奮した様子で言うと京を解放した。京の身体は力が抜けたようにだらりと床に崩れ落ちた。
 ぴくりとも動かなくなった京を見て、死んでしまったのではないかと思う者もいた。もしそうであったならば、この部屋に。噛まれてから間もなく息を引き取った者は例外なくそうなるのだから。
「やっ……やだ、そんな……」
 千尋は倒れた京の元に駆け寄る。必死に呼びかけるが、反応はない。
「おい、まだ俺の質問に答えてないぞ」
 仁は千尋を京から引き剥がすと向き直らせる。
「ガキどもはどこだ? 俺の小さな働き手たちは?」
「知ってどうする気? 使い道なんてないだろう」
「呼び戻すんだ。今からでも遅くはない。俺の血を飲ませれば逃走までの時間稼ぎにはなる。教えろ。ガキどもはどこだ?」
 千尋は口を噤んだまま、仁を睨みつけた。
「ガキどもはどこだ!!」
 仁は千尋の頭に銃を突きつけた。
「居場所が知りたいのか? だったら教えてあげるよ」
 千尋はパソコンのキーボードを打つ。壁に備え付けてあったモニターに電源が入り、監視カメラの映像が流れ始めた。
「これは……監房エリア?」
 筧所長が困惑気味に言う。
 吸血鬼を収容する独房には幼い子どもの姿がいくつも見えた。檻に入っている小さな吸血鬼たちは、退屈そうに過ごしている。小さな部屋をあてもなく歩き回る者や、人口血液の血を不味そうに飲む者、一緒に入れられた者と遊ぶ者。血を飲んでいること以外は、人間となんら変わりのない。
「まだ吸血鬼たちは収容してないはずだ」
「そうだよ。それにここは
 千尋は筧所長に皮肉を混じえて言う。その言葉は仏頂面でソファに腰掛ける大沼議員に向けて投げるように。
「この吸血鬼たちは? どこから来たんだ?」
「孤児院の身寄りのない子どもさ。この子たちには家族はいないし、助けてくれる人もいない」
 筧所長が吸血鬼たちを見る目に宿していた感情は、同情や哀れみに似たものだった。その筧所長の様子を見た千尋は、安堵したように目を伏せる。
「助けようとしたのか?」
 唐突なカイエからの問いに千尋は目を開けた。に千尋は小さく笑う。
「助けるって……?」早見が訊く。
「吸血鬼たちは外の世界じゃ楽に生きれない。殺されるか、血を吸うために誰かを襲って生きるしかないから。だから……収容所にいた方が安全といえば、ある意味ではそうなる」
「でも、ずっと檻の中で暮らせるわけじゃ……」
 早見はなにかに気がついたように言葉を止めた。
「だから……あなたには脅しの道具が必要だったの? 子どもたちを処刑させないための……?」
 千尋は答えなかった。ただ、早見と目を合わせ物言わぬ肯定を見せる。
 大沼議員が隠し持っていたデータには吸血鬼を利用した暗殺が記録として残されている。現職の議員の闇に世間が食いつくことは間違いない。流出を阻止するためなら大沼議員はどのような要求でも呑むだろう。暴露されたくなければ収容されている子どもの吸血鬼を処刑するな、と言えば二つ返事で了承するしかない。
「収容所に空きは……」
 期待するように早見の口から自然と言葉が出てきた。脳裏には吸血鬼化した我が子の姿が浮かぶ。だが、早見は言葉を飲み込んだ。今は自分の事だけ考えていられる状況ではない。
 突然、大沼議員のがなり声が響いた。
「ここは、裕福層の収容所だ。汚い身なりをした子どもを入れてなんになる!?」
 乱暴に投げつけられた言葉を千尋は受け止めた。静かな怒りを孕んだ目で千尋は大沼議員を睨む。
「元々は子どもの吸血鬼を入れるための収容所だったはずだ。それなのに金持ち連中を優先させて、くだらないカジノやバーを作って税金対策のつもりなのか?」
「黙れ化け物が! お前のしたことはな、ただ少数を助けて、大多数の命を奪っただけだ。まさか自分の行いが正義だと信じてるのか? なら尚更のことタチが悪いな!」
 議員の声には怒りを中心とした様々な感情が混ざっていた。困惑、疑念、そして自棄やけの念。
「お前たち化け物には人権もクソほどもないんだ! 大人しく殺されて灰になれ。吸血鬼になったのなら、早めにそこの仲間に殺してもらえばいいだろ。生きていてなんになる? 後の者のことを考えるなら、吸血鬼になった時点で死ぬべきだろう!」
「今の言葉、自分の親族に向かって言ってごらんよ」
 千尋の言葉に議員の顔は怒りで紅潮した。血管がプツリと切れてもおかしくないほどに。
「もっと崇高な目的があると思ってたが、こんなことしてお前になんのメリットがある? 今さら誰かを助ける正義の味方にでもなるつもりか?」
 千尋の告白を聞き終えた仁がようやく口を開いた。冷え切った声に冷淡な言葉。それは千尋の起こした行動全てを否定し、侮蔑していた。
「君よりマシだよ。君は吸血鬼を自分の兵士にして利用してる。そこの薄汚い老人と頭の中身は同じだろう」
 千尋が言い終えたと同時に、仁は机を蹴り上げた。弟を陥れた者と同等、その烙印を押されたことに我慢ならなかったのだろう。
「ここまで好き勝手やらかしてなにもお咎め無しだと思ってるのか?」
「僕を責め立てるなら好きにすればいい。だけど、逃げる準備はした方がいいよ。もう時間がないだろう」
 それを証明するように遠くから銃声が聞こえた。【彼岸花】の捜査官たちはフル装備で事態を掌握しようとしている。吸血鬼がこの部屋に留まっていても、聖域のように護られるはずはない。千尋の言葉に従えば弾丸からは逃れられるが、代わりに仁は屈辱に心を蝕まれる。
「仁さん、ちょっとええ?」
 それまで口を開くことのなかった山瀬が唐突に仁に耳打ちした。仲間の言葉に耳を傾けた仁はその内容を聞き終えると、不気味に口元を歪ませた。まるで、悪魔からの啓示を受けたように。
 仁はパソコンの前に向かうとキーボードを叩いた。
「吸血鬼の収容所には、ある装置を取り付けるのが義務付けられてるらしいな」
 仁は喋りながらキーボードを叩く。無機質な旋律が部屋に響く。
「吸血鬼どもが一斉に暴動を起こしたり逃走を企てようとしても、そいつがあれば、防げるみたいだ」
 モニターに文字が表示された。血のように赤く、目を引く色で『消毒装置』と書かれている。
 そして、抑揚のないデジタルの音声が流れ始めた。
『監房の消毒を開始します、職員の方は速やかに監房エリアから避難してください。繰り返します──』
 再び同じ内容が流れる。繰り返される内容が二週目を終える頃に、千尋の表情は驚愕の色に変わっていた。
「よせ! やめろ!」
 動揺と怒り、その感情を一切のフィルターにかけることのない千尋の声が響く。千尋は力づくで仁の行動を止めようとしたが、突き飛ばされ、壁に背中を打ちつけた。
「なあ、千尋。俺たちを裏切ってまで起こしたことだ。お前の信念がどれだけ本物か見極めてやる」
 仁は笑いながら言うと、京の髪を掴み、起き上がらせた。
「今から一つ選べ。檻の中の吸血鬼たちを助けるか」仁はモニターを指差してから、京の顔を机に押し付けた。「それとも、死にかけの元相方の方を助けるか」
 二つに一つだけ。その選択を与えられた千尋は青ざめて仁を見る。こんな展開を持ちこんだ山瀬に怒ることも、鬼畜極まりない仁に牙を向けることもない。余裕のある澄ました表情を見せる千尋はもういなかった。千尋はモニターの吸血鬼たちと京を交互に見る。檻の中の子どもたちには、既に死のカウントダウンが始まっていた。
「早く選べ。お前が言ったとおり、俺たちには時間がねえんだからよ」
 遠くから再び銃声が聞こえた。
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