Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

93.Discovery

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 柚村京は口に溜まった血を吐き捨てた。もう何度殴られ、何度血を吸われたのかわからなかった。
「あーあー、行儀わるいなあ」
 山瀬の拳が京の鳩尾みぞおちにめりこんだ。唸り声に似た悲鳴をあげた京は、山瀬を睨む。
「なんや? まだそんな目する気力が残っとるんやな、
「気安く名前呼んでんじゃねえ……」
「ああ、ゴメンな。でも身分証明書には顔ついてるしちゃんと名前書いてあるで? の柚村京ってな」
 山瀬は身分証を京の顔に投げつけた。野暮ったい表情で写る自分と目が合った京は、写真に向けて血の塊を吐く。こんなことになるんなら家に忘れてくればよかった。
「人質の中でやけに俯いてるんがおったから、気になってな。そしたら昨日今日と会ったことある顔やったからびっくりしたで」
 お互いに初めて顔を合わせたのは昨日の出来事だった。当然ながら山瀬は京のことを記憶していた。そこまでなら偶然だのなんだのと言っていれば、上手くごまかせたかもしれない。だが、耳に挿してあったインカムが見つかったことで京は言い逃れができない状況に陥ってしまった。その結果、赤の他人よりもで京はもてなしを受けた。




「まさか、千尋ちゃんのお気に入りの獲物がここにおるなんてな。さっき君の仲間二人見つけたけど、それは偶然なん?」
「なにが言いたいんだ?」
 山瀬は京に顔を近づけて言った。
「俺らがここに来ること、誰に教えてもろうたん?」
「知るかよ」
「おかしいなあ、ここには民間の警備員しかおらんって聞いたのに。【彼岸花】の連中とカブるなんて、吸血鬼からしたら死にに行くのと同じやん。俺らそこまでアホやないで?」
「鏡で自分のアホヅラ見てみろ」
 先ほどを繰り返すように、再び鳩尾に拳が飛んできた。パンチをくらった京は、咳こんでえずく。吸血鬼である山瀬が本気を出していたら、臓器が破裂していただろう。
「もしかしてやけど、千尋ちゃんがなんか悪いこと企んどって、それに協力してるん?」
「知らねえよ、あいつはもう関係ない」
「関係ないなんてひどいなあ。?」山瀬は椅子を持ってくると、京の真正面に座った。「千尋ちゃん、どんな捜査官やったん?」
「普通だったさ。お前らみたいなどうしようもない吸血鬼を狩るために頑張ってたよ」
「ふーん、それで他には? まだなんかあるやろ?」
 京は舌打ちした。山瀬は自分と千尋の間になにかしらの接点があると思いこんでいる。だがいくら疑いの目を向けられても、相手が腑に落ちるような答えなど京は用意できない。千尋と自分との間には“元仲間”意外に言い表せれる言葉などないのだから。
を疑ってるところ悪いが、【彼岸花】の職員の身辺調査は厳しいんだよ。吸血鬼と関わっていることがバレたら監視対象になるし、刑務所行きにもなる、最悪死刑だ。あいつが助けを求めに来たって、手を差し伸べるにはリスクが大き過ぎる」
 京がそう言い終えると、山瀬は黙って頷き京の腕の拘束を解く。
「言いたいことはわかったわ」
 山瀬はそう言うと京の二の腕を雑巾を絞るように捻った。激痛が襲いかかり、京は叫び声をあげる。
「クソッ……!!」
「腕の一本くらいええやろ? 骨なんかいっぱいあるやん」
 骨や筋が通常の可動域を越えてねじ曲げられた。その痛みに耐えながら京は山瀬を睨みつける。山瀬の方は澄まし顔で京を見た。
「君の喋り方嫌いやわ俺」
「そんな理由で俺の腕へし折ったのか……このクズ野郎」
 山瀬は京の髪を引っ掴むと顔を近づけてきた。むせ返るような血の臭いに京は顔をしかめる。
「ええから、隠してること吐けや」
 京は口に溜まった血を山瀬の顔に吐き捨てた。

 山瀬が表情を変えた。その剣幕は気の弱い者ならば卒倒してしまうくらい怒りに満ちていた。
「……ごっそさん」
 京は山瀬に殴られ、床に倒れこんだ。視界がぼやけ、音が遠くなる。胸ぐらを掴まれ顔に二度目の拳を受けたときに、京の世界は完全に暗転した。


 ○


「あ、あれ……?」
 困惑気味の真樹夫の声が耳に届き、あんじゅは作業を一時中断した。
「どうかしたんですか?」
「い、いや……その、誰かがシステムにアクセスした……かも」
 自信のなさげな声にあんじゅは眉をひそめた。
「侵入って外部からですか?」
「わ、わからない……」
 真樹夫は疑問符を浮かべながらキーボードを叩いている。侵入されたかどうかの形跡を調べているが、やがて腑に落ちない表情で作業に戻った。
「警備システムはどうですか?」
 あんじゅは無数のソースコードが表示された画面を覗きこむ。入口の警備システムが解除されれば外からの応援が到着できる。そうなれば、警備室から出ることができるだろう。
「まだ時間かかりそう……」
 苦い表情を見せる真樹夫。そんな彼に警備主任の伊羽が声をかけた。
「本当に解除できるのか?」
「大丈夫ですよ」真樹夫の代わりにあんじゅが答える。「私よりコンピューターの腕はいいですから」
 あんじゅが褒めると真樹夫は気恥ずかしそうに俯く。小さな声で「ありがとう」と言ったような気がした。
「出来ないなら出来ないでいいんだぞ。正面が無理なら横壁に穴を開けるだろう。そうすれば真夜中にはここから出られる」
 伊羽の部下の一人の警備員が棘のある口調で真樹夫に言った。警備システムの解除に時間がかかれば、最終的に建物を破壊して無理やり侵入するだろう。
「全力を尽くしてます。
 あんじゅは強い口調でそう言うとモニターの前に戻った。しばらくキーボードを叩いていると、真樹夫に声をかけられた。
「あの……あ、ありがとう」
 籠りがちだったが、真樹夫のいつものトーンに比べたら張りのある声だった。
「ううん、気にしないで。私の方こそごめんなさい。上條さんのサポートしかできないのに偉そうなことを言ってしまって」
「そ、そんなことは……ない、けど……。たっ、助かってるよ」
「……ありがとうございます」
 あんじゅは真樹夫に笑顔を見せると、監視カメラの映像をチェックする。モニターの画像には沙耶、幸宏、矢島の三人が見えた。あちらは無事らしい。美穂と所長の娘の筧明日菜の姿は、先ほどから確認できなかった。早見とカイエも吸血鬼に連れていかれてから詳細はわからない。それともう一人。彼は一度もカメラに映し出されていない。
(柚村さん……)
 柚村京とはパーティー会場で別れたきりだった。人間として生きているのか、それとも吸血鬼になって生きているのだろうか。そんなことは考えたくなかった。
 今は自分たちにできることをするしかない。ここで外にいる仲間のサポートをすること。それが仲間の生存に繋がる。そう考えつつ、頭の片隅で疑問が生まれた。誰がこの中に吸血鬼を解き放ったのか。
 あんじゅは【舞首】の敷地内の図面を確認した。吸血鬼たちの現れる前の時間帯にどこか抜け穴はなかっただろうか。監視カメラのログをチェックしようとしたそのとき、真樹夫の大きな声が聞こえた。
「やっ、やった!」
「どうしたんですか?」
「かっ、解除……できた」
「え? 警備システムをですか!?」
「うん……やっと……」
 あんじゅは映し出されていたカメラの映像を確認する。入口の銃器タレットは次々と武装解除されていき、下ろされていた防護壁も上に戻っていく。行く手を阻む銃器や硬い壁はもう存在しない。
「解除できました。これで味方がやってこれます」
 あんじゅの言葉を受けて、二人の警備員が驚きと喜びの入り混じった表情に変わった。
「やった……これで助かるのか!」
「ようやく外に出れるぜ」
 待ち望んでいた瞬間が訪れ、あんじゅも彼らと同じように舞い上がりそうになる。真樹夫もぎこちない笑顔を見せた。
「ありがとうございます、上條さん」
「い、いや……その……僕は、仕事しただけ……」
 伊羽があんじゅたちのそばにやってきてモニターを覗きこんだ。
「本当に警備システムを解除したのか?」
「う、うん……」
「あとは外にいる吸血鬼が倒されれば、ここから出られます」
「そうか……
 伊羽はそう言うと、銃を取り出し、喜ぶ部下を射殺した。もう一人の部下も素早く撃ち殺すとあんじゅと真樹夫に銃口を向ける。突然の出来事に、あんじゅは思わず椅子から立ち上がった。なにが起こったのか理解できなかった。
「クソったれ、まさか本当にやってのけるとはな……」
 言葉では感心しつつも、伊羽が真樹夫を見る顔には苛立ちが表れていた。
「な、なんで……伊羽さん……?」
「黙ってろ。厄介なことしてくれたな。お前らが来るなんて予定になかったってのによ!」
 伊羽は怒鳴り散らすと真樹夫に銃を向けた。
「今すぐ元に戻せ」
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