Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

78.each other

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『大丈夫ですか? 氷姫さん』
 聞き覚えのある女性の声だった。
「……霧峰ちゃんか?」
『はい』
 仲間からの電話に、幸宏は安堵した。
「無事だったんだな」
『ええ、なんとか。上條さんもいます』
 そうか、と幸宏は返す。とりあえず仲間の内の二人は事なきを得たらしい。それを知れただけでもよかった。
「もしかして、さっき電話してくれたのか?」
『はい、カメラに映ってたので』
 幸宏は上を見上げる。天井には360度自由に首を振れるパンチルト監視カメラが備え付けられていた。
『私たちは警備室に立てこもってます。外は吸血鬼が待ち構えていて、しばらくは籠城することになりそうです』
 警備室は無事。そこは安心できた。あの場所を乗っ取られて監視カメラを押さえられたら、それこそ自由が効かなくなる。
『氷姫さん、そちらの状況わかりますか?』
「状況っていってもよ、小便して戻ってきたら、吸血鬼がたくさんうろついてた。つーか、そっちは映像流れるから見れてんじゃねえの?」
『その……パーティをしていた会場と一部のエリアは、設備の不備で映らないので……』
大枚たいまいはたいて金持ち用の吸血鬼の収容所建てたくせに、未完成かよ」
 思わず毒づく。もしかしてこの施設は欠陥だらけなんじゃないだろうか。
「とりあえず、俺がわかってる範囲で今の状況を伝えるぜ。パーティ会場の周辺は武装した吸血鬼がうろついてる。多分、会場の中にも吸血鬼はいるはずだ。金持ち連中がクモの子散らすように逃げて来てねえってことは、人質にされてるんだろうな」
『お金持ちなら、人質にうってつけですからね」
 あんじゅからの辛辣な一言に、幸宏は思わず笑ってしまう。
「早見さんとかは映ってるか?」
『映ってません。多分……会場で一緒に人質にされていると思います』
 幸宏は頭を抱えた。あの村で起きた悪夢が再び自分の前に立ちはだかってる気がした。二度とごめんだ。もう二度と。
「どうにかして助けに行けねえのか? ダクトとか通れねえか?」
『ダクト……氷姫さんが猫なら通れますけど』
 無理ということか。幸宏は考えを巡らせる。どれだけ知恵を絞っても銃一丁で乗り切れる案は、浮かんで来ない。
『あっ』
「ん?」
『武器庫がある……』
「……は?」
 幸宏は思わず訊き返す。
『鎮圧用の武器庫があります。そっか、一応吸血鬼の収容所だから……』
 吸血鬼の脱獄、逃走に備えて吸血鬼の収容所には武器庫がある。支給されているのは、ほとんどが非致死性の武器だが、無いよりはマシだ。この状況を打開できるものが見つかるかもしれない。
「オッケー、場所は?」
『少し待っててください』


 ○


 あんじゅは幸宏に武器庫の場所を伝えると内線電話を切った。どっと疲れが押し寄せてきて、椅子の背もたれに背中を預ける。まだ手に、腕に、感覚が残っていた。吸血鬼の腕を切り落としたあの感覚。調理のために包丁で肉を切るのとは、わけが違う。部屋の入り口には、寄せ集めたように灰が残されていて、その傍には血の付いた斧が寂しそうに立てかけられていた。
 警備室の人数をあんじゅは数えた。自分と、上條真樹夫、警備主任の伊羽、警備の人間が二人。全部で五名が、吸血鬼の襲撃から運良く逃れてこの場所に籠城している。あんじゅが遅れてやって来た時には倍の人数が警備室にいたはずだ。
「だ……あの、大丈夫?」
 真樹夫に訊かれて、あんじゅは、はい、と答える。
「おい! あんたら吸血鬼の仕事のエキスパートだろ!? 外のやつらなんとかしてくれよ!」
 警備員の一人がヒステリックに叫ぶ。怒りと恐怖の混じった声だった。
「数が多過ぎます。私たち二人ではとても……」とても無理だ。銃があったとしても、開けた瞬間に一斉になだれ込んでくる。吸血鬼の波は容赦をしないだろう。
 扉一枚、その向こう側のカメラの映像をあんじゅは注視する。吸血鬼たちが、扉を叩いている。手や頭で。まるで、ここが避難シェルターのように、とてつもなく恐ろしいモノから逃れようとしているみたいに。
「外部と連絡がつかない。携帯も、パソコンのメールもダメだ。連中の仕業だろうな」
 スマートフォンをしまった伊羽が苛立たしそうに舌打ちをする。あんじゅと真樹夫も端末で確認するが、その通りだった。
「カメラや周辺で不審な動きはありませんでしたか?」
「いや、ない」
 伊羽はきっぱりと告げた。あんじゅは警備員の二人にも話を訊く。
「俺たちはタバコ吸いに出たから……知らねえんだ……」
 そうですか、と言うと、あんじゅは椅子に腰掛けた。これから、どうすればいいのだろうか。無数のモニターに目を配る。小さな打開策が見つかるような気がして。
 モニターのいくつかはシグナルを受信しておらず、黒く表示されていた。パーティ会場とその入り口、地下駐車場、廊下の一部の様子はわからない。
「お、おい……ひでえよ……なんだよ、これ」
 警備員の一人がモニターを指差す。流されていたのは、おぞましく残酷な光景だった。警備員、スタッフ、パーティ会場から離れていたであろう来客。待った無しで血を吸われて、そして同じ存在へと変わる。ライブ中継で流されるそれらを、あんじゅたちは指をくわえて見ることしかできなかった。
 モニターの一つでは、吸血鬼化したスタッフの女性が警備員を襲っていた。吸血鬼化した際の初期の吸血衝動だ。その症状に抗える者はほとんどいない。血を充分に摂取し終えた吸血鬼の女性は、我に返り、自らがした恐ろしい行いに気がつくと、涙を流し始めた。
「あ、れ……?」
 なにかが引っかかった。今の映像を見て、輪郭のないもやみたいなものが、なにかを訴えている。でも、なにを?
 あんじゅは別のカメラの映像を見る。吸血鬼たちが、ブレーキの壊れた車のように、暴走していた。口の周りだけではなく、顔中が黒い血で汚れている。元の皮膚の色調がわからなくなるくらい血に染まっているのに、まだ求めているのだろうか。
「──あっ」
 違和感の正体を発見したあんじゅは思わず声を上げる。
「ど、どうしたの……?」真樹夫が訊いてくる。
「あの吸血鬼たち……吸血衝動が治っていません」
「それがどうした? ここを出るヒントになるのか?」
 伊羽の問いかけに、あんじゅはかぶりを振る。


 ○


 すっかり話しこんでしまった。時計を見て、筧明日菜とのお喋りに費やした時間を確認した鵠美穂は、夢中になり過ぎた自分を反省する。
「あー、楽しかった!」
 美穂とは裏腹に、明日菜の方は満足そうにしていた。父親との確執などすっかり忘れてるかのように、屈託のない笑顔だった。
「美穂さん、本当に私のファンなんですね~。いやあ、嬉しいです!」
「あ、ありがとう。ところで、パーティには行かなくていいの?」
「別にいいです、興味ないし。あっ、でもお手洗い行ってきますね」
 ソファから立ち上がった明日菜は、上機嫌にくるりと回る。その際に、手が机のノートパソコンに触れて、機器が落ちた。
「あっ、ヤバッ……」
 明日菜が落ちたパソコンの無事を確認する。美穂も彼女に怪我がないか確かめに駆け寄った。
「大丈夫?」
「ええ、うん。でも……なんか起動させちゃった……」
「やっておくからいいわ。もよおしてるなら、行ってきていいから」
「ごめんなさい。お願いします」
 明日菜は一礼して駆け足で部屋を出た。化粧室は角を曲がったところにあるため、すぐに追いつける。落としたノートパソコンを拾い上げた美穂は、ディスプレイに写し出されているものに目を引かれた。和気あいあいな親子の写真だった。父と母と、笑顔を見せる幼い女の子が写し出されている。この家族が誰なのか、すぐに察しがついた。
 少しだけ美穂はその壁紙を眺めていた。やがて、電源を落とすと扉を開けて所長室から出る。
「…………」
 一歩踏み出した瞬間、不穏な空気を感じ取った。殺伐としたものが漂っている。訪れた時と同じ通路だとは、どうも思えなかった。
 美穂はトランシーバーを出して呼びかけてみる
「あの……沙耶さん?」
 声は聞こえず、無感情なノイズだけが流れた。胸騒ぎがした美穂は、すぐさま化粧室の方へと向かった。角を曲がり、女性用の赤いマークが表示された場所を進む。化粧室の中も異常は特に見受けられない。
「あの……明日菜、大丈夫?」おそるおそる声をかける。
「美穂さん? 心配しなくても紙はありますから、大丈夫ですよー」
 すぐに個室から声が返ってきた。声色も先ほどと変わらず穏やかだった。何事もないようなので、美穂は胸を撫で下ろす。その刹那、何者かが慌てた様子でトイレに入ってきた。
「誰!?」
「待て! 待って! 待って!」
 甲高い男の声が返ってくる。入ってきたのが異性だとわかると、美穂は不愉快そうに眉をひそめた。
「男子トイレは隣よ」
「ち、違う、そ、そうじゃない! 違うんだ!」
 この期に及んで男は弁明し始めた。服装を見ると、【舞首】のスタッフのようだ。男は息も絶え絶えで、全身汗だくになっている。女子トイレで、だ。場所が場所だけに、男を見る美穂の目は冷ややかになる。
「出て行かないなら、警備に突き出すわよ」
「頼む、話を聞いてくれ! 俺は違う……その、助けてくれ!」
「はあっ?」
 美穂は、苛立つ気持ちを抑える。女子トイレに入って、間違えましたで立ち去るならまだしも、数歩踏みこんで自己弁護。言い訳をすれば、なんとかなると思っているのだろうか。
 後ろをそわそわと気にし出した男は、突然ズカズカと侵入してきた。分け隔たれている境界線なんかないかのように。
「ちょっと! あんたいい加減に──」
 美穂が声を張り上げた瞬間、もう一人誰かが入ってきた。後から入ってきた人物は、顔を血で汚して、鋭く伸びた犬歯を見せつけるように大口を開けた。
 反射的に、美穂はそいつを撃った。相手の頭が弾け飛び、身体が灰と化した。
「なに!? 今の音なに!?」
「明日菜! 出てこないで!」
 更に現れた二体を美穂は立て続けに仕留める。遅れて現れた吸血鬼の一体が、へたりこんでいた男に噛みついた。すぐさま吸血鬼を撃ち殺し、灰に変える。一騒動終えたところで、個室の扉がゆっくりと開かれた。
「あっ、あの……なにがあったんですか……?」
「吸血鬼よ」
「吸血鬼……? えっ? 吸血鬼!?」
「銃声を聞かれただろうし、すぐに移動しなきゃ」
 美穂は噛まれた男に駆け寄る。出血はあるが致命傷ではない。
「あの……大丈夫?」
「ああ。すまない、その……誤解させて」
 面目なさそうな謝罪を受けて、美穂はなおさらバツが悪くなる。吸血鬼から逃げて来ただけの相手を変態扱いしたのだから。
「……とりあえず、医務室に行きましょ」
 美穂は銃を構えて先導する。警護の対象が、もう一人増えてしまった。
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