Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

75.Numb

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 あんじゅは、パーティ会場の全体をぐるりと見渡す。結婚式を思わせるような絢爛豪華けんらんごうかで広々とした会場には、三十名ほどの人間が立っていた。顔ぶれは、政治家、資産家、起業家、投資家。テレビで見たことある人物もいれば、そうでない人もいる。ドレスコードこそないものの、身なりには個々の個性が出ていた。金持ちだと言わずともわかる派手な見た目をしている者、対照的にどこにでもいそうな地味な服で身を包んでいる者もいる。地味そうな見た目の者はテレビやニュースで拝見したことのある人物ばかり、知名度というものを身に纏っているからこそ、着飾る必要などないのだろう。派手な身なりをしている者たちの方は、あんじゅは誰も見たことがなかった。
 会場に来てから、あんじゅは何人かに名刺を渡された。自分が何者かを伝えると、彼らは労いの言葉をかけてくれるか、さっと離れていった。なにを考えているのか、連絡先を訊いてくる者までいたが。
 出席者だと勘違いされて声をかけられたのも無理はない。皿を持って料理を食べようとするなど、普通はいるはずがないからだ。料理にありつく許可をくれたのは、警備主任の伊羽だった。報道関係者用のセレモニーが終わった後で、特別に会場内で料理を食べてもいいと言われた。
 あんじゅは子どものようにキョロキョロと周りに目を配る。どうも落ち着かない。ずっと心を撫で回されているような気がした。やはり自分がここにいるのは、場違いな気がしてならなかった。遠くの方で、同僚の上條かみじょう真樹夫まきおの姿が見えたが、彼もやはりどこか浮いている。犬の集まりに一匹だけ猫がいるような感じだ。自分も他の人から見たらああいう感じなのだろう。
 他のメンバーはまだ来ないのだろうか、そう思いながらあんじゅは料理を皿に乗せる。取ったのは白の粒状の形をしていて見たことない食べ物だったが、美味しそうな香りが鼻を通り抜けて、食欲をなおさら刺激した。
 二次会場は立食形式ビュッフェなので、其々が好きなものを皿に乗せていた。和洋中と様々なジャンルがテーブルの上に並べられていた。どれも余らせてもおかしくない量なので、密かに持って帰りたいという気持ちがあんじゅの中で芽生えた。
 さすがに品がないか、とひとりごちてから、あんじゅは白い粒をスプーンですくって口に運ぶ。独特の風味と塩気が口の中を一瞬で満たしてくれた。
 ちょうど、三口目を運んだところで、真樹夫が戻ってきた。母親を見つけた子どものように足早に。真樹夫の皿には野菜ばかり乗せられていた。
「上條さん、お肉とか食べないんですか?」
「えっ……あっ、いや、まあ、そう……だね」
 まだ話すことに慣れていないのか、真樹夫との会話はおぼつかない。先ほど警備室でいくつかのやりとりを交わしたことを思い出すが、そのときの方がまだ言葉は滑らかだった。
「き、霧峰さん。そ、それ……よく食べれるね……美味しいの?」
 真樹夫は、あんじゅの皿に乗った真珠のような白い粒を見て言う。
「ええ、美味しいです。ところで……これって?」正体が気になったので訊いてみる。
「きゃ、キャビアなんだけど……」
「キャビア……ああ、あの!」
 キャビア。高級食材として名前はよく耳にする、チョウザメの卵の塩漬け。大抵の写真だと色は黒なのだが、白色もあるのか。
「白いキャビアとかあるんですね」
 あんじゅは口に運ぶ。独特の味が、再度口の中で広がる。物珍しさ故に、なおさら美味しく感じてしまう。たいらげたら、もう一皿分取りに行ってこよう。そう思い味わっていると、真樹夫がおずおずと口を開いた。
「白キャビアはその……えっと、カタツムリの……卵」
「へー……え?」
 あんじゅは目をぱちくりされた。真樹夫が最後に言った──耳の中で引っかかった単語が、頭の中で何度も繰り返されていく。
「……カタツムリ?」思わず声にも出してしまった。「カタツムリってあの……?」
「う、うん」
 真樹夫は頷く。いや、もしかしたら、自分の知らない魚の名前なのかもしれない。そうであることを願って、あんじゅはもう一度訊ねる。
「……蝸牛かぎゅうの方?」
 真樹夫は、首を縦に振る。
「ご、ごめん……えと、食欲……なくしたよね」
「いえ……あの、大丈夫です」
 胃がせり上がってくる感じがした。とはいえ、半端に残すわけにはいかない。口に運ぼうとするが、正体を知ってしまったため、どうもブレーキがかかってしまう。そのとき、後ろから声をかけられた。
「お前らなにしてんだ」
 あんじゅが振り向くと、京が立っていた。沙耶、幸宏、カイエ、そして早見の姿も見える。お疲れ様です、と言うと、早見と幸宏が唖然とした表情に変わる。
「上條もなに飯食ってんだ。仕事中だろ」
 京に咎められて、真樹夫がばつが悪そうに俯く。無許可で食事にありついていると思っているようで、京や早見の顔つきは険しい。
「えっと、警備主任の方が食事してもいいと言われたので……その」
「だからって素直に食うな」
 突き刺さすような物言いだった。あまり京に怒られたことがなかったため、なおさら胸に深く刺さる。視線を落としてあんじゅがもう一度謝罪していると、荘厳そうごんな声音が割りこんできた。
「いやぁ、構わんよ。警備の者たちも料理くらい好きに食べたまえ」
 声の正体は、白ひげを蓄えた貫禄のある男──大沼義時議員だった。大沼議員は、業務にあたっている民間の警備員にも召し上がるように言う。
「えっと……いいんですか?」
 早見がおそるおそる確認をとる。
「ああ。どうせ余る量だ、廃棄させるのはもったいない。それに、収容所にちょっかいを出す不届き者や吸血鬼などおらんよ」
 大沼議員は愉快に笑うと、スタッフが持ってきたシャンパンのグラスを早見に手渡す。大沼議員が飲み干し、早見がつられるように続く。いい飲みっぷりだ、と褒めの言葉を早見にかけると、議員は遠くの方に行ってしまった。
「……と、いうわけで、ご飯食べるなら粗相のないように。あっ、アルコール類は禁止よ。ちなみに、今のはノーカウント」
 そう言った早見だが、秒速で発言を撤回して運ばれてきた二杯目のシャンパンに手をつけた。これには、さすがに全員が唖然とした。
「……美濃原、三杯目に手を伸ばしたら全力で止めろ」
「了解です」
 幸宏に言われて、カイエが早見の後についていく。幸宏は酒の入った早見のことをよく理解しているらしく、気が気でない様子で見守っていた。
「だ、大丈夫ですかね?」
「千鳥足で絡まなきゃいいけどよ。ところで霧峰ちゃん、美味そうなもん食べてんじゃんか」
 幸宏が興味津々に皿の上のカタツムリの卵白キャビアを覗きこむ。
「……食べます?」ここぞとばかりに、あんじゅは差し出した。
「おう、なら遠慮なく」

 幸宏に残りの処理をお願いして、あんじゅは口直しにお茶を飲んだ。飲み終えたところで、京が傍にやってきた。
「あの……柚村さん」
「ん?」
「その……すみませんでした」
「さっき謝っただろ。何度も頭下げなくていい」
「はい」
 あんじゅは小さく頷くと、トングで料理を取る。
「会場はどうでしたか?」
「別に普通だ。お前がレンズ越しで見てるものとなんも変わらねえよ」
「そういえば、電話してるの見ましたけど、誰からですか?」
「……クソ野朗から」
 答えが返ってくるまでに変に間があった。それ以上あんじゅは訊かず、並べられている料理を選ぶ。
「これ鹿ですね。おいしいですよ」
「よくわかるな」
「小さい頃はよく食べてました」
「そういえば、そんなことも言ってたな。じいさんと猟してたんだろ?」
「はい。吊るして解体したりとかも」
 似合わねえな、と京が言うと、トングで鹿肉を取った。
「元気なのか? じいさんは?」
「死にました。
 平坦な声であんじゅは言う。京の方もそれ以上先を訊かなかった。しばらくの間、妙な沈黙が流れた。気まずくさせただろうか、とあんじゅが思うと、声をかけられた。
「やあ、楽しめているかい?」
 やってきた大沼議員は上シャンパングラスを持ち、機嫌な様子だった。酒をかなり、飲んでいるのか蓄えた白髭が強調されるくらい、顔が赤い。
「君ら、【彼岸花】の早見隊だろう?」
「ええ、そうです」
 低い声であんじゅは返す。
「君たちが、息子を助けてくれたそうだね。ありがとう」
 その言葉を受けて、あんじゅは目を見張った。自分がなぜ感謝の言葉を受けなければいけないのか、わからなかった。
「凶暴な吸血鬼を相手にしなければいけない仕事だ。どれだけ過酷で大変なことかわかるよ。早く吸血鬼がこの世から消えてくれることを願おう」
 はい、と消えそうな声であんじゅは答えた。大沼議員の顔をまともに見れない。助ける、自分がそう言って、安心させたの顔が浮かぶ。複雑な感情がいくつも湧き出てきた。声にして、形にして、表してしまいたい。そんな気持ちを押さえつけた。
「息子は吸血鬼になってしまったが、君らのせいじゃない。危険に晒されていながらよくやってくれている。ありがとう」
 皺だらけの手が差し出された。無意識のまま、あんじゅも手を出し、握手を交わす。大沼議員の手はやけに温かかった。それとも自分の手が冷たいだけなのか、あんじゅにはわからなかった。
 大沼議員は、京とも握手を交わして、立ち去る。料理が残されたままの取り皿を置いて、あんじゅはソファに座りこむ。顔を上げることができず、フロアの床に視線を落とす。
 感佩かんぱいされても、それを受け入れることなどできなかった。受け入れてしまえば、の死が正しかったということになる。そんなこと思いたくなかった。
「老害のジジイですね、ホント」
 悪態をつく女性の声が聞こえてきた。あんじゅは俯いていた顔を上げる。眼鏡をかけたドレス姿の女性が立っていた。
「やあ、霧峰氏」
「矢島……さん?」
 きょとんとした様子であんじゅは矢島を見上げた。
「えっと……あれ? なにしてるんですか?」
「うーん、説明するのがめんどくさいので、柚村氏に訊いてください!」
 矢島は親指で京を指した。
「あれ? まだいたんですか?」
「すぐに帰ろうと思ってたんですけど、カニやホタテが美味しすぎて。しかもフォアグラに燕の巣まであるなんて……私これ最後の晩餐でもいいくらいですよ」
「金のかかる最後の晩餐ですね」
「ほらほら、柚村氏も食べときなー。現場の吸血鬼捜査官なんて、いつ死ぬかもわからん職ですよ」
 酔っているのか、矢島は上機嫌で京の背中を叩く。
「霧峰氏もー、なに暗い顔してるんですか? クソジジイの妄言なんか間に受けちゃダメですよ」
「ちょ、矢島さん……!」
 やけに大きな声のトーンなので、あんじゅは周りの目を気にして肝を冷やす。
「本当に気にすることないですよ、霧峰氏。大沼議員は、モールでなにがあったか全部知ってますから」
「え?」
 あんじゅは弾かれたように顔を上げた。
「知ってるって……」
「ええ。一悶着あったことも、誰がどうしたかも、その内容も。知ってて、今の言葉をあなたにかけたんですから」
 あんじゅは、遠くで大笑いをしている議員の方を見る。こちらに気がつく様子もなく、再び談笑し始めた。
「なんでそんなことを?」あんじゅが訊くより先に、京が矢島に訊く。
「……さあ? 息子より親子を優先しようとした霧峰氏に対する嫌がらせじゃないですか? 表向きは竹を割ったような性格ですが、裏ではよくない噂を聞きますし」
 あんじゅは目を開いて大沼議員を見る。沸々とした怒りの念が湧き上がるのを感じた。大沼議員は、篠田未羽を悼む気持ちなどないのだ。息子の席を空ける代わりに、弾き出されて殺された者のことなど、どうでもいいのだろう。
「気にしちゃダメですよ、霧峰氏。どうせ、そのうちバチが当たりますから」
 矢島はそう言うと、スタッフに空の皿を渡す。
「いやあ、食べた食べた」
「帰られるんですか?」
「ええ。全種類味わいましたから。それに、まだ仕事があるので」
 矢島はそう言うと、そのまま会場から出て行った。見送ってから、あんじゅは会場を見渡す。そこで一人居ないことに気がついた。
「あれ?」
「どうした?」
「あの、綾塚さんは?」
 あんじゅが言うと、京も会場内を眺め回す。あんじゅも、もう一度見てみるが、前髪を赤く染めている副隊長の姿は見当たらない。
「……あいつどこ行ったんだ?」
 京の疑問に、あんじゅは「さあ?」としか答えれなかった。
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