Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

64.continuance

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 矢島から突然の呼び出しを受けた早見は、【彼岸花】の上級役員専用のエリアを歩いていた。窓に目をやれば、都内のビル群が見渡せるが、景色を楽しむ気分にはなれない。
 ノックをして入ると、向き合ったソファとテーブルが見えた。それと、矢島のデスク。だだっ広い部屋にあるのはそれだけ。
「わざわざ呼び出してすみませんね」それだけ言うと、矢島は単刀直入に事を告げた。
 その内容を聞いた早見は、呆然とした。
「えっ……と、どういうことですか?」
「難しいことは言ってないですけど? 言葉の通りですよ、早見氏。あなたの隊はこの件から外れてもらいます。モールの……永遠宮千尋の件は、美堂氏のところと、他の隊に回しますから」
 言って、矢島は無邪気に笑う。その笑みには、意地の悪さがふんだんに込められているように思えて仕方がなかった。呼び出しをくらったと思えば、今の仕事を外れろと言う。それも、美堂隊を含んだわけではなく、早見自分の隊だけ。
「失礼ですが、納得できません。理由はなんです?」
「納得ねえ……」
 矢島はわざとらしく呆れ返る動作をしてから、ため息をつく。
「早見氏。出世したいなら覚えておいた方がいいですよ。納得とか、理由を聞かせてー、とか、上の人間が嫌う言葉ですから。さっさと動いて欲しいんですから」
「こんなことを突然言い渡されても……理由を訊くなって方が無理だと思いませんか?」
 引き下がるつもりはなかった。一方的に担当から外すなど、理不尽すぎる。しばらくしてから、矢島は口を開いた。
「……原因は二人。柚村氏と霧峰氏です」
 矢島は指で“二人”の意味を込めたピースサインを作る。
「モールで起こした霧峰氏の吸血鬼に対する行動。そして、柚村氏の永遠宮千尋に対する対応と関係……このお二方は、吸血鬼退治職務を遂行できるか。あと、副隊長にスナイパーさんも正直どうかと……とりあえず、この件は隊ごと外させていただきます」
「待ってください。あの二人に落ち度なんてありません。他の者もです、私の隊はきちんと職務を果たせます」
 早見は語気を強めて矢島を睨む。相手は【彼岸花】の上級役員だ。矢島の一言で自分が職を失う可能性も十分にある。それでも、部下を小馬鹿にする物言いは見過ごせなかった。
「あのですね、早見氏。永遠宮千尋は【彼岸花】の元捜査官であり吸血鬼化した後、能力種として目覚めている。その能力は噛み付いた者をを操るという……これだけでも厄介なのに、これ以上の不安要素は持ちこまないでほしいんですよ」
 やや疲れ切った声で矢島は言う。わかってくれ、と、そんな念が込められているように思えた。それ以上言うことはせず、早見は一礼してオフィスを後にした。



 ○



 、あんじゅはテレビのリモコンを押した。
 早見隊のオフィスに移されてから、備え付けてある壁掛けのテレビは、あんじゅの記憶の限りでは一度も点いていた覚えがない。見たい番組は特にないのだが、映像を映すとどのような感じになるのかが単に気になった。それだけ暇なのだ。
 モールの一件以来、進展はない。血液輸送車の襲撃もなく、新たな手がかりも見つかっていなかった。唯一、沙耶の捕らえた吸血鬼と京の持ち帰った試験管の人工血液、それらから手がかりが掴めて先に進めると思ったのだが、どちらとも難航している。必死の捜査にも関わらず、永遠宮千尋に関する情報を何一つ拾えていなかった。
 行き詰まった今は、巡回や市民からの通報を受けて吸血鬼退治に向かうくらいしかない。関係ない案件ばかりを処理しているので、事件について話すことが少なくなってきていた。
『──それで、この収容所なんですが、他の吸血鬼の収容所と大きく違う点があるそうですね?』
 タレントキャスターがリポーターとやりとりをしている。時刻は正午。この時間帯だとニュース番組が主だろう。
『はい。この東京湾に面した吸血鬼の収容所──【舞首まいくび】なんですが、裕福層向けの収容所なんですね。どういうことかといいますと、吸血鬼になってしまった……いわゆる政治家や経営者の方がここに収監されて、ビジネスなどを行うということです』
 女性リポーターの背後には、要塞のような巨大な建造物が建っていた。テロップには『ホテルより快適? 最新設備の収容所とは』と書かれている。
「……なにこれ?」
 思わずそんな声が漏れた。快適な収容所と書かれていても、単語に差がありすぎて想像がつかない。
「新しく造られた収容所か」
 京の声が後ろからした。
「柚村さん知ってるんですか?」
「たまにニュースでやってるぞ。新しい吸血鬼の収容所。収容規模は最大五十名ほどって聞いたな」
「五十名って……この大きさだと、他の収容所に比べたら少ない気が……」
 収容所に収監できる吸血鬼の数は多くて百名ほどだ。それ以上は土地や職員、人工血液の供給が追いつかない可能性があるため、制限がかかっている。テレビに映っている収容所は規模としてはかなり壮大だ。外観から判断しても、二百名は収容可能に思えた。
「まあ、入る連中が普通じゃねえからな」
「え?」
 どういうことかと訊こうとしたところで、映像が切り替わった。吸血鬼の収容される部屋の映像が出てくる。その空間は、まるで高級ホテルのようだった。吸血鬼用の独房という説明がなされたが、鉄格子もなければ、狭苦しくも薄暗くもない。絢爛豪華けんらんごうかな室内に、シャンデリアに最新の電子機器、ベッドには天蓋てんがいまで付いていた。これを独房だと呼んでも誰が信じるだろうか。現に、あんじゅも半信半疑でニュースを眺めている。
「なにこれ? どこの金持ちの家?」
 目を丸くしていると、美穂がテレビの前にやって来た。あんじゅが説明をすると、すぐに美穂の目は気にくわないといった風に変わる。
「はあっ!? 吸血鬼のくせに……なんでこんな豪勢なのよ、意味わかんない。誰が入んのよ、こんなとこ?」
「居なくなったら経済的な損失とか、社会的な損失がデカい連中とかだよ」
「例えば?」
「吸血鬼化した経営者や社長とか、政治家やその親族とかだろうな」
「コネと権力とブルジョアの施設ってわけね……」
 あんじゅは二人の会話を聞きながらうつむく。篠田未羽のことが、まだ忘れられなかった。あんじゅは事件後に小太郎と莉子に一度だけ再開した。当たり前のように、二人から母親の様子を訊く問いが投げかけられた。それになんと答えていいのか分からず、あんじゅは言葉に詰まった。なにか取り繕うことを言って、その場を済ませたことは覚えている。それ以上を思い出すことはできなかった。
 不意に扉の開く音がした。やってきたのは、早見だ。
「おはようございます。早見さん大丈夫すか?」
 優れない顔色を察知してか、幸宏が声をかける。
「あー、うん、大丈夫よ。とりあえずみんないるわね」
 早見は部屋を見渡す。今日は全員が出勤していて、今現在出動している者もいない。
「えっと……みんな、伝えなきゃいけないことがあるの、聞いて」
 神妙な面持ちの早見に、全員が彼女の方に体を向けて耳を傾ける。
「私たちの隊は、今回の……モールの事件から降ろされることになったの」
 一字一句はっきりと聞き取れた。聞き取れたにも関わらず、あんじゅは再度、早見の言ったことを確認する。
「それって、私たちを事件の担当から、外す……ってことですか?」
 問いは頷きで返される。困惑が伝染するように広がっていった。
「なんだそれ……なんで俺たちが外されんだよ!」
「えっと……理由は言えないの。ゴメンね」
 幸宏の抗議に、早見は両手を合わせて頭を下げる。心底済まなそうに謝罪する早見を誰も責めることはしない。上からの命令を伝えただけなのだから。それでも、不服の色が消えることはなかった。
「なら……私たちはなにすればいいんですか?」
 美穂が訊く。
「そうね……とりあえず今日は、溜まってる書類仕事ね。期限迫ってるのもあるから、遅れないように。巡回行きたい人いる?」
 沙耶と京とカイエの三人が手を上げた。
「じゃあ、お願いね」そう言って早見は三人を見送った。
「鵠さん、綾塚さんと行かないんですか?」
 沙耶が手を上げた時に、美穂は立候補していない。それが少しばかり不思議だった。美穂は沙耶のことを慕っているため、一緒に赴くと思っていたのだが。
「終わってないのよ」
「え?」
「だから、終わってないのよ。書類仕事が」
 美穂は億劫そうに答えると引き出しから山のような書類を取り出して、書き込んでいく。残った他のメンバーも無駄話をすることなく目の前の仕事に取りかかっていた。
(担当から外された……か)
 あんじゅは、胸の内で呟く。理由は言えない、と早見は言ったが、「私たちの隊」と言ったことで原因が少しだけわかった。早見隊に。隊に問題があるということは、そこに所属する誰かだ。そうなれば、原因は自分なのではないか。
 吸血鬼を庇う言動は問題視される。特に吸血鬼を狩る【彼岸花】では。潜入して内部から崩壊させていく吸血鬼擁護派のスパイ、そう思われても仕方がない。
(けど……自分の行動は間違いだと思っていない。間違いを犯したつもりはない)
 そう言い聞かせて、あんじゅは仕事に取りかかった。



 ○



 京は【彼岸花】の西門を出ると、早足に立ち去る沙耶を見送った。
「三人一組じゃないんですね」
 隣で同じように見送るカイエが言う。
「あいつ、団体行動とか嫌がるからな。一人で行かせた方が、恨み言やら小言やら言われなくて済む」
 沙耶は短く愚痴を吐くときもあれば、鋭く棘のある物言いをすることもある。沙耶のストレスのはけ口が自分になっていることを、京は憂いていた。いっそ自分に懐いているに聞いてもらえばいいのに。
「副隊長とはずいぶん親しいんですね」
「アカデミーの時に一緒だった。同期みたいなもんだ」
 おかげで、沙耶がなにを嫌がるかを京は大体知っている。反対に、喜ばせる方法は一つも知らないが。
 そういえば、と思い出したように京は言う
「お前と霧峰も同期だろ?」
「……新卒って意味ではそうですね。まあ、俺は習った場所が違いますから。そもそも霧峰さんって『技術班』を受講していたんでしょ? なら俺とは会わないと思いますけど」
「そりゃそうか……出身は?」
「北海道の方です」
「なんでこっち来た?」
「都会の方が吸血鬼が多いからです。それより見回り行かないんですか?」
「そうだな……」
 京は考えこむ。正直、巡回する気などない。外に出たのは気分的な問題だった。早見からの報せを受けて、京は内心複雑な気持ちを抱いていた。隊が仕事を外された原因は自分だ。その理由は千尋に対する憐憫れんびんの情を上が感じ取ったからだろう。吸血鬼の肩を持つ気はないが、自分がいくらそう思っても、判断するのは他人だ。
「別れてそれぞれ一人で巡回……でもいいか?」
「一緒じゃなくていいんですか? 新人と先輩って組むものでしょう?」
「お前新人離れしてるから、大丈夫そうだけど」
 カイエの対吸血鬼の戦闘能力は高い。正直な感想を述べれば、あんじゅよりも上だ。吸血鬼と対峙しても落ち着き払っているし、個人で行動させても大丈夫な気がした。
「じゃあ、サボっていいんですね、行ってきます」
「おい、そこまで堂々と言うのはちょっと咎めるぞ」
「冗談ですよ」
 そのままカイエは雑踏の中に消えた。残された京も、行くあてのないままとりあえず歩き出す。



「珍しいな……」
 裏通りから出てきて京は思わずそんなことを呟く。一時間ほど巡回をしてみたが、今日は吸血鬼を一人も見ていなかった。それどころか、痕跡すら見当たらなかった。大抵はなにかしらあるものだが、目撃証言すらない。誰もが不用意に吸血鬼の居そうな場所に近づかないようにして、吸血鬼の方も人間を襲うのは最小限に留めているのだろう。
 京は目についた裏路地に入る。ここで出会わなければ、引き上げるつもりだ。裏路地は人の通りもなく、生ゴミの臭いが鼻をつくだけでなにもない。身をひるがえし、来た道を戻ろうとしたところで、誰かが立っているのが見えた。
「やあ、京」
 京は思わず我が目を疑う。目の前に現れたのは千尋だった。
「お前……っ!」
 京は反射的に銃を構えようとした。だが、先に間を詰めた千尋は、そのまま銃を引ったくる。
「まだこれ使ってるんだ。お揃いだね」
 奪った銃をまじまじと見ながら、自分の銃を取り出す。同じモデルで同じ色。まだに千尋が使っていたものだ。どこか嬉しそうなその様子は、同じものを共有して喜ぶ無邪気な恋人のようだった。
「……ここでなにしてる?」
「ちょっと京に用事があってね、返すよ」
 千尋は奪った銃を差し出した。困惑しつつも京はそれを受け取る。
「聞きたいことがある。それも山ほどな」
「いいよ。京と長くお喋りできるなら僕は嬉しいけど」
 そうして笑顔を向ける千尋。なに一つとして人間だった時と変わってない。本当に吸血鬼なのだろうか。長い年月の末に、血を吸う奇抜な病から解放されたんじゃないかと思ってしまった。
「なにも言わないの?」
 千尋は黙り込んでいた京の顔を覗きこむ。噛まれてしまう、そう思い、反射的に京は後ずさった。千尋が目を剥いたのが見えた。胸を裂かれたようなそんなうら悲しそうな表情をしていた。千尋の顔からは笑顔が消え、そんな表情を見られたくないかのように俯いた。
「……悪い」
 思わず詫びの言葉が出てくる。それが慰めの言葉にすらならないのは京もわかっていた。人間のように見えて、人間だと思いこんでも、それは表面状でしかない。顔を近づけられ、血を吸われてしまうことを危惧した。それだけで、自分が千尋のことをどう見ているかがはっきりとした。
 ならば、なぜ謝罪したのだろうか。仲間を殺し、罪のない人を千尋は傷つけた。なにより相手は吸血鬼だ。葬り去らなければならない存在。千尋から銃を返されたその時に、頭に向かって引き金を引けばいい。それなのに、それもできない。自分は千尋を、人間とも吸血鬼とも認識できていない。ただ半端な気持ちで揺らめいている。都合の良い部分だけは人間として見て、それ以外は吸血鬼として見ているのだろうか。そんなどっちつかずな自分に京は嫌気がさした。
 なにも言わず、周囲が無音になる。しばらくしてから、千尋が顔を上げた。
「ねえ、京──」
 千尋は、一呼吸の間を空けた。まるで、次の言葉を強調するように。
「──僕に噛まれて、吸血鬼にならない?」
 
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