157 / 163
Friend
155. Panzer
しおりを挟むその音にいち早く気がついたのは、あんじゅだった。
何かの起動音、機械的な音がこちらに迫っているのを耳が捉えた。あんじゅはスコープで前方を確認する。暗視装置で視界はほぼクリアだが、音の正体は目視できない。こうしている間にも、音は確実にこちらに近づいてきている。
「あんじゅちゃん、なにか見える?」
「前方からは確認できません」
同じように音を捉えた早見の声に即答する。他の隊員も引き締まった面持ちで周囲を警戒し始めた。
不意にインカムから葵の声が入った。
『こちら里中です! 聞こえてますか?』
「ええ、聞こえてるわ葵ちゃん。どうしたの?」
『大変です! そっちに──』
葵が言うより速く、あんじゅは立ち上がって、早見の手を掴んだ。考えるより先に体が動く。そうしなければ、間に合わない。
「えっ!? ちょ──!?」
慌てる早見の手を引き、あんじゅはバンの屋根から共に飛び降りる。
砲弾が発射されたのは、そのときだった。
『──戦車が向かってます!!』
葵の声が耳を劈。だが、それ以上の弾着音があんじゅの、その場の全員の耳よりも奥底の脳みそにまで轟いた。
火の玉と化したバンが空中に浮かび上がる。バンは崖下に落ちることなく、ほぼ同じ位置に落下した。
炎の熱を感じながら、あんじゅは草むらから起き上がった。隣では早見が頭を抑えている。落下の際の出血はないが、衝撃波はモロに受けたらしい。
「す、すみません! 無理矢理引っ張ってしまって……!」
「いえ、ありがとう。というか、なによあれ!?」
あんじゅは再びスコープで捉えようと試みる。だが、燃え上がる車体に森は照らされ、暗視装置は必要なかった。目視で、それを確認できた。
砲身とキャタピラを備えた鉄の塊は、ゆっくりとこちらに向かってくる。映画の中でしか見たことのない戦車という兵器を目の当たりにしたあんじゅは、圧倒的な威圧感を肌で感じ取った。
「みんな大丈夫!?」
早見が声を上げる。
「こちら柚村……相澤が気絶したけど、怪我はしてない」
「氷姫……特に問題なし! なんなんだよ今の!」
カイエの声がない。早見が慌てて名前を呼んだ。
「カイエ……? ねえ、カイエ!」
『……無事です、崖の下です』
無線からカイエが答えた。
あんじゅが覗き込むと、木の隙間からカイエの姿が見えた。大木の太い枝たちに引っかかって、辛うじて落下は免れたようだ。
「大丈夫か?」京の声だった。
『ええ……災難続きですよ。本当に』
そのとき、二発目の発射音が聞こえた。全員が咄嗟にその場に伏せる。弾は森の中の大木に当たり、再び衝撃波が飛んできた。
京と幸宏が発砲するものの、鉄の怪物相手では豆鉄砲に過ぎない。
「っていうか、アレなんなんですか!?」
『ロシアで二十年前まで作られた戦車です。装甲は分厚く、対レーザー用も施されてます』
「なんで連中がそんなもの持ってるんだよ!」
『わ、わかりません! 現在は配備されてない車体なので、横流しされたんじゃないかと……』
葵は慌てて付け加える。
あんじゅは無線で沙耶を呼んだ。
「綾塚さん、そちらにラザロは?」
『確認できなかった。蜂谷たちの方でも見てないそうだ。おそらくは、その戦車の中にいる可能性が高い』
あんじゅは戦車の方を見た。早見や京も、その鉄の塊に視線を向ける。
「冗談でしょ……」
あの中にラザロがいるとしたら、分厚い装甲を破壊して、そこから引きずり出さなければならない。それを手持ちのわずかな銃器で、完遂しろというのだ。
「無茶……っていうか無理だろ」
相澤桃を肩に担いだ京は弱気なセリフを吐く。
「戦車と戦うことなんざ、想定外もいいとこだろ。こっちは軍人じゃなくて、吸血鬼と戦うのが仕事だってのに」
桃を木陰に寝かせた京が銃の撃鉄を引いた。引きつったような笑みを浮かべて、戦車に向けて構える。
「こんなの自殺行為ですよ柚村さん」
「ここで尻尾巻いて逃げたら、目の前で見てる後輩に示しがつかねえだろ」
京はそう言うと、戦車に向かって発砲した。
「──っだぁ! なんっすか!? なんっすか!? 耳と頭がめっちゃ痛いっす! なにがあったんすか、もー!!」
銃声よりも大きく、爆弾のような声が響いた。桃が頭を抑えながら飛び起きて、唸っている。砲弾から受けた影響全てを声で追い払うかのように、やかましく叫んでいた。
「相澤さん、大丈夫!?」
「オッケー……すけど! なんすっかこれ……うおっ!? 戦車じゃないですか!? 戦争でも始めるんっすか!?」
「一度落ち着いて、深呼吸して」
早見の言葉に、桃は勢いよく息を吸って、同じように吐く。獣の咆哮のような深呼吸をあんじゅは始めて目撃した。
砲弾が再び発射された。幸いにも誰もそれをくらうことはなかったが、音による圧で耳がやられそうになる。京と幸宏は反撃を試みるものの、期待した効果はない。弾かれた弾丸が森の中へと消えていくだけだった。
「な、なにしてるんすか? 戦車相手に鉄砲って……」
「あの戦車の中にラザロがいる可能性が」
「対戦車ライフルとか、形成炸薬弾とか持ってきてないんすか!?」
「ないですよ! 吸血鬼相手にそんな、オーバーキルするようなものは」
「そうすっか……なら──」
桃は自分の荷物を取り出す。オレンジ色に塗られたグレネードランチャーが飛び出してきた。
「わたしの出番っすね」
不敵な笑みを浮かべ、桃はグレネードランチャーを戦車に向ける。
「あの……たしかに銃よりは有効かも知れないですけど、さすがに……」
「大丈夫っすよ。戦車も吸血鬼も、みんなぶっ殺してやりますから」
「いえ……殺すのはマズいわ。生け捕りにしないと」
早見が言い終えると同時に、桃は引き金を引いた。榴弾が弧を描いて飛んでいく。車体に弾着する寸前で、弾が弾け飛び、中から液体が飛び出した。
「危ないっすよー! 触れたら溶けますから!」
桃は京と幸宏に警告すると、もう一発発射した。今度の弾はキャタピラの近くで破裂し、またも液体をまき散らした。化学薬品と焦げ臭い匂いが辺りに拡散していった。
「これって……?」
あんじゅは思わず凝視した。液体が触れた箇所はアイスようにドロドロに溶けている。重みある鉄の戦車の輪郭はもはや形を成してなかった。
「硫酸グレネードっす。鉄の扉を溶かすのには有効っす」
桃はそうして引き金を引く。弾は砲身の近くで炸裂した。
「ちょ、ちょっと! ストップ! 中の吸血鬼まで溶けちゃうから!」
「いいんっすよ! 戦車を止めるためっす! それに、胸糞悪いバケモンどもなんざ、全滅してもかまいませんから!」
早見の制止を無視して桃は再び狙いを定める。それを止めたのは京だった。
「桃ちゃん。もういい、これ以上やるとまた蜂谷さんにどやされるぞ」
「えっ、あっ! す、すみません柚村さん! わたし取り乱しちゃって……! 本当に申し訳ないっす!」
桃は何度も何度も頭を下げた。放っておくといつまでもやりかねないと思ったのか、京が手を触れて、頭を撫でた。
「助かったよ。ありがとうな」
それだけ言うと、銃を構えて戦車に近づいて行く。
「柚村さんに褒められた……えへへ」
そんな独り言が聞こえてきた。任務は終わってないが、桃の頭の容量は一杯になったらしく、その場で嬉しそうに惚気ていた。
「わたしがそばにいるから、あんじゅちゃんは京くんと幸宏の援護お願い」
「わかりました」
あんじゅは近づく二人から離れた位置でライフルを構える。神さまの援護だろうか、月明かりすら味方になってくれた。
戦車は完全に沈黙していた。キャタピラとアスファルトは溶解して混ざり合い、同化している。砲身も溶けて固まり、無効化されていた。
「終わりだ、出てこい!」
京が声を張り上げる。
ハッチが開き、無防備な両手が見えた。続いてその顔がゆっくりと現れる。
ラザロ・マッギルは息を乱しながら、ゆっくりと戦車から出る。硫酸グレネードの影響を受けたのか、顔の一部は溶けて肉が見えていた。
ラザロは戦車から落ちるように降りた。それでも両手を上げるのをやめなかったのは、命が惜しいのだろう。
「霧峰、見張ってろ」
「はい」
「近づかなくていいからな」
京と幸宏は戦車の中に残っている吸血鬼がいないか、調べ始めた。
あんじゅはラザロの方を見た。見張り、と同時に昔話が蘇る。
それはまだこの仕事に就いてから間もない頃だった。囮作戦が失敗したせいで、危うくこの国の土を二度と踏めなくなりそうになったことを思い出す。あの事件で国外に売られた少女の何人かは今も見つかってない。吸血鬼に変えられた者もいる。彼女たちはまだ何も知らない、知る必要のない十代の幼い少女だった。
どうしてこの吸血鬼はのうのうと生き長らえているのだろうか。
見張りの顔を確かめるように、ラザロがゆっくりと顔を上げた。
「おや、どこかで会ったか?」
「……お久しぶりです」
「ああ……思い出したよ。今日は金髪じゃないのかな?」
港でのやりとりを思い起こさせるように、ラザロは嘲笑う。
「きみの血は熟れて美味しくなかったが、時々思い出す味だよ。もう一回だけいいかな?」
「黙っててください」
吐いてもいいから、この吸血鬼を撃ち抜きたい。そんな衝動が、あんじゅの中に小さな火を宿した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
12
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる