Ambivalent

ユージーン

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 会議を終えて、隊のオフィスであんじゅは会議室から持ち帰った資料を閲覧していた。一枚を読み終えて、また一枚めくる。そこまで分厚くない資料なのに、やけに読むのに時間がかかった。
「【吸血系】の例……血を吸った相手に激痛を与えたり、失明、身体を麻痺させる……血を吸った相手を腐らせる……ええっ、そんなのもあるんだ」
 独り言を混じらせて、あんじゅは資料を音読する。
「【吸血系】の別パターン……血を吸って自分の身体を透明化、血を吸って相手の顔に成りすます……」
 血を吸った相手の身体を麻痺させたりするのは、毒ヘビのように思えて受け入れやすいが、摂取対象を腐らせるだの、相手の顔になるだの、そこら辺は、非現実的過ぎる。まるで、ファンタジーの世界にありそうな一種の魔法だ。
「さっきからどうした?」
 机を挟んだ真向かいに座った京が、訝しむような視線で見てくる。
「いえ、あの……なんとなく読んでみようかと」
「独り言ぶつくさ呟いてて、不気味なんだが」
「そ、そんな心底気味が悪いような言い方しなくても……」
 むう、とあんじゅは眉をひそめる。同じく部屋にいる上條真樹夫と美濃原カイエは特に気にかけていないというのに。
「そういえば、お前立候補しなかったのか? 新しい隊長と副隊長に」
「……わたし新人ですから、そもそも立候補資格もないかと。というか、わたしが隊長やったとして、柚村さんは不安じゃないんですか?」
「言うこと聞かねえから大丈夫だよ」
「ええっ……」
 ここにいない他のメンバーは、別室で新しい隊長と副隊長を決める話し合いを行っている。あんじゅたちは、特に誰がリーダーになろうと構わないので戻っていた。
「ところで柚村さんは見ないんですか? 能力種の資料」
「持って帰ってない」
「えっ……いいんですか、読まなくても」
「資料なんかいくら熱心に読んでも死ぬ時は死ぬ。ペーパーテストならまだしも、戦闘だとその場その場で状況判断しなきゃならねえんだ。書かれてないことが起こって慌てても、チャラにはならないだろ」
 京の物言いが黒川副局長のように聞こえた。不測の事態を乗り切るには教科書の項目を守るだけでは意味をなさない。むしろ書かれていることに縛られて柔軟な思考ができなくなる。そう言っているようだった。
「やっぱり、経験豊富な先輩捜査官は違いますね」
 皮肉とかではなく、素直な気持ちであんじゅは言った。
「いや、お前も『戦術班』だろ霧峰」
「……でも、私が『戦術班』だと、上條さん一人で『技術班』の仕事賄うことになりますから……両方こなせる私なら、大丈夫かもしれないですし」
 あんじゅは作業中の真樹夫の方を見る。一瞬だけ目が合ったが、慌てたように逸らされた。
「ああ……そっか。一人だとキツイか上條?」
「い、いや、キツくは……あっ……や、やっぱりサポートは必要、うん、必要かも」
 なんともない、と言いたげな顔がすぐに曇った。やはり、『技術班』の仕事をほぼ一人でこなすのはキツいのだろう。
「すみません……役に立たなくて」
「い、いや、別に……き、気にしなくても……」
 真樹夫は、上ずった声を出して首を振る。
「そういえば、室積さんに言われてたな。『技術班』は成績普通で合格ラインギリギリだったって」
「……柚村さん、今日はなんだか私に噛み付いてきてませんか?」
「いや、別に」
 からかうような物言いであしらわれる。あんじゅは、自分がなにかしでかしたのかと思ったが、単に遊ばれているだけだとわかった。
 目を擦り立ち上がると、あんじゅは備え付けてあるコーヒーメーカーの方に向かう。設置されていることにはこの前気がついたばかりで、せっかくなので試してみようと思っていた。
『こんにちは』
 コーヒーメーカーが光り、加工された女性の声が挨拶をしてきた。
「えっ、あっ……喋るんだ」
 そういえば、コマーシャルで見たことがあった。音声識別ができるタイプのコーヒーメーカー。使う人間を記録、記憶して、豆さえ投入しておけば、好みの味を提供してくれるらしい。
『ゲスト様ですか?』
 あんじゅは返答に迷う。使うのは初めてなので、ゲストと言っておくことにした。次に飲むコーヒーの豆の産地を決める項目が出てきた時は、舌を巻いた。
「すごい……」
 感心してみるが、あんじゅにコーヒー豆の知識はない。どこが美味しく、どこがどんな味なのか、そもそもコーヒー豆の味の違いを自分が理解できるのだろうか。
「これでいいかな」
 迷っても仕方ないので、日本から近いという理由でベトナム産のロブスタというやつにしてみた。
 砂糖とミルクの量を決める項目が出てくる。眠気が少し出てきたので苦手なブラックでいくことにする。ストレートの項目で大丈夫だろうか、そう思いながらもボタンを押した。
「これ、かなり本格的なマシンですね」
「そうか? 前の隊のオフィスにあったのをそのまま持ってきたやつだよ」
「前の隊って、室積さんよりも前ですか?」
 京は短く、ああ、と答える。
「コーヒーメーカーの小さなモニターに須藤すどうって名前があるだろ? それが前の隊長」
 確かに、アドレス帳のように表示された須藤の名前がある。ふと、あんじゅに疑問が生まれた。
「あの……この須藤さんって方は?」
 あんじゅの問いに、京は一呼吸おいて口を開いた。
「吸血鬼に殺された」
 やけに重々しい口調だった。よく見ると須藤以外にも、何人かの名前が見受けられた。あんじゅはそれ以上を聞くことはせずに、コーヒーの入った紙コップを手に取る。
 ふと、ある名前が目に入った。
 ちーちゃん。
 漢字表記された名前の中に、唯一の平仮名。沙耶と京に挟まれて載っているため、おそらく前の隊の人間なのだろう。
 名前を見ていると、オフィスの扉が開いた。やってきた人物はロン毛で鼻ピアスをしている──氷姫幸宏だとすぐにわかった。彼は特徴的だし目立つ。それに、好きな北欧のメタルバンドに、幸宏のような風貌をしているギタリストがいるため、あんじゅ個人としても覚えやすかった。
「くっそ……! ふざけんなクソッ!」
 幸宏は入ってくるなり悪態をつく。言葉のままに、かなり不機嫌そうなそうな面持ちだ。
「納得いかねえからな俺は、なんであいつが副隊長なんだよ!」
「はっ、あんたみたいなのより、沙耶さんの方がはるかにマシよ」
 続いて、美穂もやってきた。なぜか誇らしげな様子で。
「おう、終わったのか?」
 美穂に京が声をかける。
「ええ。沙耶さんが副隊長で、早見さんが隊長」
「……結局そうなったのか」
 隊長と副隊長を決める話し合いは、結局立ち位置から動かないまま終わったようだ。
「気に食わねえ……つーかカイエ! テメェなに先に帰ってんだ!」
 半ば八つ当たり気味に吼える幸宏に、カイエは肩をすくめる。
「……俺は別に誰が隊長やってもいいんですが」
「誰でもいいなら俺を副隊長に推薦しやがれ。新人だろうが、先輩をたてろ!」
「ちょ、ちょっと…….!」
 幸宏が凄んでカイエに近づくので、あんじゅは慌てて止めに入った。
「えっ、と……氷姫さん、喧嘩はよそで……」
「……チッ」
 さすがに女性のあんじゅが止めに入ると、熱が冷めたのか幸宏は離れていった。
「はあっ……」
 どっと、疲れが押し寄せて大きなため息が出てくる。合併早々こんな調子で大丈夫なのかと、あんじゅは思ってしまう。
 しばらくすると、扉の開く音がして、綾塚沙耶と早見玲奈がやってきた。
「お待たせみんな」
 今さっきいざこざがあった事など知らない早見は、笑顔で手を振ってやってきた。
「えっと、一応改めてご報告。私が隊長で、綾塚沙耶ちゃんが副隊長。隊の名前は『早見と愉快な仲間たち隊』でいくから」
 早見の冗談に笑った者は、苦笑いするあんじゅくらいだった。当然のごとく、そんなふざけた隊の名前になるはずはないだろう。
「あの、オフィスはどこになるんですか?」手を挙げて、あんじゅは訊いた。
「オフィスは、私たちが元々使っていたところでいいって言われたわ。かなり広いわよ、よかったわね」
 となれば、総勢十八名が使っていた早見隊の方に移動することになる。今現在、新しい早見隊は八名なので相当スペースが余るのではないだろうか。
「とりあえず、今日は解散ね。あっ、休みは……誰だっけ?」
「私です」美穂が手を挙げた。
「そっ、じゃあ、美穂ちゃんは休日満喫してね。あっ、あんじゅちゃんも休んでいいわよ。まだ疲れてるでしょ?」
「えっ……でも」
「大丈夫。『技術班』の仕事は簡単な引き継ぎだけだから、そこは天才上條君に任せるわ」
 早見は、真樹夫に親指を立てる。真樹夫の方は恥ずかしそうに頭を下げた。
「それじゃあ、みんな、よろしくねー」
 早見はそう言うと、颯爽と立ち去る。沙耶も、早見に付き添うように出て行った。
 新しい隊。新しいオフィス。目まぐるしい速さで物事が決まっていく。果たしてついて行けるのだろうか、とあんじゅは思ってしまった。休みが明ければ、『技術班』として仕事をこなすのだろう。吸血鬼退治が専門の『戦術班』は半分以上の六名もいる。おそらく自分は『技術班』の仕事を任されるはずだ。となれば、仕事途中で倒れるわけにもいかないし、詰まるようなことも避けなければならない。自分の判断で隊員の命を危うくする可能性だってあるのだ。
 あんじゅは自分のスマートフォンを開く。
(……柴咲さんに相談してみようかな)
 メールアプリを開き、梨々香に明日会えるかを聞いてみる。十秒も経たないうちに「OK」の返事が返ってきた。
 とりあえずアドバイスをもらわなければ。自分の不甲斐なさをこれ以上露呈させるわけにはいかない。室積隊長に最初会って言われた通り、自分は『技術班』向きではないのだろう。
 ネガティヴ思考に陥ったところで、あんじゅはいれたコーヒーの存在を忘れていたことに気がつく。ネガティヴな思いを流すように一気に口に入れた。
「んっ……っ!?」
 口に含んだ瞬間に、クセの強さが一気に舌に染み込む。苦味を感じるものの、それ以上に強烈だった。
「んっ……ぐっ、ゲホッ……」
 とりあえず口に入れた分だけ飲み込む。舌に残る後味が尾を引いて、あんじゅはすぐにウォーターサーバーの水で浄化した。
「おい、大丈夫か?」
 京に声をかけられ、あんじゅは頷く。
「に、苦い……クセが強くて……残りは無理そうです……」
「いらないなら貰っとくぞ」
「ええ……どうぞ……」
 承諾すると、京は一気に飲み干した。
「……うそでしょ?」
 思わず胸の内で拍手を送る。間接キスだ、なんて思いつつも別に気にはしなかった。
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