Ambivalent

ユージーン

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at intervals

41.Crowd of Survivor

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 翌日。
 あんじゅが目覚めると、メールが来ていた。差出人は綾塚沙耶から。内容は朝一番に会議を行うとのことで、場所は第七会議室。昨日カイエから聞いた内容だ、とあんじゅは思い返しつつ、早めに家を出た。
 駅を通り、本部の門を通過し、隊のオフィスへと向かった。扉を開けると、二人の顔が見えた
「おはようございます」
「おはよ」
「おは、おはよう……ございます」
 あんじゅが挨拶すると、順に返してくる。
 鵠美穂と上條真樹夫。会うのは見舞いに行った時以来で、すでに元気そうだった。
「あんた、昨日倒れたの?」
 席に着こうとしたところで、美穂に声をかけられた。
「あっ……はい、すみません」
「なんで謝るのよ、別に怒ってないんだけど?」
 美穂の高飛車な口調に、あんじゅはまだ苦手意識が残っている。それでも、初めて会った時よりは、いくぶんか美穂の口調は丸くなっているような気がした。
「沙耶さん心配してたんだから、大丈夫ならちゃんと伝えときなさいよ」
「え? ……は、はい」
 勢いに任せて「はい」と答えたものの、あんじゅは美穂の言った言葉をもう一度巻き戻す。美穂の言う、「沙耶さんが心配していた」という言葉がどうもピンとこなかったから。
 実際、沙耶と自分がどのような関係が構築できているのか、あんじゅにはよくわかっていない。VR訓練の時に少し揉めたため、彼女の印象を悪く捉えてしまっていたし、なにより会話もほとんどしてない。
 見た目の冷たい印象と、吸血鬼を冷笑して狩る残忍さを目の当たりにし、あんじゅは自然と沙耶のことを冷淡な人間と見てしまっていた。淡々と仕事だけをこなすだけの人と。
「……綾塚さんって、意外と親戚なんですね」
「当たり前でしょ。あの人は吸血鬼嫌いなだけで、本当は優しいんだから。……ていうか、あんた今“意外と”って言わなかった?」
「えっ?」
「言ったわよね? “意外と”って、それってどういう意味で意外だったの?」美穂は、眉をひそめて詰め寄ってきた。
「あんた、まさか沙耶さんのこと、冷酷だとかそんな風に思ってるわけ?」
「ええっ……と」
 素直に、はい、と口から出そうになったが、あんじゅはそれを飲み込む。うっかり漏らしてしまえば、美穂がどのような顔をするかは容易に想像できた。
 美穂は怒っているという風には見受けられなかった。だが、眉をひそめているので、不機嫌そうなのは一目瞭然だった。
「えっと……」
 あんじゅは助け船を出そうと、ちらっと、真樹夫の方を見るが、目を逸らされる。
「ちょっと霧峰、答えなさいよ」
 急かすように、美穂はさらに近づいてきた。
「あのっ、鵠さん近いです。顔近いですから」
「だから、どう思ってんのか聞いてんだけど? 言えば済むでしょうが」
「だから……ええっと……」
「答えなさいよ、怒らないから!」
 美穂は壁に手を置いて、完全にあんじゅの退路を断った。
 背丈のある美穂に間近で迫られると、自然と恐怖心が芽生えてしまう。まるでカツアゲされているようだ。
 あんじゅが困り果てていると、ちょうど京と沙耶がやって来たところだった。
「あっ、沙耶さ……副隊長!?」
 沙耶の姿を確認してか、美穂はすぐにあんじゅから離れる。助かった、と思いながらあんじゅも距離を置いた。
「鵠、わたしより歳上だから公私の分別はつくだろう。仕事中にそういうこと・・・・・・をするのは慎め」
「へ? いえ、あの……」
「それと、強引な手段は個人的に感心しないな。霧峰の気持ちもあるだろう。そこのところは誠実に話し合え」
「はいっ!? ち、違いますこれは……!」
 美穂は慌てた様子で弁明しようとした。沙耶の抱いたあらぬ誤解が、冷たい視線に変わって美穂に刺さる。
「えっと……霧峰! 違うわよね? ねえ!?」
 目を剥いた美穂は、威圧的な視線をあんじゅに飛ばしてきた。あんじゅが言葉を選んでいると、京がツッコミを入れる。
「脅してねえか?」
「うっさい柚村! えっと、副隊長さっきのは……」
「悪いが時間がない、連絡した通り今から会議室に向かうぞ」
 論じる時間を与えてもらえなかった美穂は肩を落とす。あんじゅが見た中ではおそらく一番の落ち込み様だろう。美穂は顔を上げると、真樹夫の方を見た。見た、というよりは睨んだの表現が正しかった。
「ひっ……」
 美穂と目が合った真樹夫は、ライオンに睨まれたシマウマのように怯え出した。弁護しろ、美穂がそんな目で訴えているのがあんじゅにはわかった。唯一の目撃者であり、沙耶も耳を貸してくれそうな人。誤解を解くために、真樹夫の証言を美穂は求めている。その当の本人はといえば、面倒事に巻き込まれたくないといった感じで、いの一番にそそくさと出て行った。
 あんじゅも、京の隣に立ち、これ以上なにかを言われるのを避ける。美穂に睨まれたが、変に萎縮することはなかった。目に浮かべた涙を見たときは、少しだけ同情心が芽生えたが。
(私のせいじゃないと思う……)
 そう言いたかったが、胸にしまっておくことにした。
 気持ちを切り替えて、あんじゅは京に声をかける。京の健全な様を見るのは、久しぶりだった。
「柚村さん、おはようございます」
「よう。鵠に襲われそうになったら言えよ、見届けてやる」
 助けてくれないのか、とあんじゅは胸の内でツッコミを入れる。
「別に襲われてたわけじゃないです」
「じゃあ、あれは合意なのか?」
「違います! まず根本が違いますから!」
 首を振ってあんじゅは否定する。どうも京も沙耶と同じ誤解をしているらしい。
「ところで柚村さん」
「なんだ?」
「昨日お見舞いに行ったんですけど……」
 花束を持ってきた人物について、あんじゅは訊こうとした。
「昨日? なんでわざわざ? というか、昨日は俺いなかったろ。退院してたし」
「はい。それで──」
「あら、お揃いね」後ろからのその声に、あんじゅは振り返る。早見玲奈が立っていた。
「おっ、あんじゅちゃん大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です。昨日はありがとうございました」
「ふふっ、お安い御用よ」
 ドヤ顏でピースサインを作る早見。その動作はまるで無邪気な子どもの様だった。
「なんかあったのか?」
「えっと、ちょっと倒れちゃいまして」
 やってしまった、そんな具合に軽い口調で京に説明するあんじゅ。
「倒れたって……霧峰、お前なにしたんだ」
「一週間ここで『技術班』のお仕事を」
「『技術班』って……まあ、そっちを学んでたからできるんだろうけど……倒れるまで働くなよ」
 両立してまで働き、そして倒れたあんじゅに呆れてか、京はため息を吐く。
「お前意外とバカだよな」
「あはは……」
 京の辛辣な一言に返す言葉があんじゅにはなかった。



 ○



「よお、お前ら」
 会議室に入ってきたあんじゅたちに、一足先に来ていた氷姫ひびめ幸宏ゆきひろが声をかけてくる。遠くに美濃原みのはらカイエの姿も見える。
「あら、二人とも早いのね」と早見
「隊長含めて他が遅いんですよ。ん? おい、あのケバいギャルは?」
 幸宏は、人数を数えて怪訝な面持ちになった。欠けた人物は、室積隊のメンバーで、彼の記憶に一番残っている人物だろう。
「柴咲なら、辞めた」
 淡々と沙耶は答える。驚いて辞めた理由を尋ねる幸宏だが、沙耶はさあ、と言うだけだった。沙耶自身は去る者に興味ないらしい。
「これで全員よね? 黒川さんまだかしら?」
 早見が見渡すが、それらしき人物は見当たらない。すり鉢状の会議室なので、進行役が下の机の前に立ち、事を進めていくのだが、その進行役がいないので、始められない状況である。
 とりあえず、それぞれが好きな場所に座った。あんじゅは京の隣に腰掛ける。
「あの、柚村さん、副局長ってどんな方なんですか?」
「そういえば、お前入社式“遅刻”したから会ってなかったか」
「“遅刻”って強調しないでください。というか、柚村さんだって遅刻したでしょう!」
 あんじゅはツッコミを入れる。もしかして、この先ずっとこのネタでいじられるのだろうか、と思いながら。
「副局長は……まあ、変な人だな。俺の中では」
「変な人……?」
「ああ、変な人」
 言われても、どれくらいの「変な人」なのかあんじゅにはわからなかった。相当なのか、多少なのか、わざと変なのか、本当に変なのか。とりあえず色々なパターンを想像するが、そもそも抽象的な例えなので想像するのも難しかった。
「局長はどんな方なんですか?」
「俺はよく知らねえけど、確か国際手配されてる」
「……はい?」
 あんじゅは聞き間違えたのかと思った。まだ連日の疲れが残っているのだろうか。
「柚村さん、もう一度教えてください」
「だから、国際手配だよ」
 京の口から聞こえてきた言葉は、やはりさっきと同じだった。あんじゅは、自分の耳がおかしくなったのかと思ったが、どうやら正常らしい。
「……柚村さん、国際手配の意味わかってます?」
「お前、俺のことバカにしてねえか?」
「いえ、いやっ……だって国際手配って」
 要は犯罪者、ということだ。その罪の重さが大なり小だろうと関係ない。そんな人物が政府機関のトップに立っているなど、信じ難かった。
 そうだ、花束の人物のことを聞かなければ。あんじゅがそれを思い出すと、ちょうど会議室の扉が開く音がした。
「やあ、諸君、揃っているな」
 その声に、全員が振り返る。扉の前に立っていたのは、スーツを着た中年期ほどの女性だった。
 黒川副局長、と早見が立ち上がって言ったので、女性の正体はすぐにわかった。黒川不由美。【彼岸花】の二番目の地位に立つ人物を、あんじゅは初めてお目にかかった。
「早見隊長、着席してて構わんよ。遅れて申し訳ない」
 歩むその様子は、見た目の年齢とは思えないほど颯爽としている。優雅で力強く、それでいてどこか蠱惑的。
 まるで、魔女みたい。胸の内であんじゅはそう思った。
 黒川不由美は、すり鉢状の室内の下の方に行くと、机に飾ってあった彼岸花の造花を花瓶ごとどかせる。
「それでは、早見隊、室積隊……っと、今は綾塚隊の方が正解か。まあいい、とりあえず始めよう」
 黒川は二回手を叩く。
「さて、諸君質問は? 遠慮なく聞いて構わないぞ」
「え?」
 会議と称していたのに、こちらから質問するのか。黒川以外の全員が、まさにそんな顔になる。そんなことなどお構いなしに、黒川は澄ました笑顔で誰かが口を開くのを待っている。
 そんな中、おそるおそる鵠美穂が手を挙げた。
「あの……質問って?」
「ああ、私のスリーサイズでも、男性経験でも、性癖でもなんでも聞いて構わないぞ」
「はあ……」
 意図が読めず、美穂は質問した前よりも混乱した、呆れ混じりの顔になる。
「誰がババアの経験人数なんか知りたがるんだよ」
 次に発したのは、氷姫幸宏だった。困惑して手を挙げた美穂とは違い、進展のない集まりに苛立ちが露わになっている。
「あのな、俺らは会議するっていうから来たんだよ。くだらねえ話しかしねえなら俺は帰るぞ」
 苛立っているのは幸宏一人だったが、他のメンバーもこのままの展開で進行することには、納得していない様子だった。
 そんな空気を感じたのか、黒川はつまらなそうな顔をして肩をすくめる。
「わかった。なら質問を限定しようか」
 一呼吸おいて黒川は、語気を強めて言う。
「赤目の吸血鬼について、知りたいことは?」
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