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ユージーン

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157.Underground dissonance

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「あらあら? あなたもラーメンを食べることがあるのですね。意外ですわ、綾塚沙耶」
 食堂で昼食をとろうとしていた沙耶の元に、空金そらがねなぎさが近づいてきた。相変わらずの嫌味たらしい口調に沙耶は辟易させられる。たった一言なのに、十時間も話しかけられている気分になった。とりあえず無視をして麺をすする作業に戻った。
「ちょ……人が話しかけているのに無視ですか? 教育がなってませんわよ」
「……なんだ?」
 仕方なしに、沙耶は相手をしてやることにした。渚は沙耶の向かい側に座り込む。奇遇にも、渚のお盆にもラーメンが乗っていた。
「座っていいと言った覚えはないんだが?」
「あら、別にいいではありませんか?」
 昼過ぎだからか、席はほとんど空いている。そもそも【彼岸花】本部の食堂を利用する職員はあまりいないため、昼時だろうと密度に変わりはないのだが。
 いつもなら、美穂が向かいに座っているが、今はバーチャル相手に狙撃の鍛錬に励んでいる。せめて今日だけは居て欲しかったと、沙耶は思った。
「それで何の用だ?」
「あなた、ラザロ・マッギルを捕まえたらしいじゃないですか。たしか、三日ほど前の作戦で」
「それが?」
「なにか情報は得れましたの?」
「なんでおまえに言わなきゃいけない?」
「た、隊同士の情報共有は大事なことですわよ! あなたは、そんなこともわからないおバカさんなのかしら、綾塚沙耶」
 渚はまたフルネームで呼ぶ。彼女の芝居のかかったような作られた口調は苦手だった。沙耶は自分が舞台の真ん中に引き摺り出されたような気分になる。
「得れたのは、ラザロが取引していた吸血鬼や人間の顧客の情報、協力関係にあった吸血鬼の存在。あとは……密入国させた吸血鬼のリストくらいだ」
「進展は?」
「顧客の情報についてはほとんどが過去の調査で判明していることの繰り返しだ。吸血鬼と取引する人間なんて、アウトロー関係以外にはそうそういないからな。狭い水槽の中をもう一度見て回るのと変わらないさ」
「となると、厄介なのは密入国リストということでして?」
「ああ……そうだな」
 言い終えたタイミングで沙耶はラーメンをすする。正直言って吐き出しそうなほど不味いのだが、朝からなにも食べてないので仕方ない。体は栄養を求めている。それが脂の塊のような粗末な物でも。
「リスト内の吸血鬼の詳細は全員調べたんですの?」
「いや、面倒なことになった」
 沙耶は一から律儀に説明する。ラザロが偽のパスワードを教えたために、そしてそれをバカ正直にキーボードに打ち込んだ人間がいたために、ラザロが密入国させた吸血鬼のデータが破損した。怪我の功名ともいえたのは、データは復旧できるということだった。ただ、いくつもロックがかけられていたり、今度こそ本当に闇の中に消えてしまう可能性があった。だから、相当な技術者を探す必要があったのだ。
 今日の昼前に、ようやくその技術者を捕まえることができた。何の因果か、その技術者は沙耶もよく知る人物だった。
『いやっほぉ、沙耶っちょん。お元気そぉでぇ、なによりぃ!』
 髪の毛が毒々しい虹色に染め上がった柴咲梨々香のウインクを今でも思い出す。一瞬だが、本当に目が痛くなった。
「ふーん。なるほど、そういうわけですか」
「解読は終わったから、あとは危険度の高い吸血鬼を仕分けるだけだ」
 リストの内の何人かはすでに亡くなっているだろう。他の隊が外国籍の吸血鬼を倒したという報告は、いくつか小耳に挟んだ。
「そういえば、ラザロや繭雲絢香……それ以外にもう一人の吸血鬼を捕まえたと、わたくし聞きましたわ。いったい、誰なんですの?」
「関係ないだろう」
 わざとらしくトゲのある物言いをしてから、沙耶は席を立つ。どんぶりの中に浮いていた脂の塊がゆらゆら漂う。
「質問に答えないのは、礼儀に反しますわよ」
「必ず答えが返ってくると思って問いかけるのは、浅はかだぞ」
「は!? なんですって!? ちょっと、綾塚沙耶!」
 渚の声を背中で聞きながら、沙耶はお盆を返した。
 沙耶は食堂から出ると足早にエレベーターに乗り込む。地下フロアのボタンを押し、下がる鉄の箱の中で考え込む。
 ラザロは取り調べに素直に応じている。減刑も釈放も裁判すらないというのに、初めから人類の味方だと言わんばかりに。あれほど口が軽いとなると、秘密主義の大物吸血鬼たちからは好かれてはいないだろう。現に、弱々しい吸血鬼たちのコミニュティの情報しかない。処刑の直前まで尋問したところで、大物に辿り着くことはなさそうだった。
 対照的に、繭雲絢香は非協力的だ。予想通りと言えばその通りだが。今の状況がかんさわるらしく、尋問官や捜査官に暴言を吐きまくっている。鎮静剤も効果がなく、むしろその凶暴さに拍車がかかった。
「おまえだよ! そこの澄ましたクソアマ! 人間のクセにわたしになにしてんだ!? ああっ!? 顔も名前も覚えたからな! てめえが綾塚沙耶だろ、聞いてんのかクソビッチが!! わたしを解放しろ人間っ! 今なら家族も恋人も隣人も、仲良くぶっ殺してやるだけで済ましてやるからさぁ!」
 昨日、尋問室の中で暴れ回る繭雲絢香の口調はヤクザ者のそれだった。暴れてもなお、吸血鬼用の手錠と足枷は壊れていない。その技術には感心したものだった。
 廊下を進むと、沙耶はある部屋の前でカードキーを取り出す。照合を終えて、電子音の後に扉が開いた。
 薄暗い部屋の中には四人の人がいた。座り込んで、画面を見ている尋問官二名、の医師が一名。そして、壁にもたれている里中葵。
「お疲れ様です」
「ああ」
 葵の一礼に応えると、沙耶は壁に備え付けられている大きなガラスの前に立つ。ガラスは水族館の水槽を思わせるが、これはマジックミラーだ。一方的にこちらから向こうの様子を見るためだけに用いる。そしてガラスの向こうには吸血鬼がいる。
 固定されたスチール製の長机、そして椅子には要渉が腰掛けていた。渉は腕と足に拘束具を取り付けられ、目隠しをされた状態でヘッドフォンを装着されている。歯を食いしばっており、時折苦痛の声を漏らしていた。
「薬は?」
「食事に行ってる間に切れかけてるよ。今は……なんていうか、で苦しんでる」
 男の尋問官が応える。彼が見ているのは要渉のバイタルサインだった。渉が苦しみ興奮してる様子は、視覚化された電子図からも読み取れる。
 沙耶が振り返ると、医師の後ろに立つ葵が眉を潜めていた。不愉快なものを見るような目をしていた。
「里中、見る必要はないんだぞ?」
 研修中の身とはいえ、ここは尋問室だ。表向きはこの部屋では吸血鬼に穏便な対応をしてると、誰にでもいい顔をして答えれるが、現実は全くそうではない。情報を吐かない吸血鬼や人間、なおかつ緊急性の高い案件ならば、事前に
「かまいません。『技術班』とはいえ、対吸血鬼テロの捜査官を目指すなら、遅かれ早かれこういう時は訪れますから」
 頼もしい言葉を言った葵だが、表情には少し陰りがある。吸血鬼が苦しむ様子を見てそうなったよりは、むしろ慣れない光景に戸惑っているように思えた。
「ああっ……ああっ……」
 強化ガラス越しから、悲鳴に似た情けない声が聞こえてきた。渉の鼻からだらだらに垂れ流された鼻水が、よだれと混ざり合わさり、机にべったりと付いている。
 沙耶は監視部屋から出ると、隣の尋問室に向かう。吸血鬼が漏らしてないことを願った。
 電子ロックを解錠してから中に入る。尿の臭いはなく、代わりにワックスや芳香剤の匂いが嗅覚を優しく撫でてきた。
 沙耶は要渉の拘束具がしっかりと役目を果たしているかを確認する。し終えたところで、渉のヘッドフォンを外すと、痙攣したように彼の体がビクッと震えた。次にアイマスクを外す。
「わたしは、今しがた昼食から戻ったところだ。音を聞かされてどのくらい経ったと思う?」
 沙耶はヘッドフォンを見せつけるようにして言った。震えている渉は、言葉一つ出すことにすら苦戦していた。
「わ、わか……わからない……わからない…………」
「三十分」
 渉は有罪を宣告されたように、絶望した表情になる。
「この音を長時間聞けば、吸血鬼だろうと人間だろうと次第に発狂する。加えて、薬を使っておまえの神経系統を過敏にさせた。時間の感覚が狂って、たったの数時間でも三ヶ月に感じるだろう」
 音を聞くだけなんてのは、爪を剥いだり皮膚を焼いたりするよりは、はるかにマシに聞こえるだろう。実際にこの尋問方法を初めて聞いた沙耶も、どこか生温いのでは思っていた。だが、実績と目の前で弱りきった吸血鬼を目の当たりにすればその認識は改めさせられる。
 感覚の刺激は、時に痛みすら凌駕することに気付かされた。
「こんな尋問は趣味じゃない。だから、話せ」
「知らない! 広沢とは会ってない……! 蓮澪村のことも知らない……頼むから……収容所に送ってくれ……もう、いやだ……」
「投薬量を増やしてくれ」
「やめろ! いやだ!」
 沙耶は無視して、隣の部屋で待機しているスタッフを呼びつける。
「二割ほど増しに」
「霧峰は……霧峰と話させてくれ!!」
「あいつとは話せない。あの事件で吸血鬼化したクラスメイトの情報を言え。広沢亜紀斗、羅城らじょう風香ふうか、もしくは雨宮あまみやゆたか、彼らについて知ってることを吐け」
「なんでこんなこと……俺だって前は人間だったんだ……頼むよ、血を吸いたくて吸ってるわけじゃないんだ……」

 泣き言が多くなった。これ以上相手をしていれば、本質からズレてしまう。沙耶は、アイマスクとヘッドフォンを渉にかけ、再び闇に突き落とす。無機質な音が延々と鳴る、闇の中へ。



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