Ambivalent

ユージーン

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at intervals

39.This sorrow is emptiness

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 室積隊で殉職した一人、真田宗谷の葬儀には身内はいなかった。沙耶の聞いた話では、宗谷の両親はすでに吸血鬼によって殺害されており、独り身だったとのこと。【彼岸花】に入り、当初の希望だった『戦術班』を志望したのもそれが原因らしい。
 宗谷の葬儀に赴いたのは数少ない友人や関係者のみだった。室積隊の参列者は、奇跡的に病院行きを免れた者たち。霧峰あんじゅ、綾塚沙耶、柴咲梨々香の三名のみが焼香をあげた。
 同じく殉職した、隊長の室積正種の葬儀には沙耶たちは参列しなかった。正確には、させてもらえなかったというのが正しい表現だが。血の繋がっている娘の室積むろずみ雪菜ゆきなが、【彼岸花】関係者の葬儀の参列を頑なに拒んだからだ。
 室積正種は“隊長”という役職に就いていたこともあり、顔も広かった。そのため、室積正種の葬儀に参列する気でいた【彼岸花】関係者は何人もいた。
 だが、雪菜から、父と同じ職場の人間は誰だろうと葬儀に参加させない、との通達があり、室積隊長の葬儀も身内だけで済ませる結果となってしまった。


「そういえば、さっきの渋滞ってなんだったんですか?」
 美穂が訊く。美穂は竜胆の花束を抱えていた。
「血液輸送車の襲撃らしい。美堂の隊が対処していた」
 百合の花束を抱え持つ沙耶は淡々と答える。墓石に挟まれながら沙耶と美穂は歩く。
「美堂って……あの大男ですよね? ハゲで顔にタトゥー彫ってある」
「ああ、空金もいた。いつも通りの感じだった」
「でた……あのエセお嬢様」
 空金の名前を出した瞬間、美穂が顔をしかめた。話題にもしたくないといった感じに。それは、沙耶も同感だった。
「……そういえばこの一週間で二台襲われてますよ、血液輸送車」
 あからさまに、美穂は次の話題にいった。
 そうなのか、と沙耶が訊くと、美穂が頷く。
「奪われた血液は、吸血鬼の食事百人分は超えているらしいです。人工血液なんて本物の血・・・・と比べたら価値なんてずっと低いのに、わざわざ襲撃するなんて変な話ですよね」
 無謀な吸血鬼の行動に、呆れ果てた物言いになる美穂。沙耶の方はそれとは別に考えを巡らせていた。
 大量の人工血液を狙った理由、白昼堂々の犯行、売買して金銭を得るためか、それとも餓えた大飲みの吸血鬼のためか。思いつく限りの可能性を考えるものの、納得のいく仮説は生まれなかった。
 そうして考えを巡らせるうちに、室積正種の墓石の前まで来てしまっていた。
 墓石に刻まれた名前を見て、室積隊長を──吸血鬼化した隊長を殺めたことを、沙耶は改めて実感した。
「えっと、どっちがいいですかね?」
 美穂が訊ねる。供えるのにどちらの花がいいのかと。
「そうだな。じゃあ、私ので──」
 目に映った人物を見て、沙耶は言葉を止めた。
 数メートル先に立っていた女性もまた、沙耶と目が合い、足を止める。彼女はこの下に眠る室積正種の、一人娘──室積むろずみ雪菜ゆきな
 沙耶を怪訝そうに見つめていた美穂も、現れた人物を見つけて驚く。
「どうも」
 室積雪菜は、冷たい視線を向けたまま、小さく会釈した。雪菜は学生服を身にまとっていた。その姿を見て、沙耶は、村の寺で室積隊長が、娘が高校生だ、と話していたことを思い出す。
 沙耶も頭を下げ、倣うように美穂も頭を下げる。
「……来たんですね」
 少し言葉を選んでから雪菜は言う。「やっぱり」という言葉が冒頭に付いているような言い方だった。表情から見ても、歓迎されている様子はない。
「お父さんの部下でしたので、一応は」
 雪菜の胸の内を読みつつ、沙耶は答える。
「そうですよね。墓参りくらいなら」
 せめて、目に見える時じゃなければよかったのに。そう言いたいのが伝わってきた。
「失礼する」
 睨みつけるような雪菜から視線を逸らす。宗谷の墓に向かおうとしたが、まるで逃げているような気持ちになった。
「父を殺したんですよね?」立ち去ろうとした沙耶を引き止めるように、雪菜は強い口調で訊く。
「……吸血鬼になったから」
 後から付け加えられた“吸血鬼”という言葉がなければ、それは人殺しのような物言いだった。



 ○



 美穂を離れた場所で待機させ、沙耶は室積雪菜と二人きりで話すことにした。
 線香をあげて、花を供えて共に手を合わせる。
「私のことは、なにか聞いてますか?」
「……娘がいるとだけは、聞かされた。それだけだ」
「父と私の仲は?」
 少し間を空けて、沙耶は返す。
「良くはなかった、とだけは聞いた」
「そうですか」
 雪菜は視線を落とした。しばらくの間沈黙が続く。
「……母は、吸血鬼になりました。私の目の前で」
 重々しい口調で雪菜は口を開く。
「父は吸血鬼になった母を殺そうとした。私は何度も頼んだのに、殺す必要なんてない、収容所に送ればいい。私にとっては、ただ一人の母だから」
 雪菜は一度遠くを見て、それから沙耶と顔を合わせた。
「それでも結局、父は吸血衝動で正気を失った母を……撃ち殺した。まさか、同じ様な最期を迎えるだなんて思いもしませんでしたが」
 語る雪菜の真意を少しだけ沙耶は汲みとる。吸血鬼化した母を父──室積正種が手にかけた。そして、同じように吸血鬼化した父親は、母と同じような最期を迎えた。自業自得だといいたいのか、それとも虚しい結末を迎えたと言いたいのか、それとも両方の意味を言葉に込めているのか。
「確かに、私は憎むくらい父を嫌ってました。けど、死んだって聞かされて……吸血鬼化したと聞かされて、正直複雑な気持ちになりました。無視するくらい嫌いだったのに、居ない者みたいに扱ってたら、本当に居なくなってしまうなんて。……嫌ってたのに、まさか死んでからこんな気持ちになるなんて、自分でも驚いてます」
 言葉には後悔の念が混じっていた。失ってから初めて知ったのだろう。父親という存在がここまで大きかったことを。きっと雪菜は、本当は父親のことが好きだったはずだ。だからこそ、それを奪った人物、機関、その全てを憎んだのだろう。告別などさせず締め出す。それは、雪菜なりの小さな仕返しだったのだろうか。
「お父さんの最期の言葉です。あなたに対して、“すまなかった”と」
「そう、ですか」
 雪菜は再び視線を落とした。どんな反応をすればいいのか、わからないといった様子だった。
「聞いていいですか?」
「ああ」
「殺す以外に、なかったんですか? 捕らえることはできなかったんですか?」
 問いかけは、責めているようだった。少なくとも沙耶にはそう聞こえた。
「できなかった」
 沙耶は、済んだことに対して考えを巡らせる気にはならなかった。結果として、室積隊長の息の根を止めたのは自分だ。どう取り繕うと、それは変わらない。だから沙耶は、正直に答える。それが冷たい物言いになろうとも。
「敵に囲まれて状況は切迫していた。もし捕らえていても、逃げ出す可能性の方が高い。そうなれば、逃げた先で誰かを襲って、自分の欲を満たすだけの、他の吸血鬼と同じような生き方になる。そんな生き方は、隊長だって望んではいないだろう」
 淡々と言い終えた沙耶。その間、雪菜はずっと瞳に涙を浮かべて、沙耶の顔を見続けていた。
「それでも、どうにかして拘束して収容所に……」
「収容所に送ったとしても一生囚われの身だ。それに、収容スペースも限度がある。たとえ元捜査官と言っても、忖度されず、場合によっては収容所に送れないこともある。そうなれば、“処分”される」
 処分、その言葉に反応した雪菜が目を見開く。
「モノみたいな言い方しないでよ!」
 そう言うと、一瞬だけ表情に後悔の念を見せた雪菜。最後まで平静を装ったやりとりで終わらせたかったのだろう。だが引き返せないと判断してか、感情を爆発させた。
「なんの躊躇ためらいとかなかったの? 処分ってなに!? そんな報告書みたいな説明なんか聞きたくない! たとえ、吸血鬼になったとしても、わたしの父なのよ!」
 堰を切ったように、雪菜の瞳から涙が零れ落ちる。嗚咽混じりに声を絞り出す雪菜を、沙耶は見つめることしかできなかった。かける言葉はない。流れる涙を止めて、父の死の悲しみを忘れさせることのできる魔法のような言葉など、沙耶は持っていない。
「失言だった。すまない」
「もう、父の墓には来ないで」
 その言葉を残し、雪菜は去る。
 墓前に残された沙耶は、姿が見えなくなるまで、雪菜を見続けていた。失言だった、沙耶は本心からそう感じてはいたが、下した判断については、間違いだと思ってはいなかった。
 殺さなければ、被害が増える。いつもそう考えていた沙耶だが、今のこの時ばかりは雪菜に対する言い訳のようにも思えた。吸血鬼化した者を殺める、その死を正当化しているように。
 もう一度、沙耶は手を合わせる。再び訪れるかはわからなかった。常に死と背中合わせの仕事だ。もしかしたら最後の合掌となるかもしれない。
 空の雲行きが怪しくなってきた。遠くから、雷鳴が聞こえる。
「.……失礼します」
 そう言い残し、美穂の元に向かおうと歩き出そうとした。
 そのとき、ポケットに入れたスマートフォンの着信音がした。番号を見ると、【彼岸花】の本部からだった。
「はい」
『あっ、お久しぶりでーす。早見です』
「早見さん?」
 意外な人物からの着信に少しだけ驚いた。
『そうそう、元気してた?』
「ええ、一応は」
 複雑な心中を察しない、明るい早見の声に沙耶は少し戸惑う。早見とは蓮澪村の件以来あまり顔を合わせていない。なんの用件だろうか。
「あの、なにか?」
『えっと、あなたの隊の霧峰あんじゅちゃんがね……ぶっ倒れちゃった』
「……はい?」
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