Ambivalent

ユージーン

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Two of us

141.After all

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 破壊された壁の向こう側は一本道の通路だった。抜けた左側には扉があったが、鍵がかかっており、ここを通過した形跡もない。あんじゅはカイエの顔を合わせて頷くと右側に進むことにした。
「カイエくん、あの二人には協力者がいるはず。油断しないほうがいいと思う」
「なんでそう思うんです?」
「捕まることを想定してここに爆弾仕掛けたなんて、準備がよすぎる。爆弾の入手ルートにしても、は普通の人だし。それに、私の顔を見て誰かと勘違いしてた」
「誰かって?」
 カイエは横に備え付けられた扉を開けながら訊いた。中には誰もいない。
「それは、わからない。でも可能性があるとしたら、吸血鬼を逃すことを生業なりわいにしてる人たちだと思う」
「そんな仕事ありますかね?」
「需要はあると思うよ、
 あんじゅはカイエと並んで慎重に進んでいく。早見から借りた銃が、やけに重たく感じた。
 やがて、人影が見えた。確認できたのは三人で、男と吸血鬼の女性と、もう一人。二人を逃がそうとしたであろうヘルメットを被っている人物。顔を確認することはできなかった。鍵を開けるのに手間取っているのか、三人は扉の前で立ち往生している。
 身を隠す場所も柱以外にないため、あんじゅは遠く離れたところから銃をかまえた。
「止まってください!」
 あんじゅは声を張り上げる。投降を呼びかけようとしたそのとき、ヘルメットの人物が銃を撃ってきた。あんじゅは咄嗟に柱の後ろに隠れる。カイエのほうも通路と開かずの扉とのわずかなくぼみに滑り込んだ。
「撃ち返しますか?」
 弾が飛び交う最中で、カイエが言った。
「ううん、あの二人に当たる!」
「この状態で吸血鬼とその協力者を気にかける気ですか?」
「応援の捜査官やドローンを全ての出入り口に配置すれば、向こうは袋の鼠です。そうしたら投降するように言わないと」
「あんだけ派手なやり方で逃げようとしたのに?」
「逃げたくなる気持ちは、なんとなくだけどわかります。でも、野放しのままじゃ関係ない人を襲うようになる。それだけは、避けないとダメです!」
 やがて銃声がおさまった。機を逃すまいと、あんじゅは飛び出して接近する。ある程度距離を詰めたところで、再び呼びかけた。
「動かないで!」
 ヘルメットの人物に警戒しつつ、あんじゅは男と女の様子を見た。寄り添うように固まっている二人は、追いついたあんじゅを見て、来ることを望んでなどいない、と言いたげな表情を隠すことはなかった。そう思われて当たり前だ、と思いつつもあんじゅは銃を下げることはしない。
「逃げても、もっと酷い結末が待ってるだけです」
「いや、捕まるより酷いことなんてない。引き離される辛さがわかるのか?」
「わかりません。でも、誰かを不幸にしてしまう。そんなことは望みは──」
 男の影からヘルメットの人物が動くのを捉えた。あんじゅはすかさず銃を動かすと引き金を引いた。狙いは頭部に。防弾性の素材を付けているのか、致命傷を与えることはできず、ぐしゃり、とヘルメットの一部がへこんだだけだった。
 衝撃で倒れこんだヘルメットの人物は起き上がると被っていたものを脱ぎ捨てる。銀色の髪をなびかせた女性の顔が現れた。
「てめえ……マジでふざけんなよ……クソが……!」
「抵抗はやめて投降してください!」
「なにもかも、めちゃくちゃじゃねえか……わかってんのかよ……!」
「両手を上げて膝をつけ!」
 あんじゅはそう言うと、露わになった女性の顔に注目した。その輪郭にはどこか見覚えがあった。記憶のおぼろげなもやが晴れかかる。あれは、あのときはたしか早見たちと飲んだ後で──。
 答えにたどり着く前に、あんじゅは後ろを振り返る。敵に背を向けてしまうことを考えるよりも先に、
「あの日はけっこう飲んだから覚えてないとは思ったんですけどね。それに、賭けたのは失敗だった」
 銃口が、あんじゅの頭を吹き飛ばす準備をしていた。
「なんで……なんでなの?」
 思ったより自分が冷静でいれたことにあんじゅは驚く。それとも、どこかで想像していたのだろうか。美濃原みのはらカイエが自分に銃を向けているこの光景を。
「さっき、訊いたことで、嘘を言いました。本当は訊くべきじゃなかったんだ、霧峰さん」
 カイエがそう言うと新しい銃口が飛び入り参加してきた。
「銃をそいつに渡せ。同じこと言わせたら殺す」
 あんじゅは素直に従う。後ろを向くと、銀髪の女性が苛立ちを露わにして立っていた。今にも殴りかかって殺してきそうなオーラをまとっていた。
「じゃあな」
 あんじゅは彼女が手にしていたものを凝視した。冷たく光るナイフの刃が差し迫ってくる。
 息を呑み、目をつむる。心臓をひと突きにされることを覚悟した。だがその瞬間は訪れなかった。目を開くとカイエがナイフを握りしめていた。
「やめろ、ほたる……!」
 ほたる──カイエにそう呼ばれた銀髪の女は、一瞬だけ困惑した表情を見せると、再び怒りにまみれた表情に戻った。
「なにしてんだ……ふざけんなよてめえ!! 顔を見られたんだぞ! 殺すしかねえだろ!」
「彼女なら大丈夫だ! 俺がなんとかする!」
「なんとかだ? てめえがお人好し丸出しで送迎なんか頼まなきゃこうはならなかったんだよ、このバカ!!」
 ほたるにがなり散らされながらもカイエは冷静に対応していた。目の前で始まった口論にあんじゅはどうしていいのかわからなかった。隙を見て銃を奪うべきだろうか。だがほたるの怒りっぷりは相当なもので、こっちが眉一つ動かそうなら、たちまちバラバラにされそうな勢いだった。
 ほたるに辛抱強く接していくカイエは普段の敬語をまったく使っていない。まるで長年の友、あるいはパートナー接しているかのようなやりとりがどこか新鮮に見えた。
「あのっ……!!」
 割り込むように声が響いた。吸血鬼の女性だった。
「私たちどうすればいいんですか!? 逃してくれるって約束でしょう!?」
 切羽詰まったようなその声は、先ほどに見た生きることを諦めた彼女には見えなかった。
「チッ……」
 ほたるは舌打ちをすると、自分を落ち着かせるかのようにひたいを押さえた。まだカイエのことを罵倒したりない、といった表情で。
「待ってろ……」
「応援の捜査官たちはもう来てるはずだ。出入り口が多いから何箇所かはドローンに任せてると思う。俺が連絡して訊きだす」
 カイエはそう言うと自分のスマホを取り出した。
「ねえ、カイエくん。あなたの目的はなんなの? 吸血鬼の逃し屋?」
 ほんの数分前の会話を思い出す。あのときは合わせるために演技をしていたのだろう。ずっと演じていたのだろうか。自分たちの前で、別の顔を見せないために。
 カイエはじっとあんじゅの方を見たが、すぐに自分のやるべきことに手をつけ始めた。
「てめえは質問なんざいいんだよ」
 ほたるが割り込み、あんじゅの腕を引っ張る。強い力で強引に連れて行くと、女の吸血鬼の前に差し出した。
「おい、道中で足手まといになったら困るから、
 あんじゅという餌を突き出され、女性は困惑し始めた。それでも彼女はおそるおそる口を開く。覗くその歯が照明に当たり、きらりと光った。本能という糸に手繰り寄せられて、女性はゆっくりとあんじゅに近づいていく。
「や、やめろ、そんなことさせるな!」
 片割れの男が声をあげた。
「さっき摂取したから大丈夫だ、問題ない! もうこれ以上そんな姿を見させないでくれ……!」
「おいおい、肩を持つ相手が違うだろうが。二人で逃げてぇんなら、こっちの言う事聞けよ」
 ほたるに言われても男は不服そうな表情を崩さなかった。
「なんだよ、その顔は? 受け入れられねえなら教えてやるよ。てめえが愛した女はな、今じゃ癌細胞と同じくらいの世界の嫌われ者になってんだよ」
「そんなことは──」
「黙れよ、認めたくねえってか? ただ血を吸う病気にかかっただけで人間と変わらねえって、そう言いたいのかよ? 悪いがそれは無理だよモヤシ野郎。こいつは、だ。どれだけ否定しようが事実は事実なんだよ。丸呑みできねえからこんなに追い詰められてんだろうが。吸血鬼になっても人間だった頃と同じように接してきたんだろ、それがなにもかも間違いなんだよ」
 それでも男のほうは納得していないのか、異を唱えたい表情を崩さなかった。
 ほたるのほうもまた、それが気に食わなかったのか、あんじゅから手を離すと、今度は女性の方に向き直った。
「口開けろ」
「え?」
「いいから口開けろよ!」
 ほたるは口を強引に開けさせると、男の目の前に突き出す。
「見ろ! 目をそらさずに見ろよ! てめえが愛した女はもう人間じゃねえってことを、嫌ってほど頭に刻め! 人間じゃねえってことを、頭に叩きこめよ!」
「やめろほたる!」
 張り上げる大きな声とともに、女性を掴んでいたほたるの腕をカイエが掴み上げた。
「放せよてめえ……! やることやったのかよ?」
「俺の仕事は終わった。おまえの仕事はこんなことじゃないだろ!」
 カイエに言われて、ほたるはその手を放した。ばつが悪そうな表情を見せて、舌打ちをする。解放された女は男に寄り添いながら震えていた。男の方もまた、彼女を抱き寄せるとほたるたちを睨みつけた。
「本当に君たちに任せていいのか……?」
「俺たちは、あんたを送り届けるのが仕事だ」
「大丈夫なの? 信用していいの?」
「ああ」
 カイエはそう言うと円柱型の物を取り出した。拳ほどの大きさのそれがなんなのかをあんじゅは知っていた。
「電子機器破壊用のパルスグレネード……用意がいいんだね
「もしスマホを買い換えたばかりなら、先に謝っておきます」
 あんじゅの皮肉に対してカイエは冗談で返す。こんな状況なのに、どうしてだか彼との距離を少し縮めれた気がした。
 手錠をするから、とカイエに言われたあんじゅは両手を差し出す。なにも言うことなく素直に従ったのは、本当の顔を見せたカイエに対して、敵愾心てきがいしんのようなものは湧いてこなかったから。それがとても不思議だと思いながら、あんじゅはカイエたちと共に連れていかれた。
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