Ambivalent

ユージーン

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Two of us

136. Return

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「悪いな、助かったよ」
「いえ、迎えに行くことくらいなんてことないですよ」
 座敷箒を片手にあんじゅは呟く。
 今現在、世間を賑わせている五十鈴景子の例の事件の解決後に、あんじゅは京から退院の連絡を受けた。ちょうど仕事もオフだったため、迎えには快く応じた。久しぶりに完全に元気な姿を見れて、あんじゅは喜んだ。
「けど、なんで私が柚村さんの部屋の掃除までしなきゃいけないんですかね」
「謝礼は弾むぞ。飯奢ってやる」
「高いところでお願いしますね」
 あんじゅは、鵠美穂に言われたことを真似してみた。
 柚村京の散らかった部屋が入院生活のために蓄積された量ではないのは見た感じでわかった。普段から怠っていた結果だろう。「塵も積もれば山となる」の言葉を見事に現していた。
 先輩捜査官の京の部屋は、あんじゅと同じマンションの最上階にある。角部屋であり、窓を見からは都内の景色が広がっていた。スペースは充分にあるが、家主が持て余しているのか家具はほとんどない。
「それにしても、広い部屋ですね。家賃おいくらなんですか?」
「おまえの階の倍」
「うそっ!?」
 あんじゅは思わず声をあげた。
「倍って……柚村さん、いくらもらってるんですか?」
「そういうのは訊くなよ」
 そう言うと、京はダンボールの束を玄関に持っていった。ちなみに、部屋には束はまだたくさんある。まとめられてないのを含めれば、さぞ立派なダンボールハウスが出来上がるだろう。
「掃除しないと、運気が下がっちゃいますよ」
「そうは言ってもな……毎日仕事の後は疲れ果ててんだから、そうそう動けるもんじゃねえよ」
「同意できますけど、私はこまめにやってますよ。早見さんや綾塚さんもやってると思いますし。めんどくさいなら、掃除ロボットを買えばいいんじゃないですか?」
「それに金を使うのはちょっとな」
「……だったら、掃除してくださいよ」
 八方塞がりである。半年後にはまた同じ部屋が出来ているのだろうか。そう考えると綺麗にしても意味がない気がしていた。
「怒ってんの、あんじゅちゃん」
 リビングに相澤あいざわれんがひょっこりとやってきた。手にバケツと雑巾を持ったまま。
「怒ってないです」
「俺がとっておきのギャグで笑わせてあげようか?」
「相澤さんは、なんでいるんですか?」
 あんじゅのスルー対応に相澤は肩をすくめる。
「俺も休みなんだよな。ズボラなユズのために部屋の掃除でもしてやろうかと」
「おまえは呼んでないからな」
 断するように京が言った。
「えー、あっ……なーるほどな。入院生活でから、あんじゅちゃんと二人でしっぽりしたかったってわけか」
「お前、俺と入れ替わりで入院するか?」
 スパイスをまぶすように下ネタを入れてくる相澤に、あんじゅは眉をひそめた。相変わらず軽くてチャラそうなノリはそのままだ。
「相澤さんって、柚村さんと」これには少し皮肉をこめた。
「そりゃあ、マブダチってやつだからなあ。一応、俺もユズや沙耶ちゃんとは同期だし」
「そうなんですか?」
「ああ。そこにいる、昨日まで病院のベットがお友達だったズボラな男は、成績優秀だったんだぜ。研修生時代から実地任務に選抜されたんだよ」
「成績……優秀?」
 あんじゅはまじまじと京を見た。
「なんだよ?」
「いえ……」
「顔に書いてあるぞ。成績はせいぜい中の下くらいだろ、って」
「ち、違います! 中の中くらいかと……」
「あんま変わらねえなそれ!」
 あんじゅは苦笑いをした。
「意外でした。柚村さんあまり優秀なイメージなかったので」
 直後、軽めのチョップがあんじゅの額に飛んできた。
「おまえ意外と言うよな」
「先輩捜査官たちが全滅した状態で任務遂行して、沙耶ちゃんとたった二人で帰ってきたんだぜ」
「そうなんですか? だから仲が良いというか……」
 うまく言葉にはできなかったが、あんじゅが見た京と沙耶の距離感はお互いを認め合うような、それでいてベッタリくっ付いてはいない、さっぱりとした感じがしていた。
「別に親しくねえぞ。付き合いが長いだけだ」
「口を開かなくてもお互いのことがわかる……長年連れ添った夫婦みたいだな」
「ちげえよ」
「綾塚さんに恋愛感情は抱かなかったんですか?」
「あいつに惚れこむ男とか相当なイロモノだぞ」
 たしかに、沙耶と連れ添う男性の姿は想像できない。伴侶を持たずに生涯を終えるほうがしっくりくる。
「にしても今日はやけに喋るな、霧峰」
「そうですかね?」
 無意識に言葉が出てくるのは久しぶりに元気な姿の京を見れた嬉しさからくるのだろう。また共に働けることが、あんじゅには喜ばしかった。
「復帰したら、またよろしくお願いします」
「俺にゲロ吐き散らすなよ」
「こ、克服はしてますよ!」
「あんじゅちゃん、妖怪嘔吐女って一部の界隈では有名だよ」
「相澤さんちょっと待ってください! なんですかその通り名は!?」
 断ち切るように、玄関の呼び鈴が鳴った。
「あ、出ますね」
 覗き窓から確認したあんじゅは、訪問者を見てすぐに招き入れた。
「おーっす! あんじゅちゃーん! 京くーん! 退院おめおめー!」
 やってきたのは、柴咲しばさき梨々香りりかだった。落ち着いた服装だが、髪は金と黒のツートンカラーに染め上がっている。以前よりもネイルやピアスは抑え気味になっていた。
「よお、久しぶり」
「元気してたぁ? いろいろ大怪我したみたいだけどぉ、無事でなによりぃ!」
 両手のひらを向ける梨々香に応えるように、京はハイタッチした。
「梨々香ちゃん、相変わらず元気だね」
「まあねぇ。そっちは、相変わらずチャラそうでなによりぃ」
 フランクな様子を見て、あんじゅは思い出した。この三人は、元須藤すどう隊のメンバーだったことを。あともう一人──綾塚沙耶が揃えば四人にしか感じ取れない懐かしさが沁みた空気が流れてくるだろう。それに──。
 あんじゅは脳裏に浮かぶ永遠宮とわみや千尋ちひろの影を振り払った。思い出せば、辛気臭い表情になりそうだったから。京の顔を見ればなおさらそうなってしまいそうだった。退院したばかりの彼にそんな顔を見せるわけにはいかない。
「あの、そろそろお昼ですし、なにか食べに行きませんか?」
 あんじゅの提案に梨々香と相澤は同意した。
「柚村さんは?」
「退院したばかりの俺に、早速何か奢らせる気か」
「い、いえ! あれは冗談ですから!」
「まあいいけど。俺のいない間になにか面白いことあったなら教えてくれ」



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