Ambivalent

ユージーン

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Defamiliarization

125.Little Nightmare

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 あんじゅは車の中で渡されたタブレット端末を見ていた。画面には監視カメラの一部を切り取った映像が映し出されている。
「それが、昨日逃した吸血鬼よ」
 前を見ながら美穂が言う。
 吸血鬼は見るからに人相の悪そうな男性だった。備考の欄には、顔つきに負けぬ残忍な経歴が書かれてある。の犯罪歴には、強盗、恐喝、誘拐、殺人。吸血鬼化してからはそれらの件数は倍以上に跳ね上がっている。
「ヤバくないですかこれ……」
「真っ黒過ぎてびっくりしたわ」
 人間のままでいても吸血鬼になろうとも、男性は獰猛な獣のような性質を剥き出しに、凶行を繰り返している。そんな吸血鬼が逃走してるなんて、考えただけでも恐ろしい。
 この吸血鬼が能力種のうりょくしゅでないことは、幸いだと言えた。
「周辺に人が住んでる民家はないし、一番近い街にはドローンとか捜査官や警察官を配備してるから大丈夫だと思うけど」
「ドローンで捜索しないんですか?」
 あんじゅは、ふと訊いてみる。人を入れるということは、それなりのリスクが伴う。機械による捜索の方が安全なのではないだろうか。
「ドローンの狙撃も考えたんだけど、経歴見たらわかると思うけど、こいつは人間だったときから逃走のプロよ。だから、悟られないように遠距離からの狙撃で仕留めるの。足で追うなら、山に詳しい人間が必要でしょ、あんたみたいな」
「え? 私?」
「他に誰がいるのよ。言っておくけど、今日あんたを推薦したのは私なんだから、恥かかせるんじゃないわよ」
 不服そうに美穂は言う。本当なら、組みたい相手は別にいたはずだ。美穂が気持ちを押し殺してまで、推薦してくれたことにあんじゅは嬉しくなった。
「なに笑ってんのよ」
「え? 笑ってましたか?」
「ニヤニヤして気持ち悪かったんだけど」
 けなされたあんじゅは、少しショックを受けた。言葉を本気に捉えてはいないが、どことなく気にしてしまう。ドアミラーで笑った顔を自分に見せてみる。
「とりあえず、現場に着いたら段取りするから。上條、あんたは本部と……上條?」
 美穂の言葉が途中で止まる。
 あんじゅは何事かと思って前方二席の様子を見た。上條真樹夫の顔がドアミラーにくっついている。特徴的なモジャモジャした髪もガラスに押し付けられており、小さないびきが聞こえてきた。
「上條さん……お疲れみたいですね」
 無理もないだろう。『技術班』の仕事がどれだけ大変なのかをあんじゅは触りだけでも知っている。サポートは時として、実地任務の『戦術班』よりも過酷なことがある。
 運転席側から殺気と怒りの念を感じた。ちらっと見てみると、美穂が前方を確認しながら、助手席の上條を時折横目で見ていた。その目は「ふざけてんのか」と主張している。
「助手席って爆睡していい場所じゃないんだけど」
「まあ、そうですけど、疲れてると思いますし」
「早く寝ればいいことでしょ、ったく……」
 独り言のように美穂は愚痴る。怒鳴り散らしたいところを抑えているのは、運転という繊細な作業が心にブレーキをかけているからだろう。
 美穂はアクセルを踏んでスピードをあげた。
 目的地まで残り五キロ。
 到着した瞬間に訪れる張り詰めた空気を今のうちからあんじゅは感じ取っていた。



 ○



 車は使われてないロッジの駐車場に停車した。
 ロッジの所有者とは連絡が取れており、監視カメラの映像を共有させてもらっているが、怪しい人影は映ってはおらず、侵入者用の警報も鳴っていない。
「あれ……?」
 車から降りたあんじゅは、駐車場に停まっている車に注目した。バンが数台。車体にはテレビ局のロゴが入っている。
「すみません。ちょっと確認したいことが──」
 あんじゅは、インカムで本部の『技術班』の人間に連絡をとる。他の隊からの応援の人だけ。
 ナンバーを確認してもらうと、テレビ局の所有している車輌で間違いはなかった。撮影だろうか。だが、そんな報告は受けてはいない。
「すみません、鵠さん」
 確認をとろうと運転席側に向かうと、鵠美穂が上條真樹夫に怒りをぶつけている最中だった。
「はあ? 体調管理もできないのあんたは」
「そ、その……」
「どうせ夜遅くまでゲームしてたか、アニメでも観てたんでしょ」
「ち……違う……仕事とか、報告書の……」
 見ていて、いたたまれなくなったので、あんじゅは止めに入った。
「鵠さん、もうそろそろ……」
「あんたは黙ってなさい」
 強く遮られて、あんじゅは口を紡ぐ。
「上條、あんたなんでこの仕事選んだの? 仕事なんて他にもあるでしょ。あんたみたいな虚弱なのが、わざわざ吸血鬼と戦う仕事選んだのかはわからないけど、もうちょっとしっかりしなさいよね」
 美穂の物言いは、ストレスで当たり散らすような乱雑なものではなくなっていた。語気が強く理性的な口調の裏には、どこかで真樹夫のことを危惧するような思いが込められているように思えた。
「……ごめん」
 真樹夫は頭を下げた。
 美穂がなにか言おうとしたとき、誰かがやって来るのが見えた。
「ちょっと、きみたちなにしてるんだ?」
 急に現れた男性は訝しげにあんじゅたちを見ている。腕にはテレビ局の腕章が付けてあった。
「逃走中の吸血鬼の捜索ですが」
 顔を引き締めた美穂が対応する。
 遠目でバンの方を見るとどこからともなく、カメラや撮影用のマイクを持ったスタッフ、身なりの良い芸能人らしき人が駐車場に集まってきていた。
「えっと……」
 あんじゅは呆然とした。真樹夫も同じような面持ちで人の塊を見ている。
「責任者の方と話をさせていただけますか?」不服さを隠す表情で美穂が訊く。
 スタッフの男性が走って人の群れに消えていく。すぐに監督らしき人物があんじゅたちの前にやってきた。
 美穂が事情を説明して、避難を促す。その間にスタッフや芸能人の人らが近づいてきて、スマートフォンであんじゅたちの乗ってきた車の写真を撮り始めた。【彼岸花】のロゴの部分を撮っているところを考えると、SNSにでも上げる気なのだろう。
 一通り説明し終えたところで、監督の男性は渋面を作った。
「そうは言ってもねえ……こっちも撮影中なんだ」
 美穂が一瞬だけ顔を引きつらせたのが見えた。
「警戒地域ですので、速やかに移動をお願いします」
「警戒って……こっちはなにも聞いてないし、吸血鬼なんか見てないけどなあ……」
 監督は不服を申し立てる。他のスタッフもあんじゅたちの言葉だけで納得した人はいなかった。
「ともかく、吸血鬼が逃走していますので、すぐに避難の準備をしてください」
「けど、昼のうちに撮らないと……」
「だったら、早くその吸血鬼を殺しに行ってくれないかな。そうしたら、こっちも撮っても大丈夫でしょ」
 一人の女性があんじゅたちの方にやってきた。スタッフの人と違って、身なりやメイクがそれとなく整っているところをみると、出演者だろうか。
「それは、無理です」
「はあ? なんで? 吸血鬼が邪魔なんでしょ。退治しちゃえばあとは問題ないじゃない」
「現場の保存がありますので」
 裏をかいた案だったのだろう。だが、結果的に却下され女性は、露骨に嫌悪感を露わにした。
「ていうか、情報出すの、遅くない? もっと早くできないの? 撮影半分以上終わってんだけど」
「一応、近隣の街にはお伝えして、ネットニュースでも情報は流してますので」
「いや、知らないし。伝わってなきゃ意味ないじゃん」
 ごもっともな意見を言われたせいか、美穂は眉をひそめた。
 撮影となれば、スケジュールが伴ってくる。スムーズな計画を組むために情報収集は欠かさないはずだ。ニュースを見てなかったということは考えにくいだろう。
 となれば撮影を強行したという考えに至るだろうが、証拠はない。懐疑的なことを口にしたりすれば、指示に従ってもらうことがより難しくなるだろう。
「本当公務員ってどの職種も自己中だよね。配慮がないっていうかさ……。【彼岸花】とか特に偉そうだよね、吸血鬼殺して平和を守ってますよ的な上から目線な感じがさ」
「それ、今は関係なくないですか」あんじゅは思わず口に出してしまった。
「関係あるよ。撮影止めるんでしょ、人の仕事めちゃめちゃにしても吸血鬼が絡んでるから仕方ないから我慢してくださいってことだよね。危険を防ぐためなら、なんでもするんでしょ。権力を使ってさ」
 議題が完全に。それに伴って、鵠美穂の目が交戦準備に差し掛かったのを見て、あんじゅは美穂の肩を掴む。
「鵠さん、落ち着いてください。深呼吸とか……」
「落ち着いてるから、手、邪魔」
「あれ? 仲間割れ? 統率力もないんだ、ウケる」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ね?」
 さすがに度が過ぎてると感じたのか、監督の男性が止めにかかる。
「けど監督……こんなことで作品を台無しに──」
 彼女が意見しようとしたそのとき、時が止まったように立ちすくんだ。呆けたように、一点を見つめていた。その視線の先に立っていたのは──
「……上條?」
 驚いた表情の彼女は、そのまま真樹夫の方に向かって歩いてきた。
 真樹夫の方は石のように立ち尽くしたまま、自分に近づいてくる女性を見つめていた。
「い、五十鈴……さん」
 真樹夫がぼそっと口にした。
 その瞬間、あんじゅは自分たちに突っかかてきた彼女が誰かを思い出した。五十鈴いすず景子けいこ。新人の実力派女優として最近テレビでよく見ている。
「へえ……【彼岸花】の捜査官やってたんだ」
 先ほどよりも冷たい、刃のような物言いだった。
 真樹夫がなにか言おうとしたところで、さらに冷たい口調で彼女五十鈴は言った。
「あんたには、。偽善者で薄情者のあんたには、さ」
 五十鈴は真樹夫に顔を近づけてそれだけ告げる。そのあとは、何事もなかったかのように真樹夫から離れていこうとした。
 あんじゅと美穂は互いに顔を見合わせる。
 普段からおとなしい上條真樹夫に女性の知り合いがいて、それが芸能人で、邪険な間柄の空気を醸し出している。目の前で起きたことがなにもかも意外なものだった。
 五十鈴景子は、あんじゅたちから完全に離れる前に立ち止まった。そして振り返り、長年言いそびれた大切な言葉を口にするように、憎悪を込めた一言を放った。
「あんたが、通報しなきゃ千佳ちかは死ななくて済んだんだからね、クソ野郎」
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