Ambivalent

ユージーン

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Village

20.Draw the hypocrisy

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 災害時の行方不明者は七十二時間以内に見つけなければならない。そうしないと、生存率がぐんと下がっていく。もし、吸血鬼関係の事件でこの七十二時間の法則が適用されるなら、寺本凛の命は危険な状態にあると言っていいだろう。あの音声データがいつ録られたのかは、あんじゅにもわからない。ただ、余裕に構えてられる時間などないのは明らかだった。

 それなのに、森に入っても手がかり一つ得れない。それにあんじゅは苛立っていた。
 現地入りした時には、溜まった自分の疲労の相手をしていたが、次第に考える余裕が出てくると、凛のことを考えて焦りの感情が芽生えてきた。急かすように早く早く、と。だから自然と足取りは早くなってしまった。目的地なんか見当がつかないのに。

「霧峰、少し休め」

 後ろを歩く柚村京に言われて歩調を合わせるが、落ち着かない。また自然と一歩先を行ってしまう。

「それ以上行くなよ。迷子になんぞ」
「でもっ……」

 振り返りかけたそのとき、踏み外して転倒し、倒木に額を打ちつけた。痛みとともに一瞬視界が揺れる。

「痛っ……」
「大丈夫か?」
「は、はい」

 打ちつけた部分を触ってみるが、血は出ていない。立ち上がろうとしたところで、左足首に痛みを感じた。確認するようにもう一度体重をかけると、やはり同じ場所が痛む。

「どうした?」
「わ、わかりません……いたた…」
「見せてみろ」

 京に促されて倒木に腰掛ける。素足になると彼は触診し始めた。

「……すみません」

 気にかけてくれていたのに迂闊な行動をとってしまい、合わせる顔をもない。

「今は痛いか?」
「えっと、いえ……立ったときよりは。どうですか?」
「そうだな……」

 二、三度足を触ると京は深刻な表情になり、かぶりを振る。

「……え?」

 その様子を見て不安になり、血の気が引くのを感じた。この先を聞くことが少し怖くなる。

「折れてるな」

 やっぱりと思った。だが、同時にあんじゅは訝しむ。骨折するにしても、こんなものだろうか。痛みも自分自身の脆さも、あまりにも想像していたのとは乖離かいりしていた。

「お前今信じただろ」
「えっ……え??」

 わけがわからず戸惑っていると、京はイタズラな笑みを向けてくる。

「嘘に決まってんだろ。こんくらいで人間が骨折するかよ」
「ちょっ、柚村さん! 騙したんですか!?」
「お前が勝手に信じただけだろ、ほら靴履け」

 眉をひそめるものの、京は気にとめてない様子だった。

「ひどいですよ、もう!」
「まあでも、捻挫はしてるな。村で診てもらえ」

 そう言って、京も木に座りこんで小休止する。
 鳥のさえずりが聞こえる。森の中はその音しか聞こえなかった。しばらくお互いに言葉を交えることなく時間だけが流れる。

「あの音声の子、知り合いなんだろ?」

 沈黙を破った京の言葉に、黙って頷く。

「知ってたんですね」
「様子見てればな」

 わかりやすい、ということなのだろうか。そういえば、考えてることが顔に出てるって凛に言われたことがある気がした。

「アカデミーの頃からの友だちなんです。あの事件以降は人と関わることを避けてきたけど……それもよくないかなと思って。凛ちゃんと話すきっかけができてからは、わたしも積極的に話すようにしました」

 あんじゅは下を向いたまま凛のことを考える。今この瞬間も彼女は助けを待っているはずだ。もしかしたら、手の届く距離にいるのかもしれない。

「友だちを見つけたいって気持ちはわからなくねえけど、今みたいに怪我してると、会った時にむしろ心配させちまうだろ。自分を探すためにここまで無茶やらかしたなんてわかったら、向こうも気まずいだろ」
「そうですね……」

 なにも言えず、とりあえず了解の言葉だけ述べる。確かにその通りだった。ボロボロの状態で凛と再会しても、果たして彼女はそれを素直に喜ぶだろうか。自分を探すためにここまでして、申し訳ないなんて気持ちを抱いてほしくはない。

「にしても、友だちいたんだな」
「な、なんですか柚村さん。まるでわたしが年中ぼっちみたいな言い方しないでください」
「いや、お前って一人で黙々としてる姿が似合うっていうかさ」
「そ、そんなことは……あるかもしれないです」
「否定するのはえーよ」

 ふと、背後から枝を踏み砕く音が聞こえた。音に反応して京と同時に振り返ると、五メートル先に人影が見えた。
 反射的に立ち上がり、あんじゅは木に身体を預けた。京も腰のホルスターに収まっている銃に手をかけてから距離をとる。
 人影は男性で、呻きながら目を剥き、口を大きく開けている。見紛うことなく吸血鬼だった。
 あんじゅは素早く周辺に目を配る。他に吸血鬼の姿は確認できない。ぽつりと、一人現れた吸血鬼はゆっくりとこちらに向かってきた。

「あっ……あっ……助け……」

 吸血鬼は言葉を交わしてきたが、聞く耳を持たぬ京が銃を引き抜く。すると吸血鬼は一瞬立ち止まった。

「ひ、がん、ばな……?」

 確認をするように吸血鬼が銃を顎で指す。震える手でも指差してきた。血を求めてくる従来の吸血鬼とは違う行動に二人は目を見張る。

「おい、あんた……早見隊の人か?」

 京が問うと、吸血鬼は口を開けたまま何度も頷いた。空を噛むような動作を見せながらも、まだ正気は保てているようだった。

「ああ……」

 呻いているのか、質問に答えたのかわからぬ声で男は答える。

「なにがあった?」

 京が訊ねるが、男は答える暇もなく、喉元を抑えて苦しみだす。抑えの効かなくなった吸血衝動に呑み込まれようとしていた。

「くっそ……」

 不意に京が腕をめくって吸血鬼に噛みつかせた。京の突然の行動にあんじゅは思わず目を見開く。

「えっ……柚村さんなにして……!?」
「血を吸わせて正気に戻す」

 京は痛みに顔を歪める。吸血鬼と化した早見隊の男はそんな様子など気にもかけずに、吸血行為に夢中になっていた。

「え……大丈夫なんですか? 吸血鬼に血を吸わせるのって」
「今はこいつが頼りだ。歯止めがきかなくなったら、撃つしかないけどな」
「でも自分の血よりかは人工血液を摂取させた方がいいんじゃ?」
「長く正気を保たせるためにはこっちの方がいい。今すげえ後悔するくらい痛えけどな」

 その時だった。ぽつりぽつりと、人影が見えたのは。まるで山々が作り出したかのように、いくつもの人影が周りを囲む。当然、彼らは山の精霊のような存在ではない。吸血鬼だ。

「マジかよ……」
「いつの間に……!?」

 悪態をついた京は血を吸わせていた男から腕を放す。男の方も、血を充分に摂取したのか、正気を取り戻していた。
 立ち上がった京はどこか気分が悪そうに見えた。 

「くそ……!」
「大丈夫ですか柚村さん!? 顔色が……」
「平気だ。あんた、飲み過ぎだよ」
「す、すまない……」
「ちっ……フラフラする……」

 そう言いつつも、立ち上がった京は吸血鬼に向けて銃を構える。

「あんた、担当は?」
「ぎ、『技術班』」
「ドローンとかは? 携帯用の銃火器ついてるやつは」
「持ってない! 壊されたか奪われたか……」

 それを聞いて、まいったな、と言いたげな表情になる京。『技術班』ではこの状況を切り抜ける戦力に数えられそうにない。

「今はゆっくり話を聞ける状況じゃねえ。とりあえず切り抜けたら話を聞く。とはいえ、一度村まで連れて帰る必要があるがな」
「大丈夫なんですか? 連れて帰っても、処刑されるんじゃ……」
「それは避ける」
「ま、待ってくれ、俺はいやだ! 死にたくない!頼むせめて収容所行きに……」

 吸血鬼化への処遇を恐れてか、男の顔は恐れの念を露わにしていた。

「俺の権限で殺されないように話はしてやる。その前に、ここから抜け出すのが先だ」
「頼む……ここで死ぬなんてごめんだ!」

 確かにそのとおりだった。あんじゅたちの周りを囲む吸血鬼は、おおよそ二十体ほど。こちらには、足を捻挫したあんじゅと、貧血気味の京、そして情報を握っているであろう早見隊の吸血鬼。最悪とまでは言わないが、決して好ましくない状況だった。


 ○


 あんじゅの手に収まっている銃は、正確には拳銃ではなかった。拳銃サイズのマシンピストルM93R。選んだのは単に装弾数が二十発と、他の拳銃よりは弾数が多いからでそれ以外に理由はない。
 予備の弾倉も持ってきているので、弾切れの心配はなかった。それに柚村京がすでに五体を灰にしている。京の射撃技術は平均的だった。
 余裕があった。だから心を落ち着かせることができた。吸血鬼に銃を向けることに、殺してしまうことに、迷いはない。それでも体は反応する。ムカムカする吐き気を撃ち殺してしまいたい。
 吸血鬼の頭をあんじゅは撃ち抜く。一瞬だけ静電気のように心が反応した。

(……凛ちゃんを見つけるためだ)

 言い聞かせてまた撃つ。頭部に命中した弾丸が貫通して大木にめり込む。

(……凛ちゃんを見つけるため)

 三体を連続して仕留める。外した弾はない。

(これは、正しいことだ……)

 暴れようとするトラウマを押さえつける。呪文のように、心の中で呟きながら。

(これは、凛ちゃんを見つけるための、正しいことだ。正しいことなんだ)

 仲間を次々と失ったからか、一体の吸血鬼が逃げようとした。それをあんじゅは冷静に撃ち抜く。だが、弾丸は足に命中させてしまった。
 倒れた吸血鬼は怯えた表情をあんじゅに見せる。一発撃ちこみ、顔を吹き飛ばす。

(大丈夫……大丈夫……)

 あんじゅは胸の内で懐かしさを感じた。もきっと、自分はこんな風に正当化していたのかもしれない。ふとそんな思いを抱く。


 ○


 ちょうど弾倉一つ分を使い切った。京はそのまま次のマガジンを入れる。だが、撃つべき相手はもうどこにもいない。

(終わったか)

 突然の吸血鬼の襲来に肝を冷やしたが、呆気なく片付いた。四方に目を配るが残っている吸血鬼はいない。二十体ほどいた吸血鬼は全員灰と化し、持ち主の消えた衣類がそこかしこに散らかっていた。

「大丈夫か?」

 離れたところで立ちすくんでいたあんじゅに声をかける。吸血鬼に対して問題なく・・・・撃ってはいたが、顔色が悪いことが気がかりだ。それに焦燥感も出てる。

「はい」

 固い声であんじゅが応えた。外傷はなさそうだったが、表情は疲れきっていて、目は虚ろだ。これ以上の散策は彼女にとって危険だろう。

「休んどけ」
「大丈夫です。それより……」

 あんじゅが、身をかがめている早見隊の生き残りの吸血鬼に視線を移す。今は彼が唯一の手がかりだ、と言わんばかりの表情を向ける。あんじゅが捜索を続行する気なのは明白だった。

「早く聞かないと……」
「待て、とりあえず情報を得てからだ」
「探さないと……!」

 予想通りの反応に京はため息をつく。早見隊の『技術班』の男に詰め寄ろうとするあんじゅを京は止めた。

「俺が聞いとくから、お前は周辺を見張ってろ」
「でも……」
「命令違反で処罰するぞ」
「っ……! はい……」

 念を押されて、あんじゅはやっとまともな返事をした。
 京は一番納得してくれない物言いをしたと感じた。やや強引に押しつける命令、下手くそな子育てをする父親のような物言い。ただ、言い訳をするなら血を吸われ過ぎたせいか、今は思考がうまく働かない。あんじゅに悪いとは思いつつも、優しく言い聞かせたり議論する気にはなれなかった。

「おい、立てるか?」

 縮こまり、震えている早見隊の吸血鬼の男に京は声をかける。男はすぐに顔をあげた、肩を震わせて涙目になりながらこちらを見てくる。

「なにがあったか話してくれ、頼む」
「……だ……」

 震える男の唇から言葉が飛び出した。ただ、理解できるほど形にはなっておらず、京は首を傾げる。

「落ち着け、深呼吸しろ。もう吸血鬼は──」
「やだ……やだ……俺も……あんなふうに……!」

 様子がおかしい。心が警告を発した。その瞬間、男が飛びかかってきた。

「お、おい! なにすんだ!?」
「いやだぁぁ! 吸血鬼だから俺も殺すんだろっ!! 今みたいに……今みたいにぃぃ!!」

 発狂した男に首を絞められた。暴走の要因は、先ほど見せた吸血衝動が原因ではない。自分も、今みたいに現れた吸血鬼と同じ運命を辿る、そのことに恐怖して抗っている。明確な意思を持って、男は京を殺しにかかってきた。

「おい! やめろ! 落ち着け!」

 手を振りほどこうとするが、吸血鬼の蛮力ばんりきの前では赤子同然だった。おまけに血を摂取した直後だ、通常の吸血鬼の状態よりも向こうは力がついている。先ほど噛ませて血を吸わせたのだ、このままだと死ねばこっちも吸血鬼になってしまう、それは避けたかった。

「は、離れてください!」

 親友に繋がる情報源だと判断してか、銃を構えているあんじゅも引き金を引けないでいる。

「くっ……そっ……」

 意識が遠のきそうになる最中、突如として凄みのある音が轟く。同時に、馬乗りになっていた吸血鬼の男の頭が吹き飛んだ。血が顔に降りかかり、思わず目をつむる。

 すぐさま京は起き上がって銃を構えた。今のは銃声だ。だが、方向的に、撃ったのはあんじゅではない。それに拳銃の音ではなかった。再び警戒心を尖らせる。

 誰かが立っていた。また人影だ。だが、今度は吸血鬼ではない。ライフルを持った男だ。そばには鹿の死体が転がっている。猟師、ということは判断できた。だが京は銃を下ろさなかった。張り詰めた面持ちのまま、じっと相手を睨みつける。

「……大丈夫か?」

 猟師が口を開く。そいつが一歩近づいてこようとした瞬間、反射的に声をあげた。

「動くな!!」

 言われると、猟師は後ずさった。銃を持ったまま、ゆっくりと両手をあげて、敵意がないことを見せつける。

「なんだよ、くそ……」と言って猟師はさらに下がる。すると、あんじゅがそばにやってきて顔を覗きこんだ。

「柚村さん、大丈夫ですか?」
「ああ……平気だよ」

 そうは言うものの、頭痛がする。何度も息を吸いこむが、肺が酸素を認識してないように、なかなか落ち着いてくれない。

「あのな、俺はただ……襲われてたから、吸血鬼かと思ってよ……」
「わかったよ、

 弁明するように猟師は言う。最悪なことをしてくれたと思った。命を救ってくれたあの猟師を責めるわけにはいかないが手がかりは灰になった。それは文字どおりの意味で。

「情報なくなったな」

 まるで消去されたデータのように口走る。その物言いは妙にしっくりきた。同じ組織の、元仲間の命だというのに、情報という温かみのない虚しい表現で言い表される。

「あの、柚村さん」
「一度戻るぞ。なんだよ?」
「ハンカチ使いますか?」

 あんじゅから汚れてない白いハンカチを手渡される。顔を拭くと、赤い血が染み渡った。吸血鬼の血は灰になることはなく、そのまま残る。血も煙のように消えてくれればいいのに。刺々しい雰囲気を察したのか、あんじゅから少し距離をとられているように思えた。

「けっきょく、吸われ損だな」

 とりあえず、なんとか生き延びれた。それ以外に京は余計なことを考えないようにした。
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