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Aftermath
112. Explanation
しおりを挟む吸血鬼が現れた。
【彼岸花】がその通報を受けたのは正午で、まだ日が燦々と照りつける時間帯だった。
白昼堂々と現れた吸血鬼は通り魔のように通行人を襲いながら、渋谷の街を恐怖に陥れていた。それでも吸血鬼化した人がいないというのは幸いなことだろう。
現場に捜査官が到着すると、吸血鬼も場の流れが変わったことを察したのか、隠れ蓑にできる場所に留まった。カフェの二階に逃げ、客を人質にした吸血鬼はそのまま出てくることはなかった。
絶好の場所だ。
狙撃位置に着いた霧峰あんじゅはそう思った。建設途中のビルの足場からは渋谷の街が見渡せる。スコープから覗いた二百メートル先には標的が潜むカフェが見える。街路樹や看板などの障害物は一切ない。
ワイシャツを血で汚した男性の姿が見えた。椅子を力任せに蹴り上げたりと派手に暴れている。近くでは数名の人質が怯えていた。
「標的を確認しました」
あんじゅは無線に向かって話す。
『了解、指示があるまで待機』
早見の声がした。緊張しているのか、声音はいつもより引き締まっている。
吸血鬼の様子は変わらずにいた。スコープの端には警察車輌や【彼岸花】の車輌が見える。銃を持っている早見とカイエの姿を確認できた。
あんじゅの近くには風の強さを目視できる吹き流しが、備えられている。強風が吹けば五月のこいのぼりのようにぱたぱたと風にのって泳ぐが、無風状態の今は死んだように垂れ下がっている。
「一つだけ言うけど、撃った後に吐かないでよね」
伏射体勢のあんじゅの横から声がした。
「大丈夫です。鵠さん」
観測手の鵠美穂は隣で椅子に腰掛けながら観測機器であんじゅと同じカフェの方を見ている。
退院したばかりの美穂は、あんじゅがスナイパーの役目を任されたことを特に言及しなかった。リハビリがてら新人のサポートをすることには、本人も同意しているのだろう。
「心配して言ってるわけじゃないけど、無理そうなら今のうちに言いなさいよ。代わるから」
「やれます」
言ったところで少しだけあんじゅは後悔した。当てることに関しては問題ない。はっきりと申すなら距離も状況も余裕過ぎる。その後のことはあんじゅ自身も予想ができないから。
あんじゅはスコープから吸血鬼の男の動きを確認する。変わりはない。人質を襲ってる様子もない。
単身赴任で家族と離れて暮らしていた男は、赴任先で吸血鬼に襲われて、変わった。吸血鬼に変わった男は家族の元へと戻り、妻や子どもたちに人でなくなった自らを曝け出した。
現場到着時の打ち合わせで、早見から聞かされた情報が頭の中に浮かんできた。あんじゅはそれを振り払おうとするが、意識すればするほど思考は深く脳裏に刻まれる。
吸血鬼になってしまったことを告白した男は、家族から拒絶された。通報されそうになったところで、吸血鬼化した男は家族に手をあげた。吸血鬼なのに血を吸わず、ただ拳を使い、それを阻止した。そして、逃走した男はその道中で吸血衝動に襲われ、通行人を襲い始めた。
よくある典型的なパターンだった。例外なのは家族を同じ吸血鬼に変えなかった点だろう。拒絶されるとわかっているために、身内や恋人を同じ吸血鬼に変える例はよくある。
だけど、男は話し合いでどうにかしようとしたのだ。吸血鬼になった苦しみを背負わせたくない、だが家族とも離れたくない。だから、平和的に意見を求めたのだろう。一緒にいられるように。
それから僅か一時間ほどで、穏やかな解決方法とはかけ離れた結末が訪れようとしている。
『あんじゅちゃん、許可が出たわ』
「はい」
掠れた声であんじゅは返事を返す。いつの間にか喉がカラカラに乾いていた。
スコープから覗くと吸血鬼の男は苦しみもがいていた。吸血衝動が再び襲いかかってきている。このままでは人質を巻き込むのは、目に見えている。そうして倍々式に数は増えていく。
収容所の許可は下りなかったのだろうか。【舞首】は? あそこは、増改築してるからおそらく入れるだろう。
溢れるように余計なことを考えてしまう。今だけは自分の感情に死んでいてほしいと願った。かといって、冷酷になれば恐ろしいくらい振り切れてしまう。相手は害獣だ、畑を荒らす猪と変わらない存在だ、と。
引き金を絞る。あと数ミリ指を動かせば弾は発射される。
反射的に思考が真っさらな白に染まる。この瞬間にはいつも訪れる感覚だ。何も考える必要はない、そう言わんばかりに、次にやるべきことは自然と導き出された。
息を止め、あんじゅは指を動かした。
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