追悼

yowai

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episode2

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朝。昨日の出来事を思い出しながら、学校へ行く準備を着々と整える。
家族の揃う居間には、いつもの光景が広がっている。
父はブラックコーヒーを片手に小難しい顔で新聞を見つめている。
母は黙々と朝食を作っている。
「おはよう」
僕がそう挨拶すると、2人ともこちらをチラリとも見ずにおはよう、と挨拶を返す。
それに続く会話は無い。
「いただきます。」「ご馳走様。」「行ってきます。」
いつも通りにそれだけを口にすると、早々と家を出た。

駅へと向かう道を歩く。
昨日の雪は殆ど溶けて、吐き出す息が白く揺れる。
滑らない様に気を付けながらも、少し足早に道を歩いた。


昨日少女が居た場所を通り過ぎる。
猫はもう居なくなっていて、彼女が添えた花は殆どが風で飛ばされ残っていた花は踏まれて土で汚れていた。
何となく、その場所にまたしゃがみ込む。
昨日の彼女と同じように、静かに手を合わせてみる。
そこには何も無いのだから、傍から見れば不審者だろうなと思いながら立ち上がると、携帯電話の画面を見て電車の時刻が迫っていることに気が付き、足早にその場を立ち去った。









僕は学校が嫌いだ。
あまり外交的な性格ではない上に勉強も運動も得意ではないし、何か特別光るものがあるわけでもない。人との関わりは苦手なので、休憩時間などはずっと物語の世界に入り浸っている。
そんな僕にとって、学校で築く友情、絆なんてものは下らない。 そんなお遊びをしている暇があるなら、本の1つでも読んだらどうなんだ、と思う。
僕が1人でそんなことを考えていると、突然

「お~い!須賀!」

と僕の名前を呼ぶ声がした。廊下の方からだ。

「佐野。どうしたの。」

僕が顔を上げると、そこに立っていた彼は満面の笑みでこちらへ近付いてくる。

「何読んでんの?」

そう言って本に顔を近づけると、彼の耳元のピアスがキラリと光る。彼の顔と僕の顔の距離がわずか10cm程になり、僕は思わず彼の肩を押した。

「やっぱり意識してんじゃん。気持ち悪いな、お前。」

そう言って僕を蔑む様に見下ろすと、廊下でニヤニヤと笑っている佐野の"お友達"の元へと帰って行った。
廊下からは

「マジでキメ~!ゲイとか生理的に無理!」
「陰キャでゲイとかヤベぇよな!」

など、好き勝手に僕を蔑む声が聞こえてきて、クラスメイトの冷たい視線を感じた。

気分が悪い。
手が少し震えている事に気付いて、情けなくてただ俯いていた。







僕が佐野と初めて話したのは、中学2年生の時だった。
中学生の子供社会というのはシビアなもので、なんて事の無い理由でも いじめ と呼ばれるものは起きてしまうのだ。

僕がそれの餌食になったのは、確かクラス替え初日の事だっただろうか。
学校の中でも悪い意味で名の知れた男と席が前後になってしまった、それが運の尽きだったのだろう。

「お前、名前なんて言うの?」

いきなりそう話しかけられた僕は、ただでさえ人と話すのが苦手なのに、目の前にいる中学生にしては大柄の悪名高い「芹沢」と会話をするとなると緊張と恐怖で声が震えてしまう。

「…賀です。」
「は?なんて?」
「………須賀……です。」

僕がそう声を絞り出すと、芹沢は大声で笑い出した。

「声ちっさ!!女かよ!!男のくせにダッセー!」

地獄はそこから始まった。

初めは授業中に後ろから椅子を蹴られたり、女々しいだの根暗だのと罵倒されるような幼稚なものだった。

僕は馬鹿らしいと感じていたし、何より本を読んでいれば外の世界で起こる些細な事なんてそれほど気にならない。

だからずっと、芹沢が僕に何をしようと反応をしなかった。

きっとそれが気に入らなかったのだろう。

初めは中学生のじゃれ合い、で済ませられる程度だったが、徐々に徐々に、芹沢の僕に対する嫌がらせは悪化していった。

僕の大切な本を奪われ、窓から投げ捨てられる。
酷い時は本を破り捨てられる事もあった。

芹沢の機嫌が悪い時は、服で見えない部分に暴行を加えられる事もあった。

1度芹沢の暴行で嘔吐をしてしまった時は、本当に地獄だった。

でもそれが僕と佐野が話す最初のきっかけになった。

クラス中から気持ち悪いと罵られ、自分の吐物の中に大事な本を投げられ、僕が必死になって本についた吐物を拭うところを芹沢は楽しそうに見ていた。

限界だった。 いくら無視をしようとしても、物語の世界に逃避しても、やはり中学生の、子供の僕にはあまりに酷い現実。
クラスメイトが僕に注目する中、ずっと堪えていた涙が溢れそうになった時だった。

「いい加減にしろよ、お前ら」

どこからか声が響いた。
静まり返る教室。

「……今なんつった?佐野。」

いつもより低くあからさまに苛立った芹沢の声に震える僕を他所に、クラスメイトである佐野修也が僕の前に立ちはだかった。

「須賀、大丈夫か?立てる?」

そう言った佐野は、吐物塗れの僕の手を躊躇いもなく掴み立ち上がらせた。

「正義のヒーローごっこかよ、キメー」

そう言って佐野に野次を飛ばす芹沢と仲間を気にもとめず、僕を教室の外へ連れ出してくれた。



僕の手を引く佐野の手が僕よりも震えている事に気が付く。

「ありがとう」

口をついて出た僕の言葉に耳を赤らめる佐野を見て、なぜだかすごくくすぐったい気持ちになる。

僕達はただ無言で汚れた物を洗っていた。


水道の蛇口から絶え間なく聞こえる水の音がどうにも心地よくて、このままずっとこの時間が続けばいいのに、なんて柄にもないことを思っていた。





その後どうなったかなんて、話す価値もない程につまらなくてよくある展開だった。
いじめっ子というやつは、どうやら本当に頭が悪いらしい。

僕を庇った佐野は芹沢の次のターゲットにされ、僕はというと時折絡まれる事と芹沢から「ゲロ男」なんて笑ってしまうほど単純なあだ名をつけられたくらいで、平穏な日々を取り戻しつつあった。

ただ、前と違うところは、いつも通り本を読んでいても物語の世界に入り込めない所だ。
嫌でも耳に入る、芹沢達が佐野を罵倒する声。

元々佐野と僕は友達ではなかったし、僕から佐野にターゲットが移った事はラッキーだ。
気にすることではない。
そう自分に言い聞かせて無視をしようとするが、
やはり罪悪感と自分を守ってくれた佐野を侮辱されることへの怒りでうまくいかない。
本を読む手を止め、拳を強く握りしめる。

「ゲロ男なんか庇って自分がいじめられるなんて、佐野はほんとバカだねぇ」

クラスメイトのそんな呟きが聞こえた。

…同感だ。佐野は馬鹿だ。
僕なんか庇って、本当に馬鹿な奴だ。
 




僕は結局、何もできなかった。
中学生2年生の冬、佐野は学校に来なくなった。


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