僕たちはまだ人間のまま 2

ヒャク

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第59話「原因は何だったか」

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鷹夜の思う佐渡ジェンと言う人間は、夢か幻かと言う程に遠い存在であって、実在している感覚もあまりない。
それはそうだ。
彼にとってはテレビの中でしか見た事のない人間なのだから。
そんな存在が目の前にいる恋人の中では人生を左右する程に大きくて、その存在の大きさに嫉妬や何やを感じるよりも何と言うか、少し可哀想に思えた。

「芽依」
「変わりたい、、変わりたい、本当にッ、!」

ズッと鼻水を吸う音。
ゴシゴシと擦るものだから目の周りが腫れてしまいそうだし、縮こまって丸まった背中は少し遠くにいるからさすってやれない。
もどかしい感覚がする。
鷹夜はそんな彼の、苦しそうに噛まれた下唇の引き攣り方を見つめていた。

(俺じゃない人と付き合えば、こんなに苦しまなくて良かったんだろうな)

手を伸ばすのを躊躇ったのはそんな理由からだった。
ほとんど中身を飲んだコーヒーの缶は既に冷たくて、右手の指先でそれに少しだけ触りながら、彼はそんな事を考えていた。
「向き合え」と、向き合わずに逃げ続ける芽依を怒ったのは鷹夜であって他の人は今まで彼に何も言ってこなかった。
それもそうだ。
大切な人が自分に何も言わず目の前から突然消えるなんて、当たり前にトラウマになる事だろう。
芽依の場合、ジェンの次には当時の彼女の件もあったのだから、周りの人間たちが特別彼を甘やかしたのは理解できる。
優しく接するのが普通の事なのだろう。
鷹夜自身が少し真面目過ぎるし、自分にも他人にも、芽依に対しても厳しいのだ。
良くも悪くも意志が強く、自立と言うものが確立された人格であるが故に、鷹夜はそれを芽依にも求めてしまっている。
これは、鷹夜が芽依にそれを求めなければ済む話しでもあるのだ。

(でもそれは多分、芽依が人としてダメになっていく道だ)

お節介、要らぬ世話、と言われればそれまでの想いだけれど、彼は、この一種の甘えを見逃し続ければいつか芽依がまっとうな人間の道を外れていくと思っていた。
事実、出会った頃の芽依は中身が腐り切っていたし、鷹夜の他の誰も、彼に「前を向け」と言えない状況になっていた。
そのままであったなら、また、鷹夜がそのままの芽依で我慢できる人間であったなら、小野田芽依はきっと今でも自分の甘えに気が付けず、自分から人が離れて行く理由も分からず、離れた人の方ばかりを向いて文句を言う人間になっていただろう。
どうして?何で?行かないで、と。
そして当然、彼の周りにいて彼を大切にしているのに信用されない人間たちは、嫌気が差して彼から離れて行っただろう。
芽依はそこから先の進歩がないままだった筈だ。
周りの人間たちがどれだけ彼に優しく接してくれているか、想ってくれているかも気が付けなかっただろう。

「変わりたい、、このままじゃ人に嫌われてくばっかりで、絶対、この先、鷹夜くんだって俺のこと嫌になる、だから、」

途切れ途切れに語られる言葉は自信がなくて心細そうで、聞いていて胸が苦しくなる。
追い詰めてしまった、と思いもする。
鷹夜は芽依の言葉を聞きながら、左手をギュッと握った。

「、、、」
「だから、!」

芽依が今回こうして自分の甘えや大きなトラウマと向き合おうと思えたのは、鷹夜のやり過ぎでもあるし、同時に芽依が通らなければならない必然の道だった。
今ここから逃げれば、もうこの先、彼が変わる事はない。
きっと甘ったれで余裕のない、腐り切った竹内メイになるだけだ。

「、、あのな、芽依」

目元が赤くなった芽依はそれでもまだ瞳を潤ませたまま、言葉を詰まらせ、名前を呼んだ鷹夜を見つめた。
閉ざされていた鷹夜の唇はそれだけ言うとまた少し閉じて、そうしてもう一度、ゆっくりと開いた。

「変わんなきゃって気が付いて、そう思えたんなら、芽依は駄目にはならないよ」
「っ、」

あんまりにも美しい男だと、何故だか芽依の胸は余計に苦しくなって、やっと止まったのに泣きたい気持ちがまた増した。

「駄目にならないから、俺の話、聞いて」

「このままではダメ」。
それに気がついてこうやって足掻きたいんだと鷹夜に言える時点で、芽依はかなり成長しているし、前に進んでいた。
鷹夜は今こうして彼が泣きながら自分に想いをぶつけてくれた事が、単純に嬉しかった。
鷹夜は「大事な事の話し合い」を芽依が避けていくタイプなのではないかと思っていたし、彼は知らないが実際問題、芽依はほんの少しこう言った重たい話はできたら避けたいと思っていた。
面倒云々と言うよりも、そこから別れ話しになったり鷹夜に余計に嫌われたりするのが嫌なのだ。
その逃げ癖そのものが甘やかされた人間特有のものだと今は気が付いているが。

(ここでちゃんと、全部、話し合うか)

明日は芽依の仕事は午後からで、自分は休みだ。
話し合うにはいいタイミングだったかもしれない。
鷹夜は時折り溢れそうになる涙をグッと手のひらで拭う芽依を見つめて、腹に力を入れた。
覚悟を決めたのだ。
小野田芽依を腐らせない為に、これから先、一緒にいてもいなくても強くなってもらう為に、もうひとつだけ引っかかっている事を話題に出そうと。

「分かるけどさ、そうやって反省すんのも。でもさ、芽依」

「佐渡ジェン」が自分たちの関係、と言うよりむしろ芽依と言う人間を縛り続けているのはお互いに認識した。

「うん」

ジェンに甘やかされてしまっていた芽依はもちろん、ここで変わっていかねばならない。
しかし、あんまりにもこの話し合いで「俺が、」と言い続ける芽依の姿は痛々しく、確かにそうではあるのだが、少し論点がズレているようにも思える。
変わりたいなら、最後にひとつ大きな認識の違いがある事を彼に伝えねばならなかった。

「何で怒らないの」

静かな部屋に、ポツンと鷹夜が言ったその言葉はやたらと響いて聞こえた。
上の階の人間が何か落としたのか、そのすぐ後にゴッと言う音が天井から聞こえてきた。
携帯電話か何かだろう。

「え?」

芽依はポカンとした。
本当に、鷹夜が何に対しての怒りを指しているのかが分からなかったのだ。

「何で怒らないの、ジェンくんに」

あんまりにも当たり前の話なのだが、芽依はその名前に対してどうして怒らなければならないのか、やはり、分からなかった。
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