僕たちはまだ人間のまま 2

ヒャク

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第58話「初めの一歩の大きさ」

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ラグの上に正座をする芽依に苦笑しながら、鷹夜は買ってきておいた缶コーヒーとペットボトルのカフェオレの内、温かいカフェオレを彼に手渡した。

「ありがとう。俺、何も持って来なかった。ごめん」
「謝んなくていいよ。そんなビクビクすんなって」
「ん、」

コクン、と頷くと小さめのペットボトルのオレンジ色の蓋を回す。
パキッと音がした。
対して、鷹夜は缶コーヒーの口を右手の人差し指を引っ掛けてペリッと開け、テーブルを挟んだ芽依の向かいに座ってひと口飲んだ。
苦くて、香ばしくて、少し酸味も感じる。
部屋のドアの鍵は閉めてあり、室内は少し暖房が効いている。
ひとつしかない窓はカーテンを閉め切られていて、玄関からの廊下と部屋を隔てるドアもきちんと閉められていた。
久しぶり。
あの夜ぶりの、2人きりの夜だった。

「体調崩したりしてない?」

妙な緊張感を纏ったまま、芽依がおずおずと鷹夜に聞いた。

「大丈夫。芽依は?」
「っ、、うん、俺も平気」

鷹夜の答えにホッとしたのか、いつも通りの気の抜けた芽依の笑みが見える。

「でも、かなり、、寂しかった」
「、、うん」

芽依のその言葉には、鷹夜は多少困ったような笑みで返した。

「でも、俺のせいだって言うのはちゃんと、理解できた。ええと、、」
「うん」

ああ、いつも通りだった。
うまく言葉が出て来ない芽依を、優しい視線で見つめながら鷹夜が待ってくれている。

(大人過ぎる人、だなあ)

そんな風に待ってくれる彼を見ていると、延々と、自分と彼の間が空いて行くように思えた。
それくらいに目の前にいる鷹夜は大人で、芽依はまだまだケツの青いガキだった。

「俺、鷹夜くんが愛してくれてるのに、それを信用してなかった」
「ぇ、?」

ポツリと独り言を言うように溢れた言葉に、呆気に取られたと言うより、感心したような表情をした鷹夜が芽依の方を向いた。
彼の目には、今の芽依が何だかとても大人びて見えている。
下手な緊張は解け、鷹夜を力なく見つめたまま、瞬きを忘れているかのように芽依はジッとしている。
そして脱力した肩を、身体を、やはりピクリとも動かさずに唇だけはしっかりと動かして、ハッキリと喋り始めた。

(大人になりたい)

彼は心の中でそう思っていた。
大人になりたい。
鷹夜のそばにいたい。
置いて行かれたくない。
何より今いるこの場所を、鷹夜の隣と言う位置を誰にも取られたくない。

「また、周りに色々言われた。俺は分からなくなるとすぐ人に相談する。それは、もしかしたら悪いことかも知れない。自分1人で気がつけないってことだから」

だからだろうか。
荘次郎の事は荘次郎の事だ。今はそうではなくて、鷹夜と自分の未来に関係する事を話している。今はこれに集中するべきだ。
と、やたらと頭の中はクリアで、冷静になっていた。
余計な声や考えはいらなかった。
落ち着いて現状を理解し、飲み込めているからか、25歳と言う年齢相応な顔をした芽依がそこにいた。

「だから、それはごめん。でも色々話したから、俺が周りの人をどれだけ信用してなくて、常に疑ってんだなって言うのが良く分かった。それから、疑いつつも皆んなに甘えてるのも。鷹夜くんに、寄り掛かりすぎてるのも」

はあ、と一度息を整える。
喋ってる間、どんどん胸が苦しくなっていって堪らないのだ。
自分の罪を告白している、懺悔のような瞬間だった。

「大切にしてくれてるから怒ってくれたり、立ち止まらせたりしてくれるんだよね」
「、、うん」
「それを分かってなくてごめん」
「うん」

余裕がない訳ではない。
パニックになりそうだとかそう言う状態ではなく、今しっかりと自分の置かれている状況を理解して、反省しているからこそ、苦しくなっているのだと鷹夜は目の前にいる深呼吸をする芽依を見ていた。
彼がやっと、自分が考えるこの2人の間の問題の深刻さに気が付いてくれたのだと、少しホッとしている。

「そうやって大切にしてくれてるのに、理解できてなくて、、信じないで、何かあるとすぐ疑ってた。荘次郎のことで、関係ない鷹夜くんのことが頭に浮かんで、勝手に置いて行かないでって思って、暴走した」
「、、、」
「こないだは、本当にごめん」
「うん」

泣きそうな表情をしている。
実際瞳がいつもより潤んでいて、こんなときですら商売の道具として成り立つ芽依のその顔は美しく、鷹夜はため息が出そうになった。

(俺、そんな面食いだったっけなあ)

それともこの男のこの顔にだけは弱いのだろうか。

「鷹夜くんのこと、もっと信じる」
「うん」
「あと、あの、自分の足でちゃんと立つって言ったの、忘れてた訳じゃないんだけど、あれもできてなかったから、ちゃんとします」
「うん。いや、まあ、最近良くやってくれてたし、何だろうな。うーんと、」
「?」

ゴトン、とテーブルに缶コーヒーが乗った。

「あのね、芽依。甘えんなって言ってるわけじゃないのよ」
「ぇ、でも、」
「いや、そりゃね?自分の足で立ってて欲しいよ。俺は自分自身がそうやって生きてたいわけだし、芽依に、強く?、なって欲しいから」
「うん」
「でもなんて言うか、こう、俺に全部押し付けるとか、俺がいなくなったら死ぬとか、俺が言うなら仕事も辞めるとか、そう言う、俺に選択を任せるとか、全部決めてもらうみたいな甘えはすんなってだけなんだよ」

鷹夜はテーブルの上の缶コーヒーに手を伸ばし、コチンッと軽く指で弾いた。

「疲れて帰ってきた芽依が、ご飯作ってって言ってくるとか、お風呂一緒に入りたいって駄々こねるとか、そう言うのはしていいんだよ。別に。俺だってそう言う甘えは芽依にしてるだろ、たくさん」
「そう、かなあ?」
「そうだよ。頭拭かずに風呂場から出ようとすると大体芽依が拭いてくれるだろ。だからね、そう言うのはいいんだよ。ただ、例えば嫌なことがあって、消化できずに帰ってきて俺に当たり散らす。これは、ダメな甘え」
「うん」
「こないだの芽依もそう。荘次郎くんのことで勝手に不安になって、勝手に家に来て、勝手に俺のことめちゃくちゃにしたろ。それもダメな甘え」
「あ、うん、何だろ。何となく分かってきた、鷹夜くんが言いたいこと」

コクン、と小さく芽依が頷く。

「優しくし合うのはいいけど、自分でしかどうにかならない部分の感情を鷹夜くんに押し付けるのはダメ、みたいな、そう言うこと?」
「うーん、まあ、俺も上手く言えないんだけど、多分そんな感じ」
「、、俺、何でこうなのかな。何か、ああ、そうだ」

鷹夜の意見を聞き終わると、芽依はぐるりと頭の中を回した。
何で自分はこうなのだろう、何度も鷹夜にこう言って貰って来たのに、どうしてそれができないのだろう。
そう考えてすぐに行き着いた存在が、まだ彼の中で大きいのだと芽依自身が少し、悔しくなったのだ。
何となく無意識に、奥歯をギュイと噛み締めた。

「俺、ジェンに全部決めて貰ってたんだ」

鷹夜の目がほんの少しだけ見開かれた。

「自分では全然覚えたなかったんだけど、でも、中谷に言われて思い出したんだ。俺、前はジェンに任せきりで、ジェンに甘やかして貰って、生きてた」

その記憶は酷く甘いのだ。
ぬるま湯にずっと浸っているかのように、穏やかで優しく、冷たすぎる事も熱すぎる事もない。
浸っていれば、佐渡ジェンは身の回りの事を何でもしてくれた。
決めてくれた。責任を持ってくれた。
芽依が苦手な事など最初から知る事もなく、彼が全部を退けてきた。
傷付けてきそうな人間からは守られて来た。
そんな、甘ったるくて、芯のない、全部が楽しい、全てが肯定された記憶が、芽依の中に蘇っている。

「そのジェンがいなくなって、人が自分から離れていくことに敏感になった。ジェンって言う大きな存在が消えたことで、俺は今までジェンに向けてた甘えを、今、周りの人全員に求めてる」

俯いた顔が上がり、真っ直ぐ鷹夜を見つめた。

「鷹夜くんに、すごく強く求めてる」

ボタ、と涙が落ちた。
透明なそれは芽依の正座した膝に落ちて、ズボンに滲みて消えて行った。

「このままじゃ俺、また、ダメになる」
「、、、」

戻りたくない。
ここから出たい。
もう、いい加減、前に進みたい。
そんな意思のある強い視線だけれど、瞳からはパタパタと涙が落ちて止まらない。
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