僕たちはまだ人間のまま

ヒャク

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第61話「つまらない男達」

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「は?その男相手に?」

こじんまりした居酒屋「酒処・霧谷」に唯一ある座敷席を借りて襖を閉め切り、芽依と泰清は向かい合ってビールのジョッキを握っていた。
ここは泰清のお気に入りで、荘次郎と共に3人で行くような洒落た雰囲気のある店ではない。
壁がタバコの煙で鈍い黄色に染まり、古く焼けた紙に手書きで書かれたおススメメニューがその壁にずらりと貼り付けられている。
座敷席の中は少し綺麗だが、座っている畳は禿げてはいないもののだいぶ古い。

「そうです、、その人相手にドキドキしまして、これは流石にやべえな、と」
「はあ。お前が。そりゃやべえな。竹内メイが狙うと男でも落ちるだろうから本当にまずいな」

泰清は今度は日本酒をおちょこで飲みながらそう言うと、しばらく会っていなかった友人の俯く顔を見つめる。
相変わらず長く黒いまつ毛がパサパサと瞬きのたびに揺れていた。

「で、そいつ誰?荘次郎じゃないよな?」
「ちげーよ。お前が知らない人。歳上っつっても荘次郎より上だよ」
「お前にそんな友達いた?俺が知らないって、いつから友達なの」

芽依の交友関係はほぼ泰清の交友関係だ。
それくらいには限られた人間としか彼らは飲み食いを共にしない。
特に芽依がスキャンダルを起こしてからは関わる人間の数は減ってしまっていて、少なくとも泰清が思い浮かぶ中でそこまで仲の良い歳上の友人は出てこなかった。

「1か月、、と、2週間くらい前から」

鷹夜と芽依が知り合い、顔を合わせ、友達になった日から1週間が経っていた。
それなりに忙しいお互いの生活の中でも、何故だか連絡のやりとりは毎日続いていて、もうそれがない日は少し心地悪い程に感じられるようになった。
事あるごとに芽依から連絡が届いても、鷹夜は「スキンシップの激しい弟だなあ」くらいにしか思っていない。
嫌がる事はない。
おかげで今週はドラマの撮影も、途中で入ったいくつかの雑誌のインタビューやクイズ番組の撮影も難なく乗り越え、芽依は絶好調である。

「へえ、そうか、、、ん?お前にLOOK/LOVE教えたあたりだよな、それ」

泰清と言う人間はこういう時の察する能力がえらく研ぎ澄まされている。

「えっ、いや、、ええっとお」

そしてこう言った時における芽依の演技の下手さはピカイチだった。
一瞬で事を悟った泰清は「はあ?」と座卓に身を乗り出し、芽依に顔を近付けて睨んだ。

「俺、言ったよな?アプリの奴には会いに行くな、ブロック着拒で終わりにしろって」
「仰いました、覚えてます」
「今日は初めっからえらく腰が低いと思ったらそういうことかよ。メイさあ、自分が芸能人って自覚足りなくねえか?」

呆れた。
そう言いたげな表情をされ、止められていた行為をした事がバレた芽依はバツが悪く、口角を引き下げて唇を閉じと、「んん」と居心地悪そうに唸った。
芽依は、鷹夜にときめいてしまったと自覚したあの日からずっともんもんと過ごしている。
結局忙しくてあれから1度も鷹夜に会ってはいないが、3日前の深夜に電話を掛けたときはまた朝まで通話を繋いでいた。
毎日会えない事はもちろん仕方がなく、そこは耐えられる。
けれどどうしても声が聞きたくなったり、どこかで繋がっていたいと思ってしまう自分がいた。

「分かってるんだけど、」

今日ここに来たのは、悩みを聞いて欲しかったからだ。
ただ誰かと話して、鷹夜以外の人間と過ごして感覚を戻す為だ。
鷹夜にときめいたあれが人と関わらなさ過ぎて出てしまった症状のようなものだったのだと思う為だ。
けれど泰清といたとしても、芽依の頭に中には鷹夜が常にいる。
だからボソボソと彼の事を話し始めしまったのだ。

「分かってねーって。何を証拠に信じられんの、そいつのこと。やめろよ、また裏切られるぞ」
「っ、」

また 裏切られるぞ

その言葉は芽依の胸に重たく響き、いつの日か一緒にいた1人の女性を思い出させる。

「栞で懲りただろ。人には悪意があるって」

内村栞(うちむらしおり)は、芽依と交際し始めた当時はまだまだ人気のないグラビアアイドルだった。
明るく快活で愛嬌があり、少し礼儀を忘れるところがあるけれどそれも許されてしまう程の愛され上手。
泰清や荘次郎と遊びまわっていたときに立ち寄った会員制クラブで知り合ったモデルやグラドルの集まりの中にいた彼女は、初めから芽依に目を付けていて近づいてきた。
初めから騒動を起こす気でいたのだ。
鷹夜がそうでない可能性は決してゼロではない。
泰清はそれを心配していて、一般人なら尚更信頼ならないと言っているのだ。

「でも鷹夜くんは、」
「話し聞いてる限り怪しいじゃんか。そんなお人好しで優しい奴、普通いると思う?」

泰清は身を乗り出したままグッと酒を喉に流し込んだ。
焼いたホッケと、タコワサ、ポテトサラダ。それから今日のおすすめのイカ飯。2人は先程までは恋愛の話しはしておらず、それらをバクバク食べながら他愛もない会話をしていた。
今は箸を置いて真剣に睨み合っている。

「いる。鷹夜くんはそう言うんじゃない」
「あーそーですか。また騙されて馬鹿見るぞ」
「泰清、」
「俺だって女にも男にも散々騙されてきたよ。だから言ってんだよ」

机に肘をつき、いつの間にか火をつけたタバコを吸って、泰清は芽依の顔に煙を吹きかけた。

「本当に慎重に関われよ、メイ。もう仕事なくなるのは嫌だろ」

泰清の言葉は最もで、芽依は舞い上がっていた頭が少しずつ冷えていくのを感じる。
芽依は一度、信じた筈の恋人に裏切られた。どん底から立ち直るまで、泰清と荘次郎はずっとそばにいてくれたのだ。
これは蹴落としでも何でもなく、芽依自身を思っての言葉なのだと彼はきちんと理解できている。

(でも、)

でも、鷹夜を信じる芽依の心がなくなることはなかった。

「、、泰清は何でアプリ使ってネカマして人に嫌がらせすんの?ストレス発散だけ?お前だって傷付けられて悲しかったのに、何でそれを周りの関係ない人にもやんの」
「お前だってしただろ」
「したけどよ、そもそも何で始めたんだよ」
「、、、」
「それに俺は、鷹夜くんとやり取りするようになって苦しくなった。関係なくて、ただ結婚相手を真剣に探してるだけの鷹夜くんを騙してるのも、裏切るのも」

芽依は正座をしていて、膝の上に置いた拳を開き、手汗をかいた手のひらをズボンに擦り付けて冷ました。
綺麗事を言っているな、と言う自覚がある。
分かってるのだ。
泰清も、自分も、傷付けられてきた事を誰にも話せず、好き勝手に文句を言う一般人と言う大きなくくりに八つ当たりがしたかっただけだ。
それを制裁だと思いたかったのだ。

「お前またつまんなくなったな」
「え、」

不穏が空気が流れている。
自分の座っている赤い座布団を見つめていた目がぐるんと上に上がり、泰清を睨み上げていた。

「ジェンがいたときみたいに、いい子ちゃんに戻ってる」

泰清の目は深い茶色をしている。

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