僕たちはまだ人間のまま

ヒャク

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第53話「名前のない2人」

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(え、え、え?なに?セラピスト?こいつ大丈夫か?え?)
(まずい、思い切り過ぎたこれはまずい、完全に変なヤツだと思われてるに違いない、まずい!!)

セラピスト。
芽依が鷹夜にそんな提案をしたのは、何も今の職を辞めて自分のメンタルケアをするセラピストととして職につかないか?と言う誘いではない。
ただ単に、定期的に会いたいと言う話がしたかったのだが、言葉や説明をすっ飛ばしてしまったのだ。

「あ、あの、鷹夜くん」

まずった、と言う思いで胸がいっぱいになり、芽依はダラダラと汗をかき始めていた。
夏の初めであるにしろ、車内ではクーラーを付けているのに。
名前を呼ばれた鷹夜は窓の外を見つめたまま、こちらもまたよく分からない提案について真剣に考察して意味を探している最中で、よく分からない緊張で汗をかいていた。

「あ、うん。なに、」

(無茶苦茶引かれてる)

こちらを向いてすらもらえず、芽依は悲しみに耐えながら頑張って口を開いた。

「さっきのぉ、セラピスト?の件なんですがぁ、」
「あー、うん。うん、あの、もう少し、ちょっと、考えさせて欲しいんだけど、あの、大事なことだから、、」
「え!?いや待って!?絶対何か違う意味の方向で考えてるから!俺の話しを聞いて!!」
「分かったから前見て前!!」

何やら怪しい方向に思考を進めている気配を察知した芽依は鷹夜の方を向いて叫んだ。
そのせいで一瞬ぐらりと道から逸れそうになった車体に驚いた鷹夜は、隣からハンドルを握って車をまた前に向かせる。

「うお、ごめん、ありがと、、」

事故を起こしそうになった自分にも驚き、心臓がバクバクとうるさくて堪らない。
空回りしっぱなしの芽依は自分自身が情けなくて仕方なかった。

「ん。で、セラピストってどういう意味?」

鷹夜はハンドルから手を離すと、一瞬だけ芽依の肩に触れ、トン、トン、と軽く叩いてくれた。

「あ、、こ、これ。こう言うこと」
「ん?」

芽依は真っ直ぐ前を向いて運転に集中しながらも、聞く耳を持ってくれているな、と鷹夜の様子を確認して話し始める。
窓の外の街路樹達はどれも青々としていた。
夏の始まりは命の芽吹き真っ盛りで、どの植物も生き生きとしている。

「こう言う自然な感じとかさ。鷹夜くんがそばにいてくれると、本当に落ち着くんだ」

車の中はかけている冷房の風の音が大きく、芽依は少し声を張った。

「下らないことでイライラしたり下手に考え込んで落ち込んでも、鷹夜くんと喋るとそれがフワッてどっか飛んでく」
「、、ふうん。何でだろ。嬉しいけど」

鷹夜は運転が安定したのが分かると、また背もたれに深く寄り掛かった。

「んでね。今日終わったらまたいつ会えるかな、誘っても迷惑じゃないかな、とか考えたくないと言うか、、鷹夜くんが良ければ、毎週どっかで会えないかなあ、と思って」
「、、、」

鷹夜からすれば、やはり芽依は距離感の詰め方がえぐい程に早い気がした。
5歳と言う歳の差がそれを際立たせているのか、それとも待ち合わせた性格の違いだろうか。
鷹夜は鷹夜で芽依と言う人間が不思議に感じるときがある。
そんなに何も恐れずに人の持つ個人の輪に飛び込める人間が、どうして自分みたいな奴を大袈裟に評価しているのだろうかと。

(芸能人だからかなあ。俺みたいな一般人はやっぱり新鮮なのかな)

彼はただ真剣に芽依の話を聞いている。

「だから、セラピスト?と言うか、俺のこと癒してってことじゃなくて、俺が鷹夜くんといると落ち着くから、暇な日は俺と遊ばない?って言う、話し。んん、なんか結局俺に都合の良い話か、これ」

鷹夜自身、芽依を嫌がる要素は別にない。
昨日の飲み会も、普段は人前で押さえている酔い潰れ方を見せてしまうなどした。
鷹夜的にはほぼ初対面の人間に対してあそこまでおおっぴらにするのは、自分としては珍しいと思っている。

(まあ、相性いいんだろうな)

芽依の話しに返事を考えながら後頭部を背もたれに押し付けて窓の外の空を眺める。

(恋人だって、一緒に過ごした時間より、タイミングと相性とはよく言うし。たまたま変なタイミングで出会った俺と芽依くんの相性が良くて、お互い自然体を曝け出せて、楽っちゃ楽だもんな)

「何か気持ち悪い誘いでごめん。男のくせに」
「男とか女とかで気持ち悪がる気はないよ」

ピシャリ、と、こういうときだけは返事の早い鷹夜は芽依を見ずにそう言った。

「、、そっか」

少し恥ずかしそうに前を向いたまま、ハンドルを握る手が汗ばむのを感じながら芽依は運転を続ける。
もう少しで、鷹夜の家に着きそうだ。

「俺といて落ち着くって言ってもらえるのは嬉しいんだけど、正直、そうなの?としか思えない。俺からすると自分がどうとか分かんない。でも俺も芽依くんといるの楽しいし、無理せずに一緒にいれるから、別に暇な日に遊ぶのはいいんじゃない。そういうことだよね?」
「そう!そうなんだけど、」
「ん?」

まだ何かあるのか、と鷹夜は空を見つめていた目をぐるんと回して芽依に向ける。

「あの、、本当にしつこいぐらい会いたいって言っちゃいそうでして、」
「重たい彼女かよ」
「ゔッ、、だから、、だから、つまりそう言うことになりそうだから確認を取りたくてですね」

芽依は苦しそうに下唇を噛んでいる。
何のこっちゃ、と思いつつも、天下のイケメンが苦い茶でも飲んだような変顔に、鷹夜は思わず「ぐくっ」と吹き出して笑ってしまった。
ようは予防線を引きたいのだ。
そう言うことをするから、嫌いにならないで欲しい、と言う。

「おい!!こっちは真剣なんだよ!!」
「芽依くんて本当にさあ、純粋だよね」
「あ!?」

「僕のセラピストになりませんか?」なんて、現実の男が言うとは思わなかった。
出会ってから彼がずっと伝えてくれている、鷹夜といると落ち着く。と言うのは彼としては嬉しい話しでしかない。
出会ってすぐにこんなに仲良くなれたのも何かの縁で、とてもいいタイミングだったに違いない。
それを大切にしてみてもいいかもしれない、と思った。

「セラピストとかそう言うのも、重たい女もめんどくさいから御免ですね」
「えっ!?」

やっぱり引かれた。ダメだった。
と、芽依は肩を落として明らかに落ち込む。
どよん、と葬式のような空気が運転席を包んでいくようだ。

「芽依くん」
「はい、、?」
「合鍵ちょうだい」
「、、、え?」

いたずらっぽく、ニッと笑う鷹夜の顔を見た。
また赤信号だった。

「俺の家のもあげる」
「え、」
「好きなときにうち来て良いよ。芽依くんが来れないときは俺が行く。どっちかの仕事が大変なときは助け合いと遠慮もすること。俺、1人の時間ないと死ぬし。嫌なことがあったら即報告して一緒に酒を呑む。どう?」

どう?も何も、芽依にとってそれは最高の答えだった。

「お、お願いします、、」
「重たい彼女と言うか、これじゃ完全に恋人同士だなあ」

あっはっはっ、と照れたように鷹夜が笑った。

「お願いしますッ!!」
「うっさ!!」

あまりにも嬉しかった芽依はもう一度車内で大声で返事をして、鷹夜は頭にキン!と響く声に耳を塞ぎながら怒鳴り返す。
ここから、名前のないこのへんてこな関係は始まった。

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