僕たちはまだ人間のまま

ヒャク

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第7話「人と人」

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頼りない声を聞いて苦笑しながら、カーテンをずらして8階の部屋から空を眺める。

「見てる?月」

部屋にはエアコンから風の出る音が充満している。

《っん、、見てる》

高く上った白い月は、2人の頭上で煌々と輝いていた。
薄らとある小さな雲の群れが、その明かりの下を優雅に泳ぐ。
よく見ていないと動いている事すら見逃してしまいそうだった。

「竹内くん」
《、、はい、》
「俺、見るからさ。あのドラマ」
《ッ、はい》
「だから生きろよ」
《は、い!!》

ぐちゃぐちゃな顔で泣いているのかもしれない。そんな声だ。
それとは別に、月は穏やかに浮かんでいた。

《あ。雨宮さん、寝なくて良いの?仕事だったんだろ》

しばらくして泣き止んだ彼はズズッと鼻を鳴らしてから、ハッと気がついたように言う。

「君、敬語は使えないんだな。寝たいけど、君がそこから飛び降りたら怖いから自分の部屋戻って寝る準備するまで喋ろうよ。おっさん的に、この後死なれたら夢見が悪い」
《ははは!死なないってホントに。んーでも、寝落ち電話とか久々でいいかもしんない》

ド、ド、と重たい足音が動いていく。
どうやら相手はマンションの屋上から自分の部屋に戻ろうと歩き始めたようだった。

《雨宮さん、下の名前教えてよ》
「ん?あー、、鷹夜。鳥の鷹に、夜でや。で、鷹夜」
《あ、カッコいい。いいなあ。俺、本名もメイって言うんだよ。竹内じゃなくて、苗字は小野田。小野田芽依。芽吹く、の芽に、衣にイへんがついた、依存とかの依で芽依》
「いいじゃん、芽依。なんて呼べばいい?芽依くんでいいの?」

窓辺から離れてベッドに戻り、鷹夜は再び布団に潜る。
先日の休みに近くのコインランドリーで洗ったばかりの布団はまだふわふわと洗剤と熱い風の匂いがした。

《っ、、うん、芽依って呼んで欲しい》

芽依の嬉しそうな声を聞いて、鷹夜は穏やかに微笑んだ。
話している内に、芽依が純粋で少し幼い青年だと言う事が伝わって来る。
電話の向こうの芽依は自分の部屋に着いたらしく、ドアを開ける音と閉める音、鍵をかける音と立て続けに聞こえた。

《俺は?鷹夜、さん?》
「っ、、」

苗字が珍しいと言われがちで、名前で呼ばれる事は会社でも滅多にない。
誰かに久々に呼ばれた自分の名前はどこか愛しくも、鷹夜は少し恥ずかしく感じた。

「何か恥ずかしい」

胸の内側がむず痒い。
頬が熱くなったな、と思いながら、鎖骨の下をカリカリと軽く爪を立ててかいた。

《え、何で?鷹夜くん、の方がいい?》
「いや、その方が恥ずかしい!」
《ふふ。鷹夜くんて本当に30歳?》
「っ、、そうだよ」
《おっさんとか言って、俺とあんま変わらないじゃん》

君付けが気に入った芽依はそのまま鷹夜と距離を詰めるように、アプリに記載していたプロフィールの情報を確認してくる。
あんな事があった後で、こう言った情報やアプリで交わした会話の内容など相手にせずテキトーに話していたのかと思えばそうでもないらしい。
彼なりの不器用さと誠実さが垣間見えて、一瞬芽依と言う人間がよく分からなくなる。

《仕事、、サラリーマン?》
「うん。オフィスとか店舗の内装のデザイナー」
《え、デザイナー!?すげー!!》

芽依が見せる若々しく怖いもの知らずな反応は、鷹夜には何だか眩しくてドキドキする。
よくよく考えれば5個程歳下の男とこんなに長く話している事は会社の飲み会でもなかった。
ましてや電話で、一対一だ。

「芽依くんいくつ?」
《25。サバ読んでないよ。俺の事務所のサイトのプロフィールのまま》
「んー。まあ分かるんだけど、君の口から聞きたかったんだよね」
《あ、ごめん。嘘ついてたもんね、俺》

また声がシュンとした。
初めて会ったときとは違い、彼は案外分かりやすい人間なのだな、と鷹夜はバレずに笑った。

「そう言う意味じゃないんだけど、、こう言うのって、もう一度その人の口から聞きたくならない?」
《、、そう言うもん?》
「俺的には。文字読んで終わりより、そう言うのをどんな風に言ってくれるのかとか、大事にしたいな」
《そう、か》

キョトンとしたような声になった。
ガサガサと言う音が電話の向こうから聞こえてくる。
それがしばらく聞こえてから、カチャカチャとベルトを外すような音がした。
その細かな音が、鷹夜からすると人の生活を覗いているようでどこか申し訳なく、気まずく、恥ずかしくなってくる。

《鷹夜くん》
「ん?」
《風呂入ってきて良い?できたら、繋いだままにしておいて欲しいんだけど》
「ああ、別に良いけど寝たらごめん」
《やった。ささっとで出るから》
「芽依くんだって仕事だったんだろ?ゆっくり浸かってきなよ、切らないから。出たら起こしてくれても良いし。耳元に携帯置いとく」
《鷹夜くん優し過ぎるわ、、ありがと。いってきまーす》
「いってらー」

何だか妙な距離感だった。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、鷹夜は大きく欠伸をした。
ふう、と息を吐き出して横向きに寝転がると、携帯電話を枕の上に置いて目を閉じる。
もう疲れ切っていた。
けれど、電話をする前よりも気分が良くて心地良い。何より久々に変化のある日常が楽しく感じられた。

(何か、、ぜーんぶ、馬鹿みたいだなあ)

彼に対してあんなに持っていた怒りが、今は1ミリもない。
芽依は30分程で風呂から上がり、急いで身体を拭くと寝巻きに着替え、雑に髪を乾かし、携帯電話を置いているベッドに早足で向かう。

「鷹夜く、、あ、」

耳に押し当てた電話から、すー、すー、と規則正しい寝息が聞こえてきた。
去年、付き合っていた女に突然別れを告げられたあの日から感じることのなかった、自然な人間の温もりのようなそれを、芽依は何故か泣きそうになりながらゆっくりと聞いてしまった。

「鷹夜くん、、傷付けて、本当にごめん」

元より、彼はそんな残酷な事をする人間ではない。
鷹夜をはめて侮辱するに至った経緯には、様々な感情があった。

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