My fair darling!

ヒャク

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第5話「標的」

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「佐藤くん、見てよあれ」
「え?」

く、と顎で方向を示した入山のそれに釣られ、義人の視線がチラリと見つめる先を変える。手元のノートが一瞬落ちそうで、グッと手に力を込めた。春の午後の陽気は穏やかで、うっすらと眠気が降りてくる。
入山楓は話しやすい女の子で、面倒見もいい。課題グループのリーダーである斉藤よりもしっかりしていて、実際彼女がグループをまとめてくれている。少しきつい言い方をする人物でもあるが、逆に男勝りで義人からすると気兼ねなく関わりやすかった。

「、、あー。斉藤と藤崎?」

右手でノートの位置を直すと、義人は呆れた声を出す。入山が示した先には、斉藤と藤崎の姿。一緒にグループで昼食をとって、午後はそれぞれ他の授業を取っているため別れていた。
そう言えば、ミーティングを兼ねた昼食のときも、学食の席で斉藤と藤崎は隣になっていたな、と思い出す。
明らかに、斉藤が藤崎に近づいている形で。

「絶対あれ、4月マジック狙ってるよね」
「入山も知ってたの、4月マジック」

入山と3限の授業が被っていて大体この時間は2人で行動することが多い。4限の授業の教室に向かっている最中に見つけた斉藤と藤崎の姿を眺めながら、今朝知ったばかりの4月マジックの話題が始まった。
アスファルトの上を歩くたび、ジャリ、と言う音がする。たまに落ちているガラス片が朝方歩いたときと違い真新しいものになっているのはガラス工芸科の仕業か?と考えつつも、義人は何とか入山の話題に耳を傾けた。藤崎が絡んでいる事を考えると、少しも興味が湧いてこないのだが。

「そりゃあね。うちの学科、グループワークだから1番多いらしいよ。4月マジック」

2人して4月マジックを連呼したせいか、顔を見合わせると自然と笑いが漏れた。

「斉藤さん、女子だけでいるときもすごい藤崎くんの話ばっかりするんだよ」

少し怪訝そうな顔に、入山の言おうとしている事は何となく察しがつく。

「んー。それは、狙ってんな」
「いいんだけどさ。別に、誰が誰と恋しようと。でも初めての課題じゃん?ちょっと集中してほしいんだよなぁ」

愚痴ではなく、悩みだった。
入山は真面目で、目の前にやらなければならない事がある事。それに集中しなければならない事。1人の集中が欠けたときに起こりうる様々な被害を把握していて、斉藤のようになりふり構わず恋愛メインで動いている女の子を見てもその気持ちが理解できない様だった。これだけ面倒見が良いのだから、もし斉藤がもう少し課題をちゃんとこなして、自分からなったリーダーの責任を果たし、その上で藤崎が好きだと相談すればもちろん色んな事に協力しただろう。真逆の状態である今の斉藤を目の前にしては、協力も何もないのだが。
義人もまた斉藤の気持ちは理解できないでいた。
課題をやっていれば自然と関わるだろうし、そんなに頑張らなくても好き同士なら普通に付き合う流れに持って行けるだろう。斉藤は頑張っていると言うより、周りに藤崎は自分が狙っているから横取りは許さない、とでも言いたげな態度だ。威嚇のような、牽制のようなそれ。相手が藤崎ならそうなるのも少し分かりはする。人気が高く、顔が良く、女子に対して物腰柔らかく、慣れている雰囲気。それだけで目が眩むのも、実際関わってクラッとくるのも納得できる。けれど、やっと入れた大学でやっと好きな事ができる初めての課題を投げ打って、これから長い時間関わるグループのメンバーの信頼を落としてまで誰かと付き合いたいと言うのは理解できない。
義人はここに美術の勉強をしに来た。人との関わりも、ここで人生の伴侶を得る人もいるだろう。しかし、恋愛をする為に周りに配慮もなく突き進む彼女を少し眩しく思いつつ、その存在の煩わしさにときたま苛つきもしている。

「、、、あ」

そこまで来て、何となく思い浮かんだ事を口にする事にした。

「ん?」
「入山って彼氏いる?」

きょとん、と丸い彼女の目。

「いるけど」
「じゃあそれだ。俺も彼女いるから、4月マジックに憧れる気持ちわかんないんだよ」
「うわあ。リア充って酷い事言うね~」
「確かに。さーせん」

そう言ってまた笑った。



「、、、」
「久遠くん、どうしたのー?」

上目遣い。くりっと大きな目をした斉藤がやると、それなりに見えた。
立ち止まった藤崎の顔を覗き込むように見上げ、少しアヒル唇をする彼女。それでも、5センチ下からの見上げ方と比べると、彼にはときめきも何も無い。

「あれって、楓ちゃんと義人くん?」

藤崎の視線の先にいる2人を見つけて、斉藤が首を傾げる。彼女と話しながら教室を移動していて、何の気なしに視線を外して見つけた2人は同じく教室移動をしているようで、仲良く並んで笑い合いながら歩いていた。

『彼女いんの?』
『いる』

今朝の会話を思い出して、目を細める。ズクン、と感じる胸の奥の違和感はやはりまだ消えていなかった。
藤崎自身、義人に恋人がいるかどうかを考えなかった訳ではない。1度もそんな話が出ず、やたらと携帯を確認する様なところもなかった為、いないだろうと思い込んでいた。早まった考えだったと今は少し自分に苛ついている。

「久遠くんて、もしかして楓ちゃんとか、ああいうタイプが好き?」

口元に手を当てながら、少し困った様な顔。可愛い自分を作りながら、今度は藤崎を見上げながら首を傾げて来る斉藤。
静かに考える時間もない程、最近これに付き纏われている。藤崎はすました顔で彼女を見下ろしながら、いい加減にしろ、と思いを込めて低い声を絞り出した。

「あのさぁ」
「なになに?」

軽く腕に触れてくるその手。綺麗にマニキュアが塗られた爪。どうでもいい相手だと、別に緊張も何もしないボディタッチ。それらのたしなみやアプローチに、まったく味がしないなと思うくらいに藤崎はこう言った女子が好きではなかった。

「下の名前で呼ぶのやめてくれない?」
「え?」

そう言うと、軽く触れていた手が離れていく。
それで少し気分が晴れた。

「え、なになに、何それ。彼女にしか下の名前呼ばせないとか?かわいいね~、久遠くん」
「斉藤さんにだけは呼ばれたくないなと思っただけ」
「え、、え?」

じろりと睨めば、びく、と肩が跳ねるのが見えた。
藤崎久遠はこう言った事には慣れている。見た目の良さは自覚出来ている上、性格は悪いがそれを隠すのが上手い。一見すれば不気味な程に顔の良い完璧な男だった。小学校から始まるモテエピソードなど数えきれないくらいに持っている。歳上にも歳下にも同い年にも言い寄られた事は人一倍あり、中にはとにかく1度身体の関係を持ってしまいたいと言う子の危ないアプローチも多々あった。1度その罠にはまった事もある。だが、元来真面目な性格もあり、またそう言った尻軽、ビッチタイプが苦手と言う事もあり、高校入学と共に面倒な女子からのアプローチにはきっぱりとかなりきつい態度で玉砕する姿勢を貫いている。

「リーダーになるのは課題に積極的で良いし、別に友達として仲良くしてくれるなら良いよ」

ギチ、と眉間にシワが寄る。
合わせた様に斉藤の眉毛が八の字に垂れ下がっていった。

「でも入山さんに課題の仕事全部任せて責任放棄して、あげく何故か俺に媚び売りまくって、付き合っても無いのに腕触られたり下の名前で呼ばれたり馴れ馴れしくされるの正直気持ち悪い。あとごめん無理」
「え、、」

呆気にとられているようだった。逆にこっちはそれでも気分がいいが、言い足りない面もある。
昨日までに提出しなければいけなかった初めのテーマから発想したものを書いてまとめ、提出するプリント。それをサブリーダーの入山が気がつかなければ斉藤は提出しなかったかもしれないとグループ内で話し合いがあった。当の本人である彼女はそれも笑い飛ばしたあげく、他クラスの男子やら藤崎に愛想を振りまくのが忙しいらしく、課題の授業を途中で抜け出す日も、今日の昼のミーティングも途中参加だった。

「やる気あんの?」

無責任な人間は好きじゃない。そんな態度をそのまま表に出して、藤崎は斉藤を見下ろす。
強張った表情と、恥ずかしさとバツの悪さ。そんなものが入り混じった、真っ赤な顔が見えた。

「あ、あるよ!っていうか何でそこまで久遠くんに言われないといけないの!?」
「だから。名前で呼ぶのをやめてくれませんか」
「ッ!じゃあ藤崎くん!!これでいい!?」
「どうも」

にっこりと笑うと、すごい勢いで睨み上げられる。

(これくらいしないと、この手の女の子は離れて行ってくれないしなあ。周りに迷惑をかけていると解らない奴が悪い。うん。あとブスだな)

はあ、とわざとらしいため息をついた。

「なに、まだ用あるの?」
「別に!!ちょっとかっこいいからって、調子乗らないでよ!!」

そう捨て台詞を吐いて、ドタバタといなくなってしまった。ひらひらと揺れる彼女の履いているベージュのプリーツスカートを目で追ってから、またため息をこぼす。

「、、言い過ぎたかな」

課題がやりにくくなる事は重々承知していたが、出来るならもうお互いに顔を合わせたくもない関係になってしまった、とそこだけ少し後悔をした。しかし、清々しい気分の方が明らかに優っている。言い足りない部分もあるが、やはり本人の改心の為にもあれくらいは言ってあげて正解だっただろう、と納得して胸を撫で下ろした。

「言い過ぎだろ」

そんな納得を覆そうと言う声がボソリと側で聞こえた。

「いたんかい」

すぐ後ろから滝野が藤崎に声を掛けたのだ。
3限は同じ授業を取っている為、一緒に受けようと想っていたのに、斉藤が現れたせいで滝野を探す事が出来ずにそのまま彼女と授業を受けていた。いつもなら上手くかわせるのだが。
やっといなくなったところで声をかけてきたあたり、滝野はいらぬ気を遣っていたのかもしれない。
振り返った先にいる彼はゆっくりこちらに歩いてきて隣に並ぶと、呆れた顔をそのままこっちに向けた。

「あーあ。お前ね、ああいうタイプの子に厳しすぎ。絶対嫌われたな」

遠くを見るように額に手をあてて目を細める滝野。斉藤が走って行った方向を見ているが、彼女の姿も、揺れるプリーツスカートもそこにはもうなかった。

「どうでもよくない?」

へらっと笑ってそう言った途端、聞き慣れたため息がする。

「は~あ。お前嫌いな子に対してはどう思われてもいいって考えだもんな。ちょーっとキツすぎるよ」
「そうは思わないし俺が受けた被害も考えろ」
「あー、、まあ、いいわいいわ。そういうサバっとしてるところは嫌いでないよ」

ぽんぽん、と。いつも通り肩に乗る滝野の手。それを慣れた手つきで払い除けると、またいつもの様に「扱いが雑!!」と喚きながら二の腕を殴られる。

「ほれ、授業遅れんぞ」
「あ、待った待った」
「あ?」

急いでジャケットのポケットに入れていた携帯を取り出す。4月の太陽はほんわかと木々を照らし、午後のゆったりとした穏やかな時間がやっと手元に帰って来た様に思えた。

「なに、誰かに電話?」
「ちげーよ」

煩い女もいない。信用できる友人が隣にいるだけだ。
藤崎は携帯のカメラモードのボタンを押して、構える。

「え、、ちょいちょい、久遠ちゃん?」
「、、、」

カシャ

拡大してピントを合わせ、ボタンを押すと小さめの音が鳴る。
もう少しで余り好きではない授業が始まる時間だ。その手前に、2階の廊下から偶然見つけた下を歩く2人の姿。綺麗なつむじの深い茶色の髪。風に当たってサラサラ揺れる。
それを見つけるだけで胸が高鳴る様になったのは、割と最近の話だった。

「え、え?お前、それ、盗撮!?」
「洋平」
「え、久々に名前呼びとかツラい、っていうかキモい!ってかなに、何撮ってんのそれ!!」
「俺が4月マジックで狙ってる子」
「え?え??待った、いや、あれって!!」
「そーなんだよー」

入山に笑かける彼の笑顔がフォルダに保存された。

「男の子、なんだよねー」

藤崎が振り向いて笑うと、彼の幼なじみは「ぐえッ!?」と汚い声で鳴いた。

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