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第3話「ハルとユキ」
しおりを挟むその金曜日は雨が降っていた。
体育館の中で筋トレとストレッチを終えると、普段外練習をしており屋内に練習場所を持たない部活の顧問達で集まり、話し合いと場所の争奪戦が行われ、結果、
「すまん。パー出したら負けた」
と、ハンドボール部顧問、体育教師の笹倉は普段通りの鉄仮面のままパーになった手のひらを部員達に見せた。
「先生負けたんですかッ!?」
「え、いつぶりですか!?去年の梅雨のときとか最強だったのに!!」
「あーー、神の手が、、勝利の右手が」
3年生の部員達はふざけながら膝から崩れ落ち、立ち直して笹倉と今日の後半のメニューを考えている。
夏休みには大会もあるが、それまでまだもう少し余裕がある今日。
明日は土曜日、休日で朝から練習場を確保できていると言う事もあり、話し合いの結果、これきりで各自自宅で筋トレとストレッチをもう1セットずつやる言う事になった。
「早く終わったな」
同じハンドボール部に所属している御手洗晃(みたらしあきら)は晴也の隣で退屈そうにため息をついた。
1年生の中では45(よんごー)と言う位置を主に練習させられている186センチと大柄な男で、気怠げな顔をしている。
「な。雨降ってるし今日は素直に家帰ろ」
「彼女といないの久々じゃん」
「あー、確かに~」
部室に戻る為、2、3年生の後ろを歩きながら2人は話している。
ハンドボール部1年は他にあと5人いて、女子の1年は全員で4人だ。
正直、そこまで強いチームではない。
バスケ部と野球部、アメフト部が有名な高校であり、ハンドボール部は過去に一度だけ都大会まで行っているが1回戦で敗退している。
「なあウシ、傘持ってる?」
「あるよ」
「駅まで入れて」
「いいよ」
部室で着替え終えると、外に出た晴也は持ってきていた黒い持ち手のビニール傘を広げた。
半径70センチの大きめの傘にしている理由は、主に部活用の紺色のエナメル鞄が濡れないようにと、彼女である友梨と一緒に入る事を考えてのものだった。
「あ」
「あ?どした、ウシ」
隣に御手洗が入った事で、晴也の頭にまたガラの悪い幼馴染みの顔が浮かんだ。
「、、ごめん、一瞬傘持って」
「ん」
急いで尻のポケットから携帯電話を取り出すと、メッセージアプリを開いて下の方にスクロールする。
御手洗はあまり人の携帯を覗き込むのも悪いな、と校門を出て行く先輩達の背中を見つめた。
「、、、ん。ありがと」
手短に目当ての相手にメッセージを送ると、晴也が傘の持ち手に手を伸ばす。
「あ、いいよ。俺が持つ。入れてもらう側だし」
「じゃあ任せる。俺のこと濡らすなよ」
「ふっふっふっ、それはどうかな」
御手洗がふざけて傘を振りまわし、晴也もそれにゲラゲラと笑いながら、結局ワイシャツの肩を透ける程濡らして彼らは帰路についた。
「、、、」
18時半を過ぎて曇天になり、そのまま大降りの雨と変わった天気。
真っ黒な空を見上げながら、智幸はイラついたため息を漏らした。
その様子を、改札を出てそばを通るものが訝しげに眺めて遠巻きに歩いて行く。皆一様に色とりどりの傘をさしていた。
「ユキ」
その名前で呼ぶのは智幸の周りでも数人に限られる。
1人は歩いて5分もかからない近所に住んでいる幼馴染みの母親。アイスランド人と日本人のハーフである彼女は小さい頃から日本に住み、日本語しか喋れない。「ユキちゃん」とにこやかに彼を呼ぶ。
もう1人はその夫。幼馴染みの父親。「ユキくん」と優しく少しぶっきらぼうに彼を呼ぶ。
3人目は幼馴染みの妹。「ユキちゃん」と智幸を呼び、最近は部活と彼女に夢中で構ってくれない実の兄より智幸に懐いている。
そしてもう1人が、今、智幸の目の前にいる彼の幼馴染みだった。
「遅えよ」
牛尾晴也と沢村智幸は幼稚園からの幼馴染みで、家は5分以内の距離にある。
智幸の両親が半年前に海外に住む事になり、元々住んでいた家に智幸1人を残して家族別々に暮らす事になった。
「ごめんな」
家族ぐるみの付き合いがあり、尚且つ家の近かった牛尾家は沢村家の事情を知るなり、智幸の食事の面倒を見ると名乗り出た。
不良息子に育った智幸が毎日家に帰って食事をする訳はないが、ただ毎週金曜日だけはきちんと牛尾家の食卓に現れている。
金曜日は昔から2家族が夕食を共にする事が多く、晴也の妹である奈津香(なつか)が染み付いたその習慣のせいで金曜日に智幸がいないと携帯電話に60件程着信を残してしまうせいであった。
「こんなんで一々連絡寄越すな。めんどくせえ」
見上げた空から降り注ぐ雨に表情を歪めながら、隣に並んだ晴也に不満を溢す。
「ごめんごめん」
晴也は気にする様子もなく、聞き飽きた文句を右から左に流しながら、またバタッと傘を開いた。
御手洗と相合い傘をしながら帰る事になったとき、どうせ智幸も傘を持っていない事を思い出して「駅にいろ」と連絡したのだ。
「行こ」
「、、、」
返事もせず無言で智幸はズカズカと歩く。
187センチある智幸と晴也の歩幅は割と差が開くのだが、晴也は自分のペースでゆっくり歩いた。
隣の男がそれを合わせる事を知っている為、御手洗のときのようにわざわざ自分から合わせにはいかない。
「部活は」
晴也は何故智幸に連絡をしたのかと言うと、以前こんな雨の日に放っておいたら雨の中を歩き回ったらしく、びしょ濡れで帰ってきて晴也の家に上がり、そのまま熱でぶっ倒れた過去が彼にあるからだった。
『何でユキちゃんを傘に入れてあげなかったの』
確か中学時代だった。
大喧嘩した後の日で意地悪がしたくて、智幸が傘を持っていない事を知っていたけれど入れずに家まで帰ってきたのだ。
母親に散々に怒られた事。智幸の両親のいない日で、晴也の家の晴也のベッドで智幸が寝て、治るまで晴也が世話をした事。馬鹿みたいにあの日の事を覚えている。
「今日は早めに終わったよ」
「雨だから?」
「そ。なあユキ、このゲームやってる?」
「あ?」
仲が良いように見える。
大きなビニール傘の下で2人は寄り添い、晴也の携帯電話の画面を一緒に覗き込んでいる。
お互いの距離の近さにどちらも違和感を感じず、一旦止まって道の端に寄っていた。
「、、知らね」
「んー、じゃあいいや」
けれど2人にはどこか冷め切ったような雰囲気があった。
もうお互いに疲れ切っているような、相容れなさがある。
晴也も智幸も、お互いにそこまで干渉する事はない。
何年も一緒にいるけれど、高校に上がってからは特に会う回数も減った。
報告し合う事もなく、特に共有する事もない。
ただ、「何だ、まだそこにいるのか」と言う距離感がずっと続いているだけだ。
「ユキ」
「なに」
「そのピアスもう取ったら?」
ただ、「何だ、まだそこにいるのか」と思いながらも、「まだそこにいるよな?」とお互いに確かめ合うような2人だった。
「、、取らない」
「、、んん。そう」
見上げた横顔は一瞬だけこちらに視線を寄こし、またすぐに前を向いた。
中学1年生のとき。
夏休みだけ空けると言った智幸のピアスの穴を開けたのは晴也だった。
誕生日プレゼントに用意した智幸の好きな色である緑色の石が入った小さな金のピアスを智幸にあげたのも晴也だった。
「濡れるからもう少しこっちに寄れよ」
「、、、」
「また風邪引かれても困る」
ド、と肩が当たる。
いつの間にか追い抜かれた身長は、随分差が開いてしまっていた。
「ハル」
彼の事をそう呼ぶ人間もまた、数少ないのだ。
「夕飯なに」
「冷やし中華と冷しゃぶサラダ」
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