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第伍拾㯃章 ワシが他流道場で剣を教えるようになったワケ
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「先生! もう一本、お願いします!」
「お前、いつまでゲルダ先生とやってんだ! 次は俺の番だぞ!」
「えー! アンタだってさっき相手して貰ってたじゃん! 次こそ私の番よ!」
「これこれ、喧嘩はいかんぞ。順番にな、順番に」
道着姿に竹刀を持った子供達がゲルダと打ち込みをしようと順番を争っている。
それを同じく道着姿のゲルダが宥めていた。
「どこに行っても凄い人気ですね、ゲルダ様は」
「直心影流の達人であるのもそうだけど、あの小柄な体は子供達と打ち込み稽古をするのに丁度良いんじゃないかしら。況してや教えるのが上手だしね。そりゃ子供達に懐かれると思うわよ」
イルメラはイルゼ指導の元、道場の庭にて立ち木に木刀を打ち込んでいたが、子供達に稽古をせがまれているゲルダについほっこりとした表情になる。
格闘技に秀でた才能を見せるイルメラであるが、やはり武器を用いて戦えるようにした方が良かろうとゲルダと談合した結果、聖女が手にする機会の多い杖でも敵を打倒し得るとしてイルゼが薩摩示現流を指導する事となったのだ。
棍棒或いはメイスは武力の象徴であり権力の象徴でもある。
また戦闘に参加する聖職者にしても“血を流す事を禁じる”戒律がある為に棍棒やメイス、杖といった鈍器を用いるようになったという事情もあった。
熟練者が立ち木を打てば摩擦で煙が上がると云われている。
イルメラは筋が良いのか、稽古を始めてから一週間もする頃には打ち込みのたびに煙が上がるようになっていた。
「ゲルダが来てからすっかり白虎衆を取られちまったぜ。朱雀衆の中でもゲルダに教えを乞うヤツがいるらしい」
手拭いで汗を拭きながら慈母豊穣会・教皇ミーケが笑ったものだ。
ミーケの実家は道場であり『三池流剣術』と『三池流魔術』を指導している。
入門三年未満或いは十五歳未満の者達で構成された白虎衆達は流派こそ違えどゲルダの強さに惹かれて教えを乞うていた。
ゲルダの指導法は素振りや駆け込みなどの基礎の反復に始まり、打ち込み稽古となれば弟子を完膚無く叩きのめして肉体・精神を同時に鍛えるものだ。
だが三池流門下生は初心者集団である白虎衆でも周囲を囲む山野を駆け回り実戦さながらに打ち合う過酷な修行に明け暮れている為にゲルダの指導方法は今更であった事から悪癖の改善や能力向上を重視した丁寧な教え方へとシフトしていたのである。
「勢いはあるが胴がガラ空きじゃ」
「す、すみません!」
竹刀を振り上げた瞬間に胴を打たれた少女が正眼に構え直す。
「ほい、小手がお留守じゃぞ」
ゲルダに突きを打とうとするも小手を打たれてしまう。
「攻撃に移る瞬間に隙だらけになるのが悪い癖じゃ。相手もまた攻撃をする隙を狙っている事を忘れてはならぬぞ」
「はい、先生!」
何故ゲルダがミーケの実家にいるのか。
どうして道場にてミーケの弟子達と稽古をしているのか。
それには事情がある。
ミーケに捕らわれた星神教。教皇キルフェとの人質交換を提案されたゲルダはあっさりと承諾して聖女達を驚かせたものだ。
どうやらゲルダとミーケは知己の間柄であるらしい。
その事を問えばミーケは小指を立てて笑うではないか。
「俺とゲルダはワケアリの仲だ」
「と申しても一時期交際していただけだがな」
「交際って男女としてお付き合いをしていたという事ですの?」
「そうなるな。まあ、お主らがまだ生まれていない駆け出しの頃の話じゃ。治療魔法で失敗をしてしまってな。同じく冒険者として武者修行をしていたミーケと組んでいた時に非道い仕打ちをしてしもうてのぅ。その後、思い悩むミーケに付き添っている内にどちらからともなく距離が縮まって交際に至ったのじゃよ」
「ま、何十年、何百年経っても俺の体は餓鬼のまんまだったからな。それに、いつまでも俺の為にゲルダの人生を犠牲にするワケにもいかないし、ゼルドナルっていい奴も現れた事で俺は身を引いたンだ」
「そんな事が…希代の回復役であるゲルダさんでも治療でミスをする事があったのですね」
過去に二人が交際していたのは分かったが先程ゲルダが云い淀んだのだ。
暫く付き添っていた事からも重大な事故だったに違いない。
「非道い仕打ちとは…いえ、訊くべきではありませんわね」
「いや、傷の治療と一緒に折角手術で取った包皮まで再生されたってだけの話さね」
「包皮? 命の杖の? 慈母豊穣会では割礼の風習もおありなのですか?」
「風習とか宗教的な意味とかじゃなくて単純に二十歳過ぎても剥けないのを友達にからかわれたからだよ。ただ抜糸の時、俺の場合メチャクチャ痛くてな。また手術しなくちゃいけないのかと思ったら鬱ンなっちまったンだ。表に出したつもりは無かったンだがゲルダは察したみたいでな。ケアと称して強引についてきたンだよ」
「二度も切るのは嫌だと云うので夜毎、風呂で米糠を溶いたお湯に浸けながら少しずつ剥けるようにしていったのじゃな。その苦労も今では良い思い出よ」
呵々と笑うゲルダに聖女達は微妙な表情を浮かべている。
「剥けるようになれば手術は要らん。そしたら途端にミーケのヤツが土下座よ。我から申し出たとはいえ考えて見れば男女が裸になって一心に一物を弄んでおったのじゃ。尋常な状況ではないわな」
「俺自身もゲルダの押しに気圧されて、されるがままだったンだが、顕わになった亀頭を優しく洗うゲルダを見て、急に嫁入り前のレディーにちんちん触らせていた事実を飲み込ンでよ。サーッと血の気が引いて速攻で頭を下げた。それから色々あって俺達は付き合い始めたってワケさね」
「幼く見えるがミーケは尊敬すべき武人であるからな。更には容姿端麗で頭脳明晰、惚れん方がどうかしている。しかも実際に交際してみれば紳士的で所作も美しかった。色々と学ばせて貰ったわえ。特に武は当時伸び悩んでおったからな。共に修行し冒険をする事で飛躍的に向上したものじゃよ」
ゲルダも小柄であるがミーケは更に輪を掛けて小さい。
だがミーケが操る剣に斬れぬ物はなく、鉄をも豆腐を切るが如く両断する。
否、鉄どころかミスリルやオリハルコンといった神秘の金属で造られた鎧でさえミーケの前では薄紙のように斬り刻まれたという。
修行時代、ミーケは師である祖父から“月を斬れ”と命じられたそうな。
勿論、天空に浮かぶ月のことではあるまいと考えたミーケは夜毎に水面に映る月を斬る修行を始めた。初めは斬るというよりは水面を叩いているようなもので飛沫を浴びる毎日であったが、それでも師の言葉を信じて月を斬り続ける事、実に千日、ついに水面の月が截断されているのを見た。
当時の成功率は百回斬ってニ度三度成功すれば良い方であったが、更に月を万日斬り続けた末に確実に成功出来るようになっていたという。
しかも水を斬り続けた結果、形を持たぬものをも斬る事が出来るようになっており、水を斬り、火を斬り、風でさえも斬り裂き、大地はおろか鉄をたやすく截断せしめるようになっていたそうな。
これこそが勇者であった父ですら会得出来なかった『月輪斬り』の極意であり、極意を元に奥義を得た事で父を差し置いて三池流の宗家となったのである。
ゲルダやゼルドナルが体得している『斬鉄』の極意も元を正せばミーケの『月輪斬り』に行き当たるのだ。
「ミーケは武器を選ばん。『月輪斬り』の極意がある限り得物がナマクラであろうと名刀に勝る截断力を生み出す。否、その気になれば手にしたのが土塊であろうと甲冑を両断してしまうであろうよ」
「バータレ。云い過ぎだ。せめて土産屋の木刀くらいの丈夫さが無けりゃ両断は無理だ。土じゃ精々、兜を歪ませるのが関の山だよ」
「そうであったか? 昔、お主が投げた土団子がドラゴンの鱗で拵えた甲冑を貫通したと記憶しておるが」
「ありゃ中に石を仕込ンでたに決まってンだろがよ」
「い、石を入れただけでドラゴンの鱗を……」
非常識にも程がある会話に聖女達の頬が引き攣れている。
「ま、武器を選ばんとは云っても愛用している刀があってな」
「ああ、教皇ミーケも『塵塚』の母ちゃんが作った武器を持ってるのか」
ベアトリクスが云うがゲルダは首を横に振る。
「いや、ドワーフの血か、野鍛冶で刀を自作しておる。ワシや船長とどっこいどっこいの反骨ゆえ『無銘ナマクラ』と号しておるがなかなかの名刀じゃよ。『月輪斬り』を会得しておる事を前提としているので斬れ味はそれなりじゃが、頑丈で取り回しやすい。つまり防御がしやすく盾としても使えるのじゃ。そして何より刃文が美しい。芸術品としても評価は高く、好事家達の間では高値で取り引きされておるというぞ」
「上質の玉鋼を使っているからな。分かるヤツには分かるンだろう」
「聞き覚えがありやすぜ。『無銘ナマクラ』、ソイツを持ってりゃどんな凄惨な出入り(喧嘩)だろうと命を落とす事がないと云われておりやすね」
「ヤクザの手にも渡ってンのかよ。極意に到達した高弟にしか譲ってねェンだが借金の形に取られたか、やっつけられて奪われたか。無常だねェ」
ミーケは目を閉じ、肩を竦めてみせる。
一見すると嘆いているようにも見えるが、内心では高弟にのみ与えた自分の作刀が人から人へと渡っていく奇縁を楽しんですらいた。
悪党に奪われるも金で取り引きされるも縁である。
巡り巡って一角の人物の腰に収まってくれるのなら望外の喜びだ。
ゲルダの云う通り、「斬る」よりも持ち主を守る「守り刀」としての側面が強い。
英雄の命を守り、未来を切り開く一助ともなれば冥利に尽きるというものである。
『くちゅん!』
可愛いくしゃみに目をやれば相変わらずミーケの左腕で抱えられていた教皇キルフェが震えていた。
転生の儀で暖炉の火は消えており、室内は冷えきっていたので当然であろう。
「そういやずっとフリチンだったな」
ミーケは意地の悪い笑みを浮かべてキルフェの陰嚢を指で弾いた。
『あうっ!』
加減はしたが急所を弾かれた痛みは相当でキルフェは涙目になる。
「おやめなさい! 早く教皇様を解放するのです!」
「オメェだって今の今まで忘れてただろ? まあ、さっき交渉は成立していたはずだ。来いよ」
「うむ、皆の衆、暫し行って参る」
ミーケに促されてゲルダが彼の横に移動する。
ミーケは頷くとキルフェの体をヴァレンティーヌの方へ投げた。
「教皇様、これを」
ヴァレンティーヌはキルフェを受け止めると先程脱げた法衣で身を包んでやる。
「ヴァレンティーヌ、すまんが後は任せたぞ」
「ええ、承りました。アナタのお帰りまで私が責任を持って」
“責任”と云ってもゲルダ不在中の留守居の事ではない。
頼まれていた山伏の死体とヴァイアーシュトラス公爵から預かった頭蓋骨から残留思念を読み取る事を云っているのだ。
「わ、私も連れて行って下さい! せめてゲルダ様の身の回りのお世話を」
するとイルメラが自分も人質になると云い出したではないか。
アンネリーゼらは驚くがゲルダはイルメラの本気を感じて許可を出す。
「よし、お主も来い。構わんな?」
「俺に異存は無いが逆に聖女を二人もこっちに寄越して良いのか」
「イルメラは実家では箱入り育ちでな。聖女になってからも大神殿の外に出た事がない世間知らずの面がある。良い機会ではあるので世界を見せてやりたい」
暗に無体はせぬであろう、と云うゲルダにミーケは苦笑を浮かべる。
「はっ! 待遇の良さに慈母豊穣会へ改宗したくなっても知らねェぞ」
「それもイルメラの選択じゃ。それこそ異存は無いわえ」
「ちょっとゲルダさん?!」
ぎょっとして抗議の声を上げるヴァレンティーヌであるがゲルダが視線でイルゼを示している事に気付く。
先程の言葉はヴァレンティーヌの気を引く為であったのだとすぐに察した。
「イルゼさん、お願いがあります」
「皆まで云わないの。アタシも行ってイルメラを守ってあげるわよ」
ヴァレンティーヌとイルゼは親友同士であると双方認めている。
こう云えばイルゼがイルメラの護衛を買って出ると分かっていた。
親友を疑うつもりはないが、ゲルダの心にはまだ疑心が残っているらしい。
ならばこの機会に腹を割ってとことん話し合いをすべきだと判断しての事だ。
ゲルダに視線を戻せば小さく“すまんの”と唇が動いていた。
これはゲルダだけの問題ではないとヴァレンティーヌは思う。
これまで歴代の聖女達は互いが善である事を前提として信じ合っていたが、果たして心の底から絆を感じていたのか疑問だ。
だからこそゲルダが同じ聖女を疑うのであれば一層の事、全てを曝け出して討論した方が良い。たとえ口論となり、戦う事になったとしてもサムライの心を持つ二人なら或いはその方が上手くいくように思えるのだ。
「花三輪か。悪くないな」
「この姥桜も勘定に入れてくれるか。嬉しいのぅ」
「むしろ男の私も勘定に入っているのが…」
「手の甲にキスされて満更じゃなかったクセに何を云ってるの」
「あう……」
イルゼの指摘にイルメラの頬が赤くなる。
「ふふん、接吻で赤くなるとは可愛いではないか」
イルメラの頭を撫でるゲルダであった。
かつてゲルダとミーケには交際していた過去があったが過去は過去、今更悋気を起こす事もないし、何より内縁とはいえゼルドナルという伴侶もいるのだ。
「ではな。行って参る」
イルメラから手を離すとヴァレンティーヌ達に向き直る。
「へい、お気を付けて。イルゼどん、先生とイルメラどんを頼ンだぜ」
「任されたわ。そっちもそっちで大変だろうけどお願いね」
「ま、俺様もいるし心配しなさんな。イルメラ、ゲルダの兄弟の云う通り、勉強と思って行って来い。お前さんは“男なのに聖女”なんじゃない。“聖女であり男”なんだ。大きくなって帰ってくるんだぜ」
「はい、行ってきます!」
聖女としても男としても認めてくれたベアトリクスにイルメラは元気に返す。
最後にヴァレンティーヌがゲルダに声を掛ける。
「ゲルダさん、アナタの方も心を開いて下さいましね」
「!…ああ、心得ておこうよ」
疑心を抱いて話していてはそれは対話にならない。
ゲルダもイルゼに対して腹を割れとの忠告であった。
云われてゲルダはイルゼを訊問するつもりであった事に気付かされる。
根拠もなく信用するのも問題であるが、疑ってかかる事もまた問題であろう。
老獪な戦略家ゆえの悪癖が出たかと猛省させられた。
「流石は“希望”の聖女よな。恩に着る。このままではイルゼと険悪になるだけであったわ。ワシは良き友を得ていたのだな」
微笑むゲルダにヴァレンティーヌの頬が熱を帯びる。
「い、今更です!」
「ふふ、そうだな。今更であるな」
ゲルダの手が伸び、ヴァレンティーヌが中腰になる。
ヴァレンティーヌの髪を指で優しく梳いた。
「ではまた会おうぞ」
「ええ、吉報を待っておりますわ」
聖女達はこれより半々に別れて行動する事になるのである。
「お前、いつまでゲルダ先生とやってんだ! 次は俺の番だぞ!」
「えー! アンタだってさっき相手して貰ってたじゃん! 次こそ私の番よ!」
「これこれ、喧嘩はいかんぞ。順番にな、順番に」
道着姿に竹刀を持った子供達がゲルダと打ち込みをしようと順番を争っている。
それを同じく道着姿のゲルダが宥めていた。
「どこに行っても凄い人気ですね、ゲルダ様は」
「直心影流の達人であるのもそうだけど、あの小柄な体は子供達と打ち込み稽古をするのに丁度良いんじゃないかしら。況してや教えるのが上手だしね。そりゃ子供達に懐かれると思うわよ」
イルメラはイルゼ指導の元、道場の庭にて立ち木に木刀を打ち込んでいたが、子供達に稽古をせがまれているゲルダについほっこりとした表情になる。
格闘技に秀でた才能を見せるイルメラであるが、やはり武器を用いて戦えるようにした方が良かろうとゲルダと談合した結果、聖女が手にする機会の多い杖でも敵を打倒し得るとしてイルゼが薩摩示現流を指導する事となったのだ。
棍棒或いはメイスは武力の象徴であり権力の象徴でもある。
また戦闘に参加する聖職者にしても“血を流す事を禁じる”戒律がある為に棍棒やメイス、杖といった鈍器を用いるようになったという事情もあった。
熟練者が立ち木を打てば摩擦で煙が上がると云われている。
イルメラは筋が良いのか、稽古を始めてから一週間もする頃には打ち込みのたびに煙が上がるようになっていた。
「ゲルダが来てからすっかり白虎衆を取られちまったぜ。朱雀衆の中でもゲルダに教えを乞うヤツがいるらしい」
手拭いで汗を拭きながら慈母豊穣会・教皇ミーケが笑ったものだ。
ミーケの実家は道場であり『三池流剣術』と『三池流魔術』を指導している。
入門三年未満或いは十五歳未満の者達で構成された白虎衆達は流派こそ違えどゲルダの強さに惹かれて教えを乞うていた。
ゲルダの指導法は素振りや駆け込みなどの基礎の反復に始まり、打ち込み稽古となれば弟子を完膚無く叩きのめして肉体・精神を同時に鍛えるものだ。
だが三池流門下生は初心者集団である白虎衆でも周囲を囲む山野を駆け回り実戦さながらに打ち合う過酷な修行に明け暮れている為にゲルダの指導方法は今更であった事から悪癖の改善や能力向上を重視した丁寧な教え方へとシフトしていたのである。
「勢いはあるが胴がガラ空きじゃ」
「す、すみません!」
竹刀を振り上げた瞬間に胴を打たれた少女が正眼に構え直す。
「ほい、小手がお留守じゃぞ」
ゲルダに突きを打とうとするも小手を打たれてしまう。
「攻撃に移る瞬間に隙だらけになるのが悪い癖じゃ。相手もまた攻撃をする隙を狙っている事を忘れてはならぬぞ」
「はい、先生!」
何故ゲルダがミーケの実家にいるのか。
どうして道場にてミーケの弟子達と稽古をしているのか。
それには事情がある。
ミーケに捕らわれた星神教。教皇キルフェとの人質交換を提案されたゲルダはあっさりと承諾して聖女達を驚かせたものだ。
どうやらゲルダとミーケは知己の間柄であるらしい。
その事を問えばミーケは小指を立てて笑うではないか。
「俺とゲルダはワケアリの仲だ」
「と申しても一時期交際していただけだがな」
「交際って男女としてお付き合いをしていたという事ですの?」
「そうなるな。まあ、お主らがまだ生まれていない駆け出しの頃の話じゃ。治療魔法で失敗をしてしまってな。同じく冒険者として武者修行をしていたミーケと組んでいた時に非道い仕打ちをしてしもうてのぅ。その後、思い悩むミーケに付き添っている内にどちらからともなく距離が縮まって交際に至ったのじゃよ」
「ま、何十年、何百年経っても俺の体は餓鬼のまんまだったからな。それに、いつまでも俺の為にゲルダの人生を犠牲にするワケにもいかないし、ゼルドナルっていい奴も現れた事で俺は身を引いたンだ」
「そんな事が…希代の回復役であるゲルダさんでも治療でミスをする事があったのですね」
過去に二人が交際していたのは分かったが先程ゲルダが云い淀んだのだ。
暫く付き添っていた事からも重大な事故だったに違いない。
「非道い仕打ちとは…いえ、訊くべきではありませんわね」
「いや、傷の治療と一緒に折角手術で取った包皮まで再生されたってだけの話さね」
「包皮? 命の杖の? 慈母豊穣会では割礼の風習もおありなのですか?」
「風習とか宗教的な意味とかじゃなくて単純に二十歳過ぎても剥けないのを友達にからかわれたからだよ。ただ抜糸の時、俺の場合メチャクチャ痛くてな。また手術しなくちゃいけないのかと思ったら鬱ンなっちまったンだ。表に出したつもりは無かったンだがゲルダは察したみたいでな。ケアと称して強引についてきたンだよ」
「二度も切るのは嫌だと云うので夜毎、風呂で米糠を溶いたお湯に浸けながら少しずつ剥けるようにしていったのじゃな。その苦労も今では良い思い出よ」
呵々と笑うゲルダに聖女達は微妙な表情を浮かべている。
「剥けるようになれば手術は要らん。そしたら途端にミーケのヤツが土下座よ。我から申し出たとはいえ考えて見れば男女が裸になって一心に一物を弄んでおったのじゃ。尋常な状況ではないわな」
「俺自身もゲルダの押しに気圧されて、されるがままだったンだが、顕わになった亀頭を優しく洗うゲルダを見て、急に嫁入り前のレディーにちんちん触らせていた事実を飲み込ンでよ。サーッと血の気が引いて速攻で頭を下げた。それから色々あって俺達は付き合い始めたってワケさね」
「幼く見えるがミーケは尊敬すべき武人であるからな。更には容姿端麗で頭脳明晰、惚れん方がどうかしている。しかも実際に交際してみれば紳士的で所作も美しかった。色々と学ばせて貰ったわえ。特に武は当時伸び悩んでおったからな。共に修行し冒険をする事で飛躍的に向上したものじゃよ」
ゲルダも小柄であるがミーケは更に輪を掛けて小さい。
だがミーケが操る剣に斬れぬ物はなく、鉄をも豆腐を切るが如く両断する。
否、鉄どころかミスリルやオリハルコンといった神秘の金属で造られた鎧でさえミーケの前では薄紙のように斬り刻まれたという。
修行時代、ミーケは師である祖父から“月を斬れ”と命じられたそうな。
勿論、天空に浮かぶ月のことではあるまいと考えたミーケは夜毎に水面に映る月を斬る修行を始めた。初めは斬るというよりは水面を叩いているようなもので飛沫を浴びる毎日であったが、それでも師の言葉を信じて月を斬り続ける事、実に千日、ついに水面の月が截断されているのを見た。
当時の成功率は百回斬ってニ度三度成功すれば良い方であったが、更に月を万日斬り続けた末に確実に成功出来るようになっていたという。
しかも水を斬り続けた結果、形を持たぬものをも斬る事が出来るようになっており、水を斬り、火を斬り、風でさえも斬り裂き、大地はおろか鉄をたやすく截断せしめるようになっていたそうな。
これこそが勇者であった父ですら会得出来なかった『月輪斬り』の極意であり、極意を元に奥義を得た事で父を差し置いて三池流の宗家となったのである。
ゲルダやゼルドナルが体得している『斬鉄』の極意も元を正せばミーケの『月輪斬り』に行き当たるのだ。
「ミーケは武器を選ばん。『月輪斬り』の極意がある限り得物がナマクラであろうと名刀に勝る截断力を生み出す。否、その気になれば手にしたのが土塊であろうと甲冑を両断してしまうであろうよ」
「バータレ。云い過ぎだ。せめて土産屋の木刀くらいの丈夫さが無けりゃ両断は無理だ。土じゃ精々、兜を歪ませるのが関の山だよ」
「そうであったか? 昔、お主が投げた土団子がドラゴンの鱗で拵えた甲冑を貫通したと記憶しておるが」
「ありゃ中に石を仕込ンでたに決まってンだろがよ」
「い、石を入れただけでドラゴンの鱗を……」
非常識にも程がある会話に聖女達の頬が引き攣れている。
「ま、武器を選ばんとは云っても愛用している刀があってな」
「ああ、教皇ミーケも『塵塚』の母ちゃんが作った武器を持ってるのか」
ベアトリクスが云うがゲルダは首を横に振る。
「いや、ドワーフの血か、野鍛冶で刀を自作しておる。ワシや船長とどっこいどっこいの反骨ゆえ『無銘ナマクラ』と号しておるがなかなかの名刀じゃよ。『月輪斬り』を会得しておる事を前提としているので斬れ味はそれなりじゃが、頑丈で取り回しやすい。つまり防御がしやすく盾としても使えるのじゃ。そして何より刃文が美しい。芸術品としても評価は高く、好事家達の間では高値で取り引きされておるというぞ」
「上質の玉鋼を使っているからな。分かるヤツには分かるンだろう」
「聞き覚えがありやすぜ。『無銘ナマクラ』、ソイツを持ってりゃどんな凄惨な出入り(喧嘩)だろうと命を落とす事がないと云われておりやすね」
「ヤクザの手にも渡ってンのかよ。極意に到達した高弟にしか譲ってねェンだが借金の形に取られたか、やっつけられて奪われたか。無常だねェ」
ミーケは目を閉じ、肩を竦めてみせる。
一見すると嘆いているようにも見えるが、内心では高弟にのみ与えた自分の作刀が人から人へと渡っていく奇縁を楽しんですらいた。
悪党に奪われるも金で取り引きされるも縁である。
巡り巡って一角の人物の腰に収まってくれるのなら望外の喜びだ。
ゲルダの云う通り、「斬る」よりも持ち主を守る「守り刀」としての側面が強い。
英雄の命を守り、未来を切り開く一助ともなれば冥利に尽きるというものである。
『くちゅん!』
可愛いくしゃみに目をやれば相変わらずミーケの左腕で抱えられていた教皇キルフェが震えていた。
転生の儀で暖炉の火は消えており、室内は冷えきっていたので当然であろう。
「そういやずっとフリチンだったな」
ミーケは意地の悪い笑みを浮かべてキルフェの陰嚢を指で弾いた。
『あうっ!』
加減はしたが急所を弾かれた痛みは相当でキルフェは涙目になる。
「おやめなさい! 早く教皇様を解放するのです!」
「オメェだって今の今まで忘れてただろ? まあ、さっき交渉は成立していたはずだ。来いよ」
「うむ、皆の衆、暫し行って参る」
ミーケに促されてゲルダが彼の横に移動する。
ミーケは頷くとキルフェの体をヴァレンティーヌの方へ投げた。
「教皇様、これを」
ヴァレンティーヌはキルフェを受け止めると先程脱げた法衣で身を包んでやる。
「ヴァレンティーヌ、すまんが後は任せたぞ」
「ええ、承りました。アナタのお帰りまで私が責任を持って」
“責任”と云ってもゲルダ不在中の留守居の事ではない。
頼まれていた山伏の死体とヴァイアーシュトラス公爵から預かった頭蓋骨から残留思念を読み取る事を云っているのだ。
「わ、私も連れて行って下さい! せめてゲルダ様の身の回りのお世話を」
するとイルメラが自分も人質になると云い出したではないか。
アンネリーゼらは驚くがゲルダはイルメラの本気を感じて許可を出す。
「よし、お主も来い。構わんな?」
「俺に異存は無いが逆に聖女を二人もこっちに寄越して良いのか」
「イルメラは実家では箱入り育ちでな。聖女になってからも大神殿の外に出た事がない世間知らずの面がある。良い機会ではあるので世界を見せてやりたい」
暗に無体はせぬであろう、と云うゲルダにミーケは苦笑を浮かべる。
「はっ! 待遇の良さに慈母豊穣会へ改宗したくなっても知らねェぞ」
「それもイルメラの選択じゃ。それこそ異存は無いわえ」
「ちょっとゲルダさん?!」
ぎょっとして抗議の声を上げるヴァレンティーヌであるがゲルダが視線でイルゼを示している事に気付く。
先程の言葉はヴァレンティーヌの気を引く為であったのだとすぐに察した。
「イルゼさん、お願いがあります」
「皆まで云わないの。アタシも行ってイルメラを守ってあげるわよ」
ヴァレンティーヌとイルゼは親友同士であると双方認めている。
こう云えばイルゼがイルメラの護衛を買って出ると分かっていた。
親友を疑うつもりはないが、ゲルダの心にはまだ疑心が残っているらしい。
ならばこの機会に腹を割ってとことん話し合いをすべきだと判断しての事だ。
ゲルダに視線を戻せば小さく“すまんの”と唇が動いていた。
これはゲルダだけの問題ではないとヴァレンティーヌは思う。
これまで歴代の聖女達は互いが善である事を前提として信じ合っていたが、果たして心の底から絆を感じていたのか疑問だ。
だからこそゲルダが同じ聖女を疑うのであれば一層の事、全てを曝け出して討論した方が良い。たとえ口論となり、戦う事になったとしてもサムライの心を持つ二人なら或いはその方が上手くいくように思えるのだ。
「花三輪か。悪くないな」
「この姥桜も勘定に入れてくれるか。嬉しいのぅ」
「むしろ男の私も勘定に入っているのが…」
「手の甲にキスされて満更じゃなかったクセに何を云ってるの」
「あう……」
イルゼの指摘にイルメラの頬が赤くなる。
「ふふん、接吻で赤くなるとは可愛いではないか」
イルメラの頭を撫でるゲルダであった。
かつてゲルダとミーケには交際していた過去があったが過去は過去、今更悋気を起こす事もないし、何より内縁とはいえゼルドナルという伴侶もいるのだ。
「ではな。行って参る」
イルメラから手を離すとヴァレンティーヌ達に向き直る。
「へい、お気を付けて。イルゼどん、先生とイルメラどんを頼ンだぜ」
「任されたわ。そっちもそっちで大変だろうけどお願いね」
「ま、俺様もいるし心配しなさんな。イルメラ、ゲルダの兄弟の云う通り、勉強と思って行って来い。お前さんは“男なのに聖女”なんじゃない。“聖女であり男”なんだ。大きくなって帰ってくるんだぜ」
「はい、行ってきます!」
聖女としても男としても認めてくれたベアトリクスにイルメラは元気に返す。
最後にヴァレンティーヌがゲルダに声を掛ける。
「ゲルダさん、アナタの方も心を開いて下さいましね」
「!…ああ、心得ておこうよ」
疑心を抱いて話していてはそれは対話にならない。
ゲルダもイルゼに対して腹を割れとの忠告であった。
云われてゲルダはイルゼを訊問するつもりであった事に気付かされる。
根拠もなく信用するのも問題であるが、疑ってかかる事もまた問題であろう。
老獪な戦略家ゆえの悪癖が出たかと猛省させられた。
「流石は“希望”の聖女よな。恩に着る。このままではイルゼと険悪になるだけであったわ。ワシは良き友を得ていたのだな」
微笑むゲルダにヴァレンティーヌの頬が熱を帯びる。
「い、今更です!」
「ふふ、そうだな。今更であるな」
ゲルダの手が伸び、ヴァレンティーヌが中腰になる。
ヴァレンティーヌの髪を指で優しく梳いた。
「ではまた会おうぞ」
「ええ、吉報を待っておりますわ」
聖女達はこれより半々に別れて行動する事になるのである。
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