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第一謎:誘拐から始めよう IQ130(全四話)

大事件のフラグが立ちました

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 ここは歴史と菜の花の街、百済菜くだらな市。
 その昔、かの国から伝わったとされる仏像が古寺から見つかり、市の文化財に指定されたことがきっかけで改名した。
 元々この街は食用の菜の花栽培が盛んだったが、今では観光資源としても一役買っている。早春に咲きわたった菜の花が作る黄色い絨毯じゅうたんは、生粋きっすいの百済菜っ子である僕にとっても自慢の一つだ。

 市の中心部を南北に走る大通りから一本入った道を右に曲がり、しばらく行った十字路を左へ三ブロック進み、角の煙草屋のおしゃべり好きなおばちゃんに見つからないようこっそり通り抜けたあたり、つまり街の外れに武者小路事務所がある。
 ここの所長が大学の先輩、武者小路むしゃのこうじ耕助さんである。一度聞いたら忘れない名はミステリー好きなおじい様につけられたそうだ。
 そのおじい様と僕の祖母が知己の間柄だったこともあり、就職浪人だった僕――鈴木 りょう――がここの助手となって一年余り。殺人事件どころか頭を抱えてしまう難事件もなく、平穏で退屈な日々を過ごしている。
 そんなある日の朝。今日もゆったりとした時間と珈琲の香りが事務所には漂っていた。

「前から気になってたことがあるんですけど」

 スタンドカラーの白いシャツに紺のベストを着た先輩は、マイセンのカップを手に持つ姿もさまになる。
 ミルで手挽きしたキリマンジャロブレンドを味わいながら至福の表情を浮かべていた。そこへ声を掛けたものだから、ちょっとだけムッとした感じ。

「そもそも、なんで探偵事務所なんですか。先輩が難事件を解決したなんて話、聞いたことがないんですけど」
「せっかく美味しい珈琲の香りと酸味を楽しんでいたのに、何かと思えばそんなことかい? それくらい推理しなきゃ私の助手とはいえないよ、鈴木くん」

 掃除や片付けもしない先輩に言われたくはありません。という心の声が出そうになり、慌てて口を閉じる。

「それに、先輩じゃなくて先生と呼びなさいと言ってるだろ」
「いーじゃないですか、先輩は先輩なんだから」
「もう、しょうがないなぁ」

 六つの歳の差があっても、そこは百済菜っ子どうし。気の置けない関係だ。
 ソファに座ったまま、先輩は体を僕の方へ向けた。

「鈴木くんがこの事務所に来てから、何か大きな事件はあったかい?」
「うーん、迷子の犬探しとか、お屋敷の中での探し物くらいですかね」
「連続殺人や怪盗が予告状を出すことなんて、この街で聞いたことがないだろ?」
「ありません」
「つまるところ、世間にとどろく私の名声が犯罪への抑止力となっているのさ」

 なぜか勝ち誇ったようにあごを上げた先輩へ、僕は黙ったまま目を細めて粘りつくような視線を浴びせた。
 その攻撃に気づくとカップを盾のように掲げて遮りながら、顔をそむける。

「初めてのお客様にも、すぐに名探偵だってわかってもらえるし。依頼主の立場になって物事を考えれば、何をアピールすべきかは自ずと分かるというものだよ」

 かなり強引な気がする。
 単に名探偵と呼ばれたいだけなんじゃないかなぁ。

「まぁ、こうしてお給料をもらえてるだけでありがたいんですけど」
「そうだろう?」
「仕事も少ないのに、ねぇ」

 そうなのだ。仕事も少ないのにお給料はきちんと支払ってもらっている。そのカラクリも何となく分かる気はするけれど。
 さぁ、この攻撃にはどう出る、先輩!
 またカップの陰に顔を隠すようにしながら天井を見上げていた。

「その辺は大人の事情と言うやつだよ。うん、そう。大人の事情だ」
「そういうことにしておきます。それにしても、今日も暇ですねー」

 掃除も終えてしまい、退屈なのでぼやいてしまった。

「もうすぐお彼岸だね。ということは、鈴木くんがうちに来て一年になるのか。何かお祝いでもしようか」
「え、プレゼントでもしてくれるんですか」
「欲しいものがあるのかい?」
「そうですねぇ……。欲しいものというか、目の覚めるような大事件を扱ってみたいです。いかにも探偵っぽいような」
「また無茶なことを言って。何も起きないに越したことはないのだよ」

 先輩の言葉がフラグとなってしまったのか、突然、入り口のドアを三回ノックする音が響いた。
 思わず先輩と顔を見合わせる。

「今朝は来客予定ってありましたっけ」

 首を横に振る先輩を見やりながら入り口へ向かい扉を開けた。
 すると、そこには若い女性が立っていた。

「おはようございます。はいらっしゃいますか」

 返事も待たずに事務所の中へ一歩入ってくる。
 その凛とした姿勢に気圧けおされ、後ろに下がって道を開けてしまった。

「あ、あのぉ……」

 立ち止まることも、振り返ることもない。
(無視かよ!)
 むっとした気持ちを抑えて、さっき言われたばかりの推理をしてみる。

 ちょっと幼く見えるけれど物腰から二十代前半ってところかな。今どきの女子にしては珍しく、髪は染めていないしストレート。服装も紺のハーフコートにチェックの膝丈スカート、品があって落ち着いた感じだし先輩のことも名前で呼んでるし、武者小路家の人かも。
 ひょっとして妹? でも先輩に妹がいるなんて話、聞いたことないよなぁ。
 あ、メイドさんかも! おじい様のお使いで何か持ってきたのかもしれない。

「やぁ美咲さん。ここへ来るなんて、一体どうしたんですか?」

 やっぱり知り合いみたいだ。先輩がソファから立ち上がる。

「どうしたではありませんわ!」

 いきなり声を張り上げた。そんなことする感じの人には見えないのに。
 何やら雲行きが怪しい。
 メイドさんならこんな言い方する訳ないし、この人は一体……。

「イギリスから帰ってきたご挨拶にお電話を差し上げたときにお話ししただけで、耕助さまはその後も一向にご連絡をくださらないではありませんか! いつになったら会いに来てくださるのかと……。不躾ぶしつけながらお邪魔させて頂きました」
「え、あ、いやぁ……ほら、電話で話したばかり――」
「もう六日も前のことです!」

 これってひょっとして……痴話喧嘩ってやつ⁉
 先輩に彼女がいたなんて話も聞いてないよぉ。
 とにかく、少し落ち着いてもらおう。

「あのぉ」

 きっ、と振り向いた目は心なしか潤んでいるようにも見える。

「あなたが鈴木さまですわね。私と耕助さまのこと、邪魔をしないでくださるかしら」

 僕のことは誰から聞いたんだろう。そんな風に敵視されても困るんだけど。
 まずは落ち着いてもらわなきゃ。

「どうぞお掛けになってください。いま、珈琲をいれますから」

 彼女は急にはっとした表情を浮かべ、両手を前で重ねて深くお辞儀をした。 
 
「はしたない所をお見せしてしまい、申し訳ありません」

 いきなり丁寧に謝られても、何か調子狂うなぁ。
 先輩のカップを取り、ミニキッチンで三人分の珈琲をいれる。
 ソファへ戻ると先輩と向き合うように彼女が背筋をぴんと伸ばして座っていた。

「どうぞ」

 二人の前にカップを置いて自分の席に戻ろうとすると、先輩が呼び止めた。

「鈴木くんもこっちに座りなよ。美咲さんにちゃんと紹介するから」

 自分のカップを持って先輩の隣へ座った。

「美咲さん、こちらが私の助手をしてくれている鈴木くんです。彼のおばあ様と祖父が知り合いでうちに来てもらうことになりました。大学の後輩で、彼も百済菜っ子なんですよ」

 僕が会釈すると美咲さんも軽く頭を下げた。

「鈴木さまのお話は善之助大おじ様より聞いております」

 確か先輩のおじい様が善之助さんだったはず。美咲さんの情報元はおじい様だったのか。ということは、家族ぐるみのお付き合いなんだな。

「鈴木くん、こちらは豪徳寺美咲さん。私の幼なじみというか――」
「フィアンセです!」
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