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果
第十六話 遭遇
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振り返ると褐色の肌に白い歯が見える。満面の笑みを浮かべたズンさんだった。
「コンニチワ」
僕が気づいていないと思ったのか、もう一度声をかけてくる。
「あ、あぁ。こんにちは」
思ってもいなかった人と、しかも見られたくない場所であってしまい何か言い訳をしなくてはと頭をフル回転させる。
「ワタシ、ココスンデマス。アナタ、シゴトデスカ?」
仕事? そうだ、着替える間もなくスーツ姿のままここへ来ていたんだ。ズンさんの勘違いに乗っておこう。
「そうです。仕事です。ズンさんはこれからコンビニの仕事ですか?」
「ハイ。シゴトデス」
ということは、このままだとずっと一緒に帰ることになってしまう。
仕事と言ってしまったし、一時間近くも一緒にいるのは気まずい。
「私はこの電車に乗ります」
ホームに入ってきた反対方向の電車を指さして、頭を下げた。
ズンさんはホームに残りこちらを見ながら軽く手を挙げた。
遠回りをして帰ってから着替え、食事を済ませてからミキと会いにネットカフェへ向かった。
暇そうにしている店長さんはいつものようにヘッドホンをしたままヘヴィメタルを聴いているのか、僕には気づかない。声をかけて受付を済ませ、ブースに入り闇サイトを立ち上げたのは約束の時間の五分前だった。
チャットルームを立ち上げると、持ってきたコーヒーを飲む間もなく入室を知らせるチャイム音が鳴った。
『カオルさん、こんばんは』
「こんばんは。待っていてくれたの?」
『うん。早く相談がしたくて。どう、男の情報は分かった?』
ミキに佐々部長の名前と住所を伝え、こっそり撮った横顔の写真を共有フォルダへアップする。
『私も爺さんの写真を上げるね』
見るからに意地が悪そうな顔をしたお爺さんのアップと遠景の写真をダウンロードして、スマホへ送った。
年の割には背が高く細身で眼鏡をかけている。髪は染めているのか白髪は見えない。
『もうダウンロードした?』
「うん、したよ。背が高いんだね」
『百七十センチくらいある。このフォルダも削除するよ』
出来るだけ、僕たちの接点も情報交換の形跡も残さない。
それが交換殺人を成功させるポイントだと以前からミキは言っていた。チャットのログもこのサイトでは二十四時間で自動削除される。
『カオルさんの上司、B級アジア映画に出て来る悪役みたい』
「小太りなのにブランド物のスーツで固めてるから。イタいんだよね」
『ほかに何かある?』
「お酒、特にワインが好きということくらいかな。ごめん」
『わかった。次に相談するときまでにちょっと調べてみるよ』
彼女はどうやって調べるつもりなんだろう。まさかハッキングとかできるのかな。
『ふじみ台、行ってみた?』
「今日行ってきたよ。お爺さん、すごい家に住んでるんだね。いかにもお金持ちって感じの」
『でしょ。どんだけ汚いやり方をして貯めたんだか』
「神社も確かめてきた。ミキが言った通り、あの石段なら事故が起きてもおかしくないし、石段の上の方は木にさえぎられて道路から見えないし絶好のポイントだね」
あれなら僕にでもできるかもしれない。
ただ突飛ばせばいい……大丈夫、出来る。いや、やらなくちゃ。
『爺さんは見れた?』
「ううん。今度の水曜日に、お爺さんが囲碁から帰る時間に合わせてもう一度下見してみるつもり」
『わかった。よろしくね』
「それと気になることがあって」
下見をした帰りにズンさんに会ったことを話した。僕が仕事であの場所にいたと、彼は信じていると思うけれど。
『気にしなくて大丈夫だと思う。あくまでも事故に見せかけるのが目的だし、そもそもカオルさんと爺さんとの接点がないんだから』
「そうだよね。僕とお爺さんの関係が他の人に分かるはずないし」
『でも今回でよかったんじゃない? 本番のときだとさすがにまずかったかも』
「うん、気をつけるようにするよ」
それぞれ、もっと下準備と調査をしてから一週間後にまた相談する約束をして、この日は別れた。
一人になって、ふと思う。
本当に僕たちは殺人をするのかな。
こんな言い方は変だけれど、ミキと相談しているあいだは楽しいし僕自身の中でも気持ちは高ぶっている。
自分の知らない相手、しかもそいつは極悪非道なヤツ。
そんな悪役を倒すヒーローみたいな気分すらある。
しかも敵を倒した報酬として、自分の嫌いな奴がいなくなるなんて最高のゲームじゃないか。
銃やナイフを使って襲う、なんてことならもっとためらう気持ちが出てくるかもしれないけれど。
*
日が経つにつれ、仕事をしていても佐々部長のことが少しずつ気にならなくなってきた。
僕や藤崎君への態度は相変わらずで、ねちねちとした嫌味や脅すようなことを言ってくる。今も立ったままの僕の前で、椅子に座ったまま大声を上げ怒鳴りつけているのを、むしろ憐れむような気持ちで見下ろしてしまう。
(可哀そうに。お前が支店長になる日は来ないんだよ。でも今さら悔やんだとしても手遅れなんだ)
水野にも「何かあったのか。最近、変わったな」と言われた。
僕が落ち込んだり、不満そうな表情を見せることが少なくなっているらしい。
そう、確かに変わったんだ、僕は。
*
水曜日の半休届けを出したときの佐々部長から投げつけられた言葉を思い出す。
「ろくに仕事もしないで半休ばかり取って、いい身分じゃないか。そんな奴は俺の支店には必要ないからな」
この男が支店長になったとき、僕は間違いなく他へ飛ばされるだろう。
建物に触れる部署からも外されるかもしれない。
そうさせないためにも佐々部長には消えてもらわなくては。
そして水曜日。今日は予行演習のつもりで行動してみる。
帰ってからデニムのパンツにグレーの薄手のニット、キャップを被って動きやすく目立たない恰好を意識してみた。
お爺さんの顔を確認するのと、囲碁教室の場所を知るための尾行。
ここで不審に思われてトラブルになったら、せっかくの計画が台無しになる。
家を出るときからすでに心拍数が上がっている。
まずはお爺さんが出て来るまで張り込まなければならない。
ふじみ台の駅に着き、商店街を抜けて坂道を上り神社の鳥居をくぐった。
石段を上って境内を抜けて、再び通りへと出る。
時刻を確認すると四時半。
ミキの情報では夕方から九時まで囲碁教室へ行くということだから、ちょうどいい時間だろう。
(家から出てくるところを確認したいな)
だけど家の門が見えるところでこっそりと隠れることができる場所がない。
コンビニでもあれば立ち読みしながら様子をうかがうことも出来たのに、この辺りは民家ばかりだ。
仕方なく神社への裏道の近くで待つことにした。
ここからは立派な塀の端がなんとか見える。
帰りにあの急な段を上ってくるくらいだから、行く時も必ず神社を通っていくはずだ。
スマホをいじりながら小一時間が経った。その間にこの神社を抜けていった人はいない。
もっと利用する人が多いのかと思っていたけれど、駅までは自転車を使うのかもしれないな。などと考えていたら、通りの向こうを歩いてくる老人の姿が目に入った。
背が高く痩せた体型、年齢に不相応な真っ黒い髪と眼鏡をかけてムスっとした表情。
間違いない、写真で見た臼井だ。
思っていた通り、臼井はこちら側へ渡ろうと横断歩道で信号待ちをしている。
その間に僕も境内へと移動した。
しばらくすると、お爺さんも石畳の道を歩いてきた。
社殿にお参りしているふりをしていた僕には見向きもせず、駅の方へと降りる石段へ向かっていく。
お爺さんが降り始めたのを見計らって、彼の後を距離をとって続いた。
(なんか探偵みたい)
緊張が興奮へと変わってきた。
急な石段を降りていく背中を数メートル先に見ながら「このまま突き落としたら……」という思いが一瞬浮かんだ。
でも、まだ六時前だし商店街から抜けてくる道にも人通りがある。
今じゃない。
そのまま距離を保って石段を下り切った。
もう臼井は駅の方に向かって商店街のアーケード下に入っている。
近道だからといっても、あの急な石段を上り下りするだけあって足腰は丈夫そうだ。
多少ゆっくりではあるけれどふらつくこともない。
しばらく歩くと、商店街を抜ける手前の雑居ビルへと入って行った。
見上げると袖看板に「ふじみ台囲碁クラブ」と記されている。
これでミキからの情報がすべてつながった。
「コンニチワ」
僕が気づいていないと思ったのか、もう一度声をかけてくる。
「あ、あぁ。こんにちは」
思ってもいなかった人と、しかも見られたくない場所であってしまい何か言い訳をしなくてはと頭をフル回転させる。
「ワタシ、ココスンデマス。アナタ、シゴトデスカ?」
仕事? そうだ、着替える間もなくスーツ姿のままここへ来ていたんだ。ズンさんの勘違いに乗っておこう。
「そうです。仕事です。ズンさんはこれからコンビニの仕事ですか?」
「ハイ。シゴトデス」
ということは、このままだとずっと一緒に帰ることになってしまう。
仕事と言ってしまったし、一時間近くも一緒にいるのは気まずい。
「私はこの電車に乗ります」
ホームに入ってきた反対方向の電車を指さして、頭を下げた。
ズンさんはホームに残りこちらを見ながら軽く手を挙げた。
遠回りをして帰ってから着替え、食事を済ませてからミキと会いにネットカフェへ向かった。
暇そうにしている店長さんはいつものようにヘッドホンをしたままヘヴィメタルを聴いているのか、僕には気づかない。声をかけて受付を済ませ、ブースに入り闇サイトを立ち上げたのは約束の時間の五分前だった。
チャットルームを立ち上げると、持ってきたコーヒーを飲む間もなく入室を知らせるチャイム音が鳴った。
『カオルさん、こんばんは』
「こんばんは。待っていてくれたの?」
『うん。早く相談がしたくて。どう、男の情報は分かった?』
ミキに佐々部長の名前と住所を伝え、こっそり撮った横顔の写真を共有フォルダへアップする。
『私も爺さんの写真を上げるね』
見るからに意地が悪そうな顔をしたお爺さんのアップと遠景の写真をダウンロードして、スマホへ送った。
年の割には背が高く細身で眼鏡をかけている。髪は染めているのか白髪は見えない。
『もうダウンロードした?』
「うん、したよ。背が高いんだね」
『百七十センチくらいある。このフォルダも削除するよ』
出来るだけ、僕たちの接点も情報交換の形跡も残さない。
それが交換殺人を成功させるポイントだと以前からミキは言っていた。チャットのログもこのサイトでは二十四時間で自動削除される。
『カオルさんの上司、B級アジア映画に出て来る悪役みたい』
「小太りなのにブランド物のスーツで固めてるから。イタいんだよね」
『ほかに何かある?』
「お酒、特にワインが好きということくらいかな。ごめん」
『わかった。次に相談するときまでにちょっと調べてみるよ』
彼女はどうやって調べるつもりなんだろう。まさかハッキングとかできるのかな。
『ふじみ台、行ってみた?』
「今日行ってきたよ。お爺さん、すごい家に住んでるんだね。いかにもお金持ちって感じの」
『でしょ。どんだけ汚いやり方をして貯めたんだか』
「神社も確かめてきた。ミキが言った通り、あの石段なら事故が起きてもおかしくないし、石段の上の方は木にさえぎられて道路から見えないし絶好のポイントだね」
あれなら僕にでもできるかもしれない。
ただ突飛ばせばいい……大丈夫、出来る。いや、やらなくちゃ。
『爺さんは見れた?』
「ううん。今度の水曜日に、お爺さんが囲碁から帰る時間に合わせてもう一度下見してみるつもり」
『わかった。よろしくね』
「それと気になることがあって」
下見をした帰りにズンさんに会ったことを話した。僕が仕事であの場所にいたと、彼は信じていると思うけれど。
『気にしなくて大丈夫だと思う。あくまでも事故に見せかけるのが目的だし、そもそもカオルさんと爺さんとの接点がないんだから』
「そうだよね。僕とお爺さんの関係が他の人に分かるはずないし」
『でも今回でよかったんじゃない? 本番のときだとさすがにまずかったかも』
「うん、気をつけるようにするよ」
それぞれ、もっと下準備と調査をしてから一週間後にまた相談する約束をして、この日は別れた。
一人になって、ふと思う。
本当に僕たちは殺人をするのかな。
こんな言い方は変だけれど、ミキと相談しているあいだは楽しいし僕自身の中でも気持ちは高ぶっている。
自分の知らない相手、しかもそいつは極悪非道なヤツ。
そんな悪役を倒すヒーローみたいな気分すらある。
しかも敵を倒した報酬として、自分の嫌いな奴がいなくなるなんて最高のゲームじゃないか。
銃やナイフを使って襲う、なんてことならもっとためらう気持ちが出てくるかもしれないけれど。
*
日が経つにつれ、仕事をしていても佐々部長のことが少しずつ気にならなくなってきた。
僕や藤崎君への態度は相変わらずで、ねちねちとした嫌味や脅すようなことを言ってくる。今も立ったままの僕の前で、椅子に座ったまま大声を上げ怒鳴りつけているのを、むしろ憐れむような気持ちで見下ろしてしまう。
(可哀そうに。お前が支店長になる日は来ないんだよ。でも今さら悔やんだとしても手遅れなんだ)
水野にも「何かあったのか。最近、変わったな」と言われた。
僕が落ち込んだり、不満そうな表情を見せることが少なくなっているらしい。
そう、確かに変わったんだ、僕は。
*
水曜日の半休届けを出したときの佐々部長から投げつけられた言葉を思い出す。
「ろくに仕事もしないで半休ばかり取って、いい身分じゃないか。そんな奴は俺の支店には必要ないからな」
この男が支店長になったとき、僕は間違いなく他へ飛ばされるだろう。
建物に触れる部署からも外されるかもしれない。
そうさせないためにも佐々部長には消えてもらわなくては。
そして水曜日。今日は予行演習のつもりで行動してみる。
帰ってからデニムのパンツにグレーの薄手のニット、キャップを被って動きやすく目立たない恰好を意識してみた。
お爺さんの顔を確認するのと、囲碁教室の場所を知るための尾行。
ここで不審に思われてトラブルになったら、せっかくの計画が台無しになる。
家を出るときからすでに心拍数が上がっている。
まずはお爺さんが出て来るまで張り込まなければならない。
ふじみ台の駅に着き、商店街を抜けて坂道を上り神社の鳥居をくぐった。
石段を上って境内を抜けて、再び通りへと出る。
時刻を確認すると四時半。
ミキの情報では夕方から九時まで囲碁教室へ行くということだから、ちょうどいい時間だろう。
(家から出てくるところを確認したいな)
だけど家の門が見えるところでこっそりと隠れることができる場所がない。
コンビニでもあれば立ち読みしながら様子をうかがうことも出来たのに、この辺りは民家ばかりだ。
仕方なく神社への裏道の近くで待つことにした。
ここからは立派な塀の端がなんとか見える。
帰りにあの急な段を上ってくるくらいだから、行く時も必ず神社を通っていくはずだ。
スマホをいじりながら小一時間が経った。その間にこの神社を抜けていった人はいない。
もっと利用する人が多いのかと思っていたけれど、駅までは自転車を使うのかもしれないな。などと考えていたら、通りの向こうを歩いてくる老人の姿が目に入った。
背が高く痩せた体型、年齢に不相応な真っ黒い髪と眼鏡をかけてムスっとした表情。
間違いない、写真で見た臼井だ。
思っていた通り、臼井はこちら側へ渡ろうと横断歩道で信号待ちをしている。
その間に僕も境内へと移動した。
しばらくすると、お爺さんも石畳の道を歩いてきた。
社殿にお参りしているふりをしていた僕には見向きもせず、駅の方へと降りる石段へ向かっていく。
お爺さんが降り始めたのを見計らって、彼の後を距離をとって続いた。
(なんか探偵みたい)
緊張が興奮へと変わってきた。
急な石段を降りていく背中を数メートル先に見ながら「このまま突き落としたら……」という思いが一瞬浮かんだ。
でも、まだ六時前だし商店街から抜けてくる道にも人通りがある。
今じゃない。
そのまま距離を保って石段を下り切った。
もう臼井は駅の方に向かって商店街のアーケード下に入っている。
近道だからといっても、あの急な石段を上り下りするだけあって足腰は丈夫そうだ。
多少ゆっくりではあるけれどふらつくこともない。
しばらく歩くと、商店街を抜ける手前の雑居ビルへと入って行った。
見上げると袖看板に「ふじみ台囲碁クラブ」と記されている。
これでミキからの情報がすべてつながった。
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