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第四章 預金通帳はかく語りき
第三話 母の思い
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「ただいまー」
扉を開けて、いつものように声をかける。
誰もいない家へ帰ることしか知らなかったわたしに「ここへ来るときは『ただいま』でいいぞ」と、おじさんは言ってくれた。
「おぉ、お帰り。久しぶりだな。と言っても一週間くらいか」
登校班の付き添いをしていたおじさんと初めて会ったのは、わたしがこっちに引っ越してきた小学校四年生のとき。
それから毎朝、卒業した後も色々な話をしたし、放課後もこの事務所へ毎日のように遊びに来ていた。ママと二人で暮らしていたわたしにとって、良き相談相手だし、おじさんは特別な存在。
今年の四月にわたしはまた引っ越しちゃったけれど、その後もこうして遊びに来ている。
「今日は珍しくお客さんも一緒じゃないか。彼氏――ぃぎっ!」
わたしの右こぶしが唸りをあげて、おじさんの左わき腹をえぐる。
まったく。んなわきゃないでしょ。
もし彼氏が出来ても、簡単には紹介したりしないよ。
ただでさえ緊張している小林くんは、わたしたちのやり取りを見て入り口で固まっていた。
「大丈夫、気にしないで。いつものことだから」
「あ、あぁ。そう……なんだ」
「この人が探偵をやっているおじさん。こちらは同級生の小林くん」
勝手にソファへ座ってそれぞれを紹介した。
「なんだよ、その雑な紹介は。はじめまして、水城です」
「小林です。よろしくお願いします」
「今日は小林くんの相談を聞いてあげて欲しくて、つれてきたの。で、なんかおやつない?」
「用意するから、まずは手洗いとうがい!」
「はーい」
昔から手洗いとうがいにはうるさいんだよな、おじさんは。
小林くんと一緒に流し台から戻ると、テーブルの上にはクッキーとミネラルウォーターが並んでいた。
「で、わざわざ朋華が友達を連れてくるほどの相談って?」
*
「なるほどぉ……」
小林くんの話を聞いている途中から、おじさんの表情が真剣になっていった。
「その通帳を持ってきてる?」
「はい」
彼がかばんから取り出した通帳を受け取り、おじさんはゆっくりとページをめくりながら見ていく。
「それで、君はどうしたいのかな」
「どうすればいいのか迷っています」
あれ、この前と少し違ってる。
あの時はもう後が無いような、ピンと張った感じだったのに。
「最初は探偵さんに母を見張ってもらおうと思っていました。でも、加納さんに相談してからあらためて母を注意して見るようにしたんです。あいかわらずぼぉっとしていたりすることは多いけれど、深刻そうな表情や思いつめた様子はなくって。僕の想い過ごしだったのかも……」
「だけど気になるんだね」
「なにか隠している気がするんです」
小林くん自身が少し落ち着いたみたい。よかった。
それにしてもお母さんがしたことは謎だよなぁ。もしわたしが彼の立場だったら、ママが何か隠していることに気づくのかな。
「さっきから黙っているけれど、朋華はどう思ってるの?」
「え、わたひぃ!?」
いきなりおじさんに振られて声が裏返った。
「うーん。やっぱり小林くんへお母さんが言った『もし私がいなくても』っていうのは引っ掛かるかなぁ。百万円も入った通帳をいきなり渡したりもしないと思うし。ただ――」
横目でちらっと小林君を見た。
「死のうとしている人がやることじゃない気がする。何となくだけど」
「そこは俺も同じ意見だな。何となくじゃないけれど」
何それ。またドヤ顔して! 腹パンしようにも、いまはテーブルを挟んでソファに座っているから届かない。悔しい。
「どうしてですか」
「これを見ればお母さんの思いが伝わってくるよ」
そう言うと、おじさんは通帳を開いてテーブルの上に置いた。
「小林君は十一月生れだよね」
「はい」「どうしてわかったの」
「この通帳、二〇〇三年の十一月から、五千円が毎月入金されている。君たちはその年の生まれだろ?」
そこまでちゃんと見てなかった。
そうか、生まれたお祝いに貯金し始めたんだ。
「ひと月も欠かさずに、二、三ヶ月分をまとめて入金していることもない。これを十六年以上も続けてきたなんて、真面目できっちりした性格だというのが分かる」
思わず何度もうなずいちゃった。
だって小林くんがそのままの性格だもの。お母さん譲りなのね。
「これってなかなか出来ることじゃないと思うよ。きっと君が成長していくのをお母さんは楽しみにしていたんだろうな。そんな人が息子を残して自ら命を絶つなんて、どんなつらいことがあったってするはずがないさ」
「そうだよ、するはずないよ」
おじさんの話に納得して彼の方を見たら――やだ、泣いてるの?
そんな風にウルウルされたら、こっちまでヤバくなっちゃうじゃないの。
「ありがとうございます。やっぱり僕が考え過ぎていたんですね。ちょっと安心しました」
「で、お母さんが隠しているかもしれない謎は? 何か推理できそう?」
「まぁ何となく、これかもしれないというのはあるけれど……」
めずらしく歯切れが悪い。自信がないのかな。
「聞かせてください。お願いします」
「それじゃ、いくつか聞きたいことがあるんだけれど、いいかな」
「はい。どうぞ」
「お父さんは札幌へ単身赴任だったよね。最近、帰ってきたのはいつ?」
へ、何でお父さんの話?
「父ですか? たしか二週間くらい前です」
「その時は小林君も一緒に家で過ごしたの?」
「いえ、父は土曜日に帰ってきたんですけど、その日は塾の補習があってちょうど入れ違いで出掛けていました。夕食も先に父と母が済ませていたので、あまり父とは話も出来なくて」
「塾も補習なんてあるの?」
思わず聞いちゃった。つーか、塾へ行ってるんだ。さすが。
「うん。ウイルスの影響でしばらく塾も休みだったから、その分を補習してるんだ」
「お父さんは日曜日には戻ったんだね」
「はい、午前中の飛行機で」
「それとお母さんのことだけれど、最近になって病院へ行った様子はないかな。薬を飲み始めたとか、病院を検索していたとか」
「病院ですか……。行くとしたら学校へ行っている間だろうし、特に薬を飲んでいるのも見たことないし……」
「そうだよね、病院へ行くなら昼間だからな」
「あっ」
何か思い出したのか、小林くんが小さな声をあげた。
「学校から帰ってきたとき、テーブルの上に保険証が置いてあったことがありました」
「そうかぁ……」
そういったきり、おじさんはマスクの上からあごへ手を添え黙ってしまった。
眉間に少ししわを寄せ、真剣な眼差しは変わらない。
扉を開けて、いつものように声をかける。
誰もいない家へ帰ることしか知らなかったわたしに「ここへ来るときは『ただいま』でいいぞ」と、おじさんは言ってくれた。
「おぉ、お帰り。久しぶりだな。と言っても一週間くらいか」
登校班の付き添いをしていたおじさんと初めて会ったのは、わたしがこっちに引っ越してきた小学校四年生のとき。
それから毎朝、卒業した後も色々な話をしたし、放課後もこの事務所へ毎日のように遊びに来ていた。ママと二人で暮らしていたわたしにとって、良き相談相手だし、おじさんは特別な存在。
今年の四月にわたしはまた引っ越しちゃったけれど、その後もこうして遊びに来ている。
「今日は珍しくお客さんも一緒じゃないか。彼氏――ぃぎっ!」
わたしの右こぶしが唸りをあげて、おじさんの左わき腹をえぐる。
まったく。んなわきゃないでしょ。
もし彼氏が出来ても、簡単には紹介したりしないよ。
ただでさえ緊張している小林くんは、わたしたちのやり取りを見て入り口で固まっていた。
「大丈夫、気にしないで。いつものことだから」
「あ、あぁ。そう……なんだ」
「この人が探偵をやっているおじさん。こちらは同級生の小林くん」
勝手にソファへ座ってそれぞれを紹介した。
「なんだよ、その雑な紹介は。はじめまして、水城です」
「小林です。よろしくお願いします」
「今日は小林くんの相談を聞いてあげて欲しくて、つれてきたの。で、なんかおやつない?」
「用意するから、まずは手洗いとうがい!」
「はーい」
昔から手洗いとうがいにはうるさいんだよな、おじさんは。
小林くんと一緒に流し台から戻ると、テーブルの上にはクッキーとミネラルウォーターが並んでいた。
「で、わざわざ朋華が友達を連れてくるほどの相談って?」
*
「なるほどぉ……」
小林くんの話を聞いている途中から、おじさんの表情が真剣になっていった。
「その通帳を持ってきてる?」
「はい」
彼がかばんから取り出した通帳を受け取り、おじさんはゆっくりとページをめくりながら見ていく。
「それで、君はどうしたいのかな」
「どうすればいいのか迷っています」
あれ、この前と少し違ってる。
あの時はもう後が無いような、ピンと張った感じだったのに。
「最初は探偵さんに母を見張ってもらおうと思っていました。でも、加納さんに相談してからあらためて母を注意して見るようにしたんです。あいかわらずぼぉっとしていたりすることは多いけれど、深刻そうな表情や思いつめた様子はなくって。僕の想い過ごしだったのかも……」
「だけど気になるんだね」
「なにか隠している気がするんです」
小林くん自身が少し落ち着いたみたい。よかった。
それにしてもお母さんがしたことは謎だよなぁ。もしわたしが彼の立場だったら、ママが何か隠していることに気づくのかな。
「さっきから黙っているけれど、朋華はどう思ってるの?」
「え、わたひぃ!?」
いきなりおじさんに振られて声が裏返った。
「うーん。やっぱり小林くんへお母さんが言った『もし私がいなくても』っていうのは引っ掛かるかなぁ。百万円も入った通帳をいきなり渡したりもしないと思うし。ただ――」
横目でちらっと小林君を見た。
「死のうとしている人がやることじゃない気がする。何となくだけど」
「そこは俺も同じ意見だな。何となくじゃないけれど」
何それ。またドヤ顔して! 腹パンしようにも、いまはテーブルを挟んでソファに座っているから届かない。悔しい。
「どうしてですか」
「これを見ればお母さんの思いが伝わってくるよ」
そう言うと、おじさんは通帳を開いてテーブルの上に置いた。
「小林君は十一月生れだよね」
「はい」「どうしてわかったの」
「この通帳、二〇〇三年の十一月から、五千円が毎月入金されている。君たちはその年の生まれだろ?」
そこまでちゃんと見てなかった。
そうか、生まれたお祝いに貯金し始めたんだ。
「ひと月も欠かさずに、二、三ヶ月分をまとめて入金していることもない。これを十六年以上も続けてきたなんて、真面目できっちりした性格だというのが分かる」
思わず何度もうなずいちゃった。
だって小林くんがそのままの性格だもの。お母さん譲りなのね。
「これってなかなか出来ることじゃないと思うよ。きっと君が成長していくのをお母さんは楽しみにしていたんだろうな。そんな人が息子を残して自ら命を絶つなんて、どんなつらいことがあったってするはずがないさ」
「そうだよ、するはずないよ」
おじさんの話に納得して彼の方を見たら――やだ、泣いてるの?
そんな風にウルウルされたら、こっちまでヤバくなっちゃうじゃないの。
「ありがとうございます。やっぱり僕が考え過ぎていたんですね。ちょっと安心しました」
「で、お母さんが隠しているかもしれない謎は? 何か推理できそう?」
「まぁ何となく、これかもしれないというのはあるけれど……」
めずらしく歯切れが悪い。自信がないのかな。
「聞かせてください。お願いします」
「それじゃ、いくつか聞きたいことがあるんだけれど、いいかな」
「はい。どうぞ」
「お父さんは札幌へ単身赴任だったよね。最近、帰ってきたのはいつ?」
へ、何でお父さんの話?
「父ですか? たしか二週間くらい前です」
「その時は小林君も一緒に家で過ごしたの?」
「いえ、父は土曜日に帰ってきたんですけど、その日は塾の補習があってちょうど入れ違いで出掛けていました。夕食も先に父と母が済ませていたので、あまり父とは話も出来なくて」
「塾も補習なんてあるの?」
思わず聞いちゃった。つーか、塾へ行ってるんだ。さすが。
「うん。ウイルスの影響でしばらく塾も休みだったから、その分を補習してるんだ」
「お父さんは日曜日には戻ったんだね」
「はい、午前中の飛行機で」
「それとお母さんのことだけれど、最近になって病院へ行った様子はないかな。薬を飲み始めたとか、病院を検索していたとか」
「病院ですか……。行くとしたら学校へ行っている間だろうし、特に薬を飲んでいるのも見たことないし……」
「そうだよね、病院へ行くなら昼間だからな」
「あっ」
何か思い出したのか、小林くんが小さな声をあげた。
「学校から帰ってきたとき、テーブルの上に保険証が置いてあったことがありました」
「そうかぁ……」
そういったきり、おじさんはマスクの上からあごへ手を添え黙ってしまった。
眉間に少ししわを寄せ、真剣な眼差しは変わらない。
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