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第四章 預金通帳はかく語りき
第二話 手渡された預金通帳
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あの日から二日後、わたしは小林くんと一緒に見慣れた駅の改札を通った。
にぎわいが戻ってきた駅ビルの中を通り抜け、大通りの信号を渡り、ファッションビルの中通路を歩いていく。小林くんは斜め後ろを黙ったままついてきている。
ここを抜けてまっすぐ行けば近道だ。
右にはまだ夕方なのに開いている居酒屋さん、左の先にはラブホも見える。
「行こう」
いちど立ち止まって、彼の背中を押すように声をかけた。
*
小林くんが理科室を出て行った後も、どうしていいか分からずに立ったままだった。
そこへするするっと楓が寄ってくる。
「なになにぃ、やりますなぁ朋華さんも。それにしてもまさか、小林くんがねぇ。うーん、なるほどねぇ」
わたしをひじで小突きながら見上げてくる。マスクの下ではにやにやしてるんでしょ、バレバレだからね。
「いや、ただ『話がある』って言われただけだから」
「何の話よ」
「うーん……。勉強を教えてくれ、とか?」
「小林くんの方が成績良いよね」
「……うん。じゃ、絵のこととか」
「それなら今の部活のときに話せばいいよね」
「……うん」
えー、マジにどうしよう。
こういうのって、もっと前フリがあるんじゃないの? 急に親しくなるきっかけがあったとか。
もう突然すぎて、心の準備が。
「楓、一緒に来てよ」
「なに言ってんの! こういうことは一人で受け止めてこそ、女として成長していくのよ」
「なにそれ。もう他人事だと思ってぇ」
「ま、頑張って。明日、ゆっくり話を聞かせてね」
そう言うと「お先にぃ」と手を振りながら帰ってしまった。
仕方ない。行くしかないか。
小林くんの印象って、青いメタルフレームの眼鏡くらいなんだよなぁ。
あとはまじめで頭も良くて、とぅるんとしたゆで卵みたいな顔、かな。
正直、見た目的にはタイプじゃないし。
そんなことを考えているうちに教室の前まで来た。
立ち止まって深呼吸。
なんでわたしの方がこんなに緊張しなきゃいけないんだ?
思わず苦笑いを浮かべる。
よし、入るか。
「あ、加納さん。ごめんね、残ってもらっちゃって」
小林くんは教室の後ろの方で窓際に立っていた。
「なに、話って」
「うん……」
彼の方へ近づいていくと、わたしから視線を外した。
手には何か手帳くらいの大きさのものを持っている。
「あのさ……」
意を決したように小林くんが顔を上げた。
「加納さん、知り合いに探偵がいるって言ってたよね」
へ?
どんがらがっしゃーんと、頭の中で思いっきりずっこけた。
そ、そういうことだったのか。
「どうしたの?」
「う、うん、なんでもない。探偵ね、いるよ。といってもあまり探偵っぽいことしていない、ただの世話好きなおじさんだけど」
「僕に紹介して欲しいんだ」
いったいなんで小林くんが探偵を?
依頼するお金はどうするんだろう。
まぁおじさんなら、話によっては無料で引き受けるんだろうけれど。
「いいけど、よかったら理由も聞かせてくれる?」
「紹介してもらうからには、加納さんには話そうと思ってた」
小林くんは手に持っていたものをすっと差し出した。
見ると預金通帳だ。
「なに、これ」
「中を見て」
通帳の名義は小林くんになっている。
「うわっ、すごい。百万円もあるじゃない!」
毎月五千円ずつ入金されているのがずらっと並んでいて、最後の残高は百万を超えていた。
「僕が貯めたわけじゃないよ。母さんが貯めてくれていたんだ」
「この通帳がどうかしたの?」
またわたしから視線を外した。
「母さんが……急にこの通帳を渡してきたんだ。あなたのためのお金だから必要なときに使いなさい、って。いきなりだよ。おかしくない!?」
おかしいといえばそうかもしれないけれど。
「百万円になったから、キリがいいと思ったのかも」
「最近は様子が変なんだ。何か考え込んでいることが多くて、一緒にテレビを見ていてもボーっとしていて話がかみ合わないし」
家族だからこそわかる、微妙な違和感があるのかな。
「母さん……死ぬつもりなのかも」
「えぇっ!」
「昨日の夜、通帳のことを聞いてみたんだ。何で急に渡したのか、って。そうしたら『もし私がいなくてもご飯食べたりするのにお金がいるでしょ』って笑いながら言うんだよ。なんか無理して笑顔を作ってる気がして。そんなこと言うなんて絶対変だよ!」
たしかに『私がいなくても』なんて、ちょっと変だ。
「お父さんには相談したの?」
「父さんは二年前から札幌へ単身赴任していて。帰ってくるのも月に一回くらいだし、このことはまだ話してない」
「それで探偵に……」
黙ったまま、小林くんはうなずいた。
「わかった。おじさんを紹介するよ。大丈夫。こういうことなら絶対に力になってくれる人だから」
「ありがとう」
「きっとお母さんにも何か理由があるんだよ」
「いきなりこんな話をしてごめん。でも加納さんに話を聞いてもらえて、少し気持ちが楽になった」
いやいや、こちらこそ早合点して勝手にドキドキしちゃったりしてゴメン。と心の中で謝っておいた。
でもこれはこれで、楓には笑われるよ、きっと。
それにしても小林くんのお母さん、なんで急に預金通帳なんか渡したんだろう。
*
「ここだよ」
見馴れたビル、入り口のガラス扉には『水城探偵事務所』と白い文字で書いてある。その文字越しに、パソコンに向かっているおじさんの背中が見えた。
にぎわいが戻ってきた駅ビルの中を通り抜け、大通りの信号を渡り、ファッションビルの中通路を歩いていく。小林くんは斜め後ろを黙ったままついてきている。
ここを抜けてまっすぐ行けば近道だ。
右にはまだ夕方なのに開いている居酒屋さん、左の先にはラブホも見える。
「行こう」
いちど立ち止まって、彼の背中を押すように声をかけた。
*
小林くんが理科室を出て行った後も、どうしていいか分からずに立ったままだった。
そこへするするっと楓が寄ってくる。
「なになにぃ、やりますなぁ朋華さんも。それにしてもまさか、小林くんがねぇ。うーん、なるほどねぇ」
わたしをひじで小突きながら見上げてくる。マスクの下ではにやにやしてるんでしょ、バレバレだからね。
「いや、ただ『話がある』って言われただけだから」
「何の話よ」
「うーん……。勉強を教えてくれ、とか?」
「小林くんの方が成績良いよね」
「……うん。じゃ、絵のこととか」
「それなら今の部活のときに話せばいいよね」
「……うん」
えー、マジにどうしよう。
こういうのって、もっと前フリがあるんじゃないの? 急に親しくなるきっかけがあったとか。
もう突然すぎて、心の準備が。
「楓、一緒に来てよ」
「なに言ってんの! こういうことは一人で受け止めてこそ、女として成長していくのよ」
「なにそれ。もう他人事だと思ってぇ」
「ま、頑張って。明日、ゆっくり話を聞かせてね」
そう言うと「お先にぃ」と手を振りながら帰ってしまった。
仕方ない。行くしかないか。
小林くんの印象って、青いメタルフレームの眼鏡くらいなんだよなぁ。
あとはまじめで頭も良くて、とぅるんとしたゆで卵みたいな顔、かな。
正直、見た目的にはタイプじゃないし。
そんなことを考えているうちに教室の前まで来た。
立ち止まって深呼吸。
なんでわたしの方がこんなに緊張しなきゃいけないんだ?
思わず苦笑いを浮かべる。
よし、入るか。
「あ、加納さん。ごめんね、残ってもらっちゃって」
小林くんは教室の後ろの方で窓際に立っていた。
「なに、話って」
「うん……」
彼の方へ近づいていくと、わたしから視線を外した。
手には何か手帳くらいの大きさのものを持っている。
「あのさ……」
意を決したように小林くんが顔を上げた。
「加納さん、知り合いに探偵がいるって言ってたよね」
へ?
どんがらがっしゃーんと、頭の中で思いっきりずっこけた。
そ、そういうことだったのか。
「どうしたの?」
「う、うん、なんでもない。探偵ね、いるよ。といってもあまり探偵っぽいことしていない、ただの世話好きなおじさんだけど」
「僕に紹介して欲しいんだ」
いったいなんで小林くんが探偵を?
依頼するお金はどうするんだろう。
まぁおじさんなら、話によっては無料で引き受けるんだろうけれど。
「いいけど、よかったら理由も聞かせてくれる?」
「紹介してもらうからには、加納さんには話そうと思ってた」
小林くんは手に持っていたものをすっと差し出した。
見ると預金通帳だ。
「なに、これ」
「中を見て」
通帳の名義は小林くんになっている。
「うわっ、すごい。百万円もあるじゃない!」
毎月五千円ずつ入金されているのがずらっと並んでいて、最後の残高は百万を超えていた。
「僕が貯めたわけじゃないよ。母さんが貯めてくれていたんだ」
「この通帳がどうかしたの?」
またわたしから視線を外した。
「母さんが……急にこの通帳を渡してきたんだ。あなたのためのお金だから必要なときに使いなさい、って。いきなりだよ。おかしくない!?」
おかしいといえばそうかもしれないけれど。
「百万円になったから、キリがいいと思ったのかも」
「最近は様子が変なんだ。何か考え込んでいることが多くて、一緒にテレビを見ていてもボーっとしていて話がかみ合わないし」
家族だからこそわかる、微妙な違和感があるのかな。
「母さん……死ぬつもりなのかも」
「えぇっ!」
「昨日の夜、通帳のことを聞いてみたんだ。何で急に渡したのか、って。そうしたら『もし私がいなくてもご飯食べたりするのにお金がいるでしょ』って笑いながら言うんだよ。なんか無理して笑顔を作ってる気がして。そんなこと言うなんて絶対変だよ!」
たしかに『私がいなくても』なんて、ちょっと変だ。
「お父さんには相談したの?」
「父さんは二年前から札幌へ単身赴任していて。帰ってくるのも月に一回くらいだし、このことはまだ話してない」
「それで探偵に……」
黙ったまま、小林くんはうなずいた。
「わかった。おじさんを紹介するよ。大丈夫。こういうことなら絶対に力になってくれる人だから」
「ありがとう」
「きっとお母さんにも何か理由があるんだよ」
「いきなりこんな話をしてごめん。でも加納さんに話を聞いてもらえて、少し気持ちが楽になった」
いやいや、こちらこそ早合点して勝手にドキドキしちゃったりしてゴメン。と心の中で謝っておいた。
でもこれはこれで、楓には笑われるよ、きっと。
それにしても小林くんのお母さん、なんで急に預金通帳なんか渡したんだろう。
*
「ここだよ」
見馴れたビル、入り口のガラス扉には『水城探偵事務所』と白い文字で書いてある。その文字越しに、パソコンに向かっているおじさんの背中が見えた。
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